「慰安婦問題」に関する河野談話の見直しを求める署名
日本史検定講座第四期生募集中
『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識』
2014/04/12 発売予定ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版

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台湾民政府講演

台湾での講演の講義録です。
今回、台湾語による通訳付きでの講演となったことから、事前に講義録を作成していました。
そこで、その講義録の一部になりますが、ご紹介してみたいと思います。
テーマは「天皇と日本人」です。
実際の講義では、日本語の講義と通訳が交互に行われたために、時間の都合上、この講義録に書かれていることをさらに要約したカタチでの講義となりました。
ただ、趣旨は同じですので、ご参考いただければと思います。
スライドは省略しています。
実際の講演では、視覚に訴えるスライドに身振り手振りが加わって、より理解を高めれるものになっていようかと思います。
下に当日の模様の動画も添付しました。
今回は通訳付きでしたので、かなり難しい講演となってしまいましたが、優秀な通訳さんのおかげで、みなさんにお喜びいただけたことは、ありがたかったです。
台湾では、関係者のみなさまにとても良くしていただきました。
この場ではありますが、心からの感謝を申し上げたいと思います。
※この講義では日本史検定講座で私が学ばせていただいたことも参考にさせていただいています。
日本史検定講座は、たいへんにわかりやすくためになる通信講座です。
いま、第四期生募集中です。
皆様のご参加をお待ちします。


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テーマ:「天皇と日本人」
小名木善行と申します。
よろしくお願いします。
さて3月も、もうすぐ終わりですが、日本で3月といえば「ひな祭り」です。
画面に出ているのは、その「ひな人形」ですが、女の子の成長を祝うお祭りとして、古くは九世紀の平安時代から、日本で行われ続けているお祭りです。
このひな人形は、一番上の段に男女のお人形さん、その下に女官が並び、男性の右大臣や左大臣などは、その下の段に置かれることになっています。
それだけ、日本では古くから女性が大事にされてきたということですが、そこでみなさんに質問です。
この写真にある、一番上の段にいる男女は、いったい誰でしょうか。
答えは天皇、皇后両陛下です。
なぜそう言えるのかというのには、理由があります。
「男雛(男性)」がかぶっている冠です。
この冠は、「立纓冠(りつえいかん)」といいまして、後ろが立っていることが、写真でわかると思います。
そしてこの立纓冠(りつえいかん)を冠れるのは、天皇陛下だけです。
その他の貴族は、冠が後ろに垂れたり、まるくしたりしています。
実際に天皇が身につけておいでのお写真が、こちらです。
向かって左が明治天皇。右が昭和天皇です。
ご立派ですね。
そこで、天皇とは、日本人、もちろん台湾のみなさまにとってもそうなのですが、なぜ、天皇が大切な存在なのかについて、お話をしてみたいと思います。
まず、天皇とは、わたしたちにとってどういう存在なのか。
そのことを、Chinaの皇帝との比較で考えてみたいと思います。
Chinaで最初に皇帝を名乗ったのは、ご存知の通り「秦の始皇帝」です。
Chinaは、紀元前600年くらい、いまから約2600年ほど前から、国が荒れ、春秋戦国時代に入りました。
図のような古代のChinaで分立し、争っていた王朝の図は、みなさまもご覧になられたことがあろうかと思います。
この春秋戦国の時代に、Chinaでは孫子とか孟子とか、優秀な論客もたくさん登場しているのですが、そうはいっても、国が荒れ、戦乱を繰り返していたという情況にあったのは間違いありません。
その群雄割拠の戦国時代を、最後に見事に統一したのが、秦でした。
秦王の「政(せい)」は、非常に機能的な軍事組織を作り、周辺諸国を全て征圧してしまいました。
