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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727
■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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俳優の福山雅治さんが主演したガリレオ・シリーズは、天才数学者の主人公の湯川学が、難事件を持ち前の天才的数学頭脳で、次々と解決するという探偵ものとして大ヒットしました。
私などは、数学が苦手なほうでしたので、数学、とりわけ高Ⅲから大学の高等数学どころか、中学生の代数あたりでさえ、もはや暗号の羅列にしか思えないのですが、いったい数学者クラスになると、どういう頭脳をしているのかと思いたくなってしまいます。
ちなみに数学というのは、実は論理の積み重ねで、何千年もかけて世界の高等数学者が叡智の限りをつくして編み出した知識の蓄積を学ぶものなのだそうです。
たとえば、ゼロという概念も、因数分解も、虚数iも、それを考え、証明し、編み出した天才がかつていたわけで、そうやって何千年もかけて蓄積された知恵を、私たちは小学校から高校、人によっては大学までの10年ほどで学ぶわけです。
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簡単にいえば、人類が約四千年かけて編み出した数字の技術を、たった10年でその大部分を学ぶわけで、ですから、「何故?」などと思い出すと、まったくわけがわからなくなります。
たとえば、一個のリンゴと1個のリンゴを掛けると、リンゴは1個になってしまう。はじめに2個あったのに!!
あるいは分数の割り算で、リンゴを二つに割る、つまり2分の1にする。
その半分になったリンゴ(2分の1のリンゴ)を、さらに二つに割る(2分の1にする)と、リンゴはもとのリンゴに戻ってしまう。
数学ではそうなりますが、これが私の頭ではまるで理解できなくて、ありえね〜〜っとなってしまう。
おかげで、数学は算数と呼ばれた時代から不得意科目になりました(涙)。
実はこれ、すべてを「おはじき」を使って計算できた算数が、はじめて数学になる瞬間なのですね。
数学というのは、人類を代表する大数学者たちが、知恵の限りを絞って生涯をかけて考え抜いて来た公式や定理の、実は集大成を、短期間で習うものだったわけです。
ですから、なぜそうなるのだろうと、素人の私、それも小学生の私などが、いくら考えても、まったくわかるはずがない(笑)。
けれど、その公式を知ってしまうと、次々と新しい数学の拓けてきて、もっとおもしろい様々な難問が解けるようになるわけです。
それを学ぶ。
だからおもしろい。
そして大学数学のような世界最先端の数学となると、今度は、新たな未来を切り開く、つまり、あらかじめ答えのわかっている問題を解くのではなく、答えのない、あるいは答えがまだ確立されていない問題を解き、それを証明する作業にはいるわけです。
ですからたとえば、慰安婦問題や南京問題などを「あった」と言っている人たちがいますが、数学的にはそれが「あった」ことが完璧に矛盾なく証明されていなければ、それは「あった」ことにはらない。
早い話が、反対尋問を経由していないような証言は、ただのファンタジーとしてしか扱われないわけです。
さて、冒頭の写真です。
この写真のお顔は、ちょっと村田春樹先生に似ていますが、実はこ数学者の岡潔(おか きよし)先生です。
それもただの数学者ではありません。
日本が生んだ世界的大数学者です。
岡潔先生は、明治31年のお生まれです。
文化勲章授章、勲一等瑞宝章授章、従三位授章をお受けになられ、昭和53年、76歳で永眠されました。
主な研究は、多変数解析函数に関する研究です。
そういわれても、私には何のことかさっぱりわからないのですが、欧米の数学界では、それがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず、「岡潔」というのは数学者集団の名称だと思われていたそうです。
岡潔博士は、和歌山県橋本市の出身で、和歌山県粉河中学校、第三高等学校を卒業後、京大学理学部に入り、そのまま京大の数学科の講師に就任しています。
そしてなんと28歳で京大の助教授に昇任、31歳で広島文理科大学助教授になりました。
広島文理大学の助教授時代のことです。
岡潔博士は3年間フランスのパリ大学のポアンカレ研究所に留学し、生涯の研究課題を「多変数函数論」に定めました。
「多変数函数論」というのがどういうものかというと、私などにはさっぱりわかりませんし、わからないので書きませんが、ただ岡潔博士の「多変数函数論」に関する論文は、博士の生涯に10回書かれ、このひとつひとつが珠玉の傑作論文として、世界的に高い評価を受けたのです。
だから世界的数学者のジーゲルや、数学者集団のブルバキの主要メンバーであったヴェイユ、カルタンといった、世界を代表する数学者らが、後年わざわざ奈良まで岡潔を訪ねたりもしています。
さらには、湯川秀樹、朝永振一郎といった大学者たちも、この岡潔先生の講義を受け、あまりの素晴らしさに、その時間はまるで「新鮮な空気のただようような時間だった」と回想しています。
