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■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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新年をお迎えになった陛下ご一家
(平成26年1月1日)
新年をお迎えになった陛下ご一家

1月2日のこのブログで、今上陛下の年頭のご感想と、新春の賀歌5首を、その意味とともにご紹介させていただきました。
宮内庁では、天皇皇后両陛下のお歌を毎年掲載していますが、特に今年は陛下の御製をともに掲載しています。
1月2日のこのブログで、今上陛下の年頭のご感想と、新春の賀歌5首を、その意味とともにご紹介させていただきました。
本来、陛下の御製は、我が国においてはもっとも尊重されるべきお歌です。しかもそれが今年一年の年頭の御製ともなれば、全メディアがその歌の意味を、国民に伝える、もしくはその伝える手がかりを報道すべきものです。
にも関わらず、まったくそれがなされていないのは、異常なことです。
そこで、本日、あらためて陛下の年頭の御製を掲載します。
陛下の御製の意味の解説など、私のような市井の者が行うべきことではないことは重々承知しています。
しかし、誰もしないなら、誰かがしなきゃならない大切なことだと思うのです。
なので、身の程をわきまえていないというお叱りを覚悟の上で、あらためて述べてみたいと思います。
解説は、1月2日の当ブログ記事よりも、すこし深くしています。
ただし、大御心の深さは、私などが解説を加えることができないほど、深いものと拝します。
ですので、以下の解説は、あくまでもみなさまが陛下が年頭の御製として発表された御歌を解釈する手がかりとしてお読みいただければと思います。


