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スミロドン
スミロドン

いま普及品や常識商品となっている品物も、以前には存在しないものでした。
たとえばインスタントラーメンの誕生は、戦後、昭和28(1953)年のことです。
村田製麺所(現:都一)という会社で、朝、麵を作ろうと製麺機をまわしたら、たまたま刃が詰まって、麺が曲がって出て来てしまったのです。
明らかな故障なのですが、それまでの麵は、すべてストレート麺です。
曲がった麵も面白いのではないか。
そう考えた社長が、あれこれ機械をいじっているうち、ついに社長は縮れ麺が製造できる機械を開発してしまいました。
そしてさっそく特許をとり、いまやたいへんなお金持ち会社になっています。
ところが当初は、これが商品化できない。
しても売れない。
どういうことかというと、麵が切れるのです。


縮れ麺ですから、汁が絡み易く、それだけ濃厚な味を楽しむことができます。
ところが、これをインスタントラーメンにするには、コンセプトがひとつ足りなかったのです。
それが麵の糊化です。
松田産業(現:おやつカンパニー)も、縮れ麵を使ってのインスタントラーメンにトライした会社だったのですが、縮れ麺にスープの味を沁み込ませ、お湯をかけるだけですぐに食べれるように工夫したところまでは良かった。
ところが、お湯を注いだあとに麺を食べようとして箸でつまむと、麺がブツブツ切れてしまうのです。
やむをえず松田産業は、この麺を乾燥させて細かく砕き、食べるラーメンとして、お菓子のチャンネルで売り出しました。
これがいまもある「ベビーラーメン」です。
昭和30(1955)年のことでした。
この「お湯を入れたあとに麺がふやけて切れてしまう」という問題を解決したのが、昭和33(1958)年の日清食品です。
麺を「糊化」したのです。
こうすることで麵が、お湯をかけても切れない。
こうして生まれた製品が、日清の「チキンラーメン」でした。
チキンラーメンは、便利さ、手軽さ、美味しさがウケて、国内でヒット商品になりました。
そこで日清食品では、このチキンラーメンを西洋でも売ろうと、ヨーロッパのあちこちで試食会を開いたのです。
ところが、「お湯をかければすぐに食べれます」と説明しても、ヨーロッパには、そのお湯をいれるラーメンどんぶりがない。
そこでやむをえず彼らは、紙コップにチキンラーメンを半分に割って入れて、これにお湯をかけてバイヤーさんたちに試食してもらいます。
これがきっかけとなって誕生したのが「カップヌードル」です。
通常サイズのカップヌードルの麺の量が、袋麺の半分しかないのは、こういう経緯があったからです。
カップヌードルも、昭和46(1971)年の発売当初はなかなか売れませんでした。
当時はまだ、サッポロ一番塩ラーメンなどのような袋麺全盛期です。
ところがその翌年に、市場を塗り替える大事件が起こりました。
「あさま山荘事件」です。
このとき機動隊員に、日清食品がカップラーメンを差し入れたのです。
厳寒の中、機動隊員たちが湯気のあがる温かなカップヌードルをすする姿が、たびたびテレビで放映されました。
これがきっかけとなって、カップヌードルが一気に全国に普及しまました。
しかもカップヌードルは、自衛隊をはじめ、世界各国の軍用食としても大量採用されるようになりました。
こうしてカップヌードルは、普及に拍車がかかり、いまでは世界80カ国以上で販売され、販売累計はなんと200億食のお化け食品となりました。
カップラーメンは、日本だけでなく、ついに世界の常識商品となったのです。
何ごとも、はじめから「ある」わけではありません。
いまは常識になっている製品やサービス、思想も、かつては存在さえもせず、誰もが非常識と思っていた。
ところがある種のタイミングで、それが大ヒットし、一般化し、常識化する。
そういうことは、様々な分野にあります。
はじめに誕生したときには、ごく一部のマニアックな人だけが知る状態だったものが、徐々に普及し、あるタイミングを経て、まるで大爆発するかのように普及し、一般化する。
その一般化した製品やサービスのことを、認知商品とか、常識商品と言ったりします。
そしてひとたび常識が変化すると、過去の遺物となったものは世間からは見放されます。
いまでも、インスタントラーメンが出回る前に売られていたストレートの中華乾麺は、スーパーなどで売られています。
けれど、インスタントラーメンは食べたことがあっても、スーパーで売られているストレート麺の中華乾麺は、見たことはあっても、食べたことのない方がほとんどなのではないでしょうか。
要するに、これが市場が変化した、ということです。
ひとたび変化した市場は、もはやとどまるところを知りません。
カップ麺にしても、袋麺にしても、スーパーにもコンビニにも、次々と新製品が並んでいます。
小売り商店で、商品の陳列棚の面積は、そのまま「売れ筋商品」の面積でもあります。
とりわけコンビニは、店舗面積が狭い分、売り場の商品ごとのフェイス(売り場)面積の配分は、たいへん重要なものとされます。
