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フランス革命0105

最近気になるのは、やはり個人主義の蔓延というか、たとえば会社勤めや町会、あるいはなんらかの団体や教室等においても、「まず個があり、その個が全体と対峙する」といったような思考が蔓延しているという世相、傾向です。
ですから、ある程度お歳を召された方と、最近の若い方では、世代間のギャップという以上に、日本人としての思考というか、考え方が根本的に違うように感じたりすることがあります。
こうしたお若い方の考え方は、おそらくは戦後日本に植え込まれた個人主義に由来するように思います。
幼いころからの刷り込みで、「国は悪いことをする。だから主権を持った個人が国を批判し評価し監督するのだ」という思考が根っこにあるわけです。
同じことは会社勤めにもあります。
「国」が「会社」に置き換わるわけです。
「会社は悪いことをするから、俺たちが会社や上司を批判し評価し監督するのだ」という、なんだか怪しげな気持ちが生まれるわけです。


仕事が進めばそれで良いと思われる方もおいでかもしれません。
ただたいせつなことは、人でも組織でも「いいときは、いい」のです。
問題は、そうした人や組織に何らかのストレスが加わったときにどうなるか、です。
端的な例が震災です。
世界中どこの都市でも震災で街の機能が麻痺すると、そこで略奪や暴動が起こります。
日本では、それがありません。
いざというときに、その国の民度が現れるわけです。
人間関係や組織においても同じです。
いいときは、誰だってニコニコしていて「良い人」だし、「良い社員」です。
けれど、そこになんらかのストレスが加わったとき、その人や組織の本性が現れます。
本性というのは、その人の根っこにあるものです。
そこが「個人主義」だと、「自分さえ良ければ」という思考や行動が起こります。
「個人主義」というのは、各自が「自分さえ良ければ」の集合体です。
集団よりも個が優先されます。
ですから個と個は、対立的です。
対立的ということは、各個が闘争的です。
闘争ですから、支配的、高圧的です。
「対立と闘争」といえば、昨今ではなにやら共産主義や左翼思想のお家芸のようなイメージになっています。
けれども実は、18世紀にはじまる「民主主義」や「国民国家」という概念も、根幹は「個人主義」です。
ですから、「対立と闘争」がその根本です。
近代国家の成立は、18世紀のフランス革命に始まります。
フランス革命では、パリ市民がブルボン王朝の支配を拒否し、市民と呼ばれる個が決起してルイ16世やマリーアントワネットで有名な王朝を滅ぼしました。
それまでのフランス王国は、王様の私物だったわけです。
王は領主であり、領土も領民も、全部、フランス王の「私有財産」です。
王個人が莫大な財産を持っているわけです。
よく誤解があるのですが、べルサイユ宮殿は、ルイ王朝という君民国家の財産ではありません。
王様の個人的財産です。
ルイ16世の妻であるマリーアントワネットが所持する数々の財宝も、これまた王様個人の私有物です。
王個人が、すべての財産を所持し、領土領民を支配する。それが西洋における王朝です。
ちなみに、いまでも、こうした王権とまったく同じ、あるいは酷似した体制を敷いている組織があります。
それが日本にある大手新興宗教団体です。
宗教法人とは名ばかりで、教組様個人が信者から集めた莫大な資産を保持しています。
ほんとかどうか知りませんが、一説によればそれは100兆円を上回る資産なのだそうです。
青年時代は貧乏な暮らしをしていたものが、いまでは、個人でそれだけの財を築いたのですから、それはそれで立派なものですが、結果からみれば人々の幸せ現世安穏とか言いながら、自己の蓄財を図っただけのことということです。
こうした個人が、法のない社会で、信者のいる地域を「領土」と呼べば、それが中世的王権国家です。
パリの民衆が飢えているのに、王は贅沢三昧している。
これに怒ったパリの民衆が蜂起して、革命を起こしたのがフランス革命です。
革命によって、王の財産を奪ったパリ市民たちは、王の財産をパリ市民で分けようとしました。
ところがそうなると、フランスのパリ以外の地方に住んでいる人たちは怒ります。
「俺たちだってフランス人なのに、パリ市民だけで王の莫大な財産を分けるというのは怪しからん。俺たちの取り分だってあるはずだ」からです。
それで地方が決起したのが、ナポレオンです。
地方にも分け前をよこせと決起したわけです。
ですからタテマエは、「フランスは一体だ」です。
それで仲間を集めてパリに攻め込んで、フランスの支配者となりました。
ところがフランスの周辺諸国は、相変わらず王権国家です。
フランスだけが市民革命を実現しています。
周辺の王国にとって、市民革命政府は脅威です。つまり敵です。
