ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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令集解

先日行われた日本史検定講座の教室講義における高森明勅先生の講義から、その部分なのですけれども、どうしてもみなさんにお伝えしたいことがひとつありまして、今日は、そのことを書かせていただきたいと思います。講義の主題とは異なります。あくまでも講義の中に出て来た傍証の部分のお話です。
それは『令集解(りょうのしゅうげ)』という平安時代の、養老令の注釈書の一部に書かれている事柄です。
『令集解』というのは、いまから千年以上前の西暦868年頃に編纂された養老令の注釈書です。
全部で50巻あり、そのうち36巻が現存しています。
惟宗直本(これむねのなおもと)という、当時の法律家の学者による、私的な養老令の注釈本です。
この『令集解』に『古記』という、いまから千三百年くらいまえの738年頃に成立した大宝令の注釈書が断片的に引用されています。
さらにその『古記』のなかに、さらに古い文献が「一云(あるにいわく)」として引用されています。
なんだかやっかいですが、『令集解』の中に『古記』が引用されていて、その『古記』が、さらにもっと古い文献を引用していて、それが「一云」として、『令集解』に書かれているわけです。
その「一云」として引用された文献の名前は伝わっていません。
いませんが、これが実におもしろい史料なのです。
なにが「おもしろい」かといいますと、7〜8世紀頃の日本の庶民の生活の模様が、そこに書かれているのです。
では、そこにどのように庶民の生活が書かれているかというと、原文は漢文なので、おもいきってねず流で現代語に訳したものが、↓です。
すごくおもしろいですから、ちょっと読んでみてください。


