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魔法使いのおばあさん

わたしたち戦後の日本人が日本史について、おかしな自虐的階級闘争史観を植え込まれているという話は、もはや誰もが知る事実となってきていますが、実は、日本史だけでなく、世界史についても、戦後のわたしたちは大事なことをまるで教わっていません。
たとえば、ロシアという国名のの語源となっている「Russ」は、「漕ぐ人」という意味です。
内陸部にあるロシアが、なぜ「漕ぐ人」なのでしょうか。
まだ中学生だった頃のことですが、お茶の木箱に、親父や叔父貴の学生時代の宝物のようなものが入れられてあったのを見つけたことがあります。
その中には、模型のエンジンや、木製のバワーボートの模型、あるいは本や昔の教科書などがはいっていて、へえ〜なんて思いながら、読んでびっくりしたことがあります。
というのは、当時の世界史の、たしか副読本だったと思うのですが、ぜんぜん知らないことが書いてある。
どのようなことが書いてあったかというと、それがヨーロッパの支配の歴史なのです。
ヨーロッパの支配の歴史と聞けば、多くの人は、絶対王朝による民衆の支配とか、植民地などを思い浮かべることと思います。
けれど、そこに書いてあったことは、そんな生易しいものではありませんでした。


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何十年も昔のことなので、細かなことはだいぶ忘れてしまっているのですが、ところが先般、行われた第三回日本史検定講座で、山本茂先生が、それに関する面白いお話をしてくださり、あ!そういえば!と、実は、大感動してしまいました。
山本先生の講義は、遣唐使と国風文化の講義でしたから、以下のお話は、そこから脱線したお話として出てきたもので、以下にする話は、その山本先生のお話に、さらに私の記憶を相当付加して、私なりに書いたものです。
ただ、間違いなく戦前は、こうしたことを中学生くらいになると、子供たちが教わっていたということを、わたしたちは思い出すべきなのではないかとあらためて、思います。
では具体的にどういう歴史なのかというと、たとえば帝政ロシア時代のロマノフ王朝です。
なんとなく、多くの方は、もともとロシアにあった華麗な王朝といったイメージを持たれていることと思います。
なるほど、チャイコフスキーや、文豪トルストイなどを生んだ、たいへん立派な王朝でもあります。
ところがこのロマノフ王朝は、実は外来王朝であるということを、戦後の教育を受けてきた日本人の中で、果たしてどれだけの人がご存知なのでしょうか。
もともとロシア地方に住んでいたのは、スラブ族です。
ところがある日、その地にノルウェーのバイキングたちがやってきて、勝手に征服王朝を築きます。
これがロマノフ王朝です。
冒頭に申し上げたロシアの国の「Russ」が「漕ぐ人」という意味は、実は、かつて大西洋を荒し回っていたバイキングたちを意味する言葉からきています。
そのバイキングが、内陸部にいるスラブ人たちの住むエリアを征服し、そこに「漕ぐ人王朝」を建てたというのが、実は帝政ロシアなのです。
しかも帝政ロシアの公用語は、スラブ語ではありません。ロシア語でもありません。
フランス語です。
時代とともにフランス語とスラブ語が合体し、いまのようなロシア語に変化しました。
つまり、ロシアにいたスラブ人達は、外国人であり、別な言語を話す一族によって征服され、外国語を公用語とされた挙げ句、国名まで、外国の名前にされてしまった、というのが歴史の流れです。
そのロマノフ王朝は、結婚するときにもスラブ系民族と血が混じることを嫌いました。
わざわざフランスやドイツから女性を招いて結婚したのです。
そして民であるスラブ人に対しては、たいへんな苛烈な支配と収奪をしました。
ご存知の通り、帝政ロシア(ロマノフ王朝)は、ロシア革命で倒れます。
倒したのが、共産主義者のレーニンです。
そのレーニンは、スラブとモンゴルとユダヤの合いの子です。
ですから、彼は民族的復讐の意図をもって、ロシア、ロマノフ王朝の貴族や王族を片端から虐殺しました。
なぜ、そこまで酷い殺戮ができたのかといえば、それはロマノフ王朝の貴族たちは、異なる民族の人々だったからです。
このことはイギリスも同じです。
イギリスはもともとケルト人の住むエリアです。
ケルト人というのは、映画「指輪物語」や、「ハリーポッター・シリーズ」に出て来る、妖精信仰の多神教者たちです。
ケルト女性の典型的な姿が、黒い着衣にとんがり帽子をかぶった魔法使いのおばあさんで、これはケルト人の呪術師の女性の一般的な服装です。
呪術師と聞くと、なにやらいかがわしく感じますが、いまで言ったら、お医者さんと看護婦さんと薬剤師さんを合体させたような存在です。
たいへんにケルトの人々から尊敬されていた人たちで、薬草などを処置して病気や怪我を直していました。
それが、恐ろしい魔法使い扱いされて、片端から殺害されたのです。
