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可児才蔵

国際社会は、試合の場ではなくて実践の場だ、ということを書いてみたいと思います。
昔、戦国時代のことですが、可児才蔵(かにさいぞう)という戦国武者がいました。
槍は宝蔵院に学んだ名手で、戦(いくさ)の場では、猛烈な働きぶりで、討った敵将の数が多すぎて、とても腰にぶら下げきれない。
なので、いつも背中に笹(ささ)を背負っていて、自分が討ち取った敵将の首には、必ず笹の葉を咥えさせたのだとか。
おかげで、ついたあだ名が「笹の才蔵」です。


ちなみにこの才蔵、あまりにも実戦で強かったことから、ある日、才蔵に試合を申し込む武者が現れたのだそうです。
要するに、俺と勝負しろ!というわけです。
日時が指定され、その相手の武者が試合場である河原で待っていると、笹の指物を背中に指し、甲冑で身を固めた才蔵がやってきました。
さらに才蔵の部下10名が鉄砲を持ち、火縄に火をつけて、後ろに控えます。
相手の武者は驚いて、「これは実戦ではない。試合だ」と抗議すると、才蔵は「俺の試合は実戦が全てだ」と笑いながら答えました。
これが実戦というものです。
日本に対して攻撃を加えようとする者、あるいは尖閣領海に勝手に侵入しようとする者、あるいは竹島に勝手に上陸して石碑などを立てる者、そうした者たちが、そんなことをやろうという気持ちさえ起こさせなくすることこそが、国としてもっとも大事なことです。
そこで仮の話ですが、日本の憲法に
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第◯条 日本の領土領海への侵犯ないし日本人への不当な暴力あるいは日本人の財産に対する破壊行為等が行われたときは、日本は即時徹底した無差別な報復攻撃を行うものとする。
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と書いてあり、現実に日本が相応の攻撃力を持った軍隊を保持していたとしたら、その日本の竹島や尖閣に侵入しようとしたり、あるいは現地の日本企業への破壊行為などは、果たして行われるでしょうか。
もし、日本や日本人、日本の施設などに対して、ちょっかいを出そうとするなら、それこそその国は、日本との間で全面戦争をする覚悟がなければ、手出しできません。
そして全面戦争をしかけるとしても、日本の軍事力があまりに強大であれば、誰も日本人には手出しできなくなるのです。
では反対に、日本の憲法に「日本は他国から何をされても、いっさい報復は行わず、つねにやられっぱなしで満足し、かえって大金をお好きなだけ支払うものとする」と書いてあり、実際、戦う力はあるのに、政府がこれを行使しようとしないとしたら、どうでしょう。
そういうありがたい国があるなら、国際社会では、そこからカネをふんだくらない方が、むしろどうかしているかもしれません。
そもそも、他国軍が日本国土に攻め込んで日本人の虐殺をはじめたとしても、緊急出動する自衛隊車両は赤信号でちゃんと停まらなくちゃならないし、制限速度も守んなくちゃならない。
渋滞に巻き込まれたら、おとなしくクルマの行列に並んでなくちゃならない。能天気にもほどがあります。
けれど、これが現実です。
可児才蔵が亡くなったのが1613年で、いまからちょうど400年前のことです。
400年前の日本人がちゃんと理解していた実戦を、400年後の日本人はわからなくなっている。
人類は進化するなんて、嘘です。
学ばなければどんどん後退する。退化する。滅んでしまう。
日本が人にやさしい国であろうとするならば、そうしていたいなら、日本は世界最強、圧倒的な武力を持たなければなりません。2位ではだめなんです。
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