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人民解放軍

Facebookで友人にさせていただいているS先生が、貴重な論考を書いておいででした。
今日は、まずその論考をご紹介し、そのうえで私なりの考えを述べてみたいと思います。
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おはようございます。
1月も最後の日を迎えましたが、いつもいつも心暖まる「いいね」と気持ちの込められたコメントを頂戴しありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ところで、今朝の産経新聞の「『靖国』後、事なかれでは済まない」と題する記事によると、習政権は日本が第二次大戦後の秩序をいまだ受け入れず、軍国主義に戻りつつあるようだと、悪い国のイメージ化を図ろうとして世界各国に駐在する外交官を総動員し、安倍首相個人を批判する大キャンペーンを展開中であるとのこと。
韓国、ベトナム、マレーシア、アジア各国を始めマダガスカルやコンゴ、エチオピアなど地理的にも日本と殆ど関係のない国々の大使らもこの宣伝活動に参加しているようで、このような大々的な日本批判に対して、戸惑いをみせる欧米の外交官は少なくないようであり、北京に駐在するある欧州主要国の大使館員は「中国は、日本とも良い関係を維持したい私たちを無理やりトラブルに巻き込もうとしている」といぶかっているようである。
中国は、日本が中国の言い分や方針に従わないことに我慢出来ないようであるが、一時的な騒ぎだと思ってその勢いの去るのを待つ姿勢ではもう駄目なようだ。
戦争をするわけではないが、我が国もイランやパキスタン、北朝鮮戦略学び、他国から言われのない事や侮辱など国際間の紛争を未然に防ぐ役割として、核武装をする必要性の議論を行う時機到来かなと思わざるを得なかった。
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この論考に関して、まず申し上げたいのは「中国は、日本が中国の言い分や方針に従わないことに我慢出来ないようであるが、一時的な騒ぎだと思ってその勢いの去るのを待つ姿勢ではもう駄目なようだ」という部分です。
チャイナという国は、そもそも「中華思想」を根本に持つ国です。
「中華思想」というのは、ご存知の通り「チャイナが世界の中心である」という思想です。
世界の中心なのだから、それはチャイナ人にとってさぞかし立派な誇りなのだろうとみんな思っていますが、実は誤解です。
ほんとうは異常な体制がひき起こした異常思想とみるべきものなのです。
そして中華思想は、チャイナに古代から存在する一般的思想と思われがちですが、これまた違います。
古代や近世におけるチャイナ皇帝の存在の正統化のための歴史観(史記など)によって生まれた王朝正統観としての中華思想と、華夷秩序体制としての中華思想は、混同されがちだけれど、実はまったく別なものなのです。
途中で言葉が混同され、ねじ曲げられ、都合の良いように張り合わされて、あたかも昔からあったもののように偽装されています。
チャイナという国は、ご存知の通りとても国土の広い国です。
そこに一番多くいるのが漢族で、これが私たちが一般に「中国人」と呼ばれる人たちです。
この漢族がどういう人たちかといえば、ひらたくいえば、農耕を基礎として飯を食い、漢字文化圏をなしている人たちです。
漢字圏、農耕圏といっても、言語も多数にわかれ、統一的文化があるかというとこれまた疑問ですが、とりあえずここでは漢族と呼びます。
この漢族が自分たちでチャイナ王朝を築いたのは、実は紀元前202年から紀元前25年までの前漢の時代だけです。
前漢というのは、みなさまがご存知の「項羽と劉邦」の物語で、強者である項羽を、弱者である漢族の劉邦が艱難辛苦の上ようやく破って建国した国です。
国名の「漢」が示す通り、まさに漢族の建てた国です。
ところがその漢は、王莽(おうもう)によって国を奪われてしまいます。
そしてたいへんな内乱を経て、軍閥が割拠する後漢となりますが、その後漢も西暦220年には滅びてしまいます。