時代の最先端を行く数々の論文を発表し、世界の大数学者のひとりとまで数えられた岡潔博士なのだけれど、その岡博士には、さまざまなエピソードが伝わっています。
ひとつめは、フランス留学中のことです。
矢野健太郎氏といえば、数学の参考書などでお世話になった方も多いかと思うのだけど、ある日、その矢野先生がフランスの数学者から「岡は、起きてから寝るまで数学以外のことは何もしないと聞いたがほんとうか」と聞かれたのだそうです。
矢野先生が「ほんとうですよ」と答えると、その数学者はそそくさと席を立って研究にむかったといいます。
岡博士は、それほどまでに数学の研究に没頭していたというわけです。
また、岡潔先生は、広島文理科大を、わずか6年で辞めています。
なぜ辞めたかというと、なんと授業があまりにでたらめであると学生から苦情が出たからだというのです。
授業中に黒板一杯に数式を書く。
書き終わると、そのまま考え込んでしまって、ひとこともしゃべらない。
学生たちが騒ぎだしても、まるで耳に入らない。まともな授業になってない、というのです。
ちょうどこの頃というのは、まさに博士が研究に没頭しているときで、博士にしてみれば、授業中であろうとなかろうと、研究テーマに沿った何か新たな発見がそこにあると、もう自分の世界にはいってしまう。授業どころではなかったのでしょう。
ところが生徒や大学側からしてみれば、そんな博士の都合などわかりません。
さんざんに岡助博士を無能とこき下ろし、学生たちは岡博士の授業のボイコットしてしまいました。
ちょうど先生が37歳の頃です。
昭和10(1935)年のことなので、戦前のことです。
この事件で、先生は精神不安定状態に陥ってしまいました。
それからまる12年、博士はいまでいうニートになりました。
その間、個人で、ずっと数学の研究に没頭したそうです。
もちろんその間、生活費がかかります。
それをどうしたかというと、自らの田畑を売ってお金に変えたのです。
これまた親戚筋からすれば、実にとんでもない話です。
この頃の岡博士をよく知る作家の藤本義一氏は、当時の岡博士について次のように語っています。
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博士は起床してすぐ自己の精神状態を分析し、高揚している時は「プラスの日」、減退している時は「マイナスの日」と呼んでいました。
「プラスの日」は知識欲が次々湧いて出て、見聞きするあらゆる出来事や物象を徹底的に考察 - 例えば、柿本人麻呂の和歌を見ると、内容は元より人麻呂の生きた時代背景、人麻呂の人物像にまで自論を展開する。
「マイナスの日」は、寝床から起き上がりもせず一日中眠っており、無理に起こそうとすると「非国民」等と大声で怒鳴り散らし、手がつけられない。
岡博士のこの行動は、おそらく躁鬱病であると考えられるが、プラスの日・マイナスの日は一日おき、もしくは数日おき、といった具合で、躁と鬱の交代期間は比較的短かった。
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博士のこのフリーター生活は、49歳 で奈良女子大、理家政学部に勤務するまで続きました。
けれどせっかく教授になったのに、今日が「マイナスの日」なら平気ですっぽかす。
「プラスの日」であっても数数学に没頭すると何日でも徹夜する代わりに、教授の仕事をほったらかす。
こうした岡博士の行状は、一般の社会常識としては奇行そのものでした。
けれど博士は、そうした毎日の中で、数学だけを追求し続けたのです。
博士の生活のすべては、数学のためだけにありました。
その結果、博士は世界最先端の「多変数函数論」の解析を独自で行い、そして10個の論文を通じて世界の数学の発展に寄与したのです。
晩年、岡博士は毎日新聞社の薦めによって、「春宵十話」という連載もののエッセイを書くようになりました。
その中で博士は、次のように述べておいでになります。
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日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。
こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
「自分」がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。
そして「自分」に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。
これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。
こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
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どうでしょう。
いまどきの教育の問題点を、ズバリついているように思えるのですが。
岡博士は、わからないことを「わからない」で済まさず、とことんそれが「わかる」まで追求しようとしました。
