
東京はだいぶ暖かくなってきて、日によっては20度を越す日まである陽気となってきました。
もう少し経つと、桜のお花見のシーズンがやってきます。
お花見といえば、都内には、隅田川沿いにある隅田公園の桜並木などが有名ですが、それら下町にある公園は、東京大空襲のときの遺体を埋めた墓地であるということは、ご存知でしょうか。
東京大空襲は、昭和20年の3月から5月にかけて、東京全体を灰燼に帰した無差別な市民攻撃でした。
とりわけ3月10日の空襲には、325機ものB29が出撃し、そのうちの279機が東京市街地への爆撃を行っています。
このとき投下された爆弾は、38万1300発です。
1平方メートルにつき、4発もの焼夷弾が都内にバラまかれました。
このときに使われた爆弾は、「クラスター焼夷弾」とよばれるものです。
クラスターというのは、「束ねる」という意味で、ゼリー状のガソリンを長さ約50cmの筒状の容器に詰めたナパーム弾を束ねたものを低空飛行のB29から投下し、これが空中でバラバラになって民家の屋根を突き破って落下し、そこで大火災をひき起こす、というものでした。
いまでは、3月はずいぶんと暖かくなりましたが、昭和20年のこの日は、気温が摂氏0度でした。
そこに折からの「からっ風」(強い季節風)が吹いていました。
そんな3月10日の午前0時過ぎ、とつぜん飛来したB29の大編隊が、超低空で東京中に焼夷弾の雨を降らせたのです。
約2時間半にわたったこの爆撃で、木造家屋が密集した東京下町は、あっという間に火炎地獄となりました。
火災の煙は高度1万5000メートルの成層圏にまで達したそうです。
都内には、秒速100メートル以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れ、道路には火の粉が舞い、熱風によって、着ている衣服は、火の粉がかからなくても燃え上がりました。
この空襲で、東京35区の3分の1以上にあたる約41km²が焼失しています。
また、空襲による死傷者は、警視庁の調査によると
死 亡: 8万3793人
負 傷: 4万 918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
ですが、警視庁の調査数には、早期に遺体が引き取られた者を含んでいませんので、実際の死亡は10万人を超えていたといわれています。
この空襲は、米国では、昭和19(1944)年11月には計画されていました。
いきなりのことではなく、そもそもが計画的に行なわれたものであったということです。
戦時国際法では、軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃は禁止されています。
また、攻撃実行にあたっても、事前に民間人等が避難できだけの十分な余裕を与えて警告した上でなければ、攻撃を行ってはならないと定められてます。
要するに、無差別爆撃というのは、明らかな戦時国際法違反です。
大東亜戦争や日華事変を語るときに、ひとつはっきりとさせておかなければならないことがあります。
それは「日本は戦争を行った」ということです。
戦争というのは、国際法上に定められたルールに乗っ取って行われるものを指します。
けれど、Chinaにせよ、米国にせよ、当時行ったことは戦時国際法上の戦争ではありません。
彼らの行ったことは、法を無視した虐殺です。
このことは、米国人やChineseにとっては、認めたくないたいへん苦しい歴史かもしれませんが、けれど、それが事実です。
戦争をレスリングの試合に例えるのは、いささか不謹慎かもしれませんが、ハダカでリングの上で戦うプロレスの試合で、片方がちゃんとルールに従って、ハダカでパンツ一丁で試合をしているのに対し、相手が金槌などの凶器を手にして試合をしていたら、それは卑怯です。
要するに、日本が正々堂々と戦時国際法に従って自存自衛のために戦ったのに対し、米支は、きわめて卑劣な、手段を用いて日本を滅ぼそうとしていた、ということです。
東京大空襲の計画が立てられたのは、昭和19年11月24日のことで、米国陸軍ヘイウッド・ハンセル准将の指揮によって計画されました。
この計画でハンセル准将は、軍需工場、製油所など、特定の軍事目標だけを攻撃対象にするという計画を立案しています。
ところが、そこに政治が介入しました。
手ぬるいというのです。
そして翌昭和20年1月21日には、ハンセル准将は更迭され、カーチス・ルメイ少将が日本本土空襲計画を練りなおしています。
