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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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台南空航空隊

台湾は、支那の一部だと思っている方が多いかと思います。
それはおそらく、戦後、台湾が支那国民党によって占領統治され、日本がすくなくとも、中共政府と国交を開いた昭和47(1972)年まで、蒋介石率いる国民党が台湾を統治して「中華民国」を名乗っていた台湾をイメージし、かつ、現在の台湾の人たちが話す言葉が「中国語」であるからであろうと思います。
ところがそこには、大きな間違いがあります。
まず台湾には、大きく分けて9つの部族とひとつの政府組織がありますが、9つの部族に共通する言語は、かつては日本語でした。
そしてもともとは台湾に一般的な言語は、福建語でしたが、いまは公共放送などで北京語が話されるようになりました。
けれどこの二つの言語は、まったく別なものです。
そして台湾は、もともと支那の属省であったところではありません。
むしろ無主地であり、9つの、まったく言語も習俗も違う人たちが共存する島国だったのです。


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明治4(1871)年のことです。
この年、ある重大事件が起きました。
それが「宮古島島民遭難事件」です。
この事件は、沖縄の宮古島の漁民が、台湾近海で操業中に海難事故にあって遭難し、乗組員54名が台湾に漂着したことにはじまりました。
山中をさまよったこの漁民たちは、たいへん残念なことに、台湾の原住民によって殺害されてしまったのです。
このことを、直接的に責めることはできません。
世界中、どこの国でも、不審者がその辺をウロウロしていたら殺すというのが、世界の標準だった時代のことです。
ただ、そうはいっても、日本としては、事態の収拾を図らなければなりません。
そこで当時、できたばかりの明治新政府は、当時の清王朝に、この事件について厳重な抗議を行ったのです。
ところがこのときの清王朝の回答は、
「化外の民(国家統治の及ばない者)につき、関与しない」というものでした。
清は、間違いなくこのとき台湾を「化外の民」つまり、清国とは関係のない地であり民であると明確に回答したのです。
そこで日本は、明治7(1874)年、台湾に出兵し、加害者たちを攻めました。
これが「牡丹社(ぼたんしゃ)事件」と呼ばれるものです。
要するに日本は、このとき勝手に台湾に兵を進めたのですが、これに対して清朝は何の反応もしていません。
つまりこの時点において、清朝は台湾を自国の領土であるとは認識していなかった、ということです。
その台湾について、清朝が関心を払うようになったのは、明治17(1884)年のことです。
この年「清仏戦争」が勃発し、フランスの艦隊が台湾北部に侵入したのです。
ご存知の通り、台湾と支那本土は、まさに目と鼻の先です。
そんなところにフランスの軍事基地ができたら、これはたいへんなことになる。
そこで清朝は台湾省を新設し、台湾に清朝の役人を置くようになりました。
これが、明治18(1885)年のことです。
そして明治27(1894)年にはご存知「日清戦争」が起こり、明治28(1895)年の日清間の下関条約において、清朝は正式に台湾を日本に割譲したのです。
そして日本は、このあと昭和20(1945)年の終戦まで、ずっと台湾を日本の領土として統治してきました。
ここ、重要なポイントです。
台湾を領土とみなしていなかった清朝が、台湾を清朝の領土、すなわち支那の領土としたのが1895年です。
そして清朝が日本に台湾を割譲したのが1895年です。
つまり、台湾が支那の国土の一部であったのは、「たったの10年間」しかなかったのです。
ではそれ以前はというと、日本でいう戦国時代頃にオランダが30数年統治をしたりした時代があったり、あるいは、台湾が琉球であった時代もありました。
ただ、コレラなどの風土病があり、また部族間の対立も激しくて、台湾島全体を一国として統治するということが現実的に「できない」状況がずっと続いていたわけです。
そして1985年の下関条約から1945年まで、日本が台湾を統治しました。
引き算をしたらわかりますが、まる50年間、台湾は日本の一部だったのです。
この50年間に、台湾は劇的な近代化を遂げ、言語も統一され、台湾の人々は日本人、すなわち天皇のおおみたからとなり、皇民教育を受け、法治国家となり、かつての日本と同じ、治安の良い平和で人々が和と絆と結(ゆ)いの心を大切にする日本国民となっていたわけです。
繰り返しますが、台湾が支那の領土だったのは、歴史上、たったの10年間のことにすぎず、その後の日本統治の50年の方が、よっぽど長い歴史を刻んだときだったわけです。
その台湾には、終戦時に蒋介石率いる支那国民党が占領統治のために入り込みました。
