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江戸仕草

たまに、人前をすり抜けるとき、「ちょいと失礼」とか、「ごめんなすって」とばかりに、自分の顔のちょっと下あたりで手刀を上下に振る動作をしながら通りすぎるような場面に出くわすことがあります。
実はこれ、「横切りしぐさ」といって、古くからある日本の習慣です。
もともとは、お相撲さんが懸賞金を受け取るときの動作ですが、そのお相撲さんの動作も、そのまたもとをただすと、刀を振ることで邪気を払うという神道の仕草からきている習慣です。
お相撲さんは、裸で刀を持っていませんから、刀の代わりに手刀をきるわけです。
お金はありがたいものだけれど、邪念に取り憑かれやすいものだから、清浄な場である土俵で受け取るときに手刀で、邪気や魔をとりはらうわけです。
そうすることで邪念のない清いお金を受け取り、清く正しくそれを遣わせていただく。
そういうところからきている習慣、というわけです。


他にも、たとえば「傘(かさ)かしげ」などというものもあります。
雨の日に、傘をさした者どおしですれ違うとき、相手も自分もお互いに相手が濡れないように、そしてまた、互いの傘がぶつからないように、傘を外側に少し傾けてすれ違う。
雪の日や、あるいは晴れた日の日傘のときでも同じようにする。
それを自分から、すすんで行います。
これが「傘かしげ」です。
他にも最近、有名になったものに「うかつ謝(あやま)り」という江戸の習慣があります。
足を踏まれたら、踏まれた方が先に「うかつでした!ごめんなさいね」と謝る。
そうすれば角が立たないし、踏んだ方も気持ちよく、「いえ、私が悪うございました」と謝ることで、たがいに角をたてないようにする。
最近では、逆に「うかつ」に謝ると、責任を擦り付けられて方外な賠償金をふんだくられたりしてしまったりするので、下手に謝ることさえできなかったりする世相です。
特に、クルマをコツンと当ててしまったときなど、そういうことがよくあります。
互いに角をたてないように、お互いが相手に気を使う世の中が良いのか、反対に、自衛のために謝ることもできないで、その都度警察官に仲介をしてもらうような社会が良い社会といえるのか、私たちは、私たちの国のあり方を、もういちど深く考え直してみる必要があるように思います。
「肩引き(かたひき)」という仕草もあります。
狭い道で人が行き交う時、肩が触れないようにお互いが肩を引き、身体を斜めにしてすれ違うというものです。
「もったいない」は、国際語になりました。
モノを最後まで使うこの精神は、実は江戸社会ではとっても徹底していたし、私などが子供の頃も、まだまだ大きな習慣となって残っていました。
いま、頭に白髪の混じりはじめたくらいの方から上の年齢の方なら、明治生まれの祖母が、衣類を大事に使い、古着や、張り替えたふすま紙、あるいは古新聞などを細かく切って水に漬け、そこから紙を作ったりしていたのを目の当たりにしたご記憶をお持ちの方もおいでかもしれません。
昭和初期まで、こうした習慣は日本社会にあたりまえにあったものです。
いまでは、中年になって太って着れなくなった着物は、そのまま捨ててしまったり、早いうちに古着屋さんに持って行ったりしてますが、昔は、とことん使い切ったものです。
だいたい新調した着物は、祖母、母、娘と三代くらい、そのまま使われ、孫の代くらいになると、かなりボロボロに擦り切れてきて、それでもツギをあてたり、仕立て直して、まだ使う。
それでもう、布自体がダメになったら、こんどはそれを手ぬぐいとして使い、さらにそれもボロボロになると、ようやく雑巾になる。
その雑巾も擦り切れてダメになると、今度は、その雑巾を細かく切り刻んで水に漬け、そこから自家製の和紙を作ります。
和紙は、薄く伸ばしたものは、手習いの紙などに使われ、やや厚手のものは、ふすま紙などに使われました。
そして、そのふすま紙も汚れて来ると、また水に溶かして、何度でも使う。
やや黄ばんだ、そうしてできたふすま紙は、それだけではみすばらしいので、上から絵を書いて楽しんだりしました。
そうして何度も溶かしては使った紙は、最後は燃やしてしまうのですが、その燃やした灰も、火鉢に入れてまたまた利用しました。
私がまだ小学校にあがる前くらいだったと思うのですが、部屋で遊んでいて火鉢をひっくり返して、室内を灰だらけにしてしまったことがあります。
そのとき祖母が、ちらばった灰を片付けながら、
「この灰はねえ、死んだお婆ちゃんのお婆ちゃん・・・あんたから言ったら、何になるのかしら・・・ずっと前のお婆ちゃんがね、すごく字の上手な人だったのだけれど、そのお婆ちゃんが手習いで使っていた紙だったものなんだよ」と話してくれたのを、目をまるくしながら聞いた記憶があります。
ということは、いま考えてみれば、私からみたら10代くらい前の、つまり250年くらい前に、着物として新調されたものを、灰になってもまだ大事に大事に使っていたということになります。
祖母方の家も、武家の家柄でしたが、割と禄高の高い武家の家であっても、そこまでしてモノを大切に扱っていたわけです。
私の友人の社長の事務所には、立派な神棚があるのですが、その神棚は、伊勢神宮の式年遷宮で廃材になったものから作られたものなのだそうで、木は、式年遷宮のあと、いろいろな物に使われ、神棚になるのは最後の方なので、「おそらくこの神棚の木も、200年以上昔に、神宮だった木材なのだろうね」と話していました。
日本人の「もったいない」精神は、ここまでして徹底していたものだったのです。
こうした「手刀をきる」「傘かしげ」「肩引き」「もったいない」などは、江戸時代には広く普及したものとされていますが、こうしたものを総称して「江戸仕草(えどしぐさ)」といいます。
