■ねずマガ有料版のお申込はココをクリック
■ねずさんの本の新刊案内はココをクリック

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

最近よく聞く言葉に、「新自由主義」という言葉があります。
そしてどういうわけか、安倍内閣は「新自由主義」だから信用できないとか、その「新自由主義」が、あたかも保守層内の対立軸として、議論されていることがあったりしているようです。
ではそもそも「新自由主義」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
もともとは「新自由主義」という言葉は、19世紀の「自由主義」の修正論として、20世紀の中頃に提唱された思想です。
「自由主義」はなんでもありで、儲かりゃいい、儲かるためなら、殺人だってへいっちゃらさ。奴隷だって使っていいじゃん、などとやっていたものが、さすがにそれだけでは社会の頽廃を防げない。
そこで、なんでもありの自由ではなくて、そこに多少の規制を入れることによって、公正で公平な社会の実現を図ろうではないかと提唱されて生まれたのが「新自由主義」です。
=======
つまり「新自由主義」というのは、「自由主義に一定の規制を加える、自由主義の修正版」というのがもともとの出発点です。
こうした歴史的背景を知る「新自由主義」の人たちは、「自由を根本としながらも、公平で公正であり、かつ自由な社会を実現するために」という意味で「新自由主義」という言葉を使っています。
ところが「新自由主義」には、これとはまったく正反対の意味の解釈(学派)もあります。
どういうことかというと、「新自由主義」とは、自由市場、自由貿易、民営化、規制緩和を求めるものと定義する人たちです。
つまり「新自由主義」という言葉には、「自由主義」よりももっと自由にしろ、という「自由放任」としての「新自由主義」と、「自由主義」を修正して、規制をかけろ、という意味での「新自由主義」があるわけです。
こうなると、聞いている方は、さっぱり意味が分からなくなります。
ちなみに、「自由主義よりも、もっと自由にしろ、放任させろ」というのは、「レッセフェール論(仏:laissez-faire)」と呼ばれるもので、これを直訳すると自由「放任」主義となります。
それなら最初からそのように言ってくれれば、わかりやすいのですが、ところがこのレッセフェールというのは、ケインズによって完全否定されているわけです。
要するに「放縦」では、経済は成り立たない。
あたりまえのことです。
経済は、そもそも約束事を守ることが担保されなければ、まっとうな経済は成り立たない。
定義の曖昧なもの、もしくは、まったく正反対の定義のある用語というのは、実は対立をあおり、闘争を起こさせ、人々の紐帯をバラバラにしようとしているだけといえるかもしれません。
言う側の「新自由主義」という言葉は、聞く側は、その立場によって趣旨をまるで正反対に勝手に受け止めてくれるからです。
一方、「保守」です。
実は「保守」というものも、西欧でいう保守思想と、日本の保守思想では、その考え方が異なります。
西欧の保守思想というのは、エドマンド・バークの「剣を抜く騎士道論」が有名です。
1789年のフランスで革命に際して、暴民に囲まれてベルサイユ宮殿からパリに連行されたマリーアントワネット王妃の恐怖と悲しみに、剣を抜いて立ち上がる。
他人のために自らの生命を捨てるその覚悟と勇気と倫理こそ、高貴な自由と美徳にあふれた社会の根幹をなす。
これが「剣を抜く騎士道論」で、ここまではなにやら保守思想というより、日本の武士道を想起させます。
問題はここからで、ではその「高貴な自由と美徳にあふれた社会」とは何かといえば、簡単にいえば、神のもとに還るということを意味します。
西欧における神は、一神教ですから、他の神を信仰する異教徒は、やはり「剣を抜いて戦う相手」です。
つまり、唯一絶対の神と対立する者たちと「対立」し「闘争」するのが保守だと規定しているわけです。
これに対し日本では、日本はそもそも多神教国ですから、神様は八百万もおいでになります。
神のもとに帰れといわれても、どの神様のもとに帰ったら良いのかわからない。
このことから、むしろ日本では保守思想は、「様々な価値観を持った者同士が共生することができる伝統的美風にあふれた社会への回帰」を、多くの人が保守思想であると思っています。
つまり西欧における保守思想が、その根幹に「対立と闘争」を置くのに対し、日本の保守思想は根っこのところに「共生」を置いているわけです。
ただ、あくまで「対立と闘争」をあおり立てたり、自己都合ばかりの排他主義者に対しては、厳しくこれを排除しようとします。
ですから、日本の保守も「対立と闘争」という一面を持っています。
いま日々日本の保守層は、急激に増加しつつありますが、そうなると、スパイさんとしては、なんとかその日本の保守の増加増大を防がなければならないわけです。
なんとかして、保守を分断しようと、工作をする。
もしかすると「新自由主義」というレッテル張りも、そういう意図のもとに行われているのかもしれません。
もうすこしつけ加えると、最近のグローバリズム(Globalism)という言葉があります。
「グローバリズム(Globalism)は世界の潮流だ」などと語られます。
グローバリズムというのは、地球上を一つの共同体とみなして、世界の一体化を進めようという思想です。
最近では、多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開したりもしていますから、それら企業は、自由貿易や市場原理主義を求める。それがグローバリズムなのだともいわれます。
ところが実際にはグローバリズムが成功したことは、これまで一度もありません。
なぜなら、人類の共同社会は、最大の単位が国家だからです。
地球市や、地球憲法、地球民法、地球刑法なんていうものもありません。
地球貨幣などというものもない。
あるのは、実は大国によるブロック化であり、これを「リージョナリズム(Regionalism)」といいます。
リージョンは、地域のことですから、これは一定の地域や国家による支配の構図をあらわします。
戦前の大英帝国の世界支配、戦後の米国による世界支配がこれにあたります。
その国だけが繁栄することを企図するものですから、支配する側と支配される側には格差が生まれます。
国単位の極端な格差社会が生まれるわけです。
一方でグローバリズムを主張しながら、その反対側では格差是正などということを言い出す。
両者は別々なものにみえますが、実は根っこのところはまったく共通していて、これは国家の否定です。
日本についていえば、日本の最大の共同体機構は、日本国家ですが、これを否定する。
否定したって、世界国などというものはありませんから、日本国家がなくなれば、日本はどこかの国の傘下にはいるしかない。
つまり日本人は、他国による支配を受けるようになるわけです。
日本ほど、民衆を大切にしてきた国は、世界中どこをさがしてもありません。
その日本がなくなるということは、日本の民衆は、大半が殺され、財を奪われ、たとえ生き残ったとしても、ソマリアやチベット、ウイグル、あるいはアメリカインデアンのような末路をたどることになります。
それによって利益を得るものは誰なのか。
そしてその利益を得るものは、どうやってメディアを動かしているのか。
それを考えれば、日本の今の構図がはっきりと見えてきます。
日本は、日本を取り戻す。
そのために、いつまでも新自由主義だとか、グローバリズムだとかといった妄言を繰り返す者たちを、もはや排除しなければならないところまできているといえるのかもしれません。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。
=======
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

拡散しよう!日本!
ねずブロへのカンパのお誘い
ねずブロで感動したら・・・・
よろしかったらカンパにご協力ください。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目 普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com