つまり、秦王の政は、他の王よりも上位の王となったわけです。
そこで文官たちに命じて、王よりも偉い人を意味する言葉を作れ!と命じるのですが、出てくる言葉がどれも気に入らない。
そこで、最後に自分で勝手にこしらえて名乗ったのが「皇帝」という言葉でした。
要するに、「俺は、そこらの王より偉いんだ!」と自分で言い出して、称号まで作ってしまったわけで、まあ、そのような自意識過大な人とは、正直あまりお付き合いしたくない(笑)
その秦も、政の死後、すぐに滅んでしまって、その後、前漢、後漢、三国志で有名な魏蜀呉の時代、五胡十六国の時代という分裂の時代を経て、南北朝時代となり、ようやくChinaがふたたび統一されたのが、西暦589年の隋の時代です。
隋は強力な軍事国家だったのですが、その軍事に精を出しすぎたため、これまたわずか29年で滅び、その後China王朝は、唐、宋、元、明、清と推移し、辛亥革命が起こって中華民国へ、そしていまの中国共産党王朝へと推移しています。
そのChinaでは、では、具体的に、どのような統治が行われていたのでしょうか。
そのことを、唐の時代をひとつの例にとってみたいと思います。
図は、唐の時代の組織図を要約したものです。
時代は、唐ですが、この構造は、基本的に中華民国も、中共政権も変わりがありません。
まず、皇帝というのは、大宇宙を統べている上帝とよばれる神様から、「天命」を得て、その地位に就いているとされます。
これは、いわば皇帝は神の代理人だということで、代理人といいながら、神様はしゃべるわけではありませんので、皇帝が「神の権力のすべてを持っている唯一の人」ということになります。
その皇帝の下には、中書省、門下省、尚書省という3つの省が置かれました。
中書省は、国政の企画立案をするところ。
門下省は、その企画案を審議するところ。
尚書省は、審議の結果を実行するところ、です。
そして尚書省の下には、六部(ろくぶ)と呼ばれる政務機関が置かれ、その下には、各地の県長などが置かれていました。
そして・・・ここが肝心なことなのですが、中書省、門下省、尚書省に係る全ての決定権は、皇帝ただひとりが持っていました。
つまり皇帝は、すべての政治権力を一手に握る存在とされていたわけです。
そして皇帝は、将軍たちや文官たちを直接支配し、彼らの生殺与奪の権も持っていました。
その将軍や文官たち(これを文武百官といいますが)の、部下たちは、それぞれの将軍や文官たち、つまり上司が、皇帝の名において、部下たちの生殺与奪の権を持っていました。
その部下たちは、さらに自分が支配する民衆に対して、これまた皇帝の名において、生殺与奪の権を持っていました。
そして、社会階層として最下位に置かれた民衆は、常に奪われ、拉致され、殺されても、一切、文句も言えないし逆らえない。
逆らえば殺されるだけ、という政治体制が敷かれていました。
たとえば、城の普請を行うとなれば、民は、武器を突きつけられて強制的に徴発されます。逆らえば殺されるだけです。
理由なんて説明されません。
ただ、おまえはここにレンガを積め。おまえはそこでレンガを焼け、と言われるだけです。そして監視が付けられ、働かない者には、容赦なく、ムチが打たれ、あるいは幽閉され、あるいは殺されました。
どうしてこのような苛烈な統治になったのかというと、これまた理由があります。
中国大陸で、最も人口が多いのは漢族ですが、その漢族が王朝を形成し、漢族が皇帝となっていたのは、紀元前200年頃にできた前漢だけなのです。
その他の王朝は、元にしても、明にしても、清にしても、ことごとく外来王朝です。
つまり、民族が異なるのです。言葉さえも通じません。
Chinaで、有名な紫禁城にいたのは、清王朝ですが、清は女真族王朝です。
そしてその紫禁城内での公用語は、女真語です。
紫禁城の周りには、漢族が住んでいましたが、そもそも言葉が違うし、文字も違うのです。
Chinaで有名なのは科挙の試験ですが、この難試験に合格すると、合格者の中から、ほんのわずかな上位成績者だけが、はじめて女真語を学ぶ権限を得ました。
女真族の言葉を、漢族に翻訳する必要があったからです。
