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銃社会アメリカの歴史

今日は、動画のご紹介です。
この動画は、ねずブロのごく初期の頃に一度ご紹介した動画ですが、たいへんよくできた動画です。
米国が銃社会であることは、よく知られた事実ですが、このことについて、オハイオ州にお住まいの日本人が、ブログに面白い記事を書いておいでです。


タイトルは「銃社会:これがなきゃアメリカじゃない?」です。
たいへん読みやすい記事なので、是非、ご一読されることをお勧めします。
この記事によると、「銃=アメリカ」であり、銃の使い方は親が子に教えるもの、そして拳銃は$100くらいで、誰でも買うことができ、弾は、スーパーやコンビニでも普通に買える。
そして、アメリカ人の思考は、問題の根っこを取り除くという努力をすることよりも、その問題にどのように「対処」するかという考え方が非常に強く、銃はない方が良いけれど、完全にはなくならないのだから、自衛のために銃を持つのはあたりまえ、という考え方なのだそうです。
また、銃を威嚇に使うという考え方は存在せず、抜いたら頭か心臓めがけて、即撃つというのが普通の米国人の鉄則なのだそうです。
そして、次のように書いています。
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ある田舎街にアメリカ人と出かけた時、車から出て私は道路と家の境界線を越えて歩いたら、そのアメリカ人から注意されました。
「そこの家の窓からズドンとやられても文句は言えませんよ。こんな小さな街はだれがよそ者なのか、直ぐにわかるのです。敷地内に入ったところを撃たれたら警察は何も言いません。」
寝室には38口径1丁、ご婦人のハンドバックには22口径1丁、車のダッシュボードには38口径1丁、これに加えて田舎に行くとショットガンとライフル各1丁、まあこんな感じでしょうか。
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武器の携帯は、公務に就く人のみに委ね、一般人は生活そのものに集中する。
日本はそういう社会を築いています。
ですから、なにかあれば極力、話し合いで解決しようとしますし、そうあることが「正しいこと」と普段は認識しています。
その分、いざという危機に際しても、鈍感となりがちなのかもしれません。
けれど、上にご紹介した米国の銃社会というのは、何も米国に限った特種事情ではありません。
むしろ、いまの世界の常識そのものといっても良いかもしれません。
なにせ、相手がプロレスラーのような大男に対してでも、非力な女性が簡単に、それこそ引き金ひとつで、相手を倒し、殺すことができるのです。
そうやって身を守るのが常識、そしてそういう銃を持った人々さえをも、襲撃し、奪い、殺す、それがあたりまえのように日常的に繰り返されていて、しかもそのための銃が1万円、弾薬はそこらのコンビニでいくらでも手に入るというのが、世界の常識だということです。
そして、銃を手にしたら、躊躇なく頭か心臓をめがけて撃て、という。
それを中学生くらいから、徹底的に教育で仕込む。
そしてそのことを世の中の常識として育ってきた人々が、世界の大半を占めている、ということなのです。
銃だけではありません。
刃物も同じです。
以前、日本映画の任侠ものが流行った時代がありました。
主に大正から昭和初期の世の中が舞台です。
高倉健さんや鶴田浩二、あるいは緋牡丹の藤純子などが大活躍する映画でしたが、いじめられ、虐げられ、酷い眼に遭わされながら、それでも我慢に我慢を重ね、最後に相手の一家に殴り込みをかける。
筋書きは、たいていいつも同じですが、これら「やくざ者」を扱った映画でさえ、ドスと呼ばれる短刀で相手を刺す時は、太ももなどを狙って刺しているシーンが多く見られました。
太ももを刺すというのは、相手を殺すという意味ではなく、相手を懲らしめるという意図からのものです。
そういえば、柔道などの体術でさえ、相手を投げたときは、相手が地面で頭をぶたないよう、投げ終わったあとに、あいての頭部を保護するように引き上げます。
関節技なども、相手の骨を折ったり、相手を殺すためというより、痛い目にあわせて、相手に反省を促すというところから、開発されたものです。
剣道にしても、江戸時代に流行った「陰」や「陰」と名のつく、たとえば直心影流とか、柳生新陰流とかは、相手を斬り殺すためではなく、相手が斬りつけてきたときに、いかに対処するかのための流派とされていました。
そしてそれを学ぶ武士たちは、大小二本差です。
大刀は、身を守り、相手を斬り伏せるためのものです。
けれど、小刀は、相手を切ったあと、自分が切腹するためのものです。
武家の女性も小刀を常時所持しましたが、それは相手と戦うためというより、もしものとき、自害するためのものとされ、その覚悟を常時保ち続けるのが武家の婦女でした。
ちなみに、支那人は刃物を持って喧嘩するとき、いきなり相手の首を狙います。
胴体や太ももを刺そうなどという観念さえ、まるでありません。
要するに、誰もが拳銃を携帯し、いざとなったら、まよわず相手の頭や心臓めがけてぶっ放す、あるいはいきなり首を斬り付けて相手の命を奪う文化と、日本のどこまでも命を大切にし、万一のときは潔く自分が死ぬという文化とでは、白か黒か、表か裏かほどの違いがある、ということです。
それは、どちらが正しいとか、どちらが間違っているとかの問題ではありません。
文明の違いです。
そして文明の違いというのは、文明同士が衝突したとき、どちらかが永遠になくなるまで、徹底して争われ、破壊される、ということです。
冒頭の動画にもありますように、北米大陸では、文明の衝突により、約800万人いたアメリカインデアンは、ほぼ絶滅し、いまでは混血の35万人が生き残っているだけです。
なんでもかんでもアメリカナイズすること、他国を受入れ仲良くすることが良いことと考える人たちは、銃社会や首を狙って斬り殺すという文化まで輸入したいと考えているのでしょうか。
おそらく、日本国内で反日活動をしている左翼や在日でさえ、そこまでは思っていない。考えていないのではないかと思います。
けれど、殺されもせずに、日本国内で反日活動ができるというのは、日本人が民族として「殺す」ことを極端に嫌う文化があるおかげなのです。
つまりそれが日本だから許されているのであって、もっというなら、反日屋さんたちは、ここが日本だからそういう安易さが許容されている。
反日活動や、反日発言ができるということ自体が、日本のおかげだ、ということです。
だったら、もっと素直になって、謙虚に日本を学べよ、もっと日本を大事にしろよ、と言いたいのです。
日本は、人類史上、奇跡のような、そしてまさに桃源郷であると言った人がいました。
まさにその通りと、私は思います。
お時間のある方は、是非、冒頭の動画もご覧になってみてください。
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