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伊東深水「吹雪」
伊藤深水吹雪

文目(あやめ)、菖蒲(しょうぶ)、燕子花(かきつばた)のことを先日書いたので、もうひとつ、季節の花のことを書いてみたいと思います。
というか、日本にこうして美しい四季があること、その幸せを、やはりわたしたちは大切にしていくべきだと思うのです。
さて昔から、「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花」などと申します。
どれも美しい花ですが、芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先に、華麗な大輪の花を咲かせます。
花は、牡丹も芍薬もよく似た大輪の花を咲かせるのですが、牡丹が「木」なのに対して、芍薬は「草」です。
草は木ほど丈夫でしっかりとはしていませんから、そんなところから芍薬の花言葉は(大輪の花なのに)「はじらい、はにかみ」です。
振り袖の着物を着た立ち姿が、ちょっと恥じらいがあって、すこしはにかんだ笑顔がまるで花が咲いたよう。
そんな姿が、「立てば芍薬」という言葉になっているのかもしれません。


芍薬(しゃくやく)
芍薬

「牡丹(ぼたん)」は、「百花の王」といわれるくらいで、まさに豪華絢爛、華麗で美しい花を咲かせます。
洗剤などのメーカーの「花王」さんの「花王」も、もともとは牡丹のことを言った言葉です。
まさに花の王様で、花言葉も「高貴」。
座った姿に品があり、高貴ささえも感じさせる。そんな姿が「座れば牡丹」の言葉になったのかもしれません。
ちなみに、鑑賞する際に、芍薬は立って鑑賞するのが良く、牡丹は座って眺めるのが良いから「立てば芍薬、座れば牡丹」という説もあります。
牡丹(ぼたん)
牡丹

「百合(ゆり)」の花言葉は、「無垢、純潔」で、ほかにも「威厳」というものもあります。
ちなみに百合の名前の由来ですが、百合は球根が一枚一枚むけるのですが、それが100枚(つまりたくさん)あることから、百枚合わせで「百合」なのだそうです。
もっとも、大きな花が風にそよいでユラユラ揺れる、そんな風情から「ゆり」となったという話もあり、どちらがほんとかは、わかりません。
百合は、花そのものが清楚な印象がありますので、まさに「歩く姿は百合の花」なんて、とっても美しい形容だと思います。
百合(ゆり)
百合

記紀では、まず日本の国土が生まれ、次いで神々が誕生したとあります。
わたしたちの国においては、国土や風土と神々は兄弟であり、その神々の直系のご子孫が歴代の天皇であり、その家系に連なっているのが、わたしたち日本人です。
ですからわたしたちの国では、国土や風土と、わたしたち日本人自身に、分つことの出來ない深い関係があるとされているわけです。
柿本人麻呂は、万葉集で次のように書いています。
==========
やすみしし 我が大王(おおきみ)
神(かむ)ながら神さびせすと
芳野川(よしのがは)たぎつ河内(かふち)に 高殿を 高しりまして
登り立ち國見をすれば疊(たゝな)はる青垣山
山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつぎ)と
春べは 花かざしもち
秋立てば 黄葉(もみぢ)かざせり
ゆきそふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると
上つ瀬に 鵜川(うがは)を立て
下つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りてつかふる 神の御代かも
===========
この歌は、持統天皇の吉野行幸に際して詠まれた歌で、現代語に訳すと次のようになります。
「すべての天下をシラス我がおおきみが
 神として、そして神の御業をなさるため
 吉野川の 激流渦巻く 都邑に宮殿を 高く建て
 その高殿に登り立って 国見をなさると
 幾重にも重なりあい 緑なす山々の
 山の神が天皇に捧げる貢ぎ物として
 春には 花を髪にかざし
 秋には 紅葉を飾り
 流れる川の 川の神も 天皇の御食(みけ)に仕えようと
 上の瀬で 鵜飼いを催し
 下の瀬では 投網をさし渡し
 このように山の神も川の神も仕えている、まことに尊い神の御代であることよ」
日本は、風土も人も、一体なのです。

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