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1900 年にアメリカで出版された
「Bushido - The Soul of Japan」
Bushido - The Soul of Japan

明治時代に世界的ベストセラーになった本とといえば、よく知られた本に、新渡戸稲造博士の「武士道」があります。
この本は明治32(1899)年に米国で「BUSHIDO , THE SOUL OF JAPAN」の題で出版されると、またたく間にドイツ語、ポーランド語、フランス語、ノルウェー語、ハンガリー語、ロシア語、イタリア語などに翻訳され、世界的なベストセラーになりました。
この本がそれだけの注目を集めたのは、日本が明治28(1895)年に日清戦争に勝利したことがあげられます。
なぜ日本が、あの巨大国家清国に勝利したのか。
まさに世界が注目していた時期でもあったわけです。


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【出版予告】
書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
著 者:小名木善行
出版社:彩雲出版
価 格:1,470円
発売日:2013/11/10(予定)

ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!101
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「武士道」が日本語に翻訳されたのは、各国語に翻訳された時期よりもはるかにずっと遅く、実は明治41(1908)年になってからのことです。
最初の翻訳者が桜井鴎村で、文語体のかなり高尚な訳であったせいかあまり売れず、多くの日本人に読まれるようになったのは、むしろ昭和13(1938)年の矢内原忠雄の翻訳による岩波文庫本が出てからのことでした。
昭和13年といえば、支那事変がはじまって間もない頃で、その前年には通州事件などが起き、それでも国をあげて和平を願って戦争を防ごうとしたのに、支那に挑発され、やむなく出兵し、上海に次いで南京を陥落させて間もないことのことです。
この支那事変への出兵は、日本を挑発し、日本軍が来るのをまさに完全装備で、万の単位のトーチカまでこしらえて、さらに日本軍の10倍以上の兵力を集結させて、日本軍を完膚なきまでに打ちのめそうとしていた大陸への出兵でした。
装備も兵力も日本軍に10倍する敵が、日本軍を完全に包囲殲滅しようと準備万端整えて待ち構えているところに、日本軍が進撃したのです。
戦いは、ことごとく日本の勝利とはなったものの、その戦いは、まさに凄惨を極めたものでした。
「泥水すすり草を噛み、荒れた山河を幾千里」、「骨まで凍る酷寒を、背をも届かぬクリークに三日も浸かっていたとやら、十日も食べずにいたとやら」というのは、「父よあなたは強かった」の歌詞にある言葉ですが、まさに信念と執念と、なによりも平和を願う責任感による勝利でもあったわけです。
その日本軍の精神性の強さの原点として、いまでは左傾化してどうしようもないおバカ出版社となった岩波が、文庫本という持ち運びに便利な装丁で、格調高い名文で出版したのが、いまでも読める文庫版の「武士道」だったわけです。
ですからこの本は、当時にあっては、むしろ出征する兵士や、これから兵隊さんになろうとする青少年たちにとって、その心を涵養(かんよう)するための良書として、広く紹介され、また読まれたわけです。
評論家さんや学者さんの一部には、新渡戸博士の「武士道」が、戦前の一時期において、軍国精神涵養書であったことを理由に、この本を「不幸な歴史」とと決めつけ、世界中で高く評価されている新渡戸博士が5千円札の肖像となるや、博士ごと名著である「武士道」を排斥する運動が行われ、結果、新渡戸5千円札は発行からわずか23年で、樋口一葉にとってかわられています。
日本国民としては、私はこのことを、たいへん不愉快に、また不幸なことと思います。
もうひとつ、日本人が書いた本で、世界的なロングセラーになった本に、杉本鉞子(すぎもとえつこ)の「武士の娘」があります。
実はこの本はいまでも日本を知る本として西欧を中心に広く世界中で読まれていて、この本を読んで日本にあこがれ、やっとのおもいで日本にやってきたら、いまどきの日本には、武士も、武士の娘もぜんぜんいないことでショックを受ける西欧人が多いといいます。