ですからナポレオンは、一方的に自分は王(King)の上に立つから皇帝(Emperor)だと称して、周辺国を攻めて支配下に置きました。
このときのナポレオンの軍が、異常に強かったのです。
なぜならナポレオンは、フランスを守ろう、フランスのために戦おうといって、周辺国と戦ったからです。
それまでの王様というのは、個人の支配者ですから、兵も王の私物です。
そして兵は、王に給料をもらって雇われているだけの存在です。
簡単にいえば、王のサラリーマンです。
サラリーマンですから、死にたくない。
ですからちょっと戦って、負ければ、すぐに戦いを終わらせて、降参してしまいます。
ところがナポレオンの軍隊は、俺たちの故郷を守ろうと、ひとり一人が立ち上がってできた軍隊です。
どこまでも戦うし、いつまでも戦う。だから強いのです。
ですからナポレオンは、またたく間に周辺国を平らげてしまいました。
そこで周辺国の王様たちは、「こりゃかなわん。なんとかせねば」と考えて、憲法をつくって王も国民も、法のもとに平等だから、法のもとに団結しよう、と領民にはたらきかけました。
こうして生まれたのが「法治主義」であり、「国民国家」です。
同時期に、アメリカでも独立戦争が起きました。
当時のアメリカは、英国王個人の私有物です。
アメリカの移民たちにしてみれば、せっかく大枚をはたいてアメリカに移民してきたのに、働いて得たお金は、みんな英国王が持って行ってしまう。
これじゃおもしろくないからと決起して、英国と戦争して独立を果たしました。
けれど、独立したはいいのですが、領主がいません。
そこで憲法を作って、その下にみんなが平等だというタテマエにしました。
それでできたのがアメリカ合衆国憲法です。
ですから世界初の近代憲法は、なんと新興国アメリカの憲法です。
要するに、フランスにしても、アメリカにしても、18世紀に王権に対して「国民」が対立と闘争によって革命をし、戦いに勝つために誕生したのが「国民国家」という概念です。
「民族」も、「国家」も、西欧においては、その概念は大昔からあったわけではないのです。
「国家は王のものではなくて、国民のもの」というのが、「国民国家」のタテマエです。
そのためには「王」に対する「国民」という概念が必要です。「国民=個人」です。
そこで「国民国家」と一対の概念として生まれたのが「個人主義」です。
つまり「国民国家」と「個人主義」は、セット商品です。
「国民国家」も「個人主義」も、その基礎にあるのは「対立と闘争」です。
戦って勝ち得たものなのです。当然といえば当然です。
けれど、このことは、同時に始めから大きな矛盾をはらみました。
なぜなら、国民国家において、個人は平等と規定されます。
けれど人の社会には、かならず秩序が必要です。
秩序は、必ず上下関係を伴います。
上下関係は平等な関係ではありませんから、個人は常に上下との対立関係になって、際限なく闘争をし続けることになります。
アメリカではいまでも、親子間であっても、ひとりひとりはバラバラに権利を持った平等な個人と看做(みな)されます。
ですから親といえども、子は他人です。夫婦でも、夫と妻は他人というのがタテマエです。
このことは徹底していて、子供がどこで何をしていようが、親は感知せずというのが、米国社会のタテマエです。
でも、実際には親は子が心配なものだし、誰しも子の幸せを願います。
そこに思想と現実のギャップがあるわけです。
こうした思想と現実のギャップというのは、だいたい200年くらいたつと、その落差が国家を崩壊させはじめます。
250年目くらいたつと、その国はなくなったりしてきたのが世界史です。
ですから対立と闘争を基にする「国民国家」も「個人主義」も、そろそろ限界にきつつある状況になっているといえるのかもしれません。
ちなみにこの「国民国家」や「個人主義」の根幹にあたる「対立と闘争」の概念を、さらに押し進めたのが19世紀のマルクス主義です。
こちらの方はもっと極端で、すなわち財産を持っている人は、すべて敵だから、その財産を持っている人を殺し、財産を奪って俺たちのものにするというのだから、すさまじいです。
なぜ「すさまじい」かといえば、この思想は「強盗にとって」たいへん好都合な思想だからです。
ですから結局、強盗団のボスのような強権主義者が現れて、対立する者を全部殺して、ソビエト連邦をつくりました。
このマルクス主義も、理想とするタテマエは平等です。
ところがその実体は個人主義です。
その個人のなかの強欲者が、支配者となりました。
ですから強盗団のボスは、ロシアを乗っ取ると、こんどはコミンテルンのようなものをこしらえて、世界中を我が物にしようと、カネとスパイをバラまいて、世界中に害毒をまきちらしました。
