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今も当時のまま残る文右衛門水路
今も当時のまま残る文右衛門水路

このところ8月ということもあって戦争の話が続いたので、すこし時代を変えてみようと思います。
ちなみに、実は8月25日から私は出張中で、ブログの記事を書くことができません。
そこでこの間の記事は、過去記事のリニューアルでお届けしています。
以下のお話も、平成23年2月にいちどアップしたお話です。
今日お届けするお話は、江戸時代初期の、三重県の松阪市のあたりにいた、福井文右衛門(ふくいぶんえもん)という武士の物語です。
福井文右衛門は、藤堂高吉(とうどう たかよし)の家臣です。
藤堂高吉というのは江戸時代前期の武将で、秀吉の朝鮮征伐のときに加藤清正らと並んで武功をたてた藤堂高虎の跡取りとして養子となった人です。
もともとは丹羽長秀の三男、立派な家柄の養子ですが、高虎に実子高次が生まれたため疎んじられ、さらに家中でささいな騒動を起こしたために、蟄居処分となってしまっていました。
慶長十一(1606)年、高吉は蟄居を解かれ、江戸城の普請で功績をあげ、高吉は、藤堂高虎が治めていた伊予今治の城代に任じられました。
慶長十九(1614)年の大坂夏の陣では、藤堂高吉は徳川方の武将として参戦、長宗我部盛親隊を相手に奮戦し武功をたて、この功績によって寛永十三(1636)年に、伊賀国の名張に移封され、名張藤堂家一万五千石の祖となったのです。
福井文右衛門は、その藤堂高吉の家臣です。
高吉が名張に移封されたときに、一緒に名張に赴き、伊勢領の出間村(現、松阪市出間村)のあたり一帯を治める代官に任ぜられました。


さて、当時の出間村は、土地は肥沃(ひよく)だったそうです。けれど水路がない。
水路がないということは、農業は天水にたよるほかない。
天水だと米を作れない。
そのため農民はどの家もオカラ飯を食べて暮らしていました。
代官に就任してすぐに村々を視察してまわった福井文右衛門は、実情を知り、なんとかしなければならないと思い悩みました。
そしていろいろ調べた結果、出間村のあたりは、櫛田川の流域にあたるのだけど、土地が川面より高いことを知りました。
近くにある川よりも土地のほうが高いから、土地に水がひけないわけです。
水をひくためには、もっと川上にある下機殿(しもはたでん)の東の方から、水を真っすぐにひくしかない。
そのためには水路を掘らなければならない・・・と、そこまでは少し調べればわかるのですが、ではなぜこれまで水路がひかれなかったのかというと、そこに重大な問題がありました。
水路の通り道となるところが、伊勢神宮の御神域だったのです。
古代からの決まりによって、御神域は、草木一本、人が動かしてはいけないというのがしきたりです。
慶安三(1650)年五月二十日の夕方のことです。
福井文右衛門は、出間村の村人たちを全員集めました。
そして、
「下機殿から東へ真っすぐに水路を掘れ」と命じたのです。
村人たちは驚きあわてました。
御神域を掘って水路をひくというのです。
ですから村人たちは顔を見合わせ、「それはできません」と言いました。
けれど、代官の福井文右衛門は、堂々と笑顔で答えました。
「だいじょうぶだ。村人たちには決して難儀はかけない。おまえたちは安心して工事を実行すればよろしい」
そして重ねて、水路工事を村人たちに命じました。
村人たちは話し合いました。
水さえひけば、米を作れる。
そうすれば、これからは腹一杯、おいしいご飯が食べられる。
けれど、御神域は、勝手に掘っちゃならない。
「でもよ、事情をちゃんとわかってらっしゃるお代官様が、あのようにおっしゃられているんだ。きっとお代官様が神宮のご了解をとりなさったに違いない」
「きっとそうにちげえねえ」
村人たちは、そう決まると、みんなで協力して、一夜のうちに水路を掘り上げました。
明け方、ようやく水路は完成しました。
堰をきりました。
水がいきおいよく流れ出しました。
これまで水がなくて貧しかった村が、豊富な水に支えられる豊かな村へと出発した瞬間でした。
村人たちから歓声が上がりました。
一晩中かけて徹夜で工事した顔は、どの顔も土にまみれて汚れていたけれど、みんな満面の笑顔でした。
これで家族も養える。子供達にも腹一杯飯を食わしてやれる。
