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靖国神社軍犬慰霊像-12

私がまだ学生だった頃、先生から「戦時中の教科書では、犬まで利用して軍国主義をあおっていた」という話を聞いたことがあります。
酷い話だなあと、クラスの誰もが思いました。
いまから、40年も昔のことです。
実際には、私たちは戦後の教科書を使っていたわけですから、戦時中の教科書に何が書かれてあったのか、その時点では知りません。
しらないから、教師からそう教われば、単純に「そうなんだ」と思い込む。
けれど、社会人となってだいぶ経ったとき、実際に戦時中の教科書で語られた、その「犬」の物語を読む機会がありました。
それは、戦時中の小学3年生の教科書に掲載されていた物語でした。
一読して、このどこが軍国教育なのか?と不思議に思いました。
思っただけでなく、その物語に、ものすごく感動しました。
それは、動物を愛する「心の物語」だったからです。
ちょっとみなさんに、その物語をご紹介します。


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軍犬利根

シェパードで軍用犬の利根は、小さい時、文子さんの家で育てられました。
文子さんがちょうど小学三年生になったころ、お父さんが、おじさんの家からまだ生後まもない子犬をもらってきたのです。
子犬の親は軍用犬で、戦地で働いていました。
お父さんは、子犬に「利根(とね)」という名前をつけました。
家の近くを流れている利根川からつけた名前です。
堂々とした大河のような、そして日本を代表するような立派な軍用犬に育ってほしいとの願いからでした。
文子さんの家は、みんな犬が大好きでした。
文子さんは、とても利根を可愛がり、朝夕、体の毛をすいたり、布でからだを拭いてやったりしました。
散歩にも毎日、連れ出しました。
食べ物んにもよく気をつけて、間食などは、できるだけさせないようにしました。
おかげで利根は、子犬がよくかかる病気にもならず、すくすくと育ちました。
利根はかしこい犬でした。
文子さんに教えられると、「おあづけ」も「おすわり」も、すぐに覚えました。
文子さんは、利根がどこへでもついてくるので、可愛くてたまりませんでした。
ただ、学校に行くときに、なんべん追い返しても、あとからついてくるのには困りました。
文子さんはおじさんに聞いて、利根に「まて」を敎えました。
子犬ですから、これはなかなか覚えませんでしたが、決して叱ったり、叩いたりしないで、少しでもできると、頭をなでてほめてやりました。
のちには、文子さんが学校へ行くときに、とんできても、
「すわれ」「待て」
といいますと、行儀よく座ってお見送りをするようになりました。
こうして、その年の秋も過ぎ、冬の初めになりますと、利根は、もう子犬ではありませんでした。
近所の、どの犬よりも大きく見えました。
小学三年生の文子さんが連れて歩いているのに、向こうから来る人は、大人でも、遠くからよけて通るほど強そうな犬になりました。
お正月がくるとまもなく、文子さんが願っていたように、利根は、軍隊の軍犬班にはいることになりました。
出発の前の晩、文子さんは、利根にたくさんのごちそうをしてやりました。
自分の育てた犬が、いよいよ軍犬になるのだと思うと、嬉しくてたまりませんが、別れるのは、ほんとうにつらいと思いました。
文子さんは、日の丸の小さな旗を作って、利根の首につけ、寒い日の朝、おかあさんといっしょに、停車場まで見送ってやりました。

それからのち、利根の係の兵隊さんから、ときどき、利根の様子を知らせてきました。
文子さんも、手紙を出しました。
文子さんが、四年生になった秋のころ、兵隊さんから、次のような手紙が来ました。
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利根は、たいそうりっぱな軍犬になりました。
高い障害をわけなく飛び超えます。
腹を地につけて、ふせをしたり、川を泳いで渡ったり、遠くにかくしてある手ぶくろを、すばやくさがしあてたりします。
もう、軍犬のすることは、どの犬にも負けないで立派にやりとげます。
あなたから手紙が来ると、それを利根に見せてやります。
利根は、なつかしそうに、においをかぎながら目の色をかえて喜びます。
あなたが、可愛がっていられたのと同じ気持ちで、私も利根を一生懸命で育てています。
どうぞ、安心してください。
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三 
それから半年ほど経って、ちょうど文子さんが五年生になったころ、利根は、勇ましく北Chinaへ出征しました。
利口な利根は、戦場で、敵のいるところを探しあてたり、夜、ふいに近寄ろうとする敵の見張りをしたり、隊と隊との間のお使いをしたり、何をさせてもすばらしい働きをしました。
そのうちに、利根の付いている部隊は、何倍という敵を相手に、激しく戦う時がきました。
味方の第一線は、敵前わずか50メートルというところまで迫って、塹壕の中から、敵を攻撃しましたが、敵は多数で、弾は雨あられのように飛んできます。
味方はそのままで、一週間もがんばりつづけましたが、その間、第一線と本部との間をお使いするものは、軍犬利根でした。
利根は、毎日、五回も六回も、この間を行ったりきたりしました。
首輪の袋に、通信を入れてもらって、
「行け」
と言われるが早いか、どんなに激しく弾が飛んで来る中でも、勢いよく駆け出しました。
後には、敵が利根の姿を見つけて弾を浴びせかけます。
それでも利根は、弾の下をくぐるように抜けて走り続けました。
係の兵隊さんはもちろん、みんなの兵隊さんが、利根のこうした働きを見て涙を流すほどでした。
いよいよ我が軍が、敵の陣地に突撃する日が来ました。
午前五時、まだ、辺りは薄暗いころ、利根は、最後の通信を首にして、
「行け」
の命令とともに、走り出しました。
敵の弾が、うなりをたてて飛んできます。
利根は、ひた走りに走りました。
本部では、利根の係の兵隊さんが、今にも、利根が来るだろうと思って、待っていました。
すると、向こうのコウリャンのあぜ道間に、利根の姿が見えました。
「ようし、来い、利根」と、兵隊さんは呼びました。
利根は、もう百メートルで、本部というところへさしかかりました。
丁度そのとき、敵の弾がばらばらと飛んで来ました。
利根は、ぱったりと倒れました。
「ようし、来い、利根。ようし、来い、利根」と、係の兵隊さんは、気が狂ったように呼び続けました。
この声が通じたのか、利根は、むっくりと立ちあがりました。
しかし、もう走る力がありません。
係の兵隊さんは、敵の弾が飛んで来るのも構わず、這うように駆け出して利根の体をしっかりと抱きかかえました。
一時間ばかりの後、我が軍は、勇ましく敵に突撃して、到頭その陣地を占領しました。

