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浮見堂-1

はやいもので、このあいだ新年になったと思ったら、もう三月です。
子供の頃の1年というのは、ほんとうに長くていろいろな思い出がいっぱい詰まった1年だったけれど、歳を重ねる毎に、1年はずいぶんと早くなっていくように感じます。
考えてみれば、10歳の子供にとっての1年は、人生の10分の1を占める膨大な日月ですが、50歳の大人にとっては、人生の50分の1、80歳なら80分の1の日月でしかありません。
一年があっという間に感じるのも、そういうことなのかもしれない。
さて、三月といえば思うのが(もっとも私がその時代に生きていたわけではありませんが)、かつて毎年三月に行われた上海の園遊会です。


この園遊会は、当時、上海のフランス租界の近くの交差点口にあった三井物産の支店長の社宅で行われていたもので、毎年三月に園遊会が開かれ、そこには国内外2千人の官民人が招待されたそうです。
当時この園遊会に招待されなかった者は、社会的に紳士として認められていないとまでいわれたといいます。
それだけ権威ある園遊会だったわけです。
この三井の支店長宅というのが、またものすごいものです。
建物は一万坪の土地に、三階建ての本館と別館、更に付属の建造物があり、広大な庭には池、温室、芝生の野球場と五面のテニスコートが作られ、正門から本館の玄関までには、実に百メートルの小道があり、樹齢三十年以上の桜が280本も植えられていたそうです。
ここに支那に駐屯する世界中のVIPが招かれ開催されたのが、上海の三井園遊会だったわけです。
当時の三井の支店長は、後に満鉄総裁になる山本条太郎ですが、彼はなんとその上海支店長に、34歳の若さで就任しています。
この上海支店長が、どれだけすごいVIPだったかといえば、園遊会の行われた支店長宅もさりながら、支店長車がまたすごい。
なんと、防弾処理を施された八人乗りのキャディラックです。
しかもこの車、ウインドガラスは3センチ以上の厚さがあり、ドアも不注意に開けて人にぶつかると、人が吹っ飛んでしまうほどの重量のあるものだったといいます。
他にも支店長車として、やはり防弾処理された8人乗りのビュイックが一台、中型車が2台。
車そのものが大金持ちか大臣でもなければ乗れなかった時代に、これだけの車を備えることができたのは、それだけ三井物産上海支店に実力があったということであるとともに、それだけの地位に、34歳の若者が就任し活躍していたというところに、時代の勢いのようなものも感じ取ることができます。
これだけ若い人が、世界の第一線で日本を代表する活躍ができたということには、いくつかの側面があります。
なかでも重要なことは、かつての日本が個人ではなく、「家」を単位とする社会であった、ということがあげられます。
家を単位とし、家そのものが自作農等によって「食える」状態にあったから、ある程度の年齢になったら、大人たちは早々に引退して、若い人たちにその仕事上の責任を委ねることができたのです。
つまり、引退しても、食うに困らないという背景がきちんとあったわけです。
さらに大切なことは、価値観です。
支店長などの社会的責任を負う仕事に就くことを、偉い人になった、高収入になったとして誇るという思想そのものがありませんでした。
日本人は、その全てが天皇の民、皇民です。
この皇民思想というのは、ある意味、非常に徹底していて、社会的地位を得て、人の上に立つということが、人を支配するといった上下関係、もっといえば、支配と隷属という関係の上位に立つという概念を、根本的に否定していたのです。
どういうことかというと、人の上に立つというのは、天皇の民、皇民を預かる、ということです。
同じ皇民のひとりである自分が、皇民としての尊貴な人々を自分の部下に持つわけで、これは、たいへんな責任を担うものです。
ですから、偉い人というのは、「エライ(たいへんな)人」として周囲に認識されたし、本人の自覚も、人の上にたって支配するというのではなくて、責任をまっとうするという強い義務感に支えられれていたのです。