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日本国内の諸国の村々には、村ごとに神社があります。
その神社には、社官がいます。人々はその社官のことを「社首」と呼んでいます。
村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。
あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。
神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります。
春の田んぼのお祭りのときには、村人たちはあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。
そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。
そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。
このようなお祭りは、豊年満作を祈る春のお祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。
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いかがでしょうか。
これが、いまから1300年前の、日本の庶民の姿です。
なかでも特徴的なのが、「宴会のとき、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をする」というくだりです。
社会的身分や、貧富の別なく、そこでは、ただ年齢順なのです。
考えてみると、こうした習慣は、少し前まで(あるいは地域によってはいまでも)、たとえばお盆などで、田舎の実家に親戚一同が集まれば、そこでの席順は、身分や社会的地位ではなく、あくまで年齢順なのではないでしょうか。
そして地域によってはいまも残る、こうした祭りのときの宴席の席次は、やはり、身分や社会的立場などではなく、やはり年齢順だったりしているのではないでしょうか。
しかも、「老若男女を問わず、村人たち全員が」です。
そこには大地主さんもいれば、商人、職人さん、あるいはなんらかの芸事や学問のお師匠さんのような人もいたかもしれません。
お年寄りもいれば、若い人もいる。子供たちもいる。男もいる。女もいる。
その全員が一同に集まって、身分や権力、あるいは力の強弱、男女の別なく、すべて単純年齢順なのです。
そして「若者たちが給仕をする」。
世界中、どこの国においても、宴席であろうがなかろうが、席次は身分や力関係によります。
ところが古くからの日本社会では、男女、身分、貧富の別なく、単純年齢順です。
しかもこうしたことは、つい何十年か前までは、日本の農村地帯では、ごくあたりまえに行われていたことです。
あるいは地方によっては、いまでもほどんどそのまま残っていることです。
これが、いまから1300年も前の、日本の庶民の姿です。
このことが何を意味しているかというと、日本社会は古くから身分や貧富の差よりも「人であること」を重視してきた、ということです。
ところが、ここに示しました「一云」に書かれていることと、同じことが実は『魏志倭人伝』に書かれています。
『魏志倭人伝』は、3世紀の末に書かれたものです。
そこにあるのは、3世紀頃の日本の姿です。いまから1800年くらい前の日本の様子です。
そこに、
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その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む
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という文章があります。
会同というのは、簡単にいえば、お祭りの際の宴会のことです。
その宴会の「坐起」、つまり席順には「父子男女別なし」とあります。
身分の上下や貧富の差や男女に関わりなく、みんなで酒を楽しんでいるよ、と書かれているわけです。
つまり、この『魏志倭人伝』に書かれている3世紀後頃の日本の庶民の様子は、そのまま「一云」に書かれている日本の村々の習俗と、まったく同じことです。
もうひとつ重要なポイントがあります。
「一云」に、村人たち全員が集まった祭事のときに、「社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせていた」というくだりです。
そういう社会インフラが古い時代から整っていたからこそ、日本は早くから大和朝廷としての国家建設を成し遂げることができた、ということです。
比較に出すのはいかがなものかと思いますが、支配層が威張り散らして村落共同体からの収奪ばかりやっていた朝鮮半島では、そもそも村落共同体のようなもの事態が成立していません。
そして村落共同体の成立がなければ、新田の開墾も進まないし、水路などの堤防工事も進まない。山の木を伐ったあとの植林も進まない。そもそも文化が育たない。
「一云」には、「神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります」という記述もありますが、これって、いまの農協のことです。
つまり、古い時代の日本では、神社が役場や農協の役割を担っていたということです。
『魏志倭人伝』に書かれている3世紀初頭の日本は、弥生時代の終わり頃にあたります。
その弥生時代を担った人々は、縄文時代の日本人と同じ日本人です。(先日書かせていただきました。)
その弥生時代の日本人が、大和朝廷を築き、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治、大正、昭和を経て、平成のいまの世に生きています。
そしてその間、ずっと日本は日本としての歴史は、断絶することなくつながっています。
そうした日本の歴史において、村落共同体や神社のもっていた役割、あるいは祭事のもっていた役割は、とても大きなものであったといえると思います。
そして、そういう社会基盤があったからこそ、日本は歴史がつながっています。
『魏志倭人伝』には、他にも「盗窃せず、諍訟少なし」とあります。
日本人は盗みをはたらかず、争いごとも少ないというのです。
日本社会は、「人であることを重視してきた社会である」と書かせていただきました。
だからこそ、盗みや争いごとをするような者のことを、「人でなし」と言いました。
人であることを大切にした社会であるからこそ、最大の侮辱の言葉は「人でなし」だったのです。
その日本が、最近ではどうでしょうか。
テレビや新聞の社会面は、毎日毎日「人でなし」の報道ばかりです。
わたしたち日本人にとっての現在の、そして未来の理想の日本社会は、「人でなし社会」なのでしょうか。
そうではないはずです。
わたしたちが日本を大切にしよう、日本を取り戻そうというのは、争いなく、犯罪者もいず、身分や貧富の差なく、みんなが共に笑顔で暮らして行ける日本という国が古くから持つ社会を取り戻したいと思うからです。
人々にとって共通する理想があるなら、その理想に向かって一致団結、協力しあって、子や孫たちの住むより良い未来を築いていくのが、わたしたち大人の「いちばんすべきこと」なのではないでしょうか。
すくなくとも、殺人や暴力や強姦や、貧富の差によって人々が差別され、その差別している人たちによって、へ理屈で事実をねじ曲げられるような社会など、誰も望んでいないはずです。
ならば、日本を取り戻す。
そのために、ほんのちょっぴりでいい。自分でできることをしてみる。
その積み重ねこそが、日本を変え、日本を取り戻す最大の原動力になるのだと私は思います。
※日本史検定講座は、まだ四期生募集中です。
今日の記事でお伝えしましたことは、先日の講義の中のほんの一部を、私なりに解釈加工したものです。
講義全体は、めっちゃおもしろくてためになります。
よろしかったら、みなさまもご参加ください。
<新しい歴史教科書をつくる会、日本史検定講座募集ページ>
http://www.tsukurukai.com/nihonshikenteikoza/index.html


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