そして後漢が滅びた後に生まれた三国が、互いに覇を競った時代が、ご存知の三国志の時代です。
この後、チャイナにようやく統一王朝ができるのは、西暦589年の隋の時代です。
隋王朝以降、チャイナの王朝は、唐、宋、元、明、清と続いて近代に至っています。
問題は、この隋以降の王朝です。
いずれも、実は漢族の王朝ではないのです。
隋(ずい)は、鮮卑(せんぴ)系の遊牧騎馬民族が建てた王朝です。
そもそも隋という国号の文字は「祭りの肉の余り」という意味の漢字です。
いかにも肉食の遊牧民らしい国名です。
次の唐(とう)は、「大きな口」という意味の漢字です。
これまた鮮卑系です。
宋(そう)も皇帝は趙氏の一族で、これまた遊牧民族系と言われています。
次の元(げん)は、まさにモンゴルの遊牧民王朝です。
続く明(みん)は、漢族である安徽省の貧農の末子、朱元璋(しゅげんしょう、漢族)が建国した国ではあります。
けれどもこの時代、国の北は北元(モンゴル族)と後金(ツングース)によって征圧され、度重なる遊牧民族の侵入で常に国が危機状態に置かれていたわけで、これは統一チャイナ王朝と言い難いくらい、国土のほとんどを遊牧民族に奪われています。
そしてご存知清(しん)は、まさに女真族(満州族)が建国した王朝です。
つまりチャイナは、すくなくとも前漢以降約2000年の長きにわたって、ずっと外来王朝によって征圧され続けてきたエリアです。
そうした中にあって、外来王朝である皇帝一族や王朝の高官たちの漢族に対する対応は凄まじくて、まさにただの奴隷扱いです。
とりわけ元代においては、まさに漢族は、ただの奴隷もしくは食料としての肉という位置づけでしかありません。
そしてここが大事なのですが、隋から元までの王朝は、外来王朝であって、周辺国と征圧している漢族の扱いは、同じであったという点です。
外来王朝にとって、周辺の夷族も、近隣の漢族も、同じく等しく敵であり征圧の対象であったわけです。
明にはその征圧の力がなく、結果、周辺エリアを、ことごとく他部族たちに切り取られていったわけです。
ところがこれら古い王朝に対して、実に上手な統治を行ったのが、実は、清朝でした。
清朝は、もちろん女真族(満州族)王朝です。
その満州族が、漢族の侵略にたまりかねて、満洲を統一して漢族の住むエリアに殴り込みをかけて築いたのが清王朝です。
清朝も、一番上はもちろん皇帝ですが、その皇帝の一族および女真族を、民族の最上位に位置づけました。
そして一族が「敵地」の中に統治のために築いた北京の紫禁城の中には、一切の漢族の侵入を許さず、その城の中では、話す言語も満州語、書く文字も漢字ではなく満洲文字を用いました。
そして科挙に合格した漢族の英才の中のごく一部の英才のみに、女真語を使うことを認め、この者たちに皇帝の命令を漢族の言葉に翻訳させて、チャイナ全土を支配しました。
この時代の女真族による漢族差別ははなはだしくて、漢族が紫禁城内に一歩でも踏み込んだだけで、その者は捕らえられ、公衆の面前で陵遅刑と呼ばれる残酷な処刑がなされました。
この処刑は、男女とも素裸にして柱に縛り付け、生きたまま乳や二の腕や腿の肉を何日もかけて削いで行くという想像を絶する残酷なものです。
これをすると人間の体は出血を防ごうと胴体に血がまとまるのですが、そのために最後に胴体を突くと、体から血がビューっと派手に吹き出る。
だから、血の出るのを遅らせるという意味で、陵遅刑という名前が付いています。
このような残酷な処刑が、単に紫禁城に侵入した、というだけで漢族に科せられていたのです。
ただ、清朝の巧みなところは、チャイナに昔から伝わる朝貢の制度を用いて、外国からの使者には、三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)を強要したことです。
これは、清国皇帝の前に出た外国の朝貢使節や国王は、ことごとく清国皇帝の前で、床にうつぶせにはいつくばり、両手を前に伸ばした姿勢で、額を三回床に打ち据え、それを三回繰り返すという、たいへんに屈辱的なものです。
