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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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大国主神話0218

「シラス国」と「ウシハク」国について、以前の記事で書かせていただきました。
そこで今日は、大国主神話を経由して、このことの意味を考えてみたいと思います。
大国主神話は、因幡の白ウサギの物語から、大国主が偉大な王となるまで、そして国譲りを行うまでと、古事記の中でも、かなりのページ数が割かれて、詳述されているお話です。
大国主神話は、大国主が治めていた国を譲った物語です。
けれど当時国と称したのは、大国主の治める出雲ばかりではありません。
大国主が治めた国は、当時の数ある諸国のなかのひとつであって、日本全体を大国主が統治していたわけではないのです。
にもかかわらず、大国主だけが、かなりのページを割かれて、その生い立ちから国を治める大王となるまでの経緯がことさら詳細に描かれています。
何故でしょうか。
なぜ諸王の中で、大国主だけが特別に、多数のページを割いて描かれたのでしょうか。
なぜ大国主を祀る出雲大社が、天皇家を祀る伊勢神宮よりも、大きな社(やしろ)として造営されたのでしょうか。
実はそこにこそ、後世のわたしたちが学ばなければならない、大きなメッセージが込められているのではないでしょうか。


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大国主の若い頃の名は「大穴牟遲神(オオナムチノカミ)」です。
オオナムチには、80人の兄貴たち(八十神)がいました。
その80人の兄貴たちは、因幡(いなば)に八神上売(やがみひめ)という美しい女性がいるという話を聞きつけ、ひめにプロポースしようとみんなでお出かけしました。
大昔のことですから、歩いての旅です。
当然のことながら、旅のためのたくさんの荷物が必要です。
80人の兄貴(八十神)たちは、その荷物を、全部、末弟のオオナムチに持たせました。
オオナムチは、いまでいったら、パシリ君だったわけです。
手ぶらの兄貴たちは、どんどん先に歩いて行ってしまいました。
オオナムチは、ひとりトボトボ(たくさん荷物を持っていますからヨタヨタ)と、ずっと兄貴たちに遅れて街道を歩きました。
オオナムチが、気多(けた)まで来たとき、そこに毛を剥かれた裸のウサギが伏せっていました。
かわいそうに、そのウサギは、80人の兄貴たちに、「海水の塩水に浸かって、山の頂で強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられていたのです。
傷を負って赤剥けになっているところを、塩水である海水に浸けたら、傷は悪化するし、塩水が乾けば傷口が乾いて割れてますから、激痛です。
ましてウサギ君は、全身の皮をめくられていたわけですから、その痛みは、想像を絶するものだったことでしょう。
そんなわけで、ウサギは、痛みに苦しんで、ウンウンと唸っていたわけです。
そこにオオナムチが、遅れて通りがかりました。
どうしたのかと、ウサギに尋ねると、
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私は隠岐の島の者です。この地に渡りたくても、その方法がなくて悩んでいたところ、たまたまサメ(ワニと書いてありますが、サメのことです)がやってきたので、彼らを欺(あざむ)いて、
「私とあなたたち一族と、どちらが数が多いか、試さないか? 君たちはできるだけ仲間を集めて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えてあげよう」と誘ったのです。
するとサメたちは、了解とばかり、海面を気多まで並んでくれました。
私はその上を踏んで数えるふりをしながら、渡ってきたのですが、今にもたどりつこうおというときに、ついつい得意になってしまって、「オイラは君たちを騙したのさ」と言ってしまったのです。
それでサメたちは、怒って、たちまち私を捕え、私の体からすっかり毛を剥いてしまったのです。
それで痛くてしかたがないところに、80人の八十神さんたちが来て、「海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい」と教えてくれたので、その通りにしたところ、逆にもっと痛くてたまらなくなってしまったのです。
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と、このように述べたわけです。
オオナムチは、ウサギに、「君は今すぐ水門へ行き、真水で体を洗って、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつけなさい。そうすれば、皮膚はもとのように戻るし、傷は癒えるよ」と教えてあげました。