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古来、わが国では、天皇は政治権力者として政治を行う存在ではなく、政治を行う者に親任を与える権威としてのお立場とされてきました。
ですから天皇となられた方が、直接政治に携わるためには、たとえば上皇となって院政を行う等の工夫があえて行われていたわけです。
ちなみに、皇帝(Emperor)というのは、王(King)の上に立つものという意味です。
「皇帝」の文字は、支那に秦の始皇帝が登場したとき、秦王「政(せい)」が、俺は諸国の王よりも偉いんだと自称して、自分で付けた名前です。
「皇帝」という称号が登場して以来、「王」という称号は、皇帝よりも下位の称号になりました。
最高君主が皇帝であり、王はその下というわけです。
支那でも西洋でも、王権や皇帝の権力は、天の神によって委ねられたものと解されています。
神の命、つまり天命によって王や皇帝となったということで、その地位が正当化されるわけです。
支那古代にあった隋王朝は、天命によって「楊」氏が最高権力者となりました。
その王朝が乱れ、唐が建国されて、皇帝は「李」氏へと姓が代わりました。
これが、天命が改(革)まって支配者の姓が代わる(易わる)ということで、易姓革命です。
その唐では、皇帝の下に国政の発案機関である中書省、国政を審議する門下省、国政の執行機関としての尚書省が置かれていました。そしてこの3つを統括するのが皇帝でした。
つまり、皇帝は国政の最高権力のすべての決定権を握っていたわけです。
ところが日本では、大化の改新の際に、わが国の伝統に従って、天皇の下に「太政官」が置かれました。
この太政官は、支那における中書省、門下省、尚書省の機能を、全部まとめた役所です。
つまり、太政官は、支那の皇帝が持つ権力を全部持っているわが国の最高政治権力機構となったわけです。
これは、支那で言ったら、皇帝の権力そのものです。
ところが日本では、太政官と並ぶ役所として朝廷の祭儀や各地の神社の管理をつかさどる「神祇官(じんぎかん)」という役所をつくり、この2つの上に、天皇の存在を置きました。
これが何を意味しているかというと、日本の天皇は中国のような「専制独裁権力者の位置にいない」ということです。
専制独裁君主の位置には、太政官という役所があるのです。
国政は、そこできりもりされます。
つまり、日本式にいえば、支那皇帝は、日本の太政官の地位でしかないわけです。
そしてさらに神祇官があって、これが太政官より上位にあります。
そしてその上に、天皇がおいでになります。
つまりわが国における天皇の存在は、政治権力者ではなく、それよりもはるか上位におわして、政治権力に正当性を与える神聖な「権威」です。
これを支那と対比すると、天皇は、支那でいうなら皇帝に天命を発する神の地位におわすわけです。
この天命を下す神の位置に、人の身である天皇がおわす、ということが、実に大事なことです。
西欧においても支那においても、皇帝や国王は、天命、つまり神の命令によってその地位が正当化されますが、神は言葉を発しません。
ですから、神の御意思なるものも、神の代理人である皇帝や国王が勝手に解釈し、捏造し、変造し、その権力を用いて勝手し放題をして利権をほしいままにし、大量の民衆を虐殺したとしても、それさえも神の御意思だと、とぼけていることができてしまうのです。
ところが、その神の位置に、天皇という存在がおわすと、だいぶ様子が異なってきます。
民は、天皇の民なのです。
その民の暮らしが酷い状態なったり、権力者がその権力を乱用してデタラメな政治を行えば、それは当然にわが国最高の存在である天皇のお耳に達します。
そして権力者は、その責任を問われることになってしまうのです。
天皇は、政治権力者ではありません(政治権力を揮うのは昔なら太政大臣、いまなら国会や内閣です)から、直接政治に関わることはされません。
ただし、そのときどきの天皇の御心は、歌にして発表されていました。
ですから、天皇の詠まれた歌だけは「御製」と呼ばれています。
その「御製」が、今年は宮内庁始まって以来、はじめて新年の御製として、昨年陛下が詠まれた御製の中から、特に5首、今年の元旦に宮内庁のHPで公開されたわけです。
この御製についての解説は、1月2日の当ブログの記事でご紹介しました。
本来なら、こうした陛下の御製については、全メディアが採り上げ、国民に向けて陛下の御心をきちんと説明、解説すべき事柄です。
評論家などは、まさにそのためにある存在ではないかと思います。
ところが、不思議なことに、現行憲法でさえ、その第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と明記されているにもかかわらず、陛下の年頭の御製について、これを最低限、きちんと報道するという、あたりまえのことさえも、まったく行われていません。
これは実におかしなことです。
陛下は、わが国最高の権威でおわすのです。
その陛下の御心をきちんと受け止め、施政に活かすというのは、古来、日本ではあたりまえの常識でもあるのです。
なぜなら、それが日本の歴史であり、伝統であり、文化の根幹だからです。
陛下の御製について、私などのような一介の市井の者が、その解説をするのは畏れ多いことです。
けれど、誰もしないから放置して良いというものでもありません。
一度書いたものを、また、ここで改めて書くことは、しつこいようではありますが、どうしても、これは書かずにはいれないことと思いますので、改めて書かせていただきたいと思います。
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【年頭にあたっての御製五首】(平成二十五年)
 あんずの里
赤き萼の反りつつ咲ける
白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ
 大山ロイヤルホテルにて
大山を果たてに望む窓近く
体かはしつついはつばめ飛ぶ
 水俣を訪れて
患ひの元知れずして病みをりし
人らの苦しみいかばかりなりし
 皇居にて二首
年毎に東京の空暖かく
紅葉赤く暮れに残れり
被災地の冬の暮らしはいかならむ
陽の暖かき東京にゐて

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1 赤き萼の反りつつ咲ける
  白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ

