ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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新刊ラジオでも紹介されています。ねずさん本人も出演しています。
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妊娠共感スーツ

3日に渋谷で佐藤和夫さんご主催の英霊の名誉を守りを顕彰する会さんご主催の慰安婦展があり、そこで米国人で日本をこよなく愛しておいでの、Max Von Schulerさんの講演を聴講させていただきました。
そのときのお話に出て来たのが、上にある米軍で採用されている「妊娠共感スーツ(Pregnancy Empathy Suits)」です。
これが何かというと、男性が女性の妊娠中の状態を「共感」するために、米軍の指示で妻が妊娠したら、夫はこれを一定期間身につけなければならないものです
重さは、約14キロあり、おなかの部分には、胎児の蹴りやなでる動きを模倣する機械が埋め込まれていて、スーツは胸を圧迫して浅い呼吸や息切れを誘導し、さらに膀胱を押さえつけることで排尿回数を増やさせ、これを身につける人にストレスを与え、イライラ感や神経過敏を引き起こす効果があるのだそうです。
だから「妊娠に共感する」ということなのでしょうが、どうしてこのようなことが米軍内で始まったかというと、男性の女性に対する蔑視をやめさせ、女性の地位を向上させようという女性の人権問題活動家たちによる運動の結果なのだそうです。
この女性の人権運動というのは、さらに徹底していて、男性用の小便器があることは、女性に対する侮辱にあたるから、これを撤廃し、男性も大用便器で小用をたすようにせよととか、あるいは、レストランなどで、男性同士が「あの子、可愛いよな」などという会話をしていて、近くにいる「まったく関係ない女性」が、その会話を不快に思ったら、それがセクハラであり、犯罪とされる。


さらに軍隊内で、たとえばM型戦車は、4人一組で操縦するのだけれど、搭乗中に、たとえばキャタピラに異常が起き、戦車から降りてこれを修理しなければならなくなったとき、もし、搭乗員4人のうち、2名が女性なら、女性はその修理をしなくても良い。手を汚し、危険な機械に手を入れて修理するのは、あくまでも男性の仕事であって、女性は「指が汚れる」から修理に参加しなくても良いのだそうです。
また、訓練中に、男性の衣類や帽子や、手にした道具類の一部が女性隊員の体に触れれば、それはセクハラ。
たとえ、男性の側に悪意がなかった偶発的なものにすぎなかったとしても、女性の側がそれを「性暴行」と感じたら、それが犯罪です。
米軍は、軍人として20年勤めなければ軍人恩給をもらえる資格を得られないのですが、もし、19年11ヶ月を無事に勤めあげ、その最終日に女性からセクハラ、性暴行を受けたと申告されれば、それでキャリアが全部パアになり、犯罪を犯した軍人として、恩給の対象から外されてしまうのだそうです。

woman walking man like dog
woman walking man like dog

そして上にある図が、そうした女性人権家たちの戦慄的理想社会の図なのだそうです。
びっくりです。
下にある図は、Avril Lavigneという米国人女性歌手の「ハロー・キティ」という曲のミュージック・ビデオのキャプチャ画像ですが、米国の女性人権家は、このビデオを問題視して、Avril Lavigneを攻撃しているのだそうです。
どういうことかというと、後ろにで踊っている女性ダンサーたちは日本人女性なのですが、このビデオで歌手のAvril Lavigneは、歌を歌い、パフォーマンスをしているのですが、後ろのバックダンサーたちは、ひと言も発していない。
これはイエローである日本人女性を蔑視した行為であって、許せないのだそうです。
avril lavigne