出版されたのが大正14(1925)年のことで、ニューヨークで「A Daughter of the Samurai」という書名で出版されました。
当時は「この本を読むと日本がわかる」といわれ、全米でまたたく間に大ベストセラーになり、後に欧米8か国語に翻訳され、出版されています。
A Daughter of the Samurai
A Daughter of the Samurai

著者の杉本鉞子は、明治6年の生まれで、出身は新潟の長岡藩です。
長岡藩は幕末から維新にかけて、幕軍として戦った藩で、有名なところでは幕末の希代の作戦家、河井継之助(かわいつぎのすけ)を輩出しています。
河井継之助といえば、戊辰戦争において、寡兵の長岡藩兵を指揮して官軍と対峙し、たくみな傭兵で長岡城の奪還を実現するなどまさに武勇伝中の人物で、石原莞爾の陸軍大学校における卒業論文も、河井継之助の戦術がテーマだったそうです。
著者の杉本鉞子は、代々この長岡藩の首座家老職の家柄で、明治以降も厳格な武家の娘としての教育を受けて育っています。
ちなみに、鉞子の「鉞(えつ)」という字は「まさかり」という意味で、女性でありながらも「まさかり」を名に持つくらいだったのが、まさに当時の武家であったわけです。
この「武士の娘」に書かれている挿話ですが、6歳の頃、杉本鉞子は漢文の四書五経の素読の授業を受けていて、子供のことですから、いちどだけつい、講義中にほんのすこしだけ体を傾けたことがあったのだそうです。
するとそれをみたお師匠さんは驚いて、
「お嬢様、そんな気持ちでは勉強はできません。お部屋に引き取ってお考えになられた方がよいと思います」
と諭され、杉本鉞子は「恥ずかしさのあまり、私の小さな胸はつぶれるばかりでした」と書いています。
昔の授業というのは、先生の講義中は、たとえ子供であっても畳の上で背筋を伸ばして正坐し、手と口以外は、一切、微動すらいけない。まして私語などもってのほかです。
昨今では、微動どころか、授業中に私語する、騒ぐ、それで教師が叱ると、親が出てきて「どうしてウチの子ばかり叱るんですかっ」とくるのだとか。
大きな間違いです。
昔の軍隊でも、いまの自衛隊でも、そしてまた昔の日本でも、子供に対しては「強制」があたりまえです。
立派な人間になるための教育なのです。
わがままを認めるようなものは、それだけで教育の名に値しない。
ましてや小学生をつかまえて、女性のオマタに一升瓶を蹴り込んでいるようなどこぞの国の蛮行をマンガ仕立てて子供たちに読ませる(はだしのゲン事件)など、もはや教育どころか国辱です。とんでもない。
実際、こうした厳しい教育を受けた武家の娘たちは、幼いころから「制御の精神」(=これも古い言葉です。いまではまるで失われてしまっている)を身につけて育ち、だから子供であっても、穏やかな中に、自然と威厳が備わっていました。
当時、武士と庶民では挨拶の仕方から、歩き方まで違っていたのです。
ですから風呂屋で裸になっても、どの階級に属するのか、一目でわかった。
とまあ、そんなことが、この「武士の娘」には書かれているわけです。
この本は、日清日露、第一次世界大戦を勝ち抜き、世界のG5の一角にまで食い込んだ日本という国の持つその強さの原点を知る本として、まさに世界中で大絶賛され、実は、いまでも西欧で日本人女性のイメージといえば、杉本鉞子の「A Daughter of the Samurai(武士の娘)」が原点となっています。
逆にいえば、それだけ日本女性には高い文化性があると、西欧で思われているわけで、そのおかげで、日本人と聞けば、あちらの人は、それだけで高貴な存在と思ってくたりしているのだそうです。
そういうご先祖が築いてくれたイメージを損ねないような日本人になりたいものです。
さて、ここまでのところで2冊の本を紹介しました。
最初にご紹介したのが、「武士道」で、これを最初に日本語に翻訳したのが、桜井鴎村でした。
実は、この桜井鴎村は、津田梅子とともに津田塾大学を開いた英語教授で、実は、新渡戸稲造と並んで、明治時代に世界的大ベストセラーとなった本を書いた桜井忠温(さくらいただよし)の実兄にあたります。
おそらく、多くの戦後生まれの人は、桜井忠温という世界的ベストセラー作家の名前を聞いても、まるでピンとこないであろうと思います。
実は、これまた戦後の「消された歴史」のひとつなのです。