ウサギがそのようにすると、たちまち傷はふさがり、体も回復しました。
ウサギは、「八十神たちは、決してヤガミヒメを得ることができないでしょう。ヤガミヒメは、あなたの妻になる人ですから」と予言してくれました。
その通りに、ヤガミヒメはオオナムチの妻になったと、ここまでが大国主神話のいわば第一章です。
実際に、ウサギやサメがそのようなことをしたかどうかまでは、なんともいえませんが、この物語は、昔話として子供たちに、
「人に嘘を言ってはいけないよ」という教えの物語として、そして、若き日の大国主のやさしい人柄を象徴する物語として、引用されました。
また、医療の発達していなかった古代から近世にかけては、火傷の治療法を教える物語としても、この挿話はたいへんおおきな意義を持っていました。
ただ、それでもなお古事記が、わざわざページを割いて長々とこのような物語を大国主神話の第一章に描いたのは何故なのかという疑問が残ります。
大国主のやさしさや、火傷の治療法を伝えたいだけならば、もっと別な挿話でもよかったろうと思うし、わざわざあり得ないような、ウサギとサメのやり取りに仕立てる必要などないともいえるからです。
オオナムチは、この因幡の白ウサギの物語のあと、彼がヤガミヒメをGETしてしまったことによって、八十神たちから、ものすごい迫害とイジメに遭います。
それは実にすさまじいイジメで、猪に似た大石を真っ赤になるまで火で焼いて転がし落とし、それをオオナムチに素手で受け止めさせたり、大木に楔で割れ目を作り、そのなかにオオナムチを入らせて、楔(くさび)を引き抜いて打ち殺してしまったり、と、まさに、死に到るまでの苛酷なイジメを与えられます。
そして、都度オオナムチは、母の愛によって助けられるのですが、それでもイジメ被害はやまず、母はついに、オオナムチに「あなたはここにいたら、八十神に滅ぼされてしまうだろう」と言って、遠くに住むオオヤビコの所へ逃がします。
ところが、せっかく遠くまで逃げたのに、八十神はほっておいてくれません。
わざわざオオナムチを追って来て、オオヤビコに、オオナムチの身柄の引き渡しを求めるのです。
そしてやっとの思いで危機を脱したオオナムチは、根の国のスサノオのところまで落ち延びます。
けれど、そこでもオオナムチは、毒蛇の部屋に入れられたり、ムカデや蜂のいる部屋に寝させたり、野原で炎に包まれたりと、ありとあらゆる苦難を与えられるわけです。
そしてその都度、愛する女性であるスセリビメに助けられながら、試練を脱したオオナムチにスサノオは、
「お前が持つ大刀と弓矢で、八十神たちを追い払え。お前は大いなる国の主となるのだ」と申し向けます。
こうしてオオナムチは、大国主と名前を変え、出雲国に戻ると、スサノオから授かった太刀と弓矢で八十神たちを追い払い、立派な千木(ちぎ)のある新宮を建てて、そこで国つくりをはじめました。
と、ここまでが、いわば大国主神話の第二章です。
大国主が、さんざん苦労しながらも、周囲の愛と扶(たす)けによって、苦難を脱し、大いなる国の主となるまでが描かれているわけです。
つまりここで述べているのは、大国主が、「決して楽をして大いなる国の主になったわけではない」ということであろうと思います。
死ぬほどの屈辱や、苦しみや苦難を味わい、そして愛を知り、その愛によって立ち直り、蘇生し、幾多の修羅場をくぐり抜けて、ようやく、大いなる国の主にまで成長しているわけです。
ところが、です。
その大国主のもとに、手に乗るほどの小さな、スクナビコという神様がやってきます。
そのスクナビコが、いったいどういう神様かまったくわからない大国主は、高天原に伺いをたてます。
すると、天上の神は、お大国主とスクナビコに、「あなたがた二人は兄弟となって、ともに力をあわせて出雲の国づくりをしなさい」という。
そこでスクナビコが兄、大国主が弟となって国づくりをします。
兄であるスクナビコの指導によって出雲は、樹々が植えられ、田畑が開墾され、とても豊かな国として成長します。
ところが出雲の国が充分に豊かな国になると、スクナビコは常世の国に帰ってしまいます。
と、ここまでが、大国主神話の第三章です。
この第三章では、大国主が、体の小さなスクナビコの言を用いて、国をおおいに富ませるところまでが描かれています。
そしてこの第三章は、上に立つ者が、体の大きさや、強弱や、身分の上下ではなく、知恵のある者の言を謙虚にちゃんと用いることの大切さが教えられています。
大国主は、出雲の国を大発展させました。
それは、単に大国主が、自分が努力して出世したというだけでなく、出世をしたあとも、謙虚に人の言うことを聞き、知恵を用いる偉大な大王であったからです。
ところが、ここかの第四章で、びっくりするような事態が起こります。
そこまで苦労し、努力して築き上げた出雲の国を、アマテラスオオミカミ様が「返せ」といってきたのです。
もともと、この地上はアマテラス様の両親にあたるイザナキ、イザナミの神が産んだ場所です。
つまり、もともとはアマテラス様の国です。
けれど、大国主は、そのなかの一国である出雲において、たいへんな努力をして、国をおおいに富ませたのです。
