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紀伊国屋新宿南店
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戦後のわが国の歴史認識は、
1 共産主義に基づく「階級闘争史観」によってもたらされた《対立と闘争》への誘導と天皇の否定
2 GHQによってもたらされた「自虐史観」による《贖罪》意識の刷り込み
3 戦後左翼系学者によってもたらされた「自閉史観」による《批判と犯人探し》
によって構成されています。


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「階級闘争史観」は、みなさまよくご存知の通りです。
歴史を支配者と被支配者という対立の構図として描き出す歴史認識です。
すべての歴史は、支配層=豪奢で優雅な生活、被支配層=被差別と貧困、という二律相反であり、あたかも被支配者の側、つまり弱者の側に立つことが、あたかも正義であるかのような錯覚さえももたらします。
なるほど、西洋史や中華文明史においては、まさにそのような側面が現実にあったことでしょう。
けれども日本は、7世紀には確実に中華文明圏と決別しています。
20世紀初頭(1910年)まで、支那の属国だった朝鮮とは違うのです。
世界史の年表を開きますと、ヨーロッパ諸国では、次々と様々な王国が興り、そして滅亡していきました。
そして滅ぼされた王国では、前の時代の王族や貴族たちは、都度、皆殺しにされています。
なぜそのようなことが起こったかといえば、それは外来征服王朝だからです。
外国人がやってきて、その土地に住む民衆を支配し、収奪し、人々を私有民として私物化し、奪い、殺害していたという歴史があります。
これは支那も同じです。
支那でもっとも人口の多いのは漢民族ですが、漢族が建てた王朝というのは、紀元前にあった漢王朝くらいなもので、あとはことごとく外来王朝です。
日本では、昭和とか平成とかの元号を、あたりまえのように使っていますが、これは日本が独自に定めた元号です。
ところが、ほんの少し前まで、中華文明圏では、中華王朝の定める元号が使われていました。
朝鮮半島は、中華王朝の属国としての新羅王朝、高麗王朝、李氏王朝が立ちましたが、いずれも外来王朝であり、しかも使っていた元号はずっと支那の元号です。
ところが日本は、大化元(645)年以降、ずっと天皇が定める元号を用いています。
独自の元号を持っているということは、明確に中華文明と決別し、わが国の自存独立を明確に認識し、わたしたちの国を、中華王朝と対等な国家として認識したということです。
つまり元号というのは、わたしたち日本人にとっての矜持(きょうじ)です。
日本は、古代からずっと、天皇と国民が一体となって歴史を紡いできた国です。
一本一本は細い糸でも、紡げば丈夫になります。
それが良いこと(吉)だから、これを「結(ゆ)い」といいます。
先日、日本史検定講座の第四回講義があり、高森明勅先生の講義があったのですが、ここで先生が、「天皇の存在を江戸時代の国民は知らなかった、明治時代にはいってから明治政府が学校教育で教えたのだと、大嘘を教えている学者がいる」というお話をされていて、びっくりしました。
いわれてみれば、たしかに私なども学生時代、あるいは社会人になってからもですが、学校で、あるいはテレビの時代劇や小説などで、「江戸時代の各藩は『国』であり、江戸時代の日本は藩という単位で独立した国家であり、その意味で江戸時代の日本は、いわば『独立国家共同体』であった」かのような説明を、何度も目にし、耳にしています。
とんでもない大嘘です。
なるほど、藩のことを「国」と書いていたのは事実です。
その独立国家である藩(国)を紡いでいたのが「天下」です。
「天下」は日本全体を指し、その頂点におわすのが天皇です。
だから江戸の昔は天皇のことを「天子さま」とお呼びしました。
「天子さまの下(もと)」だから「天下」です。
これが日本そのものを指します。
藩は、税を集める共同体だから、それを国(藩)と呼びました。
ですからこれは独立行政単位であって、天下とは異なります。
そして元号は、藩を超えて天下に共通していました。
ちなみみ地球全体は「世界」です。
ところが、これまたびっくりしたのですが、学校の教師などで、「江戸時代には天皇の存在を庶民が知らなかった」などと、とんでもないデタラメを教えている教師がいるというのです。
だったら、ひな祭りは何でしょうか。
ひな人形の「男雛」と「女雛」は、誰がどうみても将軍とその妻ではありません。
武家のお殿様なら、すぐ脇に小姓や太刀持ちがいるものです。
けれど、お内裏様は、そもそも刀すら腰にしていません。
太刀持ちはいても、女官たちの下です。
ひな人形のお内裏さまが天皇皇后両陛下を指していることは、今も昔も誰でも知っています。
そもそも男雛は、頭に長い冠をしていますが、これは「御立纓冠(ごりゅうえいかん)」といって、天皇にのみ許されている冠です。
御立纓冠姿の明治天皇
御立纓冠姿の明治天皇

最近では、核家族化が進んだことから、家に女の子がいても、あまりひな祭りをされないお宅が増えました。
そのためお内裏様が天皇皇后両陛下であることも知らない方が増えていますが、それは核家族化が進んだ、つい最近のことです。
すくなくとも昭和の中頃までは、どこのご家庭においてもひな祭りはごく一般的な習慣だったし、女の子のいるご家庭なら、毎年のひな祭りがとても楽しみなものでした。
