ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!』
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下にあるのは有名な「日本兵の後から河を渡る朝鮮人慰安婦」の写真です。
この笑顔は、いったいどこから来ているのでしょうか。
韓国女性の写真はたくさんありますが、最近の女優さんのつくられた笑顔の写真は別として、これだけの笑顔の韓国人女性の写真は、昔の韓国の写真には他に類例がありません。

日本兵の後から河を渡る朝鮮人慰安婦0520

韓国の慰安婦問題について、腹を立てている方は多いと思います。私もそのひとりです。
戦前まで、慰安所があり、そこに慰安婦が存在したことは事実です。そしてそのことは当時の時代にあっては、ごく普通のあたりまえのことに他なりません。
そこに国家や軍の関与した強制性があったのか、慰安婦たちが性奴隷と呼べる存在だったのかが問題になっているようですが、日本に関してはそのような事実はまったくありません。
むしろ強制や奴隷的扱いが行われたのは朝鮮戦争における出来事です。
責任転嫁をするなと言いたい。
ところが実は、この慰安婦問題なるものが事実ではないことは、なんと騒いでいる韓国人自身が、本当は知っていることでもあります。
つまり韓国は、知っていながら、慰安婦問題を通じて、国をあげての反日侮日のキャンペーンを世界中で繰り広げているわけです。
なんとも情けない国柄としかいいようがありませんが、問題は、これに対する我が国の対応です。


韓国は慰安婦問題が「あった」と言い、日本は「なかった」と言ったとします。
言ってほしいですが、政府の公式見解としては現時点では、頭ごなしの「なかった」という否定の声明は出ていません。
韓国が「あった」、日本が「なかった」と主張する場合、あたりまえのことですが、双方の意見は真っ向から対立します。
では、どうしたら良いのでしょうか。
先日も書いた事ですが、これまで日本の保守陣営は、韓国の「あった」とする言い分に対して、証拠をあげて「なかったこと」を証明してきました。
なかったことを証明するというのは、実はたいへんにむつかしいことなのですが、それでも、韓国の「あった」とする証拠なるものひとつひとつに対してまじめに検討し、「なかった」ことを裏付け続けてきたわけです。
これはとても大切なことです。
それをしなければ、いわれっぱなしになり、何も言わなければ「認めた」ことにされてしまうのが国際社会だからです。
この問題についてマッチポンプさながらに火を点けているのが、日本の左翼系団体や左翼系の学者や評論家、あるいはこれらを支持している人々です。
日本は国内にも反日という「敵」を抱えているわけです。
そうした韓国や、日本国内にいる反日左翼に対して、わたしたちはどのように対応していくべきなのでしょうか。
彼らの理由のひとつには、日本からのカネが欲しい(韓国)、その分け前が欲しい(国内反日左翼)からという動機もあることでしょう。
国内の反日左翼の場合、カネをもらえるのは上層部の一部だけでしょうが、左翼というのは、上からの命令で動くものですから、上が慰安婦問題があったとさわげば、下もそれに呼応します。
下の人たちは、別にカネがもらえるわけではありませんが、それが党のため、自分たちの組織のためと信じています。
ですから、コトは、カネがかかっていますし、日本からのカネを得なければ、韓国経済は破綻が目に見えていますから、彼らに取ってはまさにこの問題は「死活問題」ということができます。
そして片方が「あった」と主張し、片方が「なかった」と主張する。
両当事者の主張が対立するわけです。
「対立」し「闘争」するというのは、共産主義や左翼思想のお家芸ではありますが、その思想は何も共産主義だけに偏ったものではありません。
18世紀後半以降における欧米の市民革命以降の個人主義そのものの本質が、まさに「対立と闘争」にあります。
個人主義は、ひとりひとりが、いってみれば受験闘争です。
同級生たちはみんなライバルであり、そのライバルに勝ち抜くことが、よりよい大学に合格することです。
自分以外の全ての他人は、敵であり、それと常に戦い、闘争する。
国家においても同じです。
自国以外の全ては、敵であり、敵の敵が便宜的な味方です。