いまだにそのような強盗思想を後生大事に信仰している人たちがいますが、このような人たちは、少し考えればわかることを、考えようとしない。あわれなものです。
では、こうした「対立と闘争」という概念が生じるより以前、つまり、フランス革命やアメリカの独立以前の世界の諸国の状態はどのようなものだったかというと、実はそこに「国民」という概念も「個人」という概念もありません。
あったのは、「領主と領民」という概念です。
領民も領土も、すべては王個人の私有物です。
ですから王の支配が及ぶ範囲が領土、そこに住む民衆が領民です。
国民国家という概念もありません。
国境という概念もありません。
そもそも大陸は陸続きですから、国境あたりでは、隣の王様の領民たちと血が混じり、どの村がどっちの王様の領民か判然としないのです。
ですから、そのときどきの都合で、要求の強い王に、税を払ったりして従うだけです。
これは、例えは悪いですが、暴力団の組長さんのナワバリと同じです。
組長さんのナワバリが領土です。
別な組長さんとは、どこからどこまでがナワバリなのか明確な線引きがあるわけではなく、なんとなく「だいたいこのへんまでがナワバリ」とされているだけです。
要するに諸外国における中世では、国境という明確な線引きはなかったのです。
ですからはっきりと王の支配が及んでいるのは王の周辺だけのことで、周辺地域では、王様が滅ぼされ、隣の国の王様に支配者が変わっていたりしても、そんなことを全然知らなかったりするわけです。
こういう曖昧な状態が、大陸における18世紀よりも以前の、西欧の状態でした。
では東洋ではどうだったかというと、たとえばChinaの最後の王朝は清国ということになっていますが、これは女真族による外来王朝です。
多くの日本人は、Chinese=東洋系の顔立ちで北京語を話す人たち、と思い込んでいますが、そもそもちょっと前の清王朝の時代の王朝の言語は、満州語であって、北京語ではありません。
風俗も言語も、文字さえも、漢字漢文の北京語とぜんぜん違っていたのです。
そもそも、清王朝の版図とされるチベットもウイグルもモンゴルも満洲も、漢人の住む世界ではありません。
言語も風俗も文字も、ぜんぜん違います。
漢字を書く漢人にしても、様々な部族があり、これまた言語も風俗も文字も違う。
いまでも中華人民共和国のお札には、様々な文字が書かれています。
もし民族国家が、共通の言語、共通の伝統や文化を保持する血縁者集団としての民族や国を意味するなら、Chinaの歴代王朝も、いまの中共政府も、国でさえありません。
それでは歴史にならないから、清王朝も、明王朝も、元王朝も、西欧と同じく、皇帝という名前の親分さんの私物にしました。
民族や言語、風俗の違いをこえて、王朝の領土領民は、親分さんの勢力範囲を意味していたわけです。
いまの中共政府も、皇帝が書記長と名前がかわっただけです。
ですから中共政府は、民族国家でもなければ国民国家でもありません。
いまだ中世的領民国家です。
ちなみに朝貢というのは、皇帝個人への貢ぎ物です。
国と国の国交ではありません。
あくまで国王とChina皇帝が、個人で信義を交しあう、それが朝貢です。
ちなみに清王朝時代、チベットは清の冊封国であり属国だったと勘違いしている人がいます。大きな間違いです。
清の皇帝は、チベット仏教に帰依し、最大の檀徒総代でありスポンサーとなりました。
これをチベットから見たら、清皇帝は、チベット仏教の大檀家です。
チベットは清皇帝からの毎年の献上金に対して、お礼の使者を送っていました。
これを清の側では朝貢とハッタリをかましていました。
それだけのことです。
では、日本はどうでしょうか。
日本は、四方を海に囲まれています。ですから領土が明解です。
そして遅くとも7世紀には天皇を頂点として日本という国号が生まれ、日本と日本人が成立しました。
もしかしたら日本にも多数の部族集団があったのかもしれません。
記紀にもそのようなことが書いてあります。
けれど、それら部族集団が、「日の本にひとつになろう」といって統一国家を形成しました。
だから日本の国号は、「日本」なのです。
頂点となられた天皇は、大陸の王や皇帝のような政治権力者ではありません。
政治権力者を選ぶ御方、つまり政治権力よりも上位の存在です。
そして民は、天皇の民(公民、皇民)とされました。
ですから、政治権力者にとって、権力は自分の私有物でなく、あくまで天皇から与えられたものです。
そして政治権力者が治める民は、その権力者の私有民ではなく、あくまで天皇の民です。
このことが、わたしたちの国の根幹にあるカタチです。
これがすごいのは、この仕組みによって、民衆が政治権力者の私物にならないという点です。
民衆が、権力者によって理由なく勝手に殺されたり、奪われたり、売られたりすることがない。
そして民衆が、そのありがたさを理解し、実感し、秩序を維持するには、ここが大事なのですが、「民の側に高い民度が必要となる」ということなのです。