また、漢族がみだりに紫禁城内に立ち入れば、即座に逮捕され、漢族の公衆の面前で、陵遅刑という、生きながら肉を削ぐという、たいへん残酷な刑罰が課せられました。
この陵遅刑は、男女とも裸にして柱に縛り付け、生きながら、腕の肉、腿の肉、胸の肉などを順番に削いで行き、最後に胴体を突き刺して殺すという刑罰です。
体の周辺部から肉を削ぐため、削がれた人はすぐには死なず、人間の体の不思議で、出血を押さえようと、血液が胴体に集中します。
そして最後に、胴を突き刺すと、その血が、ビューっとほとばしる。
だから、血の流れるのを遅らせる刑という意味で、陵遅刑という名がついています。
残酷なものですね。ひどいです。
ちなみに、皇帝は、上帝(神様)から、皇帝としての天命を受けて、民衆を支配します。
その皇帝には、苗字があります。
ですから、皇帝がダメ人間で、天の神様が、「おまえじゃ、ダメだ」となると、皇帝の天命がが「革(あらたま)」り、皇帝の苗字(姓)も変わります。
これが易姓革命です。
そして、この支配されている「民」という字に注目してください。
およそ漢字というのは、もともとの字源をたどると、ろくな漢字がないのですが、この「民」も、そのひとつです。
「民(みん)」という字は、会意形成文字といいまして、これ自体に意味のある文字です。
上に長四角がありますが、これが人間の眼です。
けれど、目玉がありません。
どうして目玉がないのかというと、その下にある十字の部分が、その理由です。
これは、古代のChinaにあった、眼を潰す専用の針です。
昔、日本軍が大陸の城塞都市を攻めたとき、日本軍は、毎回、事前に「何月何日の何時から、城内のどこそこのあたりを砲撃するので、民間人は事前に立ち退くように」というビラを、空から撒いていました。
日本人は時間に正確ですから、本当にそれまでは場内への砲撃はしない。
そして民間人が、ちゃんと避難できるまで、だいたい一週間程度、攻撃を待っていました。
このことは、城内にいるChina国民党軍からしてみれば、攻撃がいつから始まるのか、その場所はどこなのかが、事前にはっきりとわかっているという、まことに都合の良い情況です。
そんなことまでして、よく日本軍は戦ったなあと感心するのですが、民間人の犠牲をいかに少なくするかは、日本の軍にとっては、自分たちの命よりも大切な責務と考えていたのです。
そうして日時がやってくると、日本軍は攻撃を開始します。
すると、国民党軍は、逃げてしまい、日本軍は、城内に入ります。
このとき、それぞれの城塞都市内で、実は日本の軍は、目の見えない女性たちをたくさん、保護しています。
どういう女性たちだったかというと、これが実は、元売春婦たちなのです。
Chinaの売春宿では、妙齢の年頃の女性を連れて来て商売させるのですが、このとき、その女性たちの眼を、まさにこの針で、潰してしまっていたのです。
どうしてそんなことをしたのだと思いますか?
理由は簡単です。
「眼が見えたら、客の選り好みをするから」です。
あるいは、「逃げ出す可能性がある。」
だから、眼を潰しました。
売春宿のオヤジさんからしたら、それは「あたりまえのこと」でした。
カネを出して、商売に雇ったのです。
「客の選り好みをされたり、逃げられたりしたら、店が困るんだ。何が悪い!」というのが、彼らの発想です。
それが、人が人を「私有する」ということです。
おそろしいことです。皇帝という「私有する人」がトップとなった国や民族が、いかに不幸か、ということだろうと思います。
では、日本の場合はどうでしょうか。
まず、日本の天皇には、苗字がありません。
その天皇は、神話の時代から続く万世一家であることが、その権威の理由となっています。
そしてその天皇は、実は、政治権力者ではありません。
Chinaの皇帝の位置、つまり民衆を政治的に支配する位置には、太政官というお役所を置き、そこに責任者として太政大臣を任命しました。
その太政大臣が、どうして政治的な権威を揮えるかといえば、それは、天皇に親任された人だからです。
そしてその太政大臣が治める民衆は、天皇の民です。
このことを、この会場にあるコップを使って、わかりやすく説明します。
このコップは、この会場のものです。