この最初の御製は、とても不思議な御歌です。
なぜなら、アンズの花は白くないからです。
アンズの花は、ピンク色です。
そのピンクの花を、あえて「白き花」と詠まれているわけです。
ということは、そこに注目してもらいたいということです。
この「白き花」は、アンズの真っ赤な萼(がく)と対比されています。
アンズの花の萼(がく)は、緋色、つまり真っ赤です。
そして花の萼というものは、円形です。
つまり、「赤き萼」は、日の丸を暗示します。
そして萼のまわりを彩るのが「白き花」です。
つまり「赤き萼」と「白き花」は、日章旗を意味すると拝せられます。
日章旗は、日本そのものを意味します。
「妹と歩みぬ」の「妹」は、古来妻のことを意味しますから、これは皇后陛下のことを指しておいでです。
つまり陛下は、日章旗=国を愛しつつ、皇后陛下とともに歩んで来られたと詠まれているわけです。
問題は、この歌のテーマです。
テーマが「あんずの里」で、歌の中にも「あんず愛でつつ」とあります。
ということは、アンズに何やらメッセージがありそうです。
そのアンズですが、アンズはヒマラヤが原産です。
もともとは梅と同じ品種です。
梅が象徴するのは、支那です。
梅は支那の国花だからです。
一方、いま日本にあるアンズは、支那産のアンズから別れ、日本独自に発達したアンズです。
もはや別品種と言っても良いくらい、その様相は異なっています。
つまりアンズは、支那文明から決別し、わが国独自に発展した日本文化を象徴しています。
そしてお題は「あんずの里」です。
アンズが日本文明のことを指すなら、「あんずの里」は、日本文明の里です。
「里」は家であり、家族をあらわします。
つまり「あんずの里」は、日本文明における日本的家族、すなわち家族国家日本を意味します。
そしてその「あんずの里」、つまり日本という家族国家において、陛下は、白地に赤丸、すなわち日の丸(=日本そのもの)と、アンズに象徴される日本文明を、皇后陛下とともに愛し、愛で、歩んで来られてきた、そのように仰せと拝します。
つまり陛下は、わたしたち日本人に、自分個人を愛するばかりではなく、国という共同体の一員として、国家そのものを愛する気持ちを思い出しなさい、とおっしゃられていると拝します。
二首目の御製は、「大山ロイヤルホテルにて」と題されて、次のようにお詠みです。
2 大山を果たてに望む窓近く
  体かはしつついはつばめ飛ぶ

大山をはるかに望む窓の近くで、体をかわしつつ「イワツバメ」が飛んでいるとお詠みになられています。
大山は、おおきく険しい山です。
「イワツバメ」というのは、ツバメよりもひとまわり小さな鳥で、春になると日本に飛来する渡り鳥です。
ですから「イワツバメ」は、ひとつには春が来たことを象徴します。
ただ、はるかにそびえる大山を背景に、からだをかわしつつ飛んでいる「イワツバメ」は、何を象徴しているのでしょうか。
そしてどうして、ただのツバメではなく、「イワツバメ」なのでしょうか。
他のツバメとイワツバメの最大の違いは、もちろん体の大きさもありますが、それ以上に目立つ特徴が、イワツバメは集団で巣をつくる、という点です。
イワツバメは、単に夫婦で巣を作るのではなくて、いわばマンション住まいのようなもので、多数の夫婦が一カ所に集中して巣をつくり、そこで子を産み育てます。
つまり「イワツバメ」が象徴しているのは、核家族ではなくて、その集合体もしくは各家族の共同体であろうと拝します。
多数の家族が巣を作り、集団で共同体生活を営む。
そして、ある意味密集して生活していながら、イワツバメ同士は、体をかわしつつ飛び、互いにぶつかることがない。
つまり、互いに対立したり闘争したり争ったりするのではなく、お互いがお互いに気を遣いながらも、仲良く共同体を営む姿が、この御製に描かれていると拝します。
ということは、この御製が象徴しているのは、日本という国の家族と、その共同体としての日本の姿そのものといえようかと思います。
陛下の御製の三首めは「水俣を訪れて」です。
3 患ひの元知れずして病みをりし
  人らの苦しみいかばかりなりし