新渡戸稲造の「武士道」が日清戦争の勝利という日本の快挙の中に生まれた本なら、桜井忠温の書いた本は、日露戦争を題材とした本にあたります。
というのは、著者の桜井忠温は、日露戦争の旅順要塞戦に参加し、そこで体に8発の弾丸と無数の刀傷を受け(全身蜂巣銃創)、右手首まで吹き飛ばされた人なのです。
彼は、あまりの重傷なため、死体と間違われて火葬される寸前に息を吹き返し、緊急入院しています。
そして、入院中の病院で、右手首から先がないから、左手で書いたのがこの本の原稿で、著作は「肉弾」と題され、本の表紙には、あの乃木大将が、題字を書いてくださっています。
桜井忠温 肉弾
桜井忠温 肉弾

本の内容は、旅順要塞攻略戦という、戦場の極限状態の中で、部下や親友の安否を気づかい、日本の家族を思いやる日本兵の姿を描いたもので、まさに感動作であり、発売と同時に日本国内で大ベストセラーとなり、さらに本は、英国、米国、フランス、独逸、イタリア、ノルウェー、スウェーデン、スペイン、支那、ロシア、ギリシャなど世界15カ国語にまたたくまに翻訳され、世界中で大ベストセラーになりました。
この本の影響力はすさまじく、特にエジプトでは、アフマド・ファドリーが明治42(1909)年にこの本を翻訳出版すると、またたくまに著作が広がり、この本がもととなって「ナイルの詩人」とうたわれたハーフェズ・イブラヒームが「日本人の乙女」という詩を書くと、今度はその詩がアラブ諸国で大評判となり、ラジオで繰り返し何度も朗読されただけでなく、教科書にまで掲載されて、アラブ諸国の知識人の間で広く暗唱されるようにまでなっています。
そして実は、この「肉弾」が、日本語で書かれた本がアラビア語に翻訳された史上初の本でもありました。
「日本人の乙女」の詩を読むと、「肉弾」という従軍記の何が世界を動かすもとになったかのヒントを得ることができます。
それはいったい何でしょうか。
=========
【日本の乙女】ハーフェズ・イブラヒーム作
砲火飛び散る戦いの最中にて
傷つきし兵士たちを看護せんと
うら若き日本の乙女 立ち働けり
牝鹿にも似て美しき汝なれ
危うきかな!
戦の庭に死の影満てるを
われは日本の乙女
銃もて戦う能わずも
身を挺して傷病兵に尽くすはわが務め
ミカドは祖国の勝利のため
死をさえ教え賜りき
ミカドによりて祖国は大国となり
西の国々も目をみはりたり
わが民こぞりて力を合わせ
世界の雄国たらんと力尽くすなり
=======
おわかりになりましたでしょうか。
では、もうひとつのヒント。
桜井忠温の書いた「肉弾」がもとになって、この「日本人の乙女」が生まれ、教科書にも掲載されるようになりました。
「日本の乙女」が掲載されたレバノンの教科書
日本の乙女

するとこんどは、イランのホセイン・アリー・タージェル・シーラーズイーという人が、「ミカド・ナーメ(天皇の書)」という本を出版しています。
そこには次の記述があります。
=========
東方から太陽が昇る
眠っていた人間は
誰もがその場から跳ね起きる
文明の夜明けが日本から拡がったとき
この昇る太陽で
全世界が明るく照らし出される
=========
実は、この著作の「肉弾」を貫いているのが、皇民思想なのです。
世界中、どこの国においても、軍は上官の命令によって動きます。
そのこと自体は、日本も世界も何ら変わるところはありません。
ただ、世界の諸国の軍隊と日本のそれが違うのは、兵が皇民である、という一点なのです。
皇民というのは、文字通り「天皇の民」という意味です。
世界中、どこの国においても、実は上官にとって兵は「所有物」と同じです。
生かすも殺すも、上官の命令ひとつだからです。
ただ、日本においては、たとえそれが軍であったとしても、そこにいる兵は天皇の兵であり、天皇の民なのです。
これを言うと「君主国であれば、どこの国でも兵は国王の兵だ」という反論をいただきそうですが、世界の国王と、日本の天皇には、ひとつ大きな違いがあります。
それは、世界の国王は、そのまま絶対的政治権力者であるのに対し、日本の天皇は政治権力を持たない君主であるという違いです。
実はこの違いは、とても大きなものです。
同じ兵であっても、権力者の兵と、天皇の兵では、その基本的パラダイム(大原則)が異なるのです。
このことは、手にしたコーヒーカップを例にとるとわかりやすいかもしれません。
手にしたコーヒーカップが自分の物なら、持っている人は、そのカップを他人に譲ろうが、割って捨てようが、その人の勝手です。