これをなぜ行なったかといえば、そこが清朝の上手なところで、周辺部族(諸国)を、つまり、漢族の下においたわけです。
実際には、女真族の下ということなのですが、序列として、
最上位 皇帝
上位族 女真族(満州族)
中位族 漢族
下位族 周辺諸民族
という体制をひいたわけです。
これが清朝的「華夷秩序体制」です。
このことは元の支配構造と比べると、非常に鮮明に違いが明らかになります。
元は、世界最強の軍事帝国として、蒙古族が世界の支配者として君臨するという体制を築きましたが、蒙古族以外の世界の諸部族は、漢族も含めて、ある意味すべて平等に下位という扱いでした。
つまり、下位という意味においては、漢族も、他の諸部族や王も、すべて平等な体制を築いたわけです。
ところが元ほどの軍事的実力を持たなかった清朝は、漢族を世界の諸部族よりも上位の存在と規定することで、漢族のプライドをくすぐり、政権と秩序の安定を図ったわけです。
このことは漢族の側からすると、「オラたちの上には、偉〜い皇帝様がいなさるが、世界の諸民族は国王も含めて、ぜ〜んぶオラたちの下に位置づけられるんだ」という秩序構造になります。
これは、戦後にGHQが、日本語のわかる朝鮮族を利用して、特権階級としての地位を与え、日本人に対する収奪を思いのままにさせたのと似た構造です。
これが清朝的華夷秩序体制であったわけです。
この華夷秩序体制は、世界は4つの階層によって成り立っていました。
一番上が、女真族(満州族)です。
二番目が、漢族です。
三番目が、朝貢国です。
これは、世界の諸国は清朝皇帝に朝貢することで当該国の国王として認可されるという昔ながらの様式に加えて、「漢族の下に位置した」という点が、清朝の特徴であったわけです。
この位置には、朝貢国として朝鮮やベトナム、チベット、ウイグルなど、周辺国の民族がいました。
そして四番目が、互市国(ごしこく)です。
この互市国というのは、チャイナ(女真族および漢族)と交易はするけれど、朝貢はしないという国です。
当時、この位置にいたのは、チャイナと国境を接する諸国の中では、日本とロシアだけです。
こうした清王朝の敷いた体制は、漢族の意識に大きな影響を与えました。
自分たちは皇帝の一族(女真族)の前では、まさに人としてさえも扱われない奴隷以下の虫けらですが、周辺夷族に対しては、自分たちははるかに上位にあるのだというアイデンティティ(共同体意識)が熟成されたわけです。
そして、自分たち漢族に対しては、女真族はありとあらゆる我儘や収奪や暴力が許されるのと同様に、自分たち漢族は、周辺諸民族に対しては、女真族が漢族に対してするのと同様にありとあらゆる我儘や収奪が許される、と考えるようになったわけです。
きわめて、卑屈な劣等意識が、民族的上下意識として熟成されたわけです。
清朝末期に、英国などの西欧列強が清王朝との交易を求めますが、清朝は、当然の如く彼ら西洋人に対して三跪九叩頭の礼を要求しました。
つまり朝貢交易を認める代わりに、臣下としての礼をとれ、とやったわけです。
英国もその他の西欧諸国も、当然のことながらこれを拒否しました。
あたりまえです。
皇帝の前で、四つん這いになって額を三回床に打ち据え、それを三回繰り返す(都合9回)なんて、お馬鹿な真似は、西洋人には、いくらそれが慣習なのだからといっても、納得できるものではありません。
ですから西欧諸国は、互市国(ごしこく)の位置に身を置いて清朝との交易をするのですが、これが清朝にしても、漢族にしても気に入らない。
とりわけ漢族にしてみれば、俺たちが上位階層のはずなのに、西洋人たちは臣下としての礼をとらないどころか、オラたちのまえで威張っている、というわけです。
そこで懲らしめてやれとばかり、阿片戦争や義和団事件などを起こして反抗するのですが、西欧諸国は武力が違う。歯がたたない。
民衆の反乱に、清朝もこっそり加担したりもするのだけれど、結果は同じ。力でねじ伏せられてしまう。
とりわけ西欧諸国に手を出すと、その報復は清朝の比ではなく、まさに皆殺しにされてしまうし、領土もぶんどられてしまうわけです。
これは恐怖です。
そういう時期に、漢族からみて最下層の互市国であった日本が、近代化を遂げ、日清戦争を起こしました。