私が家から持って来たものではありません。
もし、私が家から持って来た、これが私のコップなら、私はこのコップを、捨てることも、割って壊すことも、誰かにあげちゃうこともできます。
私のコップだからです。
さきほどの、眼を潰す道具と同じです。私の私有物だからです。
けれど、このコップは、この会場のものです。
私のものではありません。
ですから私は、このコップを、勝手に誰かにあげたり、割ったり、壊したりすることはできません。あたりまえです。この会場のものなのです。
いいですか、みなさん。
このコップを、私が手にしていることに、変わりはないのです。
けれど、このコップが、この会場のものであるか、それとも「私の」私有物であるかによって、このコップの処遇は、180度変わってしまうのです。
これが、天皇が直接政治をしないで、太政大臣に政治を親任する理由です。
そしてわたしたち日本人は、こうなることで、上の者から、私的に勝手に殺されたり、奪われたり、人身売買されたりする、つまり、もっと端的に言うならば、奴隷にされることがないのです。
これは、究極の民主主義とも呼べるものです。
なぜなら、民衆がもっとも大事にされるカタチだからです。
日本は、そういう国を、すくなくとも7世紀には、成文化して制度化しました。
そして以来、1300年経ったいまでも、このカタチに変わりがないのです。
ちなみに、日本では、太政官と同列に、神祇官という役所もおいていました。
ここは、天皇の神事を輔弼するとともに、全国の神社を統括していました。
そして、日本の、御神輿を担いだりするお祭りは、すべて、この神社が中心になっておこなわれていました。
日本で、政治のことを「まつりごと」と読んだのは、そういうところからきているのです。
ちなみに、日本では、「民」のことを「たみ」と読みます。
これは、「民」という字に、日本古来の「やまとことば」をあてたものです。そそして「たみ」というのは、「田んぼのみんな」を意味します。
「たみ」=仲間たち、なのです。
そして、祭り事を通じて、日本人は天皇と「君民一体」を築き上げてきました。
そしてこのことが、政治においては、政治家は、その天皇の民を預かるという立場にいますから、当然、政治は、民のための政治となったのです。
それが日本の、古くからのカタチ、です。
台湾が、日本領となったとき、台湾の人たちは天皇の民となりました。
だからこそ、日本の政治は、あらゆる面で、台湾の人たちを大切にしたのです。
それが、日本統治の50年でした。
ところが、残念なことに、戦争が終わると台湾の方々は天皇の民を離れ、中華民国の総統の支配下にはいりました。
そこで、中華思想とは何かについて、すこし掘り下げておこうと思います。
元の大帝国は、みなさまよくご存知のことと思います。
元の大帝国は、アジアから東ヨーロッパまでを征圧する、世界最大の大帝国を築き上げました。
ちなみに、この元帝国の創始者であるジンギスカンは、世界中から拉致してきた美女500人を、半裸で常に後宮に置き、日夜お励みになられたのだそうで、ジンギスカンの死後20年経ったとき、彼直系の子孫は、なんと2万人いたのだそうです。
現在、世界には、ジンギスカンのDNAを持つ人が、120万人いるのだそうで、まあ、すごい繁殖力です。
ところでこの元帝国の統治の手法は、モンゴル族だけが常に頂点に君臨し、その他の民族、たとえば鮮卑族(せんぴぞく)や、烏垣族(うかんぞく)、扶余族(ふよぞく)などは、漢族と同じ地位、位置づけ、つまり平等な位置づけにありました。
簡単にいうと、モンゴル族だけが偉くて、あとの民族はみな同じ、そして、まだ支配していない地域の緒族は、敵、という、ある意味非常にわかり易い体制がひかれていました。
ちなみに、現王朝当時の正規言語はモンゴル語、公文書などに記載する正式文字はモンゴル文字でした。
漢字文字は、あくまで蛮族である漢族の文字にすぎなかったのです。
そして、これは元に限らず、Chinaのすべての王朝がそうですが、世界の中心にあるのは、常に「皇帝」ただひとりでした。
つまり「皇帝ただひとり」が世界の中心にいる。
それが、もともとの中華思想です。
