ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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愛のかたち・・・快心隊隊長藤井一少佐

上にある動画は、このブログを読んで感動した高校生がおつくりになられた動画です。
快心隊隊長藤井一少佐のお話です。
この記事を配信したのは、2010年04月04日のことです。
それがまわりまわって、こうして世の中に広がってくれる。
とても良いことだと思います。
是非、上の動画をご覧いただければと思います。
通勤途中などで、動画の再生ができない方のために、下に過去記事のコピペを貼ります。
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愛のかたち・・・快心隊隊長藤井一少佐
熊谷・荒川土手の桜
熊谷・荒川土手の桜

埼玉県熊谷市を流れる荒川に、若い母親と晴れ着を着た二人の女の子の遺体が上がりました。
ご遺体は、藤井ふく子さん(24歳)と長女一子さん(3歳)、次女千恵子さん(1歳)の、親子三人でした。
なにがあったのでしょうか。
事件のあらましを追ってみたいと思います。


夫の藤井一(ふじいはじめ)さんは、茨城県のご出身で、農家の7人兄弟の長男でした。
親は家業を継いでほしかったようですが、本人は陸軍に入隊を希望しています。
歩兵として特別に優秀だった藤井一さんは、推薦を受けて転科して、陸軍航空士官学校に入校しました。
よほど優秀だったのでしょう。
卒業後には、熊谷陸軍飛行学校の中隊長(教官)に任官しています。
熊谷陸軍飛行学校というのは、航空学校です。
ですが、藤井中隊長はパイロットではありません。
歩兵科機関銃隊だった頃、Chinaの戦線で迫撃砲の破片を左手に受け、操縦桿が握れない手になっていたのです。
ですから彼が担当した授業は「精神訓話」でした。
当時、精神訓話の学習といえば、軍人精神を叩き込む大切な教科です。
軍人勅諭にそった厳しい鍛錬の時間です。
忠誠心が強く熱血漢の藤井中隊長は、厳しい教官であるとともに、心根が優しく、とても生徒たちから慕われたそうです。
彼の口癖は、「事あらば敵陣に、敵艦に自爆せよ。俺もかならず行く」というものでした。
もちろん、まだ特攻作戦や玉砕戦が行われる前の頃です。
しかし戦局は厳しさを増し、まもなく「特攻作戦」が開始されました。
特攻兵となった生徒たちにより、藤井の口癖は、その通りに実践されてしまうのです。
ただの精神訓話が、本当の事実となったのです。
そしてあの純粋な教え子たちが、次々と特攻出撃して行きました。
「このままでは自分は教え子との約束を果たすことはできない」
他の教官たちは、なんの疑問も矛盾も抱かずにやっていることです。
しかし責任感が強く、熱血漢だった藤井さんは、自分が安全な内地で教官をしていることが堪えられませんでした。
内地にいて安閑としている自分が許せなかったのです。
将来あるはずの純粋な教え子たちが、自分の教えを守って、つぎつぎと毎日、敵艦に突っ込んで行きました。
あいつも、あいつも、あいつも、あいつも・・・
俺はここで、いつまでもこんなことをしていていいのか。
生徒に言った言葉は、教師である俺と、生徒たちとの誓いです。命をかけた誓いです。男の誓いです。
俺は生徒たちとの誓いを破るわけにはいかない。
彼は、「特攻」を志願しました。
しかし、それは受け入れられないことです。
藤井さんはパイロットではないのです。
左手の怪我で操縦かんさえ握れない。
しかも妻と幼子二人をかかえているのです。
学校でも重要な職務を担当しています。
許可などできるはずもありません。