彼は、B29を低空飛行させ、日本の強い季節風の中で焼夷弾を投下することで、無差別な一般市民への攻撃をするという計画を立案しています。
B29の特徴は、日本の戦闘機が舞い上がれない高高度で飛行できるところに、その強みがあります。
けれどルメイ少将は、そのB29を低空で飛ばせ、しかも主要な武装を外し、搭乗員の数まで減らして、そのお腹いっぱいに焼夷弾を詰め込んで、これを投下するという選択をしたのです。
低空飛行なら、日本側からの高射砲や戦闘機による反撃も当然予想されます。
そこでこれに対抗するために、巨大なB29を、300機を超える大編隊で飛ばすという強硬案を計画したのです。
これは、B29の搭乗員が撃墜されるというリスクを生みます。
しかも、迎撃するための武装まで外して、その分、爆弾を腹に詰め込むのです。
これには米軍内部でも、当然航空部隊側から反論が出ました。
そのときルメイ少将が言った有名な言葉があります。
彼は激怒し、葉巻を噛み切って、
「なんでもいいから低く飛ぶんだ!」と怒鳴りつけたのです。
そしてルメイ少将は、戦後、次のように述べています。
「我々は日本降伏を促す手段として火災しかなかったのである。
もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。
幸い、私は勝者の方に属していた」
勝てば官軍という言葉がありますが、勝つためなら何をやっても許される。
そして勝てばそれはまさに英雄的行為とされる、という思想がそこにあります。
先日、米銃社会のことを書きました。
米国では、我が子が中学生くらいになったら、男の子、女の子を問わず、父親が拳銃の撃ち方を教える。
そして拳銃を構えたら、躊躇なく、相手の頭か心臓を狙って引き金を引くようにと教えます。
でなければ、自分が殺されると考えるからです。
ですから、日本の映画などのように、「撃つぞ!」という警告もなければ、日本の警察ように、リボルバーの最初の一発目のところには弾を入れず、引き金を引いても弾が出ないようにする、などといった発想もありません。
構えたら、撃つ。撃つ以上は確実に相手を殺す。それだけです。
そのとき、それが正当防衛か、法的に正しいかなどといった理屈はありません。
まさに「問答無用」です。
こう書くと、日本の武士も、昔は「斬り捨て御免」が許され、問答無用だったではないか、などという人がいるかもしれません。
けれど、斬り捨て御免が許された武士は、からならず、腰に大小の二本の刀を差していました。
大刀は、相手を斬るためです。
そして小刀は、相手を斬ったあとに、自分が腹を斬るためです。
人を殺すということの重さを、武士はちゃんと認識していたし、命をそれだけ重要視していたのです。
けれど、そういう発想、そういう姿勢というのは、悲しいかな、世界中で日本だけのものです。
早い話が、西洋の騎士(ナイト)で、腰に自決用の小刀を指していたなどという話は、聞いたこともありません。
要は、戦ったもの勝ち、勝ったもの勝ち、死人に口無し。相手を殺してしまいさえすれば、自分の行動はいかようにも正当化できるという根底の思想が、そこにあります。
どこぞの平和公園には、「過ちは繰り返しません」という石碑があります。
こうした世界の中にあって、過ちを繰り返さない、大空襲や原爆のような被害に、二度と遭いたくない、愛する人を守りたい、命を大切にしたいというのならば、日本は二度と他国に侵されることがない国造りをすることこそ、必要なことなのではないかと思います。
なぜならそれは、郷土を守り、愛する人を守ることだからです。
防衛力を否定する人がいます。
けれどそういう人たちは、私から見たら、命の重さや大切さを否定しているならず者か鬼畜に見えます。
以前、チョウチョの話を聞いたことがあります。
アゲハチョウの幼虫を捕まえようとしたら、おそらく母親なのでしょう。
蝶が、幼虫を取ろうとした人に、しきりにまとわりついて、それを阻止しようとしたのだそうです。
昆虫でさえ、愛する我が子を守ろうとする。
動物たちも、我が子を守るためには、敵わぬ相手でも、必死でこれをしりぞけようとします。
まして私たちは人間です。
守るべき命を守るというのは、人として当然のことだし、国家としても、あたりまえすぎるくらいあたりまえのことです。
日本国憲法には前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という言葉があります。
けれど、公正な国って、どこにあるのでしょう?