これは日本本土を米軍が統治したのと同じ、「占領統治」に属するものです。
「占領統治」というのは、あくまで一時的にその国の法執行を停止し、行政機構その他の政府機構のすべてを占領軍の下におく、というものです。
幸いなことに、日本本土では、公職追放はあったものの、政府機構はある程度生かされましたが、台湾においては、他のエリアと異なり、占領統治したのが支那兵だったわけです。
当時の台湾では、やってきた支那兵があまりに乱暴で、低レベルであったため、台湾の人々がこれに激しく抵抗しました。
なにせ、国民党の兵隊たちは、水道さえも知らない。
いきなり家にやってきて、水道の蛇口をひねるとそこから水が出るのを見て、これは不思議とばかり、その蛇口を強奪し、兵舎に持ち帰って壁に蛇口を取付けたけれど、水が出ない。
あたりまえです。いくら蛇口があっても、水道管に接続していなければ、水が出るはずもない。
けれど、支那兵は、水がでないのは、お前たちが何かしたせいだと、蛇口を奪われた家にやってきて、その家の人たちを殺したり、暴力を振るったりと、当時、考えられないような暴虐を重ねたわけです。
これに怒った台湾の民衆が、台北の市庁舎に押し掛け、デモをしたところ、国民党は市役所の屋上に重機関銃を据え付けて、広場に集まった武器を持たない市民めがけて乱射した。
これが台湾228事件です。
ここからが、さらに話をややこしくしているのですが、その国民党は、支那大陸で毛沢東率いる支那共産党に追われ、ついに総大将の蒋介石まで、台湾に逃げ込んで来てしまったのです。
蒋介石は、昭和27(1952)年のサンフランシスコ講和条約が成立すると、占領統治軍という立場がなくなりますから、台湾に国民党軍があらゆる法律の執行を停止し、軍が台湾全土を掌握するために、台湾に戒厳令を敷きました。
この戒厳令統治は、なんと昭和62(1987)年7月15日まで、なんと35年間も続いたのです。
さらに事態を深刻にしたのが、日本の日中国交正常化です。
これは昭和47(1972)年9月29日に締結された「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」なのですが、その声明で、なんと日本は中共政府との間で、
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2 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
3 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。
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と声明を出してしまったのです。
この瞬間、日本における台湾と支那の位置づけは逆転しました。
いま、中華人民共和国大使館は、東京都港区元麻布3丁目に、豪壮な施設が置かれています。
台湾の施設は「台北駐日経済文化代表処」という名前で、東京都港区白金台5丁目に、小さな二階建ての建物となっています。名称は「台北駐日経済文化代表処」ですが、実質的には台湾の大使館です。
ところがこの二つの施設は、昭和47年までは、位置関係が逆でした。
それまで日本は蒋介石の国民党が名乗る「中華民国」を支那大陸における正統な政府と認めていましたので、「中華民国」の大使館が元麻布にあったのです。
ところが日本が「中華人民共和国」を正統な政府としたため、それまで白銀台にいた中共の出先機関が元麻布の現在位置に引っ越し、かわりに台湾の国民党政府が、白金台に移転したのです。
つまり、テレコになったわけです。
こうして、日本と台湾の国交はなくなりました。
私は、日中国交正常化当時、これを好感して受け止めていました。
当時は、今太閤と呼ばれた田中角栄さんが好きだったし、素晴らしい実行力を持った宰相と思っていました。
けれど、この歳になって思うのは、いかなる実行力、行動力、発言力のある政治家であっても、国家観のない政治家は、結局は国を滅ぼすもとにしかならない、ということです。
実は、そもそもこの「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」自体、きわめて怪しげな内容の声明なのです。
というのは、台湾の国民党政権は、中華民国を名乗ってはいるものの、現実には台湾への亡命政権でしかないわけです。
そもそも、蒋介石政権は、支那大陸の政権であって、台湾の政権ではない。
一時的な占領統治にやってきただけなのに、大陸を追い出されたからといって、台湾に住み着いただけの、ちょっと悪い言い方をすると寄生政権です。
すくなくとも、もとからいる台湾の人々のための政権ではない。
つまり、台湾は、いまだ占領統治下にあるわけです。
ですから「日中共同声明」の第二項「2 日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」は、これはこれで良いでしょう。