水俣で、患いといえば、この御製が指し示しているのは、水俣病のことであろうと拝せられます。
ところが、考えてみると、水俣病というのは、いまから半世紀も前の事件です。
なぜ、いまさら水俣病なのでしょうか。
水俣病事件は、いわゆる「公害問題」の先駆けです。
ですからひとつには、一度、こうした問題が起こると、その被災者は、その後何十年もずっと苦しみ続ける。
民の苦しみを取り除くのが施政というものなら、その施政は、たとえ何十年経とうが、何百年経とうが、民の苦しみを我が苦しみとして、それに対してキチンとした対応をしていかなければならいし、それを教訓として、二度と同じことが起きないようにしていかなければならない。
報道や事件が、まるで一過性の出来事のように、次々と風化させられてしまう昨今において、今だけでなく、過去も、現在も未来も、全部がずっと続いているのだということを、陛下はあえて水俣病を取り上げることで、御製にお示しになられているのではないかと思います。
また、これは私の考え過ぎかもしれませんが、水俣病といえば公害汚染問題の走りです。
そしていま、公害が深刻な事態をひき起こしているのが、隣国の大気汚染です。
陛下が呼びかけられている「警戒」は、果たして大気汚染のことだけなのでしょうか。
もしかすると、陛下は、隣国という汚染への警戒を、この御製に込められているのかもしれません。
四首めと五首めの御製は「皇居にて」です。
4 年毎に東京の空暖かく
  紅葉赤く暮れに残れり
5 被災地の冬の暮らしはいかならむ
  陽の暖かき東京にゐて

はじめの御製は「年毎に東京の空暖かく紅葉赤く暮れに残れり」です。
この御製の不思議なことは、新年の祝賀のお歌に、あえて「紅葉」を持って来られていることです。
もちろん御製そのものは、昨年一年間の間に陛下がお詠みになられた御製の中から選択されているわけですから、紅葉があってもおかしくはないのですが、それが何故、お正月の年頭の賀歌なのか、ということです。
「年毎に東京の空暖かく」は、わかりやすいです。
今年のお正月三が日も、まるで春かと思えるほどに暖かくうららかでした。
ただ、そこにあえて「紅葉」を持って来られたということは、昨年の秋以降に、何か東京で「陽の暖かき」をイメージする慶事を述べられているようにお見受けできます。
慶事の場所が東京であることは明確です。
秋以降に東京に関連してあった慶事としては、ひとつは東京オリンピック開催決定、ふたつめは歳末の安倍総理の靖国参拝です。
そのいずれを詠まれた御製かはわかりませんが、私はおそらくは総理の靖国参拝を、陛下がお喜びになられての御製だろうと思っています。
そして最後の御製が「被災地の冬の暮らしはいかならむ陽の暖かき東京にゐて」です。
皇居におわして、被災地をご心配なさるというこの御製は、実は、「暖かなところにいても、被災地にいても、等しく同じ日本人として、互いに協力し、日本国民があらためてひとつにまとまって国を築いていきなさい」というメッセージであろうと拝します。
さて、もったいなくも身のほどもわきまえず、勝手な評釈をしてしまいました。
しかし、歌というのは五七五七七という短い語の中に、かならず深い意味が込められるものです。
わたくしごときが僭越ではありますが、国民として、その意味をちゃんと解する努力をすることは、私は必要なことだと思います。
そしてそういうことが、ちゃんと背景も含めて、きちんと国営放送局を経由して、国民にちゃんと伝わること。
すくなくとも、陛下の年頭のご感想も5つの御製も、まるでメディアから「なかったこと」にされてしまうという、いまのわが国の現状は、これは、ご不敬であり、絶対に放置できない由々しき問題であると思います。
さて、歌の解釈というのは、受けてによって様々なものです。
しかし、五七五七七という短い文で、古来、私たちの国では、数多くのメッセージを聞き手に伝えてきました。
そこから、何を受け止めるかは、それぞれのことだと思います。
ただ、陛下の年頭の御製を、無にすることだけは、あってはならないことと思いますが、みなさまはいかがでしょうか。
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