それを「返せ」というのは、キツイ話です。
「え〜!、どうして??」と疑問に思ってしまいます。
アマテラス様は、アメノホヒという神を最初に使いとして出雲に向かわせます。
ところがアメエノホヒは、逆に大国主に取り込まれてしまいます。
そりゃあそうです。
出雲は豊かな国であり、大国主はその王なのです。
ものすごい財力がある。
アメエノホヒは、大歓待され、すっかり大国主のとりこになってしまったわけです。
それだけの魅力が、大国主にあった、ということです。
アメエノホヒが帰らないので、アマテラス様は、アメノワカヒコと、アメノマカコユミという神を次に使わします。
ところがこの二神も、これまた大国主の「君たちを私の後継ぎにしてあげよう」という言葉と接待に籠絡されて、ついに高天原に戻りません。
そして三番目に派遣されたのが、武門の神様であるタケミカズチの神です。
タケミカズチの神は、出雲国伊耶佐の小浜に降りるうと、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に、
「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞとアマテラスオオミカミが仰せである」と、国譲りを迫ります。
大国主は「二人の息子と相談して回答します」と答えるのですが、ひとり目の息子のコトシロヌシは、たちどころに了解、ふたり目の息子のタケミナカタは、タケミカズチに、力比べを申出るですが、あっという間にやられてしまい、諏訪にまで逃げてしまいます。
こうして大国主は、
「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げましょう。
その代わり私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」と申出ます。
こうして国譲りを見事に成功させたタケミカズチは、高天原に復命します。
これが、大国主神話の第四章(最終章)です。
すこしまとめると、
第一章 因幡の白ウサギ
第二章 大国主へのイジメ
第三章 大国主の国つくり
第四章 国譲り
となっています。
問題は、どうして古事記は、わざわざこれだけのページを割いて大国主神話を大きく扱ったのか、ということです。
そこに何か大きな伝えたいメッセージ、もしくは伝えるべきメッセージがあったからなのではないでしょうか。
その答えが、実は、第四章の「国譲り神話」にあります。
それが、「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞ」という一文です。
そもそも、ですが、もともとこの地球(オノコロ島)も、日本の国土も、日本の八百万の神々も、日本の民衆のすべても、神々によって作られたものです。
いわば神々のものです。
そして神々の直系の御子孫であられるアマテラス様が日本の最高神です。
ならば、そもそも出雲の国も、アマテラスオオミカミのものです。
一方、大国主は、アマテラスオオミカミの弟のスサノオの6代目の孫です。
つまり、大国主も、まさに神々の御子孫であり、アマテラス様の御親戚でもあるわけです。
その大国主は、若い頃からさんざん苦労して、やっとのことで出雲を発展させ、豊かな国にしました。
それだけ豊かな国にした功労者なのに、大国主に、アマテラス様は国譲りを迫ったわけです。
けれど、それだけ豊かな国であったからこそ、アマテラスの大国主への国譲りの遣いは、二度も大国主サイドに取り込まれ、失敗に終わっています。
そして最後に、タケミカツチによって、国譲りが実現するわけですが、このとき、大国主は、あまりにも簡単に国を譲っています。
それでも自分の作った出雲国への愛着が大きかったであろうことは、「その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」という言葉に、はっきりと現れています。
しかし、それだけの愛着があるなら、どうして大国主は国を素直に譲ったりしたのか。
その答えが、冒頭の第一章にあるものと拝します。
なぜそういえるかというと、第一章の白ウサギの物語は、教訓を説く神話であったからです。
つまり、大国主神話神話全体が、教訓神話であるということを、第一章は明確に示唆しているからです。
そしてその、いちばん大切な教えが、国譲りにおけるタケミカツチの言葉にある、「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞ」です。
大国主神話は、それ自体が「シラス国」を理解してもらうための「教え」であるということを、第一章が宣言した、といえるのです。
なぜなら、古事記は歴史書だからです。
そしてその歴史書の目的は、わたしたちの祖先が、国家としてのアイデンティティを後世の人々に正しく伝えるための物語であると考えられるからです。
「ウシハク」というのは、「主人(うし)」が、「佩(は)く」です。
「佩(は)く」というのは、「大刀を腰に佩く」というように、身につける、自分のものにする、転じて「私有する」という意味です。