そういう意味では、むしろ現代人の方が、よっぽど天皇の存在をわかっていない。
また、お正月といえば、江戸の昔から「かるたとり」が定番でしたが、この「かるた」も、江戸の昔はイロハかるたではありません。
百人一首です。
その百人一首の一番は、天智天皇の御製です。
 秋の田の かりほの庵の苫をあらみ
 わが衣手は露にぬれつつ
ちなみに最後が百番の順徳院で
 百敷(ももしき)や古き軒端のしのぶにも
 なほ余りある昔なりけり
つまり、いまどきの子供たちよりも、江戸時代の方が、はるかに子供時代から天皇という存在に親しんで来たということです。
さらにいえば、赤穂浪士の物語は、およそ昔の日本人なら誰もが知る定番ですが、事件の発端となるのは、勅使下向の接待役のトラブルからです。
勅使「下向(げこう)」です。
江戸の将軍が毎年、新年のお祝いの使者を京都にのぼらせる(上洛)させるので、その答礼として天皇から江戸に勅使が「下る(下向)」するのです。
そんなものは、江戸庶民にとって「いちたすいちはに」と同じくらいあたりまえのことでさえあったのです。
もっというと、江戸の直参旗本たちは、全国に藩を持つ大名とおなじく「お殿様」と呼ばれる人たちでしたが、その領地は「藩」とはいいません。「知行地(ちぎょうち)」です。
知行地は、徳川家の領地であり、旗本たちはその一部を治めている関係だからです。
次に(2)GHQによってもたらされた「自虐史観」による《贖罪》意識の刷り込みです。
これはあえて語るまでもないことだと思います。
なんでもかんでも日本が悪いと考える。
なにせ日本国憲法に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」などと書いてあるわけです。
その「平和を愛する諸国」というのは、どこの国のことでしょうか。
戦後の68年の間に、その「平和を愛する諸国」で、一度も戦争を経験しなかった国は、どこなのでしょうか。
むしろ「平和を愛する諸国」というのは、まさに日本そのもののことといえるのではないでしょうか。
そしてこの「自虐史観」の説明をなしているのが、(3)戦後左翼系学者によってもたらされた「自閉史観」による《批判と犯人探し》です。
ねず本でもご紹介した、秀吉の朝鮮出兵とスペインの世界制覇、あるいは幕末戊辰戦争と米国の南北戦争の関係性、あるいは竹島問題が、実は李承晩ラインと朝鮮戦争と切ってもきれない関係にあることなど、みなさまから「目からウロコ」とご好評いただきましたが、個人の会社勤めや家庭生活が、同僚や妻子との関係性の中で営まれるのと同様、国家も周辺諸国との関係のなかで営まれています。
先の大東亜戦争にしても、明治維新当時の世界は、白人が統治する世界は、世界の地上の35%でした。
それが、大東亜戦争開戦当時には、白人が統治する世界は、世界の地上の85%に及んでいます。
そうした中にあって、有色人種でありながら、白人諸国と対等な国家たらんとした日本が、欧米列強と最終対決に至ったのは、ある意味、歴史の必然とさえいえます。
世界の85%を支配した大帝国群と、日本は貧しくとも誇りをかけて戦ったのです。
そしてその結果、世界の有色人種国はことごとく独立を果たし、そしてまた白人諸国も、有色人種から収奪するのではなく、対等に接するということを学び、現代に至っています。
現代の世界秩序を日本がもたらしたとまではいいませんが、人種の壁を越えて人と人とが対等に付き合うことの素晴らしさを、世界に向けて高らかに謳い、それを実現したのは、間違いなくわたしたちの若き日の父祖たちです。
ところが、戦後の教育界やメディアは、階級闘争史観、自虐史観、自閉史観に合わないものは、ことごとく排除し、なかったことにしてきました。
3つのデタラメ史観によって、事実までもが書き換えられてしまったのです。
そしてこの3つの史観しか存在が認められていないという現代の日本社会にあって、これを根底からひっくり返すには、ただ頭ごなしに「間違ってる!」と言ったところで、あたりまえのことですが、誰もそれ以外の歴史を知らないわけですから、相手にされないわけです。
現実問題、戦後においては、実際に高級軍人としての教育を受け、戦地を経験して来られた元軍人の方々でさえ、黙らざるを得なかった、そこまで追い込められていたというのが実情です。
3つの史観は、どれも実は矛盾だらけです。
すこし考えれば、その怪しさがすぐに見えて来ます。
けれど、だからといって、怪しいという理屈をいくら並べてみたところで、誰もわからない。
目も覚ましてくれない。
「そういう考え方もあるね」のひとことで終わりです。
これを突破するには、なにより感動が大切です。
人は感じて動くからです。
ねず本は、そのための本です。
感じていただくためには、わかりやすくなければなりません。
「そうだったんだ!」という驚きから感動し、その感動の隙間から、歴史に対する見方ではなく、日本人に対する理解そのものを変えてしまうことです。
日本人としての心は、三途の川と同じです。
いちど目が覚めたら、二度ともとの左翼には戻らない。
この本が、100万人に読まれれば、日本は変わる。
私はそのように信じています。
※今日の記事は、つくる会主催「日本史検定講座」における高森明勅先生の講義をもとに、私なりに感じた点を書かせていただきました。
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