日清戦争前の清朝や漢族にしてみれば、俺たちと同じ顔をした日本が、頭を下げて来ないどころか、怖い西洋諸国と一緒になって、オラたちに歯向かうのは許せねえ、という意識が働いています。
ですから、とりわけ日本に対しては、彼らは長崎事件を起こしたりして、日本に対して露骨な挑発行為を行っています。
しかしそれらの挑発行為は、彼らが日本と国家間戦争を起こそうという意図に基づくものではなくて、彼らにしてみれば、女真族に次いで偉いのはオラたち漢族だと思っていたのに、「西洋人たちは女真族でも漢族でもないのに」オラたちよりも威張っていて気に入らない。
その西洋人と一緒になって近代国家とか言って、西洋諸国の片割れになっている日本人は、もっと気に入らねえ、というきわめて感情的なものにすぎません。
さらにそこへもってきて、日頃から女真族に奴隷のようにこき使われているストレスがある。
女真族には逆らえない、西洋人には敵わない。
俺たち漢族が上で、日本人など最下位国のはずなのに生意気だ、そもそも俺たちは日本人より上位なのだから、日本人に対しては、女真族が俺たちにしていることをそのまましても当然だ、という歪んだ卑屈なストレスが、結果として侮日という行動に彼らを駆り立てたわけです。
そもそも「中華思想」は、チャイナ皇帝が世界の頂点に立つ世界皇帝という思想です。
あくまでもそれはチャイナ皇帝が世界の中心(これもどうかしていると思うけれど)という思想であって、漢族が世界の中心というわけではありません。
清朝は、この思想を利用し、漢族に他の緒族よりもやや優位な地位を偽装することで、国内統治を実現していただけのことで、これが「華夷秩序体制」なのですが、長年の間に、この秩序観が、漢族にとっても歴史的な秩序観、価値観となっていたわけです。
ですから、華夷秩序も、中華思想も、わたしたちの国、日本とは、国の基礎となる思考がまるで異なるもの(日本は対等観の国です)違うものだし、ヨーロッパ諸国やアメリカとも、まったく違う、きわめて卑屈で傲慢な思想であり価値観なのです。
この中華思想や華夷秩序を、まるごとぶち壊したのが日本です。
日本は日清戦争で勝利することで、朝鮮を独立させ、さらには他の冊封国の独立性までをも確保してしまいました。
冊封国たちは、晴れて中華の支配を離れて独立し、一時的に西欧諸国の傘下に入った国もあるけれど、それも短期間のことで、日本が続いて大東亜の戦いを果たすことで、結果として、かつての中華冊封国たちが、民族ごとの独立を手に入れ、中華冊封体制、華夷秩序から逃れていったのです。
ところが、漢族にしてみれば、これが気に入らない。
かつての清朝の版図は、俺たち漢族のものだと言い出したわけです。
これが中共政府です。
そもそも清朝の版図は、女真族の版図であり、であればかつての満州国の版図です。
ところが漢族は、その満州国さえも認めず、さらにはチベットやウイグルやトルキスタン、南モンゴルまでも、一方的に軍事侵攻し、さらにはベトナムへも攻撃を加え(これはベトナムの抵抗で潰えましたが)、さらには隙あらば日本もその傘下におさめ用としているわけです。
そして同じく華夷秩序にどっぷりと浸かっていた朝鮮族も、民族解放と民族独立が日本の血と努力によって実現されていながら、これに対する感謝の気持ちなどまったく持ち合わせずに、中華が親、朝鮮族が兄、日本は弟であり、弟は兄の言うことを聞かなければならないなどと、見当違いな発想をしています。
これらは、彼らにとっては(彼らを民族と呼ぶならばですが)、彼らにとっっての民族のアイデンティティです。
彼らの世界観や秩序観は、実は、法や制度以前の価値観であり秩序観なのです。
社長や部長は、会社の権限規程による取決め以前の問題として、平社員よりも上、課長や係長や主任さんたちよりも上の人であり、部下に命令できる地位にあるものだと、誰もが思っていますが、これが価値観、秩序観です。
別に法律で、社長が上位と決まっているわけではありません。
そういうもの、という共通の秩序観が先にあるわけです。
同様に、チャイナも朝鮮も、歪んだ中華思想、華夷秩序という価値観、秩序観で、日本は下位の国と思い込んでいるわけです。
