倭塾第3回公開講座のご案内
今回は知覧特攻基地の母、鳥浜トメさんのお孫さんからお話を伺います。
6月9日(日)15時開始 (受付開始14:30から)
詳しくは↓で。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1895.html
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http://www.mag2.com/m/0001335031.htm

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最近は便利にな時代で、「日本が侵略した」といわれている地域を、googleの衛星写真で見ることができます。
すると、その「日本が侵略した」ところだけが、緑豊かな大地に育っている。
日本の影響が薄かったところは、赤茶けた荒れ地です。
はて?これはいったいどういうことでしょうか。
パソコンでgoogle MAPを使うと、近場から世界全図まで、縦横に見ることができます。
上にある写真は、そのgoogle Mapで、日本、朝鮮半島、支那の一部までの航空写真を切り取ったものです。
これとおなじものは、どなたでもgoogle Mapを使えば、無料でみることができます。
さて、ぱっとご覧いただいてわかる通り、写真には緑の濃いところと、薄くて茶色くなっているところがあります。
おおむね日本列島は緑が濃いです。
ひと目見ておわかりいただけるとおり、森が広がっているからです。
日本と似ているのが台湾です。
台湾の緑の濃さも、日本とたいへんよく似ています。
これが朝鮮半島に行くと、緑は緑だけれど、全体に色が淡くなっている様子が、おわかりいただけようかと思います。
日本と比べて朝鮮半島の緑が薄い理由は、ご自分でgoogle Mapを開いて、拡大してご覧いただけるとさらによくわかるのですが、山々が全部緑に覆われているわけではなくて、禿げ山がけっこうたくさんあることによります。
そんな朝鮮半島でも、支那と比べるとまだましです。
支那は内陸部にはいると、地面がむき出しになり、緑がありません。
また、緑となっているところも、拡大してみると、まるで月面クレーターさながらに、緑が歯抜けになっています。
さて、次の絵は、「日本の中国侵略」と書かれた地図です。

図の緑色等に塗られているところが、「日本が侵略したエリア」なのだそうです。
要するに日本は朝鮮半島や台湾、満州、支那の北京から済南、徐州、南京、上海、漢口にかけて、「悪質な植民地経営を行った」のだそうです。
悪質だというくらいですから、他の国が植民地支配した諸国同様、そのエリアはきっとペンペン草も生えないくらい、何もかも日本によって奪い去られたのでしょう。
そこで、冒頭の航空写真と、2枚目の「日本の中国侵略」と書かれた地図を重ねてみます。

すると、あら不思議。
日本が侵略し、収奪の限りをつくして、ペンペン草も生えなくなったはずの地域と、冒頭の緑の濃いエリアが、なんとも見事に重なってしまっているではありませんか。
いったいどのヘンが「侵略」なのでしょう?
ペンペン草も生えないような黄色い大地を、緑の大地に変えたのは、いったいどこの国のおかげなのでしょう。
ついでに申上げると、樺太も、日本の領土となった南半分は緑が濃く、北半分はおもいきり地面がむき出しになっています。

それにしても、日本の影響下にあったところは緑が濃く、日本の影響が及んでいなかったエリアには緑がない。
これは歴然としています。
理由があるのです。
日本は、日本が統治したエリアが荒れ地だったとき、そこにさかんに植樹をしたのです。
朝鮮半島だけで、日本が行った植樹は、明治44(1911)年から終戦までの30年間で、5億9千万本、これは当時の朝鮮半島の全人口の一人あたり約25本にあたる数です。
その他に、民間ベースで約4億本。
つまり日本は、朝鮮を統治した時代に、なんと10億本という途方もない数の植林を、朝鮮半島にしているのです。
植林といえば、以前「緑の聯隊長」のお話をご紹介させていただきましたが、コチラは支那での植林事業です。
機動歩兵第三聯隊長だった吉松喜三大佐が、「樹木の少ない支那の地に、沢山の苗木を植えて繁らせて、住民を喜ばせようではないか」と、戦時中に各大隊ごとに50万本、兵ひとりあたり500本、都合400万本、さらに興亜植樹公園や、子供達のために小さな動物園まで築いています。
樺太のように、戦前に日本が植林した樹々がそのまま手つかずで成長し繁殖しているところ。
台湾のように、戦後もかつて日本人であった台湾の人たちが森を大事にしてくれているところ。
この二つは、航空写真で見ても、緑が濃いです。
朝鮮半島は、緑が歯抜けになりました。
日本が撤退したあと、樹々を伐採し、燃やし、それがそのまま放置されているからです。
支那も韓国とおおむね似た情況でした。
けれど支那については、民間のボランティアが、戦後も支那のあちこち、特に砂漠地帯を中心に植林による緑化をすすめました。
日本の政府の緑化推進事業のためのODAは、ほぼ全額支那共産党幹部と日本の反日議員のフトコロに消えましたが、民間ベースでは、ほんとうに何もない砂漠に、木を植え、水を引き、植林をしてまわっているのです。
その中のひとつが、支那四川省で、日中友好の証として日本人ボランティアが植樹した「中日友好林」です。