ところが、清の時代に、この思想に変化が起きました。
清王朝は、その出身地である満州の地を聖地としました。
そして満洲と漢族の地とを、万里の長城で立て分け、その端に山海門という関所を設け、そこから北、つまり満洲の地への漢族の通行を一切禁じました。
そして漢族の中心地に、紫禁城を設けました。
そして城の周囲にいる漢族には、「君たちは、世界中からやってくる朝貢国よりも、身分は上だよ」という懐柔策をとったのです。
これが、中華=漢民族という図式が生まれた始まりです。
繰り返しますが、清朝以前の中華思想というのは、単に、「皇帝が世界の中心だ」という思想にすぎません。
それが、「中華民族が世界の中心だ」に変わったのは、清朝の統治手法によるものであった、ということです。
ちなみに、この清朝が使っていた文字は、満洲文字です。
画面右側の図は、清朝時代の神話の「三人の仙女がブルフリ湖で水浴びをしている図」ですが、それが、上から順に、満洲文字、漢字、モンゴル文字で書いてあります。
あくまでも、公式文字は、満洲文字だったのです。
ところが、清朝が倒れたあと、漢族は、上にいた満州族という重石が取れました。
そのため、いつの間にか、「皇帝が世界の中心」という中華思想の意味を、「漢民族が世界の中心なのだ」とすり替えてしまったのです。
この図は、赤いところが、旧清朝の版図です。
ちなみに台湾は、明治4年の日本の問合せの際、明確に清朝が「令外の民である」と宣言しているのですが、その後、明治17(1884)年に、清仏戦争でフランスの艦隊が台湾北部を攻略したことを受けて、明治18(1885)年になってやっと台湾に「台湾省」を置いて、清朝の版図に組み入れました。
ところが明治27(1894)年に日清戦争が起こり、翌、明治28(1895)年に、清朝は台湾を正式に日本に割譲しています。
ですので、図では赤くなっていますが、清朝が台湾を領有していたのは、わずか10年間のことにすぎません。
さて、この図の真ん中の地図になっているところが、いまの中華人民共和国です。
そして中共政府は、清朝の最大版図であった地域を、いまでも、ふたたび領有しようと、常に軍事的侵略を画策しています。
なぜなら、彼らにとって、「もともとの漢民族の支配地(ウソですが)」だからです。もう、デタラメです。
そしてこれは、旧満州や、チベットなどがそうなのですが、中共は、異民族の地を領有すると、人民解放軍の若い兵士たちを使って、民族同化策ということを実施しています。
これはどういうことかというと、その民族の若い娘を勝手にさらって来て、強姦し、漢族の子を孕ませるのです。
妊娠すれば、女性は放逐されます。
子育ては、勝手にやりなさい、という意味です。
チベットでは、焼身自殺する若い女性が後を絶ちませんが、そういう背景があるということも、知っておくべき事柄であろうと思います。
東北省(旧満州)などは、いまでは、女真族の純血種は、もうほとんど残っていないと言われています。
さて、China皇帝という権力者の構造、そして中華思想という名のまやかしについて、ここまでの講義で、ご理解いただけたかと思います。
あまり、こういう話ばかりしていますと、気分が悪くなりますので、すこし矛先を変えて、日本の話をします。
「シラス国と、ウシハク国」のことです。
このシラスと、ウシハク、聞いたことのある方、おいでになりますか?
あったら、手を挙げてください。
(いた場合) → すごいですね。
(いない場合)→ 実は、そこが戦後教育の恐ろしさなのです。
「シラス」と「ウシハク」というのは、実は、日本神話の古事記に出てくる言葉です。
そして、その「シラス」が、「シロシメス」→「シメラフ」と変化しまして、これが「統治」を意味する「統(す)める」と変化し、天皇のことを「スメラミコト」と呼ぶようになっています。
そしてその「統(す)める」が、統治という熟語になって、これが大日本帝国憲法第一条の「大日本帝国は、万世一系の天皇、これを統治す」という文言になっています。
ですから実は、この「シラス」は、日本という国のカタチのもっとも根幹にある概念なのです。
さて、その「シラス」は、古事記の「大国主神話」に出てきます。
大国主神話を、ご存知の方?