いきおい良く流れる水に、喜びの歓声をあげる村人たちの姿が、まるで目に見えるようです。
「さっそく、お代官様に、お礼をいわなきゃなんねえ」
「お代官様は、どこだ」
「さっきまで、そこにいたぞ」
あたりを見回しても、先ほどまで工事の監督と励ましのために笑顔で一緒にいてくれたお代官の福井様のお姿が見えません。
全部お代官様のおかげです。
何をおいてもお代官に知らせなくてはと、村人たちは代官所に向かいました。
するとそこには、代官、福井文左衛門の割腹して果てた姿がありました。
たとえ、村人たちのためとはいえ、神域を侵すのは重罪です。
その罰(ばつ)は藩主にまで及びます。
福井文右衛門は、その責任を、自らの腹を切ることで、一身に負って自決したのです。
近くに文右衛門の遺書がありました。
そこには、こう書いてありました。
========
今朝、流したあの水は、この文右衛門が命に替えて出間村へ贈ったものである。
孫子(まごこ)の代まで末長く豊作とならんことを。
========
この事件から360年が経過しました。
今でも出間村の人々は文右衛門のご命日に、欠かさず村人一同で供養の法要をしています。
そしてまた伊勢神宮も、下機殿の東の隅(すみ)に、大きな顕彰碑(けんしょうひ)を建ててくれました。
文右衛門の心は、いまも立派に出間村に生きているのです。
この物語は、義と感謝と伝統という三つのことを私たちに教えてくれています。
ひとつは「義」です。
「義」は、部首が「羊」で、つくりが「我」です。
古代において「羊」は神への捧げもの、つまり生贄です。
その生贄として「我」を捧げる。それが「義」です。
不自惜身命の心が「義」です。
福井文右衛門は貧困に喘ぐ民百姓のために一事を成し、主君を守るため、そして伊勢神宮への咎を一身に引き受けるために我が命を断ちました。
その「義心」を神宮も、主君 藤堂高吉も、幕府も、ちゃんとわかったから、藤堂家も福井家もお家安泰を得ています。
時代は江戸時代の初期のことですが、この時代に、すでに私たちの祖先は、公のために尽くす、それも我が命に代えてでも尽くすという心を持って生きていたのです。
二つ目は「感謝」です。
360年経ったいまでも福井文右衛門への感謝の法要が営まれるということは、私たち日本人は歴史を大切にしてきた、そしてその歴史への感謝の心を大切にしたきた民族であることを証明してくれています。
人は木の股から生まれて来るのではないし、土地も農地であれ、宅地であれ、そこをみんなが大切にしてきたからこそ、いまある土地になっているのです。
戦後の日本は、いまさえ良ければ、自分さえ良ければという考え方が蔓延してきているといわれています。
けれど、そこに感謝の心を失っては、それはもはや人ではありません。
畜生と人の違いは、報恩感謝の心を持てるか否かです。
感謝の心を失っては、人でさえない。
このことは、私たちの日本を考える上で、見過ごせない大切なポイントであると思います。
三つ目は、江戸初期の武家社会において、神宮の権威がキチンと守られていたということです。
神宮の権威を真摯に受けとめる心があったからこそ、福井文右衛門は腹を斬っているのです。
宗教勢力というのは信長が比叡山の戦いや本願寺との戦いをするまでは、我が国における武装した大きな政治勢力でした。
これに対し、神宮を筆頭に神社は古来まったく武装をしていません。まる腰です。
けれどそのまる腰の神宮の尊厳を、昔の人はちゃんと理解し、守っていました。
そのためには自分の命さえも惜しまない。
日の本の民は武装ではなく、公を大切にする民であったのです。
藤堂高吉は、せっかく藤堂家に養子に迎え入れられていながら、人生の途中で藤堂家から厄介者扱いされています。
けれど彼は、それでグレてしまうようなことはせず、江戸城の普請や大坂夏の陣で功績をあげ、立派に伊勢藤堂家を守り打ち立てています。
そしてその藤堂家の家臣である福井文右衛門もまた、民のために自分の命さえも省みずに真っ直ぐに生きた人です。
そういう、ひたすらに真っ直ぐに生きることを、大切にしてきたのが、日本という社会であったのだろうと思います。
いま、私たちは、戦後に失われた日本を取り戻そうとしていますが、それもまた、まっすぐに進むべき道であるのだろうと思います。
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