なぜならそのコーヒーカップは、手にしたその人の私物だからです。
ところがそのカップが、自分のものでなくて、お店のカップであれば、いくらその瞬間に手にしているのが自分であったとしても、その手にした人は、カップを他人に譲ったり、売ったり、捨てたり、破壊したりすることはできません。
実は、これと同じなのです。
旅順要塞の攻城戦の責任者は、乃木大将です。
部下は、乃木大将の命令のもとに、突撃攻撃を行います。
もちろん多数の死者が出る。
命令だから、突撃しているのです。
けれど、唯一違うのは、その突撃している兵は、乃木大将にとって、私物ではなく、天皇からの預かりものなのです。
そしてその命令している乃木大将自身も、天皇から、指揮官としての地位を与えられている者です。
ですから、突撃する兵も、それを命じる乃木大将も、等しく天皇の民です。
そして大切な天皇の民を兵として預かる乃木大将は、同時に旅順要塞を陥落させなければならないという使命を負った大将でもあります。
ですから心ならずも、部下の兵たちを突撃させなければならない。
大将の、そのつらい気持ちが、同じ天皇の民として、部下の兵たちにもわかるから、部下たちも命を投げ打ってでも、戦いに勝利しようと、突撃攻撃を行う。
そこに高次元な将官と部下との相互の「思いやりの心」があるのです。
カタチは同じ、将官と部下です。
けれど、その根源となっているのが、ただの地位や命令であるということと、根源における高次元な思いやりの心があるのとでは、戦いの結果がまるで異なるのです。
旅順要塞攻囲戦といえば、4ヶ月半の戦いで、日本側に1万6000柱もの戦死者が出た、たいへんな戦いでした。
戦後は、この死傷者の数だけが取り沙汰されて、なにやらまるで旅順攻囲戦は、無能な将官による兵の無駄殺しのように宣伝されているけれど、まるで違います。
そもそも要塞というのは、行政機能を持った城塞よりも、もっとはるかに戦いに特化した戦城です。
ですから、城攻めよりも、はるかにその攻略は難しい。
ところが日本は、要塞側のロシア兵6万3000に対し、要塞側よりも少ない兵力であるわずか5万1000名で、その戦いに臨んでいるのです(攻囲戦開始時)。
要塞戦の困難さを示す例として代表的なものに、「セヴァストポリ要塞」の攻囲戦があります。
ここでは、日本では幕末にあたる1854年のクリミア戦争のときに、大激戦が行われました。
クリミア戦争というのは、ヨーロッパでナポレオンの後に起こった第二次世界大戦に匹敵する大戦争で、その大戦争中最大の激戦となったのが、この「セヴァストポリ要塞攻囲戦」です。
クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦
クリミア戦争のセヴァストポリ要塞戦

セヴァストポリ要塞には、ロシア陸軍が立て篭り、その後背地には、ロシアの黒海艦隊が集結していました。
ロシア側の要塞守備隊は8万5000、そこへイギリス、フランス、オスマンの連合軍が、17万5000という途方もない大軍で襲いかかったのです。
戦いはほぼ1年にわたって続き、ようやく要塞が陥落したとき、連合軍側の死者は12万8000、ロシア側の死者は10万2000、両軍合わせて23万人の死者が出ています。
23万人です。
青年期の男たち23万人の死というのは、100万人の都市ひとつが壊滅したに等しい。
要塞戦というのは、それほどまでに過酷なものなのです。
そして日露戦争前に旅順に要塞を築いたロシアは、このセヴァストポリの戦いにおける経験を活かし、セヴァストポリの6倍の強度を持つと豪語する要塞を、旅順に築いていたのです。
しかも、幕末頃のクリミヤ戦争と、日露戦争のときでは、大きな違いが生まれています。
それは、機関銃が登場した、ということです。
まだクリミア戦争の時代には、銃は単発銃しかありません。
それが旅順要塞攻囲戦の時代には、ロシアは豊富な数の機関銃を、要塞に張り巡らせていたのです。
その堅牢不二の要塞が、たった4ヶ月半で、しかも日本側の死者、わずか(クリミア戦争と比較し、あえて「わずか」といいます)1万6000名の死者を出したのみで、陥落してしまったのです。
これは、世界史上では、まさにあり得ない出来事でした。
もっというなら、セヴァストポリは、第二次世界大戦中にも、大要塞戦が行われています。
昭和17(1942)年6月に、ナチスドイツがソビエト連邦のカフカス地方へ侵入するために、その手前にあるセヴァストポリ要塞の制圧に出たのです。