そうした中にあって、対立し、闘争状態に至れば、まず「話し合い」をして白黒をつけ、それで決着がつかなければ戦争をして、相手を力でねじ伏せる。
それが世界の常識です。
カネで解決するという方法もありますが、これは敗北を意味します。
賠償するということですから、相手の言い分を飲んだ事になります。
したがって、一度カネを払えば、無制限にどこまでも、いつまでもたかられ続けます。
裁判で決着という方法もあります。
それが国内の裁判なら、とてつもない賠償額を請求されます。
国際司法裁判なら、不都合な当事者は、出頭しないで良い、つまり裁判そのものを開かせないという手段が使えます。
話し合いがダメ、カネを出せば負けたことになり、たかられ続け、裁判には相手は出頭しない。
ではどうたらよいのでしょう。
西欧的価値観に従えば、この場合、完全に完璧に短期間で解決する確実な方法は、戦争をすることです。
他に方法はありません。
戦争をして韓国を叩き潰し、新たに親日的政権をおいて、韓国内でこれまでの嘘八百の従来政権を徹底的に糾弾させる。あるいは東京裁判ならぬソウル裁判を開廷して、これまでの韓国の指導者層を訴追し、死刑にする。
そして二度と韓国が日本に刃向かわないように、徹底的に彼らを弾圧し、教育にまで手をつけて、二度とたちあがれないようにしてしまう。
これが世界の標準的やり方です。
ただし戦争は、いまの国際社会では、無制限に許されているものではありません。
戦争の前に、国際社会における共感を得なければならないというのがルールです。
つまり、「そこまでひどいなら、武力行使もやむを得ないね」と、世界の多くの国々が納得して、そこではじめて武力行使が可能になります。それがいまの「国連秩序」です。
韓国は、これをわかって、日本の悪口を世界に言いふらし、世界の共感を得ようと、国をあげて努力しているわけです。
これで日本が何もしなければ、日本はまさに世界の敵になり、世界から二度と強姦やセックス奴隷を作れないよう去勢される」ことになります。
ところが、日本政府の動きは鈍い。
ちなみに「米国やChinaやロシアは、国連の承諾なしに武力行使していますが、それは彼らが国連の安全保障理事国だからです。
国連では、安全保障理事国には一方的かつ独断的な武力行使権が認められています。
韓国は、国連の一般加盟国です。
ですから、武力行使の前に、国連加盟各国を味方にする努力が必要になります。彼らはその努力をすでにしているわけです。
日本は、いくら国連に貢いでいたとしても、国連憲章上の「敵国」です。
日本には、問題解決のための武力行使権は与えられていません。
つまり日本にとってこの問題は、話し合いもダメ、裁判もダメ、武力行使もダメなのです。
たまたまそれがいま戦争になっていないのは、韓国から見て、あまりに日本の自衛隊が強すぎるからです。
日本から武力を行使される心配はないけれど、日本に手を出したら完膚なきまでに打ちのめされてしまう。
そのことがわかっているから、韓国は日本に武力行使をしないだけです。
そのかわり、すでに情報戦争、言論戦争ははじまっているわけです。
しかしそのことは、単に「軍事的に攻め込まれない」ということを意味するだけで、この問題を解決に導くものではありません。
では、日本にはこの問題を解決する方法は、まったくないのでしょうか。
私は「ある」と思います。
なぜ戦前、戦中に、日本の軍隊の駐屯所のそばに慰安所があったのか。
その慰安婦たちに対して、日本の国は、軍は、個人は、どのように接していたのか。
よくみれば、日本ほど人道的だった国は、他にないのです。
そしてなぜ日本がそれだけ人道的だったのかも、日本という国柄、そして日本の歴史伝統文化を学べば、そこにいわば人類の理想郷ともいえる素晴らしい、振る舞いがあったことがわかります。
そしてそのことは、実は、世界の諸国では、この数千年来、まったく考えられないような高度に発展した社会観に裏付けられています。
世界では、数千年来、戦勝国、支配国は、敗れた国、支配を受けている国の女性たちを、まさに「性奴隷」としてきたという事実がありますが、そもそも日本には、古来、そのような風俗も習慣も実例もありません。
戦(いくさ)は、あくまで男たちのものであり、女性や子供には手を出さないといのは、古代から続く日本の伝統です。
