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古墳0405-1

「人権」について書いてみようと思います。
現行憲法は、この「人権」を、国民主権、平和主義と並ぶ憲法の三代原則のひとつとしています(基本的人権)。
そして「人権」は、現行憲法で基本的人権として保証され、一般には日本人なら誰もが持つ、とても素晴らしい権利だと思われています。
なにやら「人が生まれながらに持っている、人として当然の権利」と、多くの日本人に思われているわけです。
ですから「人権が守られる」と聞けば、多くの人は、「自分たちの人権が守られるのだから、それはとっても良いことだ」と感じます。
逆に「人権が蹂躙(じゅうりん=踏みにじられること)される」と聞けば、なにやらとっても大きな危害が加えられる、危険なことのように感じます。


そして「人権」については、1215年の英国のマグナ・カルタ、1628年の権利の請願、1679年の人身保護法、1689年の権利章典等において、封建領主たちが自分たちの要求を国王に対して認めさせた英国人の伝統的な権利や自由の尊重を求めたものと学校で教えられています。
国王の絶対主義的支配から、民衆が自分たちの権利を護るためにこれらの要求が行われ、これが近代人権思想へとつながり、18世紀には市民革命として王制が否定され、1776年には米国バージニア権利章典、そして1789年のフランス革命での人間と市民の権利の宣言へとつながった、と教わります。
そして多くの日本人は、これを「人権」の歴史として、無批判に受け入れています。
ところが、実は、ここでいう「歴史」そのものに、大きな嘘があるのです。
どういうことかというと、日本の戦後の日本国憲法に書かれた「人権」と、欧米における人権とは、実はまったく別なものなのです。
このことを見るのに、アメリカの独立宣言の一般的な訳がわかりやすいと思うので、原文と一緒に引用します。
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We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.
(日本語訳)
われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。
つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている。
その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。

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学研M文庫だと次のように訳されています。
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我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている。
創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。

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この何が問題なのかというと、ここで述べているのは、要するに、人間が持っている生命、生存(Life)、自由(Liberty)、そして幸福の追求(Pursuit of Happiness)は、「神から与えられた」としていることです。
「神から与えられた」のです。
ですから当然のことながら、西欧的な意味における人権には、不条理は含まれません。
ですから当然のことですが、
 悪党が暴力を振るう権利、
 人が泥棒や強姦などの悪事を働く権利、
 未成年の少女が自分の意思で売春をする権利、
 郷にはいって郷に従わない民族が他国に住み着いて勝手し放題をする権利、
 国家転覆を企む反国家行為を行う権利、
 自国の領空や領海を侵犯する他国の権利
などの一切の不条理は、権利の名に値しません。
そのことを、「創造主(=神、Creator)」と「通義(権利=Right)」という語で、米国独立宣言は、二重にカバーしているのです。
ところが日本では、こういう人の権利が曲解され、たとえばどこぞの国の戦闘機が日本の領空を侵犯しても、その侵犯機が撃って来るまで、こちらからは撃っていはいけないとされています。
冗談じゃあないです。
いまどきの戦闘機というものは、相手が撃ってきたら、その時点でコチラは撃墜され、コチラのパイロットの命はなくなるのです。
にもかかわらず、人権は、国籍や出自、思想にかかわらず、すべての人に備わった憲法以前の自然権であり、その自然権を憲法は保証しているのだから、敵に撃ち殺されても反撃してはいけない、などという馬鹿げた妄想をしています。
神に与えられた権利なのです。
神の子である自国の民を守るために、領空領海を侵犯された時点で、即刻撃墜、撃沈するのが、あたりまえの、それこそ「権利」です。
「権利」という語は、明治の秀才、西周(にしあまね)による「Right」の翻訳造語ですが、福沢諭吉は他の訳語はともかく、西周のこの「権利」という語に対してだけは、猛烈に反発しています。
では福沢諭吉が誤解を防ぐために、どのように「Right」訳すべきと言ったかというと、それが「通義」です。
米国の独立宣言も、福沢諭吉訳版は、通義と訳しています。
こちらのほうが、断然わかりやすいです。
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天の人を生ずるは、億兆みな同一轍(わだち)にて、
これに附与するに動かすべからざるの通義を以ってす。
すなわちその通義とは、
 人の自から生命を保ち、
 自由を求め、
 幸福を祈るのたぐいにて、
他よりこれをいかんともすべからざるものなり。