ドイツ側で、この攻囲戦を任せられたのは、当時のドイツ軍で、もっとも優秀とされた第11軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥です。
この時代は、第二次世界大戦ですから、当然航空機もあります。
砲の性能も格段に進歩しています。
もっというなら、このときドイツが用いたのは1300門もの大砲に加え、ロケット砲や、80センチの列車砲などというまるで戦艦の主砲のような巨大砲も動員されています。
そしてこの戦いにドイツ第11軍が投下した兵力は、なんと35万人です。
大小さまざまな砲を駆使し、航空機による爆撃も行い、それだけの兵力を大動員し、ようやくセヴァストポリ要塞が陥落したとき、ドイツ軍の死者は10万人を超えるものでした。
要塞戦というものは、それほどまでに過酷なものなのです。
ここまで申し上げたので、もうひとつ例を述べます。
フランスの「ベルダンの戦い」です。
この戦いは、日本の旅順要塞戦の11年後、第一次世界大戦の最中の大正5(1916)年に行われた要塞戦です。
戦ったのは、ナチスになる以前のドイツ帝国とフランスで、この戦いによる死者は、フランス軍36万2000、ドイツ軍33万6000、両軍合わせて、69万8000人が死亡しています。
広島の原爆による死者の、なんと5倍の命が、この戦いだけで失われているのです。
セヴァストポリ要塞や、ベルダン要塞に匹敵する、もしくはそれ以上に堅牢に固められた要塞を、乃木大将率いる日本陸軍は、わずか4ヶ月半という世界の戦史上類例のない速さで、しかも戦死者わずか1万6000柱という、言い方は悪いかもしれないけれど、めちゃめちゃすくない損耗で、要塞を陥落させているわけです。
これには、世界中の人々がまさにぶったまげた出来事だったわけで、だからこそ、実際に、その旅順要塞攻囲戦に参戦した兵士の手記である「肉弾」は、世界中で翻訳され、まさに日本軍の強さの原因はなにからきているのかと、眼を皿のようにして読まれたわけです。
そして、世界の人々が知ったのが、日本には「ミカド」という、世界に類例のない政治権力をもたない最高位の存在があるという現実だったわけです。
大正10(1921)年3月、アラビア、インド、エジプト、トルコのイスラム教徒がメッカでイスラム教徒世界代表者会議を開きました。
そしてこの席上、日本のミカドをイスラムの盟主と仰ごうという決議が採択されています。
あいにく日本には、そこまでの国力はないからと、この申し出を丁重にお断りしていますが、当時のイスラムの人々は、宗教を超える人智があるということを、この本を通じて、はっきりと知ったということが、この一点をもってしても、理解できる出来事といえます。
日本は、世界で一番長く続いている国である。世界第二位のデンマークが約千年、三番目に古い英国が約900年の歴史です。
日本はその倍以上もの長い年月、日本です。
その他の多くの国は、建国以来、いずれも200年に満たない歴史しかありません。
世界で唯一「Emperor(エンペラー)」の称号が認められ、世界の権威の最上位におわすのが、我が国のミカドなのです。
そして一冊の本というものが、まさに世界の常識を塗り替えるということがある、ということも、この「肉弾」の挿話からも伺えようかと思います。
このたび、私も本を出しました。
私の本は、新渡戸博士や杉本鉞子、桜井忠温などの偉人の本とは比べ物にもなりませんし、私には世界を変えようなどいう野心もまったくありません。
ただ、日本が、日本という世界でもっとも古い歴史と伝統を持った国であり、その日本に住む日本人が、日本人としての矜持を、そして日本人としての喜びを、あらためて感じていただきたく、その万分の一かのたすけになればとの思いで、本の出版にいたらせていただきました。
ひとりでも多くの方にこの本が読まれ、あらためて「すごい国、日本」の良さを実感いただければと願う次第です。
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【出版予告】
書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
著 者:小名木善行
出版社:彩雲出版
価 格:1,470円
発売日:2013/11/10(予定)

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