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握り寿司

年末年始となると、家族でお寿司などを食べにいかれることも多々あろうかと思います。
そこで今日は、お寿司についてひとつ。
お寿司といえば、最近では廻り寿司などが流行で、ここでは主に、酢飯の上にネタを乗せた江戸前寿司が出されます。
実はこの江戸前寿司、生まれたのが、江戸時代の文化文政時代です。
文化文政というのは、まさに江戸の庶民文化が花開いた時代です。
たとえば銭形平次のとっつぁんなどが活躍したり、火盗改方の鬼平さんがいたり、大岡越前守や遠山の金さんが活躍したり、浮世絵や歌舞伎が世の人気をさらったりと、いわゆる江戸ものの時代劇で、よく描かれる、まさにその時代が、江戸の文化文政時代です。


これより少し前には元禄時代がありましたが、こちらはどちらかというと上方(大阪)文化が花開いた時代で、大阪の豪商、淀屋辰五郎が大名をもしのぐ大金持ちとなって天井に水槽を築き、そこで魚を飼ったなどという逸話が残された時代が、まさに元禄時代です。
文化文政時代というのは、この元禄よりも100年ほどあとの時代で、第11代将軍の徳川家斉(いえなり)が、将軍職を引退して大御所となって権勢をふるった時代です。
おわゆる大御所時代、なんて別名もあります。
家斉というのは、とかく賛否両論のある人で、将軍としての職務と責任は12代将軍の家慶(いえよし)に全部まかせ、自分は贅沢三昧して遊び暮らしたという豪気な人で、おかげで江戸の町人文化が花開きました。
文化文政時代に出た有名人としては、東海道五十三次の安藤広重、世界的に有名な歌麿、北斎、東海道中膝栗毛を書いた十返舎一九、天才歌舞伎役者として有名な七代目市川団十郎。
学問の世界では、35年がかりで古事記全巻の通訳本を出した本居宣長、解体新書を出した蘭学の杉田玄白などが生きたのも、この時代です。
そして、この時代に生まれたのが、「江戸前寿司」と、「酢」です。
もともと寿司自体は、たいへん歴史の古い食べ物で、日本では、紀元前4世紀には、米の中に塩味をつけた魚を漬けて発酵させ、これによって魚肉を長期間保存する、なんていうことが行われています。
日本人と発酵食品は、とても歴史が古いのです。
これは、魚からモツ(内臓)を取り出して、身の部分をお米のご飯に漬ける、というもので、ご飯の自然発酵作用によって、魚の保存性を高めたものです。
要するにご飯の中に「塩から」を包み込むことで、保存した、というわけなのですが、これを「なれずし」といって、数十日から数カ月たったところで魚をとりだし、発酵に用いられた米は捨てていました。
「なれずし」として有名なのは、滋賀県琵琶湖の鮒寿司や、和歌山県の「サンマのなれずし」などです。
とりわけ和歌山県の「サンマのなれずし」などは、30年も保存する。
これ自体驚きですが、実は栄養価抜群で、美肌効果、アンチエイジング効果があるだけでなく、一日一舐めするだけで、整腸、便秘解消、体内毒素の排出効果など、味のおいしさもさりながら、きわめて健康に良い食品です。
この「なれずし」が大阪に行って生まれたのが、バッテラです。
いわゆる押し寿司です。
そしてこの押し寿司が、大きく変化したのが、文化文政時代の江戸だったのです。
最近では、大阪の押し寿司も酢飯を使いますが、もともとは米を使って発酵させて作るものだったようです。
ところが、発酵食品というのはどれもそうですが、出来上がるまでにものすごく時間がかかります。
魚を仕入れて、米に漬けて発酵させて、いざ食べれるようになるまでには、早くて1~2週間、長いものでは一年以上かかるわけです。
気の短い江戸っ子が、そんなに待ってなんていられねえ!とばかり、炊きたてのご飯に「酢」を混ぜることで、発酵米もどきの味をつけ、そこに新鮮な魚をちょいと乗せ、わさびを加えて、醤油に浸し、「ハイ、お待ち!」てなもんで、ポンと口に入れていただく。
これが江戸前寿司で、手軽に作れて、すぐに食べれることから、大評判になっていっきに普及したわけです。
あまりの人気に、江戸前寿司は関西にも流れ出て、押し寿司の大阪寿司まで酢飯が用いられるようになったわけです。
ところで、こうした酢飯が誕生した背景には、同じ文化文政の時代に、「酢」の量産化が進んだことと、たいへん密接な関係があります。
どういうことかというと、文化元(1804)年に、尾張名古屋の半田村で、造り酒屋を営んでいた中野又左衛門という人物が、江戸に出てきたのです。
そして酒粕を用いて、「酢」を作る技術を開発すした。
ここで生まれた「酢」が、大阪から江戸に進出してきた寿司と出会うわけです。
ご飯を発酵させて寿司を作るのではなく、炊きたてのご飯に酢を加えてこれを混ぜ、食べやすい大きさにシャリを握ってその上にネタを乗せて出したらどうか。
この提案に飛びついたのが、華屋という発酵寿司店を営んでいた、華屋与兵衛です。
華屋与兵衛は、いまの北陸は福井県南部の若狭の生まれです。
伝染病のために両親が相次いで他界した与兵衛は、単身、江戸に出て、小さな発酵寿司の店を開いえていわけです。
そうです。
若狭といえば、サバ寿