ご存じない方が、おいでのようですので、概略しますと、大国主神というのは、「大いなる国の主」という意味の神様です。
この神様は、若い頃、「オオナムチ」という名前でした。
そして因幡(いなば)というところで、困っているウサギを助けました。
ところが、そのことがきっかけで、オオナムチは、兄たちから、ひどいイジメを受けるようになります。
真っ赤に焼けた大きな石を、山頂から転がされ、それを受け止めろと命令されて焼け死んだり、騙された挙げ句、二つに裂いた木の股に挟まれて死んでしまったり、その都度、母に助けられて息を吹き返すのですが、もうイジメがどうしようもなくひどすぎるというので、最後、スサノオノミコトという強い神様のところに逃げて行くのです。
ところが、たまたま出会ったスサノオの娘と懇意になってしまったことから、お父さんのスサノオの逆鱗に触れて、ムカデや蜂や蛇のいっぱいいる部屋に閉じ込められたり、野原で火に囲まれたりと、ここでも、たいへんな艱難辛苦にあうわけです。
ところが、そのスサノオのもとで鍛え上げられたオオナムチは、国に帰るとイジメていた兄たちを逆にやっつけて、出雲の国の主になります。
ところがその出雲の国では、とつぜん親指くらいの身長で、体は小さいのだけれど、猛烈に頭の良いスクナビコという神様を重用し、出雲の国をおおいに発展させ、富ませるのです。
そして長い年月をかけて、ようやく、出雲の国の大王として、豊かさを手に入れるのですが、そこにアマテラスオオミカミ様の使いがやってきて、国を譲れというのです。
この大国主神話というのは、全部で4つの章に分かれていて、それぞれ、
1 因幡の白兎
2 大国主へのイジメ
  八十神との戦い
3 大国主の国つくり
  スクナビコ
4 国譲り神話
となっています。ここまでを概略したのですが、この物語は、日本中で東に55カ国、西に66カ国と、合計121カ国に分かれていた日本国内の諸国の中の、たった一国の王の物語にすぎないものであるにも関わらず、古事記の中で、とても多くのページ数を割いて書かれているお話です。
そして、この大国主にまつわる物語の最後に出て来るのが、その国譲りなのです。
大国主の国譲り神話は、大国主、つまり大いなる国の主のおかげで、たいへん豊かになった出雲の国に、ある日とつぜん、タケミナツチノカミがやってきて、海の上に剣を逆さまにして立て、その切っ先の上に大あぐらをかいて座ると、大国主に、
「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞ」と告げるのです。
そして大国主は、その言葉に、ハッと気がつき、「自分は間違っていた。わかりました。国をお譲りいたします」と、まるごと出雲の国を、アマテラスオオミカミに譲るのです。
そのお礼にと、アマテラス側が出雲に建立したのが、出雲大社です。
これは「出雲大社」と書いて、「いずもおおやしろ」と読みます。
さて、では、「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞ」というのは、いったいどういう意味なのでしょうか。
はじめの「汝がウシハクこの国は」の「ウシハク」というのは、「ウシ」が主人で、その主人が「はく」、「はく」というのは、「大刀を腰にはく」というように使われますが、要するに、「主人が私有する」という意味です。
なるほど、大国主は、おおいに国を富ませましたが、その統治手法は、Chinaの皇帝と同じく、「主人が私有する」という統治形態だったのです。
これに対し「シラス」は、「知らす」です。
これは現代風にいうなら、「情報の共有化」です。
では、「ウシハク統治」と、「シラス統治」が、どのように違うかというと、
「ウシハク」の場合、たとえば、ここに田んぼを切り拓いたら、たくさんのお米ができて、きっとみんなが豊かになるに違いない、と、主人が田んぼの開墾を命じたとします。
このとき、開墾のために動員される人々は、自分たちが何のために、ここの木を引っこ抜けとか、ここに穴を掘れと言われているのか、まったく知りません。
ただ、ある日突然、ムチや刀を突きつけられて、引っ張り出され、理由も教えられないままに作業だけをやらされているわけです。
そして新たな田んぼができ、そこで農作業をさせられて、作物が実っても、それはすべて、王のものです。
田んぼも王のもの、そして民衆も、王のものです。
つまり、新田も、民衆も、すべては王の私有物です。