(もったいないは、もったい大事という言い方もします)
江戸仕草には、何々流作法とかのような、あらたまった堅苦しいものはありません。
あくまでも、生活の中から工夫され、伝えられてきたものです。
「江戸」という名前がつけられていますが、一説によれば、江戸時代に工夫され定着したというばかりでなく、実はもっとはるかに古くから(もしかすると縄文の昔から?)あるもので、日本社会では、いわば空気のようにあたりまえなものとして定着していたものであったともいわれています。
最近では、この「江戸仕草」は、企業の研修や学校などでも採り入れているところもあるそうです。
日本人のやさしさ、思いやり、気遣い、秩序ある行動、忍耐強さなどは、特に東日本大震災以降、世界から絶賛されているところですが、そうした傾向は、「江戸仕草」のような、ある種の、これはDNAに書込まれた日本人の型となっていたものによって、育成されてきたものなのかもしれません。
「江戸仕草」には、ほかにも、次のようなものがあります。
■「蟹歩き(かにあるき)」
細い道ですれ違うとき、蟹のように横歩きする。
■「七三の道(ひちさんのみち)」
道を歩くときは道幅の三割とし、七割は他人のために開けておく。
■「時泥棒」
断りなく相手を訪問したり、約束の時間に遅れる等、相手の時間を奪うのは時間泥棒の重い罪。
■「はいはいの修養」
まず「はい」と返事して、人の意見や話を聞く。
(これは国会で、特に一部の左巻き議員に徹底してもらいたいと強く思います)
■「打てば響く」
叩けば鳴る太鼓のように、機転を利かして即、機敏に行動する。
■「こぶし浮かせ」
乗合船などで、後から乗る人のために、こぶしひとつ分、腰を浮かせて席を詰める。
電車の座席などでは、あたりまえの常識ですが、最近はできない人も多いですね。
■「聞き上手」
相手の話を聞くときは、相手の目を見、体を乗り出すようにして、相槌を打ちながら聴き、知っている話でも「知っている」などと言わず、興味深そうに聞く。
■「死んだら御免(ごめん)」
子供の頃やって「指切りげんまん」。
「嘘ついたら針千本飲〜ます」の後に、「死んだら御免」と続きました。
約束した以上、命ある限り約束を果たす、という意味であり、その覚悟をいう言葉です。
■「逆らいしぐさ」
みんなで何かをしようとするとき、あるいは年長者から何かを言われたとき、「でも」とか「しかし」とか言って、いちいち逆らうな、という意味です。
こういう「逆らいしぐさ」の多いモノは、それこそ「つかえない奴」とみなされました。
馬には乗ってみろ、人には沿うてみろというわけで、言い訳ばかりして何もしないのではなく、まずは人の言うことを聞いて、やってみなさい、という意味の言葉です。
ちなみに「でもしか」といえば、「でもしか先生」という、戦後の言葉があります。
これは終戦後、GHQの公職追放によって、保守系の多くの学校の先生が公職を追放され、代わって左翼系の教師が教職に就き、こうした戦後の教師たちが、肝心の学業をほっぽり出して、組合活動に専念し、デモばかりやっていたことから「デモしかしない先生」で、「デモしか先生」という言葉が生まれました。
一方、左翼の側は、こうした教師に対するイメージを払拭するため、授業中に「これはナニナニと言われていますが、デモ〜〜! しかぁし!!」と熱心に教育する教師を映画などで描き、主人公のその教師に「でもしか先生」とあだ名をつけて、組合活動にうつつをぬかす教師たちのイメージの払拭を行っています。
まさに、戦後左翼の洗脳操作、情報操作は、昔から実に堂に入ったものだったわけです。
話がだいぶ脱線してしまいましたが、狭い世間の中で、互いに江戸しぐさでほんのちょっぴり気を使いあう、そういうことが世の中の常識であり、ふつうのこととなれば、どれだけ住み良い社会になるか。
そういうことを、世間の常識として共有することができる社会というものが、どれだけ人の心を温め、豊かにすることか。
こうした、互いに譲り合うという文化は、上下の支配関係だけがすべてに優先し、上に立ちさえすれば、下の者に対しては、ありとあらゆる我儘や傲慢が許されるという社会では、絶対に実現できないことです。
日本人は、お互いが天皇の民、皇民なんだという意識が根底にあるからこそ、互いに敬い、互いに助け合い、互いに信頼しあい、お互いが対等に結ばれる社会を築くことができたのだし、そういうことが背景となって、ほんのちょっとした仕草の中にも、相手に対するおもいやりや、やさしさを伺える文化を築いてきたのです。
あるChinese留学生は、日本に来たばかりのとき、駅のホームで並んで待っている日本人が馬鹿に見えたそうです。
だから、毎回電車がホームに滑り込んで来る度に、並んでいる人も降りて来る人も押しのけて電車に乗り込んだ。
そうすることで、毎回、席に座ることができたそうです。
けれど、ある日、おなじようにそうするライバルが誰もいないことに気がつきます。
そして、日本社会のもつ素晴らしさに素直に感動したといいます。
(レコードChina、http://www.recordchina.co.jp/group/g31500.html)
住み良い社会というのは、物質的な充足感ばかりにあるのではありません。
お互いがお互いをほんのちょっと思いやるという心ある社会こそ、本当に住み良い社会となるといえるのではないかと思います。
隣に住む一人暮らしの老人が、死んで白骨化しても、近所の誰も気付かないなんて社会は、すくなくとも、私たちがご先祖に恥じない社会とは決して言えない。
日本を取り戻すという中には、江戸しぐさにあったような、お互いがお互いをおもいやれる、ほんのちょっとした仕草を取り戻す、そんなことも含まれているのではないかと思います。
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