そしてこのことは、チャイナ人や朝鮮人にとっては、ほぼ絶対的といっても良い価値観・秩序観です。
米国や欧州もその恐ろしさにいまだ気付いていないようですが、中華思想、華夷秩序の上からは、日本のみならず、本来ならば米国も、西欧諸国も、すべて現代版チャイナ皇帝である中共政府や朝鮮王に対して、三跪九叩頭の礼をとり、朝貢をし、大統領の地位も、彼らによって任じてもらわなければならないものだという価値観・秩序観だからです。
問題はここからです。
こうした、一度は日本が叩き壊したはずの中華思想、華夷秩序が、ここにきてまた復活の兆しを見せている理由は、叩き壊した日本にその理由と責任があります。
どういうことかというと、中華思想や華夷秩序を叩き壊した頃の日本、つまりそれは戦前の日本ですが、日本は世界を代表する強国だったのです。
戦前の日本は、華夷秩序という無礼な収奪秩序をぶっ壊し、西欧列強による植民地支配という、人が人を民族や国家ごと奴隷として支配するという非道までもぶっ壊しました。
それだけの実力が日本にはあったし、同時にそれは世界の諸民族、虐げられた多くの民衆が本当に求めるものでもあったののです。
これは当時、市民権さえも与えられず、ただの売買の対象物、ただの動産とされ、殴っても斬りつけても痛みさえも感じることがないと本気で信じられていた米国黒人たちも同じです。
「俺たちだって人間なんだ」
このことは、わたしたち日本人にしてみれば、人種や民族にかかわらず、人間は人間です。
古来すべての日本人は天皇によって「おおみたから」の地位、天皇の民としての地位を与えられてきたわけですから、日本人にとっては、それはごくあたりまえの常識でしかありません。
けれど、これもまた、ひとつの思想なのです。
世界では、ごくひとにぎりの支配層以外は、人間はただの動産であって、人として認識されなかったからです。
そういう人が人を一方的にモノとして支配するという何百年も続いた支配体制、秩序体制を、日本は企図した企図していないに関わらず、結果としてまさに「ぶっ壊し」ました。
世界中で、支配されていた多くの民衆と国家を、まるごと解放したわけです。
どうして日本にそんなことができたのかといえば、日本には、天皇の御存在と武士道があったからです。
そして経済的にはともかく、軍事的、国際社会的に、戦前の日本は、超大国でもあったからです。
すくなくとも軍事的には日本と戦って勝てた国は、米国だけです。
他は全部日本に負けています。
英国もフランスも、ドイツも第一次大戦で日本に負けています。
ところがその超大国であった日本が、第二次世界大戦末期に設立された新たな国連秩序の中においては、最下層の敵国と看做されるようになりました。
日本は、軍事力を奪われ、日本人自身が日本を否定するように仕向けられ、国連(これは英語で書いたら第二次世界大戦の連合国と同じ「United Nations」です。日本語訳では国連と連合国は別々な漢字が当てられていますが、概念はまったく同じものです)において、悪の枢軸国であり敵国とされ、最下層国とされています。
よく、日本が国連に莫大な献金を行っているから、日本の地位はもっとあがってしかるべきだという人がいますが、これはあまりにも、浅い戦後的日本人のご都合主義的思考です。
これは、国連憲章に、敵国条項があるなしの問題ではありません。そもそも論です。
国連の存在そのものが、善の国と悪の国を明確に区別し、悪の国を押さえつけるために、各国が連合しようという思想から、第二次世界大戦中に生まれた組織なのです。
そして国連によって、いまだに悪の国、敵国、恐怖の魔敵とされているのが、日本、ドイツ、フィンランド、ハンガリー、ルーマニアの6カ国です。
なかでも日本は、悪の中でも最悪玉という扱いです。
国連において、いまの日本は、捕らえられた悪魔です。
悪魔はいくらいくらかつての悪行を反省し、天使に献金を捧げたとしても、悪魔は悪魔です。
ですから、剣を持った天使の集まりである国連は、日本に対してなら、不審な点が見られたというだけで、いつでも日本に軍事的刃を向け、攻撃することができるし、たとえどれだけ日本の悪口雑言を述べ立てようが、日本がこれに抵抗する姿勢をみせただけで、国連加盟国は、どの国であれ、一方的に軍を組織して日本を火の海にできるという、これまた「きまり」です。