これがウシハクです。
これに対し、「シラス統治」は、まずは、みんなに、
「ここに新田が開かれたらいいねえ」と告知するところからはじまります。
いまは、旦那と女房と二人だけの生活だけれど、そのうち子供たちが生まれ、その子たちが成長して結婚し、孫が生まれるようになったら、それだけ食べる人が増えるわけです。
ちなみに、我が家は、最初夫婦二人でしたが、子が二人生まれ、いまは孫が6人います(笑)
つまり、最初二人だけだったのが、いまは10人になっています。
その孫たちが結婚し、それぞれに曾孫が生まれたら、人数はもっと増えます。
いま、ある田んぼで、食うのが精一杯という情況では、将来生まれてくる子や孫、曾孫たちが食べられなくなるのです。
それでは困る。そしてそのことは、お隣も、そのまたお隣りも、皆同じです。
「ならば、みんなで協力して、いまのうちから新田の開墾をしようじゃないか。」
それが「シラス」ということです。
「ウシハク」統治では、民を私有し、強制的に使役します。
ですから、民に変に教養があると、いちいちウルサク突っ込まれたりします。
ですから「ウシハク」統治では、民から教育を奪います。
これが「愚民化政策」です。
かつて、世界中の国々では学校など作らず、文字を読み書きできるのは、相当な大人物だけ、というのが、世界中のあたりまえの姿でした。
民から教育を奪い、たとえ一定の教育を与えたとしても、そこではウソしか教えない。
民は、バカであればあるほど、洗脳され易く、利用し易い。
それが、世界の王朝における、あたりまえの考え方だったのです。
ところが日本では、大国主の神話の時代というは、最低でもいまから約3000年前です。
古事記が書かれてからも、1300年です。
そして「シラス統治」では、情報の共有化をするために、それぞれが高い教育レベルと、高度な判断力、そして高いレベルの道徳心が必要です。
そうでなければ、情報の共有化ができないからです。
そして情報の共有化をするためには、互いが対立的であってはなりません。
お互いが、お互いのために、和をもって貴しとなすという姿勢が必要です。
そしてそれを理解するためには、やはり、高いレベルの教育が必要なのです。
これがアマテラスオオミカミ様が望まれた、国の統治の在り方です。
この写真は、日本の女子バレーボールチームの写真です。
どうしていきなり、この写真が出て来たかというと、単に私が、女子バレーのファンだという理由です(笑)
でも、みなさん、この写真を見てください。
試合中の女性たちが、点が入る度に、こんなにも顔をくしゃくしゃにして、心からの笑顔を浮かべています。
こういう笑顔は、ひとりひとりがお互いに信頼しぬいた大切な仲間だという意識がなければ出るものではありません。
写真の後ろの方に、どこかよその国の選手の写真が写っていますが、このチームには、こういう笑顔はありません。
選手ひとり一人も、ただの競争相手でしかない、そこには自分しかいないからです。
これが、ウシハク国の住民と、シラス国の住民の違いです。
この写真は、1954年の台湾の女子バレーボールチームの写真です。
この写真の女性たちも、素敵な笑顔を浮かべています。
この時期は、すでに台湾は国民党政権となっていましたけれど、まだまだこうした笑顔、シラス国の住民としての相互信頼の心が、まだ残っていたのです。
日本は、世界でもっとも古くて長い歴史を持った国です。
これは、教科書などによく出てくる世界の国家の興亡年表ですが、ローマ帝国、フランク王国、サザン朝ペルシャ、オスマン帝国などなど、世界中で、さまざまな王朝が興き、そして滅んで行きました。
なぜ滅んだかといえば、その王朝の施政に、なんらかの不都合があったからです。だから滅ぶ。
ところが日本は、神話の時代から、ずっと日本です。
なぜ日本は日本のままだったのか。
それは、日本が「シラス国」だったからです。
この歌は、第38代の天智天皇(てんちてんのう)の御製(和歌)です。
 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
 わが衣手は露にぬれつつ
この歌を詠まれた天智天皇は、天皇におなりになる前に、日本における7世紀の大改革を成し遂た、歴代天皇の中でも、飛び抜けた実績のある天皇です。
その天皇が、なんと歌っているかというと、
秋になり、田んぼの刈入れも終わり、田んぼに干した藁(わら)も、ようやく乾いたので、庵の中に運び込んだ。