利根の手柄は、係の兵隊さんから、詳しく文子さんに知らせて来ました。
そうしてお終いに、
「利根は、足をやられただけですから、まもなく、良くなることと思います。利根は、そのうち、きっと甲号功章を、いただくにちがいありません」と書いてありました。
この手紙を見て、文子さんは、
「まあ、利根が!」
と言ったまま、突っ伏して泣いてしまいました。
「利根は偉い、感心なや奴だ」と、お父さん涙を流しながら、お喜びになりました。
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お話は以上です。
みなさん、いかがでしょう。
上にご紹介した物語が、軍犬利根の物語として、実際に小学校三年生の教科書に書かれていた物語です。
読みやすいように、現代仮名遣いに直しましたが、文脈はその教科書のままです。
ここに書かれている主題は、文子さんと軍犬利根の愛、そしてその利根を引き取った軍用犬係の兵隊さんと利根の愛、そしてその係の軍人さんの、里親として育ててくれた文子さんを気遣うやさしい心なのではないでしょうか。
まさにこの物語は、動物と人との愛とやさしさがテーマなのであって、物語のどこにも、軍国主義をあおるような記述などありません。
むしろ、戦地に関しては、敵弾が飛んで来るたいへん危険でおそろしく、厳しい場所としての描写がなされているのではないでしょうか。
大東亜戦争では、多くの人々が亡くなりましたが、同時に軍馬が20万頭、軍犬も1万頭以上が戦地で活躍し、命を失いました。
いま靖国神社に行きますと、遊就館の前の広場に「戦没軍馬慰霊」「鳩魂塔」と並んで、「軍犬慰霊像」があります。
これは、戦地で命を失った馬や犬の御霊を慰めるために建てられたものです。
世界の戦争で、多くの動物たちの命が犠牲になりました。
けれど、軍人墓地などの施設で、軍馬や軍用犬などへの感謝の思いを慰霊碑にまでしている国というのは、そう多くはありません。
愛知県の三ケ根山の慰霊碑の中にも、こうした愛馬や軍用犬の慰霊碑がありました。
管理人の伊藤さんから伺った話ですが、戦争が終わり、武装解除して、全員が内地に帰還するということになったとき、Chinaの軍部は、軍馬や軍用犬は、すべて置いて行け、と高圧的に命令したそうです。
置いて行けば、馬や犬たちがどうなるのか。
これは、あえて聞くまでもないことでした。
何でも食べるChineseたちは、彼らをものの一ヶ月としないうちに、みんな殺して食べてしまう。
いよいよお別れというとき、馬や犬たちが、日本の兵隊さんのところにやってきて、袖口を加えて放さなかったそうです。
そしてあの可愛がっていた馬や犬たちが、目にいっぱい涙を浮かべていたそうです。
馬でも犬でも、ほんとうに悲しいときは、人間と同じように涙を流すといいます。
「それって、ほんとうのことだったんですね」
実際に、戦地にそのお別れを体験した軍馬、軍犬の係だったかつての兵隊さんたちが、伊藤さんに、そのように語られたそうです。
靖国の軍馬、軍犬の慰霊碑をみると、その犬や馬が、とても立派で凛々しい像になっています。
その像をじっと見ていると、なにやら、馬や犬たちが、「私たちのこと、忘れないでね」と語りかけて来るような気がします。
私たちが決して忘れてはならない歴史が、ここにもある。
どうかみなさんも、靖国神社や三ケ根山、あるいは護国神社に行き、そこで戦没軍馬や、軍犬の慰霊像をみかけたら、是非、手を合わせてやっていただきたい。
そう思います。
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文部省唱歌に「軍犬利根」という曲があり、Youbeにも昔、掲載されていたのですが、いまでは例の「著作権侵害云々」を申し立てられて消されてしまっているようです。
代わりに、愛馬進軍歌を掲載します。

愛馬進軍歌

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