ご覧いただいたらわかりますが、なんと、おにぎりやお弁当のコーナーとほとんど同じ面積が、インスタントラーメンに割かれ、かつて中華麺として定番だった麵だけのストレート中華麺は、おそらくコンビニでは売ってない。
要するに、それだけインスタントラーメンが、売れているということなのだろうと思います。
常識が変わったのです。
ストレート麺は縮れ麵となり、インスタント麺となり、世界のカップ麺となりました。
日本も同じだと思うのです。
日本はよい国だ、と言った幕僚幹部が更迭され、日本の教育を取り戻すと言った大臣が議員辞職に追い込まれたのは、ほんの数年前のことです。
けれど、少し考えたらわかるのですが、防衛幹部が自国に誇りと自信を持つのは、あたりまえのことですし、日本の閣僚が、日本の教育を大切に思うのも、あたりまえの常識です。まして元文科大臣です。それが議員辞職の理由になる。ありえないことです。
ところがそういうことが現実に起こる。
これはおかしな世の中というべきです。
つまり、戦後日本というおかしな世の中が定性進化して、もはやこれ以上ないというところまで突き進んだということだったのです。
1万年ほど前までいたスミロドンという虎は、別名をサーベルタイガーといいますが、この虎は強さを追求したあげく、長さ25センチにもなる巨大な牙を持つようになりました。
そして牙が巨大になりすぎて、絶滅してしまいました。
定性進化の果てにあるもの。それは常に、異常であり、絶滅です。
民主党政権の三代の総理は、戦後の日本の「常識」の体現者でした。
彼らは戦後日本という異常で特殊な環境の中で「正義」と信じられたことを、そのまま信じて行動した政治家でした。
ですから戦後教育をそのまま正しいと信じる多くの日本人に、ごくあたりまえのように支持されました。
ところが、実際に戦後の常識が内閣になったら、戦後世代が常識と思い、正しいことと信じていたことが、実は、まことにくだらない無責任なサークル活動以下のものだった、という事実でした。
国民は、気がついたのです。
そしてその気付きが、今回の参院選でした。
日本が定性進化の挙げ句に、絶滅することはありません。
日本人は、そこまで馬鹿ではない。
日本は、絶滅ではなく、いま「変わる」ことを選択しています。
ですからもう二度と、民主党のような戦後レジウムに全身汚染されたような政党や政治家が、政権与党に返り咲くことはありません。
時代は変わったのです。
そして同時に、これから新たにはじまる政治では、野党もメディアも、単に「対立的」に、ただ政府与党を非難するだけでいるような姿勢であれば、完全に世間から見放されることでしょう。
なぜなら、ただ対立するだけの野党や評論家などに、もはや存在価値がないからです。
今回の参院選のあと、敗北した野党の党首などが、「自民党に対して対立軸を打ち出せなかった」などとコメントしているケースがありましたが、まるでわかってない。
誰も対立など、望んでいないのです。
この日本の惨状をなんとかしてほしいのです。
せっかくあがりかけた景気を、なんとかもっと拡大してほしいのです。
多くの国民は、政治にもメディアにも、アベノミクスの批判など、まったく望んでいません。
いまや批判している番組自体が、不愉快なものにしか見られなくなっています。
国民が望んでいるのは、日本の経済の再生であり、強い日本の再生です。
ですから55年体制の延長線上のような「与野党が対立する政治」自体が、もはや時代遅れの産物と化しています。
いま求められているのは、「対立的ではなく、合意を形成して新しい時代を切り拓ける与党であり、野党です」
ここを読み違えると、次回の選挙では、今回の参院選以上の大敗北が、現、野党を襲うことになります。
また、メディアも、いつまでも対立的野党、対立的マスコミなどという幻想に幻惑されていると、視聴率も発行部数も失うことになります。
人々はそんなものを求めていないからです。
もはやマスコミは、最先端を行くクリエイティブな存在ではなく、完全に時代においてけぼりを食っています。
これはメディアにある人たちは、恥ずべきことです。
おもしろいのは、インスタントラーメンにせよ、カップ麺にせよ、時代を変えた常識商品としてのウォークマンや携帯電話、スマホにせよ、世の中のありとあらゆる新機軸の常識商品は、すべからく「対立からは生まれていない」ということです。
対立ではなく、工夫と改善、みんなで力を合わせた協調の中から生まれています。
そもそも日本社会には、古来、集団で合意を行うコンセンサス(Consensus、一致)社会です。
なぜかそういう社会になったかといえば、コンセンサスの精神を失い、ただやみくもに対立をあおるだけでは、人々の暮らしは一向に良くならないことを、日本は長い歴史の中で学んで来ているからです。
つまり、国内政治における「対立」などという概念は、戦後の一時的な流行病でしかないということです。
そして日本中が罹患したその病気から、もう多くの日本人は治ってしまっています。
常識が変わるとき。
それは時代が変わるときです。
ひとたび変化した時代は、今度は新たな方向にむけてひた走りに走り出します。
そこに後戻りはありません。
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