納得のできる答えをだす。そのことが博士にとっては、自分という存在以上に大切なものだったのだろうと思います。
さらに博士は言います。
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直観から実践へというと、すぐに陽明学のようなものを想定するかもしれないが、ああいうものは中国からきて日本化したのではなく、もともと昔から日本にあったものなのである。
(昨今の日本では)善悪の区別もつかなくなってきた。
日本で善といえば、見返りも報酬もないもので、少しも打算を伴わないことである。
そこに春泥があることを温かみとして沛然と納得するごとく、何事もなかったかのように何かをすること、それがおこなえればそれが善なのだ。
それから、これは西洋でも相当におかしくなっているのだが、人を大事にしていない。
人を大事にしないと、人とのつながりに疑心暗鬼になっていく。
人と人のつながりなど、最初につながりがあると思ったら、そのままどこまでも進むべきなのだ。
どこかで疑ったらおしまいなのである。
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「自らの身は省みず」という言葉は、田母神先生が著書のタイトルにされた言葉ですが、日本における職人芸と呼ばれるものも、もともとは、まさに見返りも報酬も度外視して、少しも打算を伴わずに、物事の完成に夢中になる。そういう仕事ぶりを、社会全体で支えて来たのが、日本なのではないかと思うのです。
また、岡先生の「どこかで疑ったらおしまいなのである」も、たいへん含蓄のある言葉だと思います。
もともと日本にあったのは、「和、絆、結(ゆ)い」といった概念です。
それらは相互信頼が社会の一般的通念であり、簡単にいえば「俺が、俺が」の「我」ではなくて、どこまでも謙虚に、みなさまとご一緒に、みなさまとおかげで、という精神です。
以前にも書きましたが、個人主義はどこまでも「自我」を大切にする結果、すべてが個体どうしの対立と闘争になります。なにもかもが、生活のすべてが、社会構造のすべてが、「対立と闘争」です。そこには、和も絆も結もありません。
ところが日本社会は、自分が日本と共同体の一員であり、ご先祖様から子孫に至る縦軸と、地域共同体や組織の仲間、果ては国に至るまでの横のつながり、つまり横軸と、その縦軸と横軸の中の存在であることを出発点とします。先に、縦横の共同体があります。
そのもっともおおきなまとまりが、国であり、そのまとまりの中心核が天子様(陛下)であらせられ、だから日本は「君民一体」です。
これがもともとある日本のカタチですし、日本人のカタチですし、わたしたちの心の奥底にある真実のカタチです。そしてこれが民族の価値観です。
博士は続けます。
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太平洋戦争が始まったとき、私は日本は滅びると思った。
ところが戦争がすんでみると、負けたけれども国は滅びなかった。
そのかわり死なばもろともと思っていた日本人が我先にと競争をするようになった。
私にはこれがどうしても見ていられない。
そこで自分の研究室に閉じこもったのだが、これではいけないと思いなおした。
国の歴史の緒が切れると、そこに貫かれていた輝く玉たちもばらばらになる。
それがなんとしても惜しいのだ。
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目先の競争に明け暮れる一方で自分を甘やかし、自分に不利なことや未知なことに対しては、すぐに「わからない」と言って逃げてしまう。
国の歴史を忘れ、自分さえよければと考える。
そして日本に古くからある輝く珠のような精神の紐帯を、バラバラにしてしまう。
岡潔先生は、京都産業大学の教授となり、数学者でありながら、「日本民族」を講義されました。
昭和35(1960)年には文化勲章を授章。昭和38(1963)年には毎日出版文化賞、そして昭和48(1973)年には勲一等瑞宝章を授章され、昭和53(1978)年には従三位となられています。
世間では奇行の持ち主といわれた博士のことを、陛下はちゃんとわかっておられたのです。
だからこそ従三位が送られたのです。
岡先生は、晩年、「今日の国の乱れ、政治、経済、社会のどれをとっても実にひどい。原因は戦後教育の間違いにあった。このままでは国が滅びるぞという神々の啓示である。いまこそ本来の日本に…」と語られました。
その言葉は、まさにいまこそ、正念場となっているのではないでしょうか。
もうひとつ最後に。やはり岡潔先生の言葉です。
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いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。
だから、学問が好きという意味が全然わかっていないのじゃないかな。
(岡潔 / 小林秀雄「対話 人間の建設」)
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※この記事は2012年11月17日の記事をリニューアルしたものです。
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