この「中日友好林」は、2000年、日中友好協会が50人を超える日本人ボランティアを引き連れ、四川省簡陽市の山村である丹景山で植樹したものです。
これを記念して「中日友好林」と書かれた記念碑も建てられました。
2010年には大きく立派に成長した「中日友好林」が確認されました。
ところがネットユーザーの告発を受けて、今月12日に支那人民網の記者が現地を訪れてみると、なんと「中日友好林」は影も形も消え、代わりに別荘群の建設が行われていたというのです。
→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130526-00000004-xinhua-cn
これはひとつには戦後の中共政府による反日教育の成果ということもあるでしょう。
けれどそれ以上に、折角植林しても、そうしてできた森をしっかり手入れして大切にするどころか、木を伐採し、むしろせっかくできた森を自らの手で破戒している。
これはもはや民族性という他はないように思います。
ぜひ、もういちど冒頭の写真をご覧になってみてください。
日本が介入しなかった、反日左翼的な表現なら「日本が侵略したエリア」だけが緑になり、もともと支那人だけのゾーンは、ものの見事に砂漠化しています。
6月1日の記事「征服の日本的意味」で、古代の日本と朝鮮半島の関わりについて書きました。
日本における施政者の目線は、古代においても、中世や近代においても、常に民の幸せ、民の生活の安心と安全にあります。
人が生きるには、水が必要です。
田んぼでお米を作ると、お茶碗一杯のお米をつくることで、お風呂3倍分の地下水が生まれます。
その田んぼは、川から水をひきます。
川は、山のきれいな地下水から生まれます。
山のきれいな地下水は、山の樹木から生まれる山の貯水能力から生まれます。
富士山のふもとの東名高速道路の足柄サービスエリアでは、地下水のわき水をもらうことができます。
その地下水は、富士山に降った雪が、30年かけて湧き水となったものなのだそうです。
よく、農林水産業といいいます。
農業、林業、水産漁業のことをいいます。
このうち、漁業は、昨今の寿司ブーム、日本食の見直しなどの中で、とくに国産品の値打ちがあがり、漁業従事者の待遇も、もちろん十分とはいかないまでも、だいぶ改善の道筋がみえてきました。
農業も、年々国産品の高付加価値化がすすみ、一時期とくらべれば、だいぶ改善の兆しがみえてきました。
ところが林業は、いまだ手つかずです。
廃業する林業家が増えただけでなく、高齢化もあいまって、もはや日本国内の林業従事者は、壊滅寸前の情況にあります。
このためかつては、日本全国、どこもしっかりと林業者の手がはいっていた日本の森は、いまや雑木林と化しつつあります。
森の樹木の下地は、自然放置すれば、折れた枝や葉が積もり、青木ヶ原の樹海のような人の入れない湿地になります。
そうなると、いま山々にある材木になる針葉樹は枯れ、木材としては使えない樹々ばかりになってしまう危険も指摘されています。
宮崎県の日向駅は、駅舎の改築にあたり、地元の杉材を大量に用いることで、たいへんに暖かみのある、また夏涼しく、冬温かい駅舎を完成させました。
その名もスギダラケ駅舎です。

日本人と森、これは切っても切れない、それこそ日本人が日本人であるためのアイデンティティの柱であり、日本人の生活の原点であり、基盤です。
戦後の森を大事にしない日本は、まるで支那人と同じです。
森を見直す。
これもまた、日本を取り戻すための重要な戦いだと思います。

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