それどころか、様々な事情から春を売ることになった女性に対しても、生涯、食べて行けるだけのことを、ちゃんとしてきたのが日本です。
ですから慰安婦問題について、単に韓国や国内左翼の主張に対して反論をするだけでなく、日本はなぜ慰安婦たちをむしろ日本が大切に保護してきたのかという、日本の歴史的文化的な背景を、世界に向けてちゃんと説明しなければなりません。
そしてその説明責任は、世界中のどこの国にもありません。
日本にだけあります。
そして世界の人々がそれを知ったとき、あまりの日本の素晴らしさに驚嘆し、同時に、韓国の騒ぎが、あまりにも次元の低い、低俗な、身勝手な欲望だけのものにすぎないかを、歴然と見せつけられることになります。
そしてこうした日本文化の背景をきちんと日本が説明することは、慰安婦問題そのものに対する直接的な反撃にはならないかもしれませんけれど、ボディープローのように、世界の人々にしみ込み、時間はかかるけれど、究極的に日本の正当性を世界に示すことになります。
繰り返しますが、その説明責任は、日本にあります。
そもそも、いま行きている保守の人も、左翼の人も、つまり慰安婦問題について「あった」「なかった」と言っているどうちらの当事者も、当時の時代を、大人として生きていた人は、すでにごくわずかしかいません。
つまり、あった、なかった、と言っている人たちも、それを評価する第三者も、当時の時代を生きた当事者ではないのです。
ですから、多くの評者は、なにをもって「あった、なかった」と言っているかといえば、現在の価値観で、ことの善悪を判断しようとします。
そして日本が、韓国の女性たちを売春に利用したといわれれば、それは悪い事にしかみえません。
しかもそれはかつては戦争における世界の常識でもあったわけです。
ところが「なかった」と言っているわたしたちから見ると、「あった」と言っている連中は、かつて強姦致死にいたらしめた犯罪者の在日韓国人が、被害者の女性を「性奴隷にしたかった」と法廷で述べたという事件がありましたが、それと同じで、彼らにとってのそれが薄汚い「彼ら自身の欲求や欲望」にしか見えません。
なぜかといえば、わたしたちは日本の文化性を知っているからです。
現実は、当時の朝鮮人の女衒たちが、金儲けのために国中から女性を連れて来て、売春させていた。
むしろ日本は、彼女たちを手厚く保護していたというのが事実です。
そして現実には、おそらくいま、世界中にいる売春婦たちと比べても、あるいはいま日本国内にいるソープ嬢やヘルス嬢、デリヘル嬢などと比べても、当時の慰安婦というのは、衛生面でも、収入面でも、あるいは労働条件面においても、健康管理面においても、経済的にも、あらゆる面において、はるかに恵まれた環境にあったことを知っています。
しかしそのことは、日本の常識であっても、世界の常識ではありません。
ならば、その日本の常識が、「なぜか」ということ、「なぜそうしたのか」ということを、わたしたち日本人が、世界に向けて、ちゃんと説明しなければならないはずなのです。
繰り返しますが、その説明責任は、間違いなく、日本にあります。
私がねず本第二巻で、「和と結いと対等意識」という本を書いた直接の動機も、まさに、ここにあります。
そのように書くと「なんだ、自分の本の宣伝かい」と言われてしまいそうですが、そういうことではなく、実際に、ねず本の第二巻をお読みになられた方ならおわかりいただけると思うのですが、読み終えたとき、まるで韓国の慰安婦問題などというものが、あまりにも次元が低く、程度が低いことに、お気づきになられたことと思います。
つまり、日本の歴史、文化を知ったとき、韓国の主張する慰安婦問題なるものが、ただの彼ら自身の願望にすぎないということが、肌で感じられるのです。
そして、世界の人々が、まさに千年以上にわたって待ち望んでいた、本当の「人が大切にされる社会」、「人類が理想とすべき社会」とは、いったいどのようなものであったのかが、はっきりと形になって、目の前に迫ってくる実感を得ていただくことができます。
さきほど「説明責任は日本にある」と書きましたが、日本人が、日本の文化性を見失っていれば、韓国の慰安婦問題の主張に対して、ただ、対抗的に争う、というだけになってしまいます。
日本は、和の国、結いの国なのです。