それが、国連の実像なのです。
日本の国連への毎年の負担金は、米国に次いで、世界第二位です。
米国が年間6兆円、日本が2兆5千億円、チャイナは日本の半分もありません。
しかし、どれだけ献金したとしても、それは悪魔がこれまでに行った非道に対して、当然の報いでしかなく、誰もそのようなものに感謝などする必要がない。なぜなら日本は悪魔だからというのが善悪論に基づく国連的価値観であるわけです。
ですから、国連で、北朝鮮や韓国や中共が、どれだけ日本を口汚く非難しても、それに対して、異を唱える国はありません。
なぜなら、異を唱えれば、その国は、北朝鮮や韓国や中共のみならず、国連全加盟国と戦争をも決意しなければならなくなるからです。
世の中、甘くないのです。
私はここで国連を否定しているわけではありません。
世界政府としての国連の機能と役割は、今後ますます重要なものとなっていくと思うし、日本はその中で一定の地位を占めるべきであろうと思っています。
ただ、現実には、いまの日本の国連における地位は、たとえどれだけお金を積み上げたとしても、悪魔でしかないという、これもまた事実なのです。
そしてさらにこの事態を複雑にしているのが、中共の存在です。
もともと、国連を組織した連合国というのは、米、英、ソ、仏の四カ国に、中華民国を加えた五カ国だったのです。
中華民国というのは、蒋介石が率いたチャイナ国民党政権です。いまは台湾にある亡命政権です。
この国民党政府は、第二次世界大戦中から、すくなくとも昭和46年(1971)までは、チャイナを代表する中華民国政府として、国連の代表権と安全保障理事国としてのポジションにありました。
けれどもご承知おきのとおり、国民党はチャイナ共産党との内戦に破れ、すくなくとも昭和24年(1924)の時点では、チャイナ本土から完全に追われ、当時連合国の一員として占領統治していた台湾に「亡命政権」となって逃れていました。
つまり国家の実体がなかったわけです。
これはいまも同じです。
ですから台湾には、正当な政府機関がありません。
このため、日本もアメリカも欧米諸国も、台湾を正式な国とさえみていません。
国連においても、あの北朝鮮ですら国とみなされているのに、台湾は、国とさえみなされていないというのが、実は現実です。
一方、チャイナ大陸を征圧した中共政府は、巧妙に立ち回って、それまで中華民国(国民党政府)が担っていた国連における地位を、昭和46年(1971)10月の国際連合総会で上手に簒奪しました。
このとき国連は、中華人民共和国を中国の唯一の正統な政府とし、「蒋介石の代表(中華民国)」を追放するとした2758号決議が採択したのです。
これによって中華民国政府は国連と国連機関から脱退しました。
そしてこれに代わって、中華人民共和国が、安全保障理事会の常任理事国をも含む国連での地位を獲得したわけです。
実に巧妙です。
ちなみに台湾にある中華民国政権は、「中国」としてではなく、「台湾」として国連に加盟しようと努力しているけれど、まったく無視され続けています。
現在台湾の国民党政権を、台湾政府として認めているのは、バチカンやパナマ,ドミニカ共和国など、中小の23カ国だけです。
日本国政府も、現在は台湾の国民党政権を国家として認めていません。
認められないのです。
台湾に対して国民党中華民国は、あくまでも一時的な占領軍であって、連合軍(国連)によって、正当に領土の割譲を受けた政府ではないからです。
一方、中共政府は、実際には、チャイナ事変から大東亜戦争にかけて、日本と一矢も交えていないにも関わらず、要領よく立ち回って中華民国国民党政権の座を奪い取り、なんと国連五大国の一員として、安全保障理事国の地位まで奪い取りました。
そしてこの安全保障理事国というのは、歴史や伝統、事実関係の正邪等の一切を無視して、「危険を感じた」と思っただけで、敵国に対して武力行使ができるという地位を持ちます。
