
今日は、ひとつの遺書をご紹介します。
あえて所感は述べません。
ご一読いただいて、何かをお感じいただけたら、それで結構です。
【僕は唱歌が下手でした】
佐藤源治陸軍曹長
昭和23年9月22日
ジャワ島ツビナンにて法務死
岩手県出身 32歳
一、僕は唱歌が下手でした
通信簿の乙一つ
いまいましさに 人知れず
お稽古すると 母さんが
優しく教へてくれました
二、きょうだいみんな 下手でした。
僕も 弟も 妹も
唱歌の時間は 泣きながら
歌へば皆も 先生も
笑って「止め」と言ひました
三、故郷を出てから12年
冷たい風の 獄の窓
虫の音聞いて 月を見て
母さん恋しと 歌ったら
皆が 泣いて 聞きました
四、僕のこの歌 聞いたなら
頬すり寄せて 抱き寄せて
「上手になった良い子だ」と
賞めて下さる ことでせう
この歌が書かれたのは、戦争が終わったあとのインドネシアのジャワ島です。
佐藤曹長は、戦後もインドネシアにとどまり、インドネシアの独立のために戦ったのでしょう。
そして捕虜となり、獄舎の中でこの遺書を書かれたのでしょう。
この遺書を書いた佐藤曹長の歌って、どんなだったのでしょう。
調子はずれだったのかしら。
音程があってなかったのかしら。
けれど、そんなことより、故郷を想い、母を想って唄った佐藤曹長の歌声は、どんなに立派な歌手の歌より、みんなの気持ちに届いたのでしょう。
「上手になった良い子だ」と
賞めて下さる ことでせう。
泣けて来て、続きが書けません。
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