信頼できる信義を持った国とは、どこの国を指しているのでしょう?
名前をあげて答えていただきたいくらいです。
元銚子市長で、オリンピックの日本体操チームを28年ぶりの金メダルに輝かせた岡野俊昭先生は、ヨーロッパや北米に赴任していた頃、現地の若者達に質問したそうです。
「もし、外国が攻めて来たら、君たちはどうする?」
すると返ってきた答えは、全員が、「武器をとって戦います」というものであったそうです。
男性だけではありません。女性たちも、です。
その岡野先生が、日本で若者達に同じ質問をされたそうです。
返ってきた答えは、異口同音に、
「逃げます」というものでした。
逃げても、追いかけてきて殺されるかもしれないよ?そのときはどうする?と重ねて質問すると、
「大丈夫です。アメリカが守ってくれます」
実に見事な戦後の反戦教育の成果です。
柔軟なはずの若者の思考が、完全に思考が停止している。
逃げても追われ、男は殺され、女はなぶりものにされて、残酷に殺される。
外国に逃げても、日本人だというだけで、同じむごい目に遭う。
そのことは、終戦直後の内外地での出来事が、完全に証明しています。
アメリカが守ってくれるというけれど、日米安保は、まず日本が自衛のために戦わなければ、米軍は動いてくれないという決まりになっているし、そもそも日本人を守るために、どうしてアメリカ人が犠牲にならなければならないのか。
東京大空襲から68年。
そろそろ日本は、戦後のデタラメな教育から、はっきりと目を覚ますときがきています。
日本国憲法について、憲法破棄論、無効論、改正論等、さまざまな議論があります。
けれど、私からすると、そうした理論的解釈以上に、どのような憲法を、新たに創設するのかの方が、気になります。
そして自国の守りを自国で行わない、防衛力を否定するような憲法案を述べる者や、いたずらなエセ平和主義を唱えて、新憲法樹立を否定するすべての国会議員や市民団体は、ことごとく中共のスパイ工作にやられた売国者であると断じたいと思います。
もうすぐ春。
お花見のシーズンがやってきます。
都内にお住まいの方、あるいは都内近郊にお住まいの方、あるいは上京された方で、東京下町にある花見のできる公園に行かれた方は、是非、その際に、公園内を散策していただきたいと思います。
そのほとんどに、東京大空襲による被災者への慰霊碑が建っています。
是非、それを見つけたら、手を合わせ、ご一緒においでの方に、東京大空襲のお話をしてあげていただきたいと思います。
また、先の大戦で空襲を受けたり、艦砲射撃を受けて被災した全国の主要都市のすべてには、都内の公園と同様、被災して亡くなられた多勢の方々の遺体の処理が間に合わず、市中の公園に、まとめてご遺体を埋葬し、慰霊碑がそこに建てられています。
戦災に遭われた町の方は、是非、地元の古い公園を散策してみていただきたいと思います。
いま、地域の人々に桜並木で親しまれている多くの公園の地中には、いまだ、戦災によって命を失われた多勢の方々のご遺体が埋まっているからです。
これからお花見のシーズンがやってきますが、そんなことなども、話題にされてみてはいかがでしょうか。

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Youtubeで有名な動画ですが、解説にはかなり嘘が含まれています。
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