自分のために生きるということと、人のために生きるということでは、自分のための方が楽です。人のために生きる、しかも多勢の部下たちのために日々を生きるというのは、たいへんな重荷です。
けれど、その重荷こそが人を(つまり自分自身を育てる)という気持ちがあったから、そこにトライした。
そして、ある程度の功績、実績をあげ、責任をまっとうしたら、残りの人生は、自分や自分の妻子や孫のために、余生を捧げる。
そのために早々に引退し、家に帰って自作農をする。
金儲けよりも、もっと大事な、未来を担う人材を育てるために、郷土に身を埋める。
それがなにより、かっこいいというより、ごく普通の日本人の観念であったわけです。
それが戦後、家を本位とする社会体制が崩れ、個人主義となり、農地が細切れにされて、田畑で多勢を養うことができなくなり、結果として、誰もが都市部で働かなければ食えないという時代となりました。
農地は、開発と称して次々と潰され、そこに耐久年数のないマッチ箱が建てられました。
そのマッチ箱には住宅ローンという借金が付随していて、なんと60歳で定年退職したあとまで、支払いが続くという状態になっています。
だから、歳をとっても現役を引退できない。
いつまでも、働き続けなければならない。
しかも家族制度が崩れているから、年寄りになっても、子供達は誰も面倒などみてくれない。
そうは言っても高齢なれば、就職先を得れるということ自体が希有で幸運なことであり、それでも生きていくためには食わなきゃならないから、食い扶持を得るためにと称して国から年金をもらわなければ、生きていけない。
国の支給するお金がなければ食えないという思想は、そもそも共産主義の思想です。
かつての日本には、もちろん恩給のような制度はあったけれど、それらも、基本、家を単位に支給されていたものです。個人ではない。
おかしな話ですが、個人主義が礼賛され、大家族よりも核家族の方が、なにやら古い因習から「解放」されて気楽で幸せなことのように宣伝され、そう信じてきた結果、現実をみれば、いまの若い人たちは、なんら責任ある仕事を与えられず、それこそ先日の琵琶湖疎水の話ではないけれど、20代前半で、1千億の大工事を委ねられたり、咸臨丸に乗って諸国視察の旅に出て、以後の国政の重鎮を担うなどということは、まったく行われなくなってしまっています。
若者達にチャンスが与えることができない社会になってしまっているわけです。
そして白髪頭の年寄りたち(私も含めてです)が、いつまでも現役で役職を独占し続ける。
大局的にみれば、若者自由だ、核家族だ、個人主義だといいながら、まわりまわって若者に、社会を背負って力を振るうチャンスを失わせているのが、今の日本だ、ということです。
なんという矛盾でしょうか。
そして、そういう日本になればなるほど、日本の活力は損なわれ、結果として経済までもが沈滞化するという事態を招いています。
戦後の日本において、もっとも大きくこの日本の国の姿を歪めたのは、日本人から歴史が奪われたことにあると思います。
けれど、同時に、その歴史を引き継ぐ、家族制度が崩壊し、農業が崩壊し、鎌倉時代に大失敗した「田分け」の相続制度を復活させることで、家の連続性さえも失われてしまっている。
そのことも、私たちがいま、国家百年、千年の大計のもとに、もういちど原点に帰って考え直していかなければならないことであるように思います。
目先の政治課題も、もちろん大切なことです。
売国左翼や、特アの工作員たちから、国を守らなければならないからです。
目の前の国際問題への対策も大切なことです。
国益は守らなければならないからです。
けれど同時に私たちは、国家百年、千年の大計を考え、構築していく大きな国家戦略そのものを学び、考え、提案し、拡散する、そうした機構の存在も必要なのではないかと思います。
戦後の歪みは、そこまでしなければ、治らない。
対処療法だけでなく、根治療法への取組みが、いま、まさに求められてきているのだと、私は思います。
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皇国史観研究会「皇国の興廃 教育にありー教育は国家百年の大計」②

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