けれど彼は、生徒達との約束を守るため、断られても、断られても特攻に志願しました。
ある日、妻のふく子さん(当時24歳)が、夫がそんな交渉をしていることを知りました。
仰天しました。
「どうして・・・!」
夫を愛する妻として、二人の幼子を持つ母親して、そんなこと絶対に認められません。
どこの世界に、愛する夫の死を臨む妻がいるのでしょうか。
幼い子供たちだっているんです。
天命ならいざ知らず、本来与えられた責務を放棄してまで逝くなんて、許せない。
ふく子さんは、毎日、夫を説得しました。
当時、藤井夫妻は、荒物問屋を営む中島家の離れを借りて暮らしていました。
陸軍飛行学校まで、藤井さんは自転車で通っていまた。
夫・一(はじめ)、妻・ふく子、長女一子(三歳)、千恵子(生後四ヵ月)の四人家族です。
ふく子さんは、毎晩、勤務から帰って来る夫に、特攻志願を思い止まるよう説得しました。
説得だけじゃない。哀願しました。
泣いて言い争いもしました。
ふく子さんの実家は、高崎市の商家です。
三女として生まれた彼女は、ピアノや歌もたしなむお嬢さんでした。
けれど戦争がはじまると、彼女は率先して野戦看護婦として勤務しています。気丈な娘さんでもあったのです。
そんなふく子さんが、夫となる藤井さんと知り合ったのは、藤井がChinaで負傷したときのことでした。
戦地での出会いです。
ふく子さんは、「軍人」としての藤井中尉と交際し、恋愛結婚しました。
だから藤井が「軍に忠、親に孝」をモットーとする愛国心に満ちた熱血漢であることは充分に承知していました。誇りにも思っていました。
けれど、結婚して、二人の娘をもうけて、飛行学校の中隊長にまでなって、順当に暮らしているのに、どうしてわざわざ本来の任務を離れてまで、特攻を志願しなければならないのか。
ふく子さんにも夫の考えが解らないわけではありません。
教え子との約束を守りたい、教え子たちが可哀相という気持ちもわかる。申し訳ないという気持ちもわかる。
気持ちだけでは気がすまないという思いもわかる。
しかしそれは、戦時下の教官なら、誰もが背負う十字架です。
司令官だって、参謀だって、みんな背負っている。
なのにどうしてあなただけが、逝かなければならないの?
子供のことはどうするの?
それでも夫の視線は、妻子ではなく、頑固に遠くを見ています。
生徒たちと交わした約束のために、です。
ふく子さんは軍人の妻です。
ですから夫が戦場に行けば戦死することがあることは覚悟ができています。
けれど、その許可さえ出ていないのに、どうして自分からわざわざ何度も特攻志願するのか。
ただ死にたいだけなのか。私と一緒に生活するのが嫌なのか。
特攻兵として死ぬ覚悟をしている夫と過ごしながら、ふく子さんは誠心誠意、夫の心を取り戻そうと努力しました。
それは、妻として、女として、母として、あらん限りの愛と知恵で戦いでした。
二人の子供も盾にして戦いました。
命をかけて戦ったのです。
でも、夫の決意は変わりませんでした。
ふく子さんは、敗北を悟りました。
そして彼女は決断したのです。
夫が週番司令として一週間宿泊勤務し、家を留守にした日、夕暮れを待って、ふく子さんは机の上に夫宛の遺書を置きました。
そして、二人の子供に晴れ着を着せ、自分も身仕度をすませました。
12月の寒い日です。
荒川の冷たい川辺に着いたふく子さんは、次女千恵子ちゃんを背中におんぶし、長女一子ちゃんの手と自分の手をひもで結びました。
昭和19年12月15日の早朝、母子三人の痛ましい溺死体が、近所の住民によって発見されました。
すぐに遺体が藤井中尉の妻と子供であることが判明し、熊谷飛行学校に連絡されました。
知らせを受けた藤井中尉は、同僚の嶋田准尉といっしょに警察の車で現場に駆けつけました。