まあ、聞けば聞くほどびっくり仰天ですが、どうしてこのようなことが起こるかというと、3つの理由があります。
ひとつは、米国社会では、議論というのは「相手に勝つためのもの」と認識されている、ということです。
日本人にとっては、議論はあくまでも、相互理解のためのものですが、彼らの発想では、それはあくまで相手に勝ち、相手をねじ伏せるためのものだ、ということです。
ですから、議論に手段も目的も関係なく、とにかくその場の議論に勝ちさえすれば良い。
たとえそれが、ナンクセであったとしても、勝った方が上に立って、相手に言うことを利かせられると理解されているということです。
二つ目に、米国社会は個人主義社会である、ということです。
個人主義は、常に自分以外の周囲の全てと、対立し、闘争する社会です。そこに一切の妥協も協調もありません。なんでもいいから対立軸を見いだし、闘争をしかけ、勝った方が権益を握る。それが「正しいこと」なのです。
こうした点は、ChinaやKoreaともよく似ています。
ただ一点、米国社会がChinaやKoreaの社会と異なるのは、そうはいっても米国社会には宗教という道徳的価値観が根底にある、という点です。ChinaやKoreaにはそれがない分、どこまでも対立と闘争が続くわけです。
三つ目は、アメリカン・ヒーローです。
米国人は、弱い者を守るのは、素晴らしいこと、という基本的マインドがあります。
ですから、「女性は弱いものである」ならば、それを「守るために行われるすべてのことは正しい」となります。
実は、米国人のこのマインドが、韓国の「わたしたちは被害者ニダ。強制連行されてひどい目に遭わされたニダ」という慰安婦像建立運動に利用されている・・・というのが、Max先生のご講演の主題だったのですが、ここでは、そのご講演の主題ではなく、先生のご講演の傍論として出てきた女性人権運動について、述べています。
こうした3つの理由があることから、米国の白人女性人権運動家たちにとって、日本人女性は「敵」なのだそうです。
なぜかというと、日本人女性は、男女は互いに対等な存在であり、互いの役割に基づいて、互いの良い点を生かし合い、扶け合って生きて行くことが正しいこと、と堂々と主張します。
つまり、日本的共存の考え方をするし、それを人としての常識と思っているから、人前でも、堂々とそういう主張をしてしまう。
だからこれを打ち負かさないと、米国の白人女性運動家たちは仕事にならないから、「日本人女性は敵」なのだそうです。
まったく、「やれやれ」です。
思うのですが、こうした「対立と闘争」を社会の中心軸に置くという世界が、果たして本当に人類にとっての幸せな社会、理想的社会となり得るのでしょうか。
そもそも、この世には、男と女しかいないのです。
大切なことは、どっちが上かではなくて、互いが良い所も悪いところもある対等な存在として、協力し合い、支え合って生きて行くことなのではないでしょうか。
昨今では、日本にもこうした対立と闘争の人権思想が入り込んで来て、何かというと対立をあおり、闘争をしかけることが正義であると勘違いしている人が増えているように思います。
けれど、それが本当に、人々にとって幸せなことかというと、決してそんなことはなくて、むしろ、そういう極端な意見を言って活動している、ごく一部の人たちだけに利益や利得を生み出しているだけのことです。
わたしたちが、本来日本にある美風を取り戻し、その美風を世界に向けて堂々と情報発信していくということは、実は、今日、お示ししたような極端な思想家、活動家、しかその人たちはすでに一定の利権や利得、そして社会的地歩を持っている、そういう人たちを、敵に回してしまうのことになるのかもしれません。
男性がその体力をもとに、女性に性的な暴力を振るうことはまったくもって感心できません。
けれど、だからといってどちらが勝つか、どちらが支配するかという考え方では、どこまでも理不尽な対立となるばかりです。
世の中には男と女しかいないのです。
その二つが対立することが、人々にとって良いこととは到底思えません。
双方が、互いの良いところを出し合って、相互補完的に互いを支え合って行く。
支え合うから「人」と書くのです。
日本には、そういう意味での和と結いと対等の文化があります。
その日本が、粛々とそして堂々と相手にわかるようにどこまでも和と結いと対等意識を主張していく。
そういうことのできる日本になる。
そのことが、まさにこれからの世界の標準的思想になっていくことが必要なときが、いままさにきていると思うのです。

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