だからこそ日本は、韓国の言い分が、たとえおかしな間違った曲解したものであっても、彼らに手を差し伸べて来たし、そのおかげで、彼らは経済的にも復興したのです。
これまた、世界の常識ではあり得ない事です。
どうして日本が韓国に、さんざん悪口を言われながら、それに対してカネを出して来たのか、あるいは河野談話を出し(それ自体はとんでもないことです)、宮沢首相がお詫び会見をしたりしてきたのか。
日本は、「争う」のではなく、どこまでも和と結いで両国が仲良くしていきたいと考えてきたからに他なりません。
ならば、その「どうして」の部分について、日本は、ちゃんと世界に向けて情報発信していく。
この問題は、ただ対抗するだけでは、決して解決しないのです。
戦争をすることなく、韓国を黙らせるには、日本の文化性を世界に向けて、わたしたち自身が堂々と情報発信していく必要があるのです。そこが、実は、いちばん大事なところなのです。
戦前、戦中、朝鮮半島に慰安所はありました。
そこには慰安婦もいました。
中国語や朝鮮語では、慰安婦のことは「売淫」と呼びます。
「淫」という漢字は、膣に液体をほとばしらせるという意味の漢字です。
それを「売」るのですから、「売淫」です。
けれど日本語では「売春」です。春はあたたかく、花が咲き、一年でもっとも過ごしやすい季節です。
さらに戦時中は、「慰安」です。慰安の「慰」は、なぐさめるという意味の漢字、「安」は安心の安です。
明日死ぬかもしれない、厳しい状況にある兵隊さんたちだからこそ、ほんのいっときでもいい、慰め、安心させてあげる。それを商売にしていたという意味です。
することは同じかもしれないけれど、そこにあるパラダイムは、まったく別なものです。
すくなくとも「売淫所」ではありません。
先ほどの繰り返しになりますが、当時の慰安婦たちは、いまどきのソープ嬢や、ヘルス嬢たちよりも、よっぽど、健康的で経済的にも良好な状態にあったのです。
これは世界では、まさに信じられないことだし、ありえないことです。
では、どうしてそのようなことが、現実に起こっていたのか。
彼女たちが恵まれた環境下にあったのか。
そのことは、日本が説明しなければ、誰もわからないのです。
日本が、ただ「なかった」と、対立的、対抗的に反論するだけならば、すでにその時点で、相手方の術中にはまりこんだことになってしまいます。
騒ぎが大きくなればなるほど、世界の常識である「戦勝国は敗戦国の女性を蹂躙する」という方向に議論がたなびくからです。
そうではないということについて、日本文化の持つ思いやりの文化や、たとえ相手が売春婦であったとしても、人としてはあくまでも対等な存在であるという、日本的価値観などを、日本はあらゆる場を通じてきちんと説明していかなければなりません。
繰り返しますが、その説明責任は、間違いなく、日本にあるのです。
慰安婦問題への直接の対抗は、いってみれば、西洋医薬です。
背景となる日本の歴史伝統文化についての説明は、いってみれば漢方薬です。
慰安婦問題がいわばガン細胞なら、それには対処療法と根治療法、この二つの処方箋が必要だと思うのです。
そして切開手術(戦争)という手段がとれない以上、日本は、その根治のために、日本文化のもつやさしさやおもいやり、人をたいせつにする日本という国柄を、世界に向けて、それをわかりやすく主張し、説明する。
しかし残念な事に、そういうことが「わかる」本というのが、見当たりません。
だからこそ、ねず本の第二巻を書きました。
この本は、慰安婦問題を考える上で、必ず役に立つ本です。
この本に、従軍慰安婦のことはひとこともかいてありません。
ところがこの本を読み終えると、韓国や売国左翼の主張する従軍慰安婦なる主張が、あまりにも下劣で下品で、ただの欲の塊にしか見えなくなります。
それが、日本のもつ文化性なのです。
是非、慰安婦問題の最終的、究極的な解決のためにも、これまでの慰安婦問題への対抗のための様々な行動に加えて、ねず本第二巻を拡散していただきたいと思います。
※ 最後は宣伝みたいになってしまいましたが、こういう切り口で慰安婦という存在について解き明かした本というのが、他にあまりありません。
ですので、恥ずかしながら、あえて書かせていただいた次第です。


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