妻ふく子と長女
藤井ふく子

車の中で、藤井中尉は、
「俺は、今日は涙を流すかも知れない。今日だけはかんべんしてくれ、解ってくれ」 と、呻(うめ)くような声で言ったそうです。
嶋田准尉には、慰めの言葉もありませんでした。
師走の荒川べりに着きました。
そこは凍てついた風が容赦なく吹きつけるところです。
歯が噛み合わないほどに寒い。
流れの中を一昼夜も漂っていた母子三人の遺体は、ふく子の最後の願いを物語るように、三人いっしょに 紐で結ばれたまま蝋人形のように並んでいました。
藤井中尉が三人の前にうずくまりました。
やさしく、擦るように白い肌についていた砂を手で払いました。
藤井さんは背が高く、がっしりした体格で、柔道も剣道も射撃も堪能な男です。
その豪快な藤井さんの背中が、呻くようにふるえていたそうです。
嶋田准尉は茫然と立ちつくすだけで、声も出ませんでした。
藤井さんの深い悲しみだけ が、じかに伝わってきて息苦しいほどだったのです。
嶋田准尉の妻が、事件のことを知って、藤井の家に駆けつけてきました。
けれど藤井さんの家は、あの明るいふく子さんがいたときとは、打って変わって、まるで人を寄せつけないようなものものしい空気が漂っていました。
すでに日が落ちて暗くなっていたけれど、窓という窓には 軍隊用の毛布が張りめぐらされ、軍の幹部の人たちが何人も詰めかけていて、緊張したただならぬ 気配がたちこめていたそうです。
それは、藤井さんが、自殺しないようにとの配慮でした。
そのものものしい警備の中で、ふく子さんと一子ちゃんと千恵子ちゃんの三人は、ただ眠っているように枕を並べてふとんの中にいました。
遺書は二枚の便箋に書かれていました。
「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、存分の活躍ができないことでしょう。お先に行って待ってます」
はたから見れば 軍人の妻らしい気丈な立派な遺書かもしれない。
しかし愛する夫が死ぬとわかって、自らの愛で、夫をひきとめることができなかったふく子さんの悲しみは、想像するに余りあります。
葬式は、軍の幹部と、家族と隣り組だけで済まされました。
教え子たちの姿はありません。生徒たちの参列は禁じられました。
涙を誘うこの悲惨な事件に、各社の新聞記者も飛びつきました。
しかし記事はいっさい新聞にもラジオにも出ませんでした。
軍と政府の通告によって報道が差し止められたのです。
藤井さんは、葬式が終わった夜、母に連れられて死んでいった一子に宛てて、一通の手紙を書いています。
それは、けっして読まれることのない、死んだ娘への手紙でした。
~~~~~~~~~~~~
【藤井一中尉が長女一子にしたためた手紙】
冷え十二月の風の吹き飛ぶ日
荒川の河原の露と消し命。母とともに殉国の血に燃ゆる父の意志に添って、一足先に父に殉じた哀れにも悲しい、然も笑っている如く喜んで、母とともに消え去った命がいとほしい。
 父も近くお前たちの後を追って行けることだろう。
 嫌がらずに今度は父の暖かい懐で、だっこしてねんねしようね。
 それまで泣かずに待っていてください。
 千恵子ちゃんが泣いたら、よくお守りしなさい。
 ではしばらく左様なら。
 父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。
 では、
 一子ちゃんも、千恵子ちゃんも、それまで待ってて頂戴。
藤井一中尉

藤井さんが、あてもないのに 天国の娘に手紙を書いたのは、そうしないではいられないほど、心のよりどころを失っていであろうと想像できます。
それは、もしかしたら自分自身への手紙であったかもしれません。
藤井は、事件の直後、あらためて特攻志願を行いました。
今度は自らの小指を切って、血書嘆願しました。
今度ばかりは、軍も諸般の事情から志願を受理してくれました。
パイロットではない者を特攻兵として受理したのは、前代未聞の「異例」のことです。
事件から一週間もたっていない12月20日、藤井は特攻隊長としての訓練を受けるため、熊谷飛行学校から、茨城県の鉾田(ほこた)飛行場へ転属となりました。
藤井さんは熊谷飛行学校教官として、生徒達に大変な人気がありました。
厳しいけれど、熱血漢で情に厚く、愛情がある。だから生徒達は藤井を信頼し、尊敬し、あこがれてもいたのです。
その藤井教官が、転勤と決まった日、藤井さんは中隊長室に教え子を一人一人呼んで、生徒ひとりひとりから、家族のことや思い出話などを聞いています。
そして、ひとりひとりに「これからの日本を頼むぞ」と励ましました。
いよいよ出発するとき、教え子たちが自習室に集まってお別れ会をやってくれました。
生徒や幹部たちは、みんなで記念に軍刀を買って贈ってくれました。
藤井はニコニコして、その軍刀を抜くと、
「これで奴らを一人残らず叩き切ってやるっ!」と刀を高くかざしました。
この間、藤井は、妻子の不幸な事件のことは、生徒たちに一言も話していません。
生徒たちも、誰もそこことを語りません。
でも、事実は、全員が知っていました。
知っていて誰も口にしない。
口にしないで、藤井さんの笑顔に、みんなも笑顔で答えました。
笑いながら、みんな泣きました。
別れを惜しみ、藤井を惜しみ、藤井さんの心をわかって、泣きました。
ひとしお深く辛い涙でした。
昭和20年2月8日、藤井さんは、二式双発襲撃機十機で編成された第六航空軍第三飛行集団付の特別攻撃隊隊長となりました。
そして5月27日、第四五振武隊 (快心隊)と名づけられて、藤井は、知覧飛行場に進出しました。
特攻出撃も終わりに近い5月28日早朝、午前3時起床という慌ただしいスケジュールで、藤井さんは第九次総攻撃に加わり、部下を率いて沖縄へ出撃しました。
藤井さんは、小川彰少尉が操縦する機に通信員として搭乗しました。
そして250キロ爆弾を二発懸吊し、隊員10名と共に沖縄に向けて飛び立ちました。
そして、
「われ突入する」
の電信を最後に、妻子の待つ黄泉の国に旅立たれました。
終戦の僅か2ヵ月半前のことでした。
藤井さんはこうして、ようやく、やっと学生たちと交わした約束と、娘の一子ちゃんに 書いた手紙の約束を果たすことができました。
それは、妻子三人が荒川で命を絶った師走の15日から、5ヵ月経ったときでした。
知覧の富屋食堂を訪れたであろう藤井中尉について、トメさんは年長の物静かな人がいたという以外にとくに印象がなかったそうです。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメさんは、涙が止まらなかったそうです。
陸軍特別攻撃隊第四十五振武隊快心隊 隊長藤井一中尉(後に二階級特進・少佐)
昭和20年5月28日 沖縄県にて戦死 享年29歳
藤井一中尉遺影

(引用、参考:「特攻の町知覧」昭和史の証言、靖国神社遊就館)

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