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ちょっとむつかしい表現ですが、諭吉は、あえて「わだち」という語まで用いて、誤解曲解を避けようとしたわけです。
「わだち」というのは、道路などにある車輪の跡のへこみです。
つまり人の道です。
ですから諭吉は、「Right」を「通義」と訳し、これは「人の道だ」と説いたのです。
現行憲法も、実は、この基本的人権について、英語の原文は「Right」という単語を使っています。
その意味では、基本的人権も、その解釈はあくまで「人の道」です。
そして日本においては、欧米における神の地位にある存在は、神の直系のお血筋であられる天皇ですから、
人権は、「天皇によって与えられた人の道」というのが、本来あるべき解釈です。
ところが学校で、こういうことを教えない。
メディアでもまるで放送しない。
だから日本人は、人権といえば、天賦の権利、人が生まれながらにして持っている当然の権利だと誤解しています。
そして人権擁護法案のような、とんでもない法案が出て来る。
人権を擁護してくれる、まことにありがたい法律のような誤解が、世の中にはびこる。
なぜなら人権擁護法案なるシロモノが目的としていることは、まともな人が持つべき通義、つまりこれが権利そのものなのだけれど、これを否定する。
そしてまったく逆に、本来なら人権など存在し得ない反日左翼や在日の悪党たちを、マトモな人たちがあたりまえに警戒することを、レイシズム(差別主義)だといって糾弾しようとしているわけです。
実にとんでもない話です。
繰り返しになりますが、欧米における権利(Right)は、神に与えられた人の道です。
日本ならば、さしづめ、天皇に与えられた皇民の道が、Right、すなわち権利の本来的意味といえます。
つまり、「人権(=Human Rights)は、「皇民の道」なのです。
だからこそ福沢諭吉は、これを「通義」と翻訳したわけです。
従って、人権は、人間が持つ当然の権利ではありません。
欧米人なら、神を信じ、神の意思としての正義を貫くことが、人権の正体です。
日本なら、それは天皇の民、皇民の道という意味になる。
そもそも人権を、人が生まれながらに持っている権利とするならば、犬には犬権、猫に猫権、蚊には蚊権、ゴキブリにはゴキ権がなければならず、蚊やゴキの生命の尊厳を護るために、人は蚊もゴキも殺したり、彼らが血を吸ったり台所を荒す行為さえも、これを彼らが生まれながらにして持つ当然の権利であって、何人もこれを侵害してはならない、としなければならなくなります。
実に馬鹿げた発想です。
さらにおかしなことには、人権の名のもとに、蚊やゴキブリよりももっとタチの悪い売国左翼や反日在日の悪行を擁護しようというのですから、実に怪しからん話です。
人権や権利なる言葉が、多分に誤解をしやすい、悪党のわがままや身勝手さえも擁護するのが当然などと誤解しやすい言葉である以上、本来、Rightや、Human Rights、つまり権利や人権の本来的な意味を、ちゃんと学校で教育しなければならない。
それをしないでおくから、まっとうに生きようとする普通の民衆のまさに権利が侵害され、逆に悪党や侵略者たちの悪辣な行為が、人権の名のもとに正当化されるという馬鹿げた現象が起こるのです。
欧米では、この「Right」の意味は、学校でかなり厳しく教え込まれます。
もともと王権神授説など、国王の権力は神の名のもとに正当化され、国王は民衆の生命財産を、欲しいままに奪うことができた、つまり民衆は王の奴隷であり、それが正当化されていた。
けれど、本来、人は神のもとに平等であるのだから、人は奴隷としてではなく、生まれながらにして神の意思に沿って清く正しく生きる正当なRight(権利)がある。
そして王権によって、そうした民衆が正しく生きようとするRIghtを守るために、マグナカルタが描かれ、民衆の権利が請願され、民衆の意思が尊重される民主社会を構築してきたのだ、というのが、彼ら欧米人の発想であるわけです。
ですから欧米人は、外国人が自国内で悪辣な行為に及べば、それは神の意思、民衆の意思によって、これを排除する。
悪党が拳銃を持って家宅侵入すれば、これを容赦なく撃ち殺す。
なぜなら神のもとに正しく生きることを邪魔だてする者は、人が神のもとに正しく生きようとするRIghtを侵害する者だからです。
これに対し日本はどうかというと、もともと奴隷という制度はありません。
日本では、民は天皇の民であり、権力者は天皇の民の幸せな生活を守り護るためにこそ存在する。