法律というのはおもしろいもので、これまた山本先生からの受け売りですが、イギリスではいまでも、ケルト人が夜、町を歩いているのを見かけたら、弓で射殺して良いなどというとんでもない法律が残っています。
すでに死法となってはいますが、現実にこうした法律が、ついこの間までは、執行されていたのです。
つまり、ケルト人は、「人」とさえみなされていなかったということです。
そのケルトの民の住むエリアに、ある日、ノルウエーのバイキングを始祖とするフランスのノルマンディ侯が上陸し、そこに勝手に王朝を作りました。
これがノルマンディ侯のエリザベス王朝です。
ノルマンディというのは、ノルウエーの人という意味です。
ですからイギリスも他民族によって、苛斂徴求が行われたところで、そのためにいまでも、アイルランドに住むアイルランド人(ケルト人)たちは、イギリスからの独立を求めて、たびたび争いを起こしています。
ちなみに、新大陸であるアメリカ大陸に渡ったイギリス人の多くは、このケルト人たちで、マッカーサーとか、マックイーンとか、風と共に去りぬに出て来る「スカーレット・オハラ」のオハラ姓などは、ケルト系の名前です。
そのイギリスに上陸したノルマンディ侯は、フランス貴族ですが、そのフランスも、もともとはケルト人が住む土地でした。
古代ローマの人たちは、その地をガリアと読んでいたことから、有名なカエサルのガリア戦記などという本が書かれたりしています。
そのガリアに、ラテン系のローマ人たちが入り込んで血が混じったところに、ゲルマン民族のフランク一族が侵攻、そして大西洋の沿岸部には、バイキングたちが入り込んで、血が混じりあってできたのが、フランスです。
やはり征服王朝であり、もともとのケルトの人々は、そこで迫害と収奪を受け、18世紀の終わり頃までは、フランスに住む一般民衆としてのケルト人たちの平均寿命は、わずか24歳であったと伝えられています。
どれだけ厳しいや苛斂誅求や収奪が行われていたかということです。
民族の違いというのは、たいへんな厳しさを持ったものといえます。
欧米による植民地支配は有名ですが、最近でも、Chinaによるチベットやウイグルの支配が問題になっています。
実はそれだけではなく、Chinaも朝鮮半島も、同じく、ずっと異民族による支配を受け続けた国です。
たとえばChinaの歴代王朝で、漢民族が築いた王朝というのは、漢王朝くらいなものです。
Chinaを最初に統一した隋も、これに続く唐も、トルコ、モンゴル系の遊牧民である鮮卑族(せんぴぞく)によって形成された王朝です。宋も元も明も清も、外来王朝です。
その外来王朝の支配の時代、漢族がどのような支配を受け続けたか。
彼らは、人というよりも、ただの家畜や食べ物としてしか認識されていなかったというのが、実際のところです。
朝鮮半島も同じです。
朝鮮半島の政権は、ずっとChinaの支配下にありました。
ですから、朝鮮族は、そもそも人として扱われず、女たちはただの性の道具とされていたのは、歴史に明らかな通りです。
わたしたち日本人は、民族が異なっても、いい人はいるし、と普通に相手を人間として扱うし、人間として接しようとします。
それは日本がこれまでの長い歴史において、異民族による支配を受けたことがないという世界史的にみれば、きわめて幸せなことによります。
ねず本にも書いた秀吉の朝鮮出兵など、まさに日本人としての民族の純潔を保つための行動であったと知ることができます。
もし、日本が中世に、外国人による支配地となっていたとしたならば、絶対に平安時代の国風文化や、江戸時代の武家文化、町人文化などは、誕生していなかったろうし、歌舞伎も能も、落語や浪曲、講談や文楽も、おそらく今の時代に伝承されることはなかったことでしょう。
そしてその日本が、2700年という長きにわたって、日本人としての文化、もっというなら、縄文時代から面々と続く平和を愛する和の文化を形成してこれた理由は、天皇というわが国最高の御存在が、政治権力者ではなく、それを選ぶお立場にあり、そして民衆が政治権力者の民ではなく、それよりも偉い天皇の民とされてきたことによります。
そういうことを、あたりまえに認めてみれば、日本の歴史はまさにわたしたちの前に輝きをもって次々に素晴らしい事実を教えてくれるし、あるいは世界史の根っこにある民族問題や人種問題というものの底の深さも理解できるようになるわけです。
けれど残念なことに、戦後の教育は天皇を否定し、世界の民族紛争を隠して、歴史を単なる階級闘争として捉えようとしています。
階級闘争などというものの考え方は、そもそもマルクスの生きた19世紀以降に誕生した理屈でしかありません。
そんな底の浅い歴史感で、日本は絶対に計れないし、世界の歴史も、何千年と続いた民族の相克の歴史を正確に捉えることなど、絶対にできません。
昔の人は、ヤクザ者のことを「斜めの人」と言いました。
斜めの人からみたら、真っ直ぐなものが曲がって見え、曲がっているものが真っ直ぐに見えるからです。
わたしたち戦後の日本人は、まさにその「斜めの人」になってしまっているのかもしれません。
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