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王政復古

慶応3(1867)年12月9日、王政復古の大号令が発せられました。
実は、この王政復古の大号令、歴史に残る重大事件です。
この大号令によって天皇は、将軍慶喜は官位と領地の返上(辞官納地)を了承しました。
これによって264年続いた徳川幕府は終わりを告げました。
さらに律令時代から続いた朝廷の政治体制も廃絶となりました。
日本は、まったく新しい時代の幕開けを図ったのです。
そしてこのことが、年が明けた1月15日に列国の公使たちに通告されました。
元号が明治となったのは、慶応4(1868)年9月のことですが、実際にはこの王政復古の大号令によって明治は開幕したといっても過言ではありません。
王政復古の大号令は、単なる年表のヒトコマではなく、まさに時代を大きく変革した「大号令」だったのです。


日本は、7世紀に中華文明からの完全自立を図り、大化の改新(645年)を行いました。
このときはじまったのが、元号です。
西暦645年が、大化元年です。
いまでも、明治、大正、昭和、平成と、日本は独自の元号を使っていますが、これは、東亜世界にあって、日本が独立国だという証です。
朝鮮半島など、中華文明の支配圏にあった地域や民族は、すべて中華皇帝が定める元号を使っていました。
なぜ大化の改新が行われたかといえば、そのとき、巨大な支那文明からの外圧という脅威があったからです。日本は中華文明に呑まれるか、あるいは自存独立の道を選ぶか。
その岐路に立ったとき、自存独立の道を選んだのです。
そしてこの結果、平安時代には国風文化が花開き、鎌倉時代には新興農民勢力としての武家政権が開幕し、江戸時代には、江戸264年の太平の時代を築き上げています。
ところが嘉永6(1853)年のペリー来航は、まさに「太平の眠り」を醒しました。
危機感を抱いた日本は、国論を二分三分し、ついには内乱まで起こしますが、ついには王政復古の大号令によって、日本を新たな枠組みの統一した近代国家とし、欧米と対等な近代国家建設への道を拓いたのです。
王政復古の大号令の本文は、実に貴重です。
本文をひいてみます。
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【王政復古の大号令】
徳川内府(だいふ)、従前御委任ノ大政返上、将軍職辞退ノ両条、今般断然聞シ召サレ候。抑(そもそも)癸丑(きちゅう)以来未曾有(みぞう)ノ国難、先帝頻年(ひんねん)宸襟(しんしん)ヲ悩マセラレ御次第、衆庶ノ知ル所ニ候。之ニ依リ叡慮(えいりょ)ヲ決セラレ、王政復古、国威挽回ノ御基立テサセラレ候間、自今、摂関・幕府等廃絶、即今先仮ニ総裁・議定(ぎじょう)・参与ノ三職ヲ置レ、万機行ハセラルベシ。諸事神武創業ノ始ニ原キ、縉紳(しんしん)・武弁(ぶべん)・堂上(とうじょう)・地下(じげ)ノ別無ク、至当ノ公議ヲ竭(つく)シ、天下ト休戚(きゅうせき)ヲ同ク遊バサルベキ叡慮ニ付、各勉励、旧来驕懦(きょうだ)ノ汚習ヲ洗ヒ、尽忠報国ノ誠ヲ以テ奉公致スベク候事。
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最大のポイントは、「摂関幕府等廃絶」です。
幕府だけでなく、朝廷の政治体制も廃絶したのです。
そして「諸事神武創業の始にもとづき」とあります。
武家による統治機構も、律令制度に基づく朝廷の枠組みも、全部廃絶(ただの廃止ではありません。廃絶です)して、国のカタチを神武天皇の建国の始めに戻すというのです。
で、どうするのかといえば、「縉紳、武弁、堂上、地下ノ別無ク、至当ノ公議ヲ竭(つく)シ、天下ト休戚ヲ同ク遊バサル」というのです。
むつかしい言葉が使われていますが、要するに「士農工商の別なく、天皇以下国民が一体となる新たな国家の建設を図る」というのです。
これに基づき、版籍奉還(1869)が行われ、廃藩置県(1871)が実施となり、四民平等となり、学制が公布(1872)され、徴兵令が公布(1873)となり、内閣制度が開始(1885)され、大日本帝国憲法が公布(1889)され、翌1890年には第一回帝国議会が開催されて、現在に至っています。
世界の多くの国々では、憲法の執行停止や国会の停止などがあたりまえのように行われていますが、日本では、憲法も停止されず、国会も一度も休会とならずに現在に至っています(もっとも現行憲法を憲法というならば、ですが)。
そしてこの体制は、いまなお、続いています。
つまり、現代日本は、明治維新の延長線上にあるわけです。
ただ、ここへきて、日本は三たび、大きな岐路に立たされているといえます。
それは、大化以来二度目になる、中華の脅威が迫っているということです。
日本が、中共の軍門に下り、チベットやウイグルのようになるのか、それとも、自存独立の道を選ぶのか。
その選択は、いまを生きるわたしたちに委ねられています。
かつて欧米によって欧米諸国が支配した地域は、世界の陸地の84%にあたります。
なぜ彼らがそれだけ多くの諸国を支配し得たのかといえば、ひとつにはもちろん欧米諸国の強力な軍事力もあったことでしょう。
けれど、忘れてはならないのは、植民地にされた側のことです。
かつてインドは、巨大な帝国でした。
それがなぜ英国に支配されるに至ったのかといえば、国内がまとまらなかったからです。
国論が四分五裂し、中には白人と通じたり、いたずらに恭順したり、同じ民族を裏切ったりする者が続出し、その間隙を突かれて国家を崩壊させているのです。
特定秘密保護法案の採決をめぐって、国会は大荒れに荒れました。
「荒れた」ということは、いまの状態では、日本は一枚岩となって他国の脅威に備えることができないということです。
本来この法案は、本来、荒れるはずのないものです。
公務員がその保有する秘密を、民間に洩らしてはならない。
そんなあたりまえのことが法制度化されるだけのことです。
むしろ、これまでなかったことの方がおかしい。
では、これに反対する人たちとは、どのような人たちでしょうか。
簡単な答えです。
それは、公務員に秘密を洩らさせることで、利得を得ていた国内の一定の勢力を得ていた特権ある人たちであり、日本解体を目論む外国人の傀儡です。
まだまだ憲法、防衛など、さまざまな課題が目白押しです。
どれも日本人が真正面から取り組まなければならない課題です。
いま日本を守らないでどうするのか。
昨日と一昨日に、Facebookの方でご紹介させていただいた動画と写真を、下に掲載します。
お里が知れるとは、このことをいいます。
いつまでも、わたしたちはこのような茶番につきあっていてはならないと思います。
日本はいま、目覚めるときです。
わたしたちは、いま、安倍内閣という護国救国内閣のもとで、維新以来二度目の王政復古の大号令を求めるときにきています。

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