日本における権力者は、天皇から委託を受けて、天皇の民の安全と安心と生存を守るためにこそ存在する者と規程されてきました。
日本書紀では、天皇は「大君(おおきみ)」です。
そして、民衆は「おおみたから」です。
そしてその「おおみたから」という音に、日本書紀は「百姓」という字をあてています。
つまり、民衆は天皇の宝であり、権力者というのは、その宝を守るために存在したのです。
ですから全国の大名は、もともとは守護大名です。
守護というのは、天皇の宝である民を守り、護るから、守護なのです。
そういう日本社会において、Right、すなわち国民の権利は、まさに天皇の民であること、権力者に隷属しない皇民であることを守るためのRIghtであるはずです。
いいかえれば、皇民が皇民であることを否定する全ての者に対して、皇民はこれを拒否し、排除し、打ち倒す権利が与えられている。
なぜなら、皇民として生まれ、皇民として生きるうえでの人の道を阻害する者があるならば、それは人の道に外れる者、すなわち外道だからです。
外道は排除して当然です。
「人権」というのは、人の持つ通儀、すなわち、人の道です。
そして人の道は、天賦のものではありません。
人として教育を受け、人の道をわきまえるようになって、はじめて人の道として権利を主張できる。
RIghtを、権利と訳し、人は生まれながらにして誰もが当然の権利を持つのではないのです。
たとえば、人には自分の生命を守る権利(生存権)がある、といいます。
それは人の道に外れない者にのみ、赦される権利です。
だからこそ、人殺しや悪党には、死刑が宣告されることさえもあるのです。
要するに、人殺しや悪党には、権利はないのです。
さて、ここまで書けば、人権なるもの、あるいは権利なるものが、本来どうあるべきものなのかについて、充分におわかりいただけようかと思います。
ついでに申上げると、日本国憲法にいう三原則とは、この基本的人権というまやかしと、平和主義、国民主権の3つです。
平和主義というのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」というもので、どこに「公正で信義のある国」があるのでしょうか。
これは私は泥棒をしないから、家に現金も宝石も全部置き、絶対に鍵もかけません、と泥棒ばかりの世の中で宣言しているのと同じことです。
実に馬鹿げている。
そもそも戦争というのは、両当時者がいるのです。
国民主権もとんでもない話で、なぜ国民主権かといえば、この憲法が軍事占領下の占領民にたいする最高法規として書かれたものだからです。
米国はイラクを占領しましたが、占領したらその国が米国になるわけではありません。
イラクがいまだに米国になっていないように、占領統治というのは、主権の移動を意味していないのです。
では、イラクの主権はどこにあるのかといえば、イラクはフセイン政府がなくなっていますから、政府に主権がない。
ではどこにあるのかといえば、イラク民に主権がある。
これは占領統治下では、あたりまえの理屈です。
ただし、イラクと日本の違いは、イラクは政府がなくなったのに対し、日本には当時、日本国政府があったという事実です。
つまりこの規程は、日本国政府が本来持っている主権を否定している規程なのです。
要するに、政府否定です。
政治を行う政府が、その規範とする憲法において政府の主権を否定しているわけです。
民主主義なのだから、政府は主権者である民衆を代表しているので、これでいいのでは?などと考えるのは、すでにもう詐術に乗っています。
選挙によって選ばれた国会も、行政府である内閣にも、主権はないというのです。
ということは、国の統治権さえもない。
では誰がその統治権を持っているかといえば、占領統治下なら、GHQだったわけです。
いまは公式なGHQはありませんが、日本国政府には主権はありませんから、なにか大きな、たとえばTPPのような取決めをするに際しては、すべて統治者である旧GHQにお伺いをたてなければならない。
つまり、国民主権というのは、日本国の独立さえも否定しているのです。
こんなものをありがたがっているのは、子供の頃の刷り込みと、めくらましで、物事がみえなくなっている証です。
以上、人権の話から、権利、主権、平和主義にまで話が発展してしまいましたが、いま、日本に必要なことは、福島原発の除染ではありません。
日本国憲法という名の病原体と、これよる汚染の除去こそが、いま日本に求められている一番大きな課題であろうと思います。
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