その祖末な庵の中で、私は、目の荒い胡ゴザを、編んでいる。
朝早くから、夜遅くまで作業をしていたので、私の衣も手も、朝露、夜露に濡れてしまったよ。
これがどういうことかというと、日本の歴史の中でも、偉大中の偉大な天皇とされている人が、ご自身で、刈入れの終わったあとの藁(わら)を編む作業をしているというのです。
天皇が、ご自身で編むワラです。臣下では使えません。
つまり、そのワラを編まれたゴザは、天皇ご自信か、もしくはご家族でお使いになるものです。
それが「目の荒いゴザ」なのです。
ゴザは、目が細かいほど、上物です。
つまり、目が粗いというのは、粗末なゴザです。
天皇といえども、贅沢はしていないのです。
そして、天皇が、ワラを編むくらいですから、稲の刈入れも、ワラを干す作業も、それを庵に運ぶ作業も、天皇ご自身が、民とまったく同様に作業されているということです。
そしてそこまでされているということは、田植えも、稲刈りも、やはり天皇ご自身がされている。
そしてみなさん、今上陛下は、その1300年後の125代の陛下ですが、その今上陛下も、やはり同様に、ご自身で、田植えから稲刈り、ワラ干しまで、ご自身でされているのです。
食を大切にし、率先して働かれるお姿が、ここにあるのです。
そしてこの歌は、百人一首に掲載され、日本では、かつては、大人から子供まで、誰もが知る、その百人一首の一番の歌でした。
この歌は、先ほどの天智天皇から数えて3代あとの持統天皇の御製(和歌)です。
持統天皇は、夫の天武天皇が先立たれたので、その後を継いで即位された女性の天皇です。
その持統天皇が何と読んでいるかというと、
 春過ぎて夏来にけらし白妙の
 衣干すてふ天の香具山    です。
いまでは、洗濯といえば、全自動洗濯機が、なにからなにまで全部やってくれますが、昔は洗濯は、女性たちが川でしていました。
けれど、冬の川は、氷が張り、水が冷たいです。
その川が、春になり、初夏ともなると、気温が上がるので、かえって冷たい水が心地よい。
だから、おもわず、一生懸命洗ったので、洗濯物が真っ白になってしまった。
その洗濯物を干していたら、その洗濯物の向こう側に、立派な香具山が見える。
香具山というのは、持統天皇の時代に皇居のあった奈良盆地から見える、いちばん立派な山です。
その山を、亡くなった夫の天智天皇にみたてて、
「あなた、私、今日もこうして頑張ってるわよ!」
青い空、白い雲、初夏の温かな陽気、真っ白に洗い上がった洗濯物。
その洗濯を、天皇という、我が国最上位の位に就かれながら、なお、ご自身でやっておいでの持統天皇。
自分で洗濯をしているから、冬の水の冷たさ、夏の洗濯の気持ちよさがわかるのです。
そして、亡くなった後も、夫を思う、夫婦愛。
それが、この歌です。
天智天皇も、持統天皇も、みずからお働きになり、普通の家族同様、夫を愛し、妻を愛し、そして常に国民とともにあられる。
それが、君民一体の日本の天皇のお姿です。
今日の冒頭で、「立纓冠(りつえいかん)」のお話をしました。
これが今上陛下ご夫妻のお姿です。
天皇という存在があるから、わたしたちは私有民とならずに済んでいる。
そのありがたさ。
だからこそ、昔の日本人のご家庭では、これは台湾でもそうですが、家に天皇皇后両陛下の御尊影のお写真を飾り、毎朝、家族みんなで立礼をしていたのです。
この写真は、ご存知の方も多いかと思います。
アメリカのオバマ大統領が、来日した際、深々と90度のお辞儀を、陛下になさいました。
オバマ大統領は、黒人ですが、その黒人が米国内で奴隷ではなく、人間として扱ってもらえるようにと、たいへんな運動をしていたとき、世界で唯一、欧米列強を前にして、「人種の平等」を高らかに主張したのが、日本だったのです。
その天皇は、ローマ法王が上座を譲る、世界で唯一の存在です。
台湾と日本。
戦前の日本だった時代を知る台湾の方々が、どうして、そんなに日本人であることにこだわるのか。
いまの若い世代の方々には、ちょっとわかりにくいのかもしれません。
けれど、今日の一連のお話で、天皇という存在のありがたさ、私有民でないことの喜び、そしてシラス国という日本古来の概念。
そうしたものを、みなさまにもご理解いただけたのではないかと思います。
ご清聴、ありがとうございました。
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