つまり、「大国主がウシハク」というのは、大国主が国を治めるにあたり、「領土領民を私的に所有し、支配する大王という領有形態」をとっていたことを示しています。
大王が領土領民を私的に支配すれば、大王にすべての利得が集中しますから、大王は豊かになります。
大国主の努力によって、出雲の国自体は、たいへんに豊かな国になりました。
けれど、その領有形態が「私的にウシハク」ものなら、その富は、すべて大国主個人に集中します。
そしてそれだけの富みが大王に集中したら、大王は大金持ちですし、そんな大金持ちの大王に歓待されたら、さしもの高天原の使いであっても、その贅沢な接待に籠絡され、役目を忘れて、贅沢のなかに埋没してしまう。
二度目の使者に至っては、大王の世継ぎにしてあげるよとまで言われているわけですから、個人の贅沢に加えて、将来の富の独占までも約束されているわけです。
利権や富というのは、神々の気持ちでさえも、虜にしてしまう強烈さがあるわけです。
けれど、アマテラス様のこの世の統治は、どこまでも「シラス国」にあります。
「シラス国」というのは、「知らす国」です。
みんなが情報を共有し、それによって問題意識を共有し、互いに知恵を出し合い、みんなでちからをあわせて国をつくり、みんなが豊かになっていく。
アマテラス様の御心は、まさに、そこにあるわけです。
「ウシハク」は、世界中でいまなお行われている統治手法です。
そして奴隷制などは、人が人を私有し支配し収奪するという、まさにその典型的な手法です。
そして収奪する側には、あらゆる贅沢が許容され、収奪される側には、生涯の貧困が待ち受ける。
これに対して「シラス」は、あくまでも民衆が主役です。
大国主が主役の国ではなくて、民衆が主役の国です。
これって、簡単に言ったら、究極の民主主義です。
まさに人類の理想です。
どちらが民衆にとって幸せな国といえるか。
答えはあまりにもあきらかです。
それをわたしたちの国は、国の始まり、建国の日よりも、もっと古くから、国の成り立ちのときから、ずっとその精神を持ち続け、その民衆を大切にする国という国のカタチを築いて来ました。
そしてそのことが、神武天皇の建国の詔では「皇孫の正」として明確にうたわれ、そして7世紀の大化の改新においても、それが日本のカタチとして天下万民が、すべて天皇の宝、すなわち「おおみたから」とされ、そして明治維新においても、国民を第一とする社会の仕組みとして五箇状の御誓文が発布されています。それが日本という国のカタチだからです。
大国主は、さんざん苦労して築いて来た自分の国を愛していたことでしょう。
そりゃそうです。
それだけの苦労があったし、努力があったし、出雲の国つくりは、まさに大国主の生涯そのものであったわけです。
けれど、国の最高権力者となり、最上級の富を手にした大国主は、タケミカツチに「汝のウシハク国」と言われたときに、まさに、大ショックを受けたわけです。
そして、自分の統治が「ウシハク」ものであった、間違っていたと気付くわけです。
だからこそ大国主は、国譲りを行います。
なぜなら「シラス」国は、それ自体が神々の御子孫である大国主自身の理想とするところでもあったからです。
大国主神話は、ただ因幡の白ウサギの「嘘を言ってはいけないよ」とか、八十神と大国主の確執とか、戦わずに国を譲ったとか、立派な神殿を建てたとか、そういうことではなく(それもまたたいせつな教えですが)、それ以上に物語全体を通じて、最後の「シラス国」を語るためにこそ書かれたあものなのではないか。
そのように思います。
なぜならもし第四章が、巷間言われるような「出雲で行われた血なまぐさい国の収奪を隠すため」というのなら、第一章かr第三章までは不要です。
あるいは「大国主の成長の物語」とだけいうのならば、第四章が不要です。
そうではなく、第一章から第四章まで、長い物語として、ときにありえないようなサメとウサギの話や、蘇りの物語を挿入してまで、古事記がわたしたちに伝えようとしたのは、まさに国における統治の理想が「シラス国」にあるということをこそ、伝えようとしたからといえると思うからです。
「シラス国」は、わかりやすく言えば、情報共有化社会です。
そしていま、世界はインターネットを通じて、まさにこの「情報共有化社会」に向けて、大きく前進しようとしているように思います。
「シラス国」は、日本の統治の理想であり、まさに日本社会のアイデンティティそのものといって良いものでした。
そしてその「シラス国」は、いまや国境を越え、全世界の人類社会の構造を従来の「ウシハク社会」から、大きく構造変化を起こそうとしているように思います。
わたしたちの国、日本が、何千年もの昔から営んで来た理想の社会構造が、いま、世界に広がりつつある。
わたしたち日本の保守は、言葉こそなにやら守旧派みたいな、古いものを保ち守ろうとしている者のように見えますが、実は、日本的保守思想というのは、もしかしたら世界の理想にめがけて、その最先端を走る先駆者達なのかもしれません。
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