つまり、中共は、実は日本に靖国がどうとか難癖をつけるだけでなく、国連憲章上は、日本に対して、かつてチベットやウイグルにしたように、一方的に軍事侵攻できる権限を持っているのです。
ここが非常に大切なところです。
国連は、安全保障理事国の五大国と、それ以外の参加国、敵国という三階層によって構成された組織です。
五大国も、それ以外の参加国も、世界のいずれかの地で何か軍事的な問題が起きたときは、他の諸国に声をかけて、仮想的に国連軍を編成して、軍事力を行使することができます(例:イラク戦争)。
ところが「敵国」と国連非加盟国に対しては、他の諸国に声をかける必要もなく、勝手に当該国に軍事侵攻して構わないし、むしろ他の諸国はその軍事侵攻に連合国として味方しなければならないことになっているのです。
このことは、国連と国連憲章が、第二次世界大戦の最中に、連合国軍として組成されたものであることを考えれば、すぐにご理解いただけようかと思います。
そもそも国連とは、敵国と戦うために組成された連合軍機構がその大元になっています。
ですからチベットやウイグルは、国連加盟国ではありませんから、中共は五大国の特権として、勝手に軍事侵攻しましたし、そしてそこでいかに非道なことを行ったとしても、それは現在の国連秩序上からは、すべて「正当な行為」となります。
同様に、中共が日本に刃を向けたとしても、たとえば尖閣を勝手に領有したとしても、それは国連にとっての「敵国」からの侵略に備えた行為として、これまた国連憲章上は、正当化されてしまうわけです。
(もっとも日中平和条約がありますので、中共の尖閣は正当化し得ないというのが、日本の立場ですが。)
こうした国連秩序を、さらに厄介にしているのが、チャイナにおける華夷秩序思想の復活です。
もともと「日帝がチャイナ皇帝の前で三跪九叩頭の礼をとらないのは怪しからん」と思っているところに、日本を敵国とする国連秩序が加わったわけです。
物事を上下関係だけでしか把握できない彼らにとって、これほど好都合なことはない。
歴史的な筋道から言えば、いまの中共政府をなしている漢族そのものが、彼らの上位にいた女真族(満州族)や、その皇帝を滅ぼしている、つまり彼ら自身が華夷秩序を否定しているのです。
国連にしても、彼らが大戦中に連合国として戦った事実はまったくありません。
全部デタラメ、全部見栄とハッタリです。
けれどいくら歴史的経緯に彼らに正当性がなくても、現実は、彼らは五大国、国連安全保障理事国です。
その五大国、安全保障理事国という地位と、敵国という地位には、まさに天と地との開きがあります。
どういうことかというと、安全保障理事国が敵国にミサイルを撃ち込んでも、世界はそれに味方しますが、逆に敵国が安全保障理事国にミサイルを打ち込んだら、世界を敵にまわして戦争せざるを得なくなるのです。
それが悲しいかな、いまの国連秩序です。
けれども、それで良いのでしょうか。
いまは第二次世界大戦の時代ではありません。
また、平和をのぞむ仏教国チベットが、一方的に人口の4分の1を虐殺されるような非道が、許されていて良いはずもありません。
はっきりいって、中共の覇権主義は世界の迷惑ですし、韓国の侮日も、悪意だけを世界に広げようとする、これまた世界中の誰がどうみても、悪魔の所業でしかありません。
こうしたことを、正常化する、きちんとする。
そういう責任が、日本にも、アメリカにも、またイギリスやフランスなどにも、いま、明確に課せられていると思います。
そしてその解決のためには、日本は軍事力の復活だけでなく、本格的な日本としての情報の発進力、世界を巻き込んで、新しい世界秩序を、みんなのために打ち立てるだけの強い情報発信力が、これからますます日本には求められてくると思います。
そしてそのためには、日本そのものの立て直しも不可欠です。
これについては、また稿をあらためて書きたいと思います。
(参考記事)
南シナ海はどこの国の海?
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2143.html
小山常実先生「日本史検定講座・講義」

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