けれど、「3 中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。」は、行き過ぎです。
もっともこれは、中共政府が表明しているだけで、台湾の民衆がそれを望んでいるかは別問題です。
占領統治は、その国の主権を奪うものではなく、その国を一時的に統治するものです。
では、占領統治中、その国の主権がどこにあるかといえば、その国を代表する政府があれば、その政府が、なければ、その国の国民が主権者となります。
実際、イラク戦争において、フセイン政権は崩壊しましたが、だからといって、イラクがアメリカ領になったわけではありません。
あくまでもイラクはイラクであり、その主権はイラク国民が持っている、それと同じです。
ですから、中共政府が台湾を自国の領土であると宣言し、これを日本が認めたとしても、だからといって台湾が中共のものになるわけではありません。
いまだ、近代国家としての内容と質が備わっていなかった中世とことなり、20世紀の台湾はすでに近代国家であり、近代国家の民衆です。
よその国が勝手に台湾の主権を云々できる状態にはなっていません。
つまり、台湾の人たちの民意が認められて、はじめてそれぞれの国のものとなる。
台湾の人々の民意がそこに必要だ、ということです。
現実、台湾の人々も、また台湾を占有している台湾国民党(中華民国政府)も、これを承認しませんでした。
そして、台湾の帰属はいまだ、曖昧なまま、現在に至っています。
いまの台湾は複雑です。
台湾の主たる言語は、台湾語(福建語)ですが、標準語は国民党政府の北京語となっています。
福建語も北京語も、たいした違いがないのではないかと思う人がいるかもしれません。
けれどその違いは、英語とフランス語くらいの違いがあります。
そして9部族の共通語は、日本語のままです。
また政治体制も、占領政権である国民党体制のままになっています。
もちろん、国民党も民主化路線を打ち出し、選挙によって台湾総統や議員を選ぶ体裁はとっていますが、それがあくまで、占領政権であることに違いはありません。
現在、台湾を中共とは別な国家として承認している国は、ソロモン、マーシャル、パラオ、キリバスなど、かつて日本領だった諸国と、平和を願うバチカンをはじめとした、総計23カ国だけす。
日本政府は、残念ながら、かつて同朋だった台湾を、きつい言い方ですが、いまだ見放し、捨てたままの状態になっています。
韓国や支那と仲良くしろという人は、日本の中にもいます。
けれど、かつて日本人として、あの大戦を一緒に戦った台湾について、わたしたちは同じ同朋として、もっと高らかに声をあげて行く必要があると、私は思います。
なるほど、日中共同宣言は、昭和47年に発せられました。
けれども、この宣言は、いまや大幅な見直しに迫られている、そういう時期に来ていると思います。
台湾出身の鄭春河さんのご遺稿をこのブログでご紹介したとき、南星会の居候さんから、次のコメントをいただきました。
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鄭春河さんね。台湾歩兵第一第二連隊戦友会は最後の最後まで日本の正義を信じて笑って死にましたわ。
もうほとんど生きてませんけど、10年も前に台北で最後の師団単位の集まりがあって、従軍看護婦だった人も来て、みんなで恩師のたばこ吸って笑ってお別れしましたのよ。
鄭さんは代理神主の資格があってね、台南の鄭成功神社で正式の神主の恰好で神式の儀式最期にやりましたよ。みんな普通のまともな日本人でした。
台湾はね、待ってるんですよ。
聯合艦隊は必ず来る、日本は必ず立ち直って台湾を助けに来る、信じてるんです。
日本を信じて戦った台湾臣民を、祖国日本が見殺しにするはずがないでしょうが。
違うとでもおっしゃるんですか。
あんたらそれでも人間のつもりですか。
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そしてわたしたちは、いまいちど、かつて同朋だった台湾のことについて、もういちど真剣に考え直すときに来ているのではないでしょうか。
すくなくとも、日本が欲にかまけて支那と付き合い、大火傷を追っているいる一方で、ソロモン、マーシャル、パラオ、キリバスなど、かつて日本が統治していた諸国は、あの中共政府の圧力にも屈せずに、立派に台湾を仲間として認めているのです。
世界的にみても、人道的にみても、わたしたちはむしろあの殺人大国中共政府など、国家として認めるべきではありません。
さらにいえば、かつて同じ日本人として、一緒に戦った仲間たち、そして東日本大震災では、世界一のお見舞いをしてくださり、さまざまなスポーツの祭典においても、つねに礼儀正しく隣人として、あるいは友人としてまっとうに接してくれている台湾を、わたしたちは、もっともっと、ちゃんと考えなければならないときにきていると思います。
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