馬鹿には理解できないからです。
諸外国は、「民衆を私物化し支配するために民衆から教育や教養を奪い」ました。
けれど日本は、「民衆に高いレベルの教育や教養を施すことで、高い民度を保持し、それによって国全体を高レベルな道義国家する」という道を選択したのです。
これこそ、人類の理想ではないでしょうか。
だからこそ日本は、2674年間もずっと日本のままだったし、結果として世界最古の国家としていまもあるのです。
世界史の年表をみたらわかりますが、世界中、どこの地域でも、様々な国が起こっては消えて行きました。
なぜ国がなくなる、なぜ国が消えるかといえば、その国の体制に矛盾やほころびがあるからです。
その矛盾やほころびは、時とともに大きく広がり、結局長く持っても200年内外で、国がなくなってしまう。
日本では、平安時代、鎌倉時代、江戸時代など、それぞれ時代に応じた政権交替はありましたが、「天皇のもとにあるひとつの国」という国のカタチ、政治権力者は天皇から政治を預かるというカタチは、古代からいまもまったく変わっていません。
安倍総理も、天皇から親任を受けて、はじめて総理大臣です。
ですから、古来日本人は、まず天下(国)を大事にしてきました。
天下あっての自分、という思考は、日本人のまさに血肉といえるものです。
これを家庭に例えると、よくわかります。
祖父母がいて、お父さんがいて、お母さんがいて、長男がいて長女がいて、弟や妹がいる。
サザエさんの家庭に例えれば、まず磯野家という家があり、その家の中で、サザエさんも、マスオさんも、カツオもワカメも、フネさんも、互いに分を持って生活しています。
まず全体があり、その中い個があるわけです。
ですからたとえば、サザエさんが、フネさんから料理を学び、フネさんに代わってご飯の仕度をするようになると、それだけサザエさんの分が増したことになります。
会社勤めも同じです。
まず会社があって自分がある。
だから自分よりも会社(全体)を大切にする。
その中で分をわきまえながら努力し、自分がやれる領域(分)を増やして行く。
これが「仕事ができるようになる」ということで、それを古来、日本では「成長すること」と考えてきました。
国家も同じです。
国もひとつの家と考えます。
そしてその家(国)を守るために、一生懸命勉強し、陸軍士官学校や海軍兵学校に入り、そこで猛烈な訓練を経て、お国のために役立つ人間として成長していく。
そしてお国を護るために、命さえも捧げる。
このときの心が、
「無なるが故に億兆は一体なり」です。
これは軍神杉本五郎中佐の遺書「大義」に出てくる言葉ですが、「俺が俺が」ではなく、逆に自分を「無」にすることで、億兆を護る礎となります。
そこにあるのは「個人主義」ではありません。
「皇民主義」、つまり君民一体の思想です。
ところが、戦後の私たちは、子供の頃から「個人主義」が正しいと教わってきました。
概略すれば、国家とは悪いことをするところだから、個人がしっかりして国家を見張り、批判し、国民としての主権を守らなければならない、といった意味合いです。
つまり、全体よりも「個」を優先したわけです。
会社勤めでも同じです。
まず自分があって、そのために会社があると考える。
自分と会社を対立的な関係として捉える。
家庭もおなじです。
まず自分があって、そのために家庭があると考える。
子は、親と対立の関係などと、はき違える。
そのような思考のもとでは、まともな家庭などできないし、会社組織もまともに機能しなくなります。
会社組織がうまく機能しなければ、会社の業績は悪化します。
日本全国がこのようなカタチに染まれば、日本全体の経済も低迷します。
あたりまえです。すべては対立と闘争なのです。
お客さんに対立的かつ闘争的なお店になど、お客さんは入りません。
学生時代、真面目で成績の良かった方ほど、このような考えに染まってしまっていたりします。
ですから、そのように考えてしまうことは、それだけ子供の頃、真面目で良い子だったという証拠です。
けれど、この思想は、ひとつ大事な点を見落としているのです。
それは「個人主義」は、究極的には自分以外のすべてのものと「対立」し、身の回りのすべてと「闘争」する、ということです。
「個人主義」は、日本にもとからある伝統的精神である「和絆結」を基礎にする皇民主義とは、実は対極にある思想です。
そして個人主義を追求する限り、「自分以外はみんなバカ」ですから、個人主義は結局馬鹿とバカの集合体となり、日本人はますます劣化していきます。
日本を取り戻すということは、実は、個人主義から、日本にもとからある「和絆結」を基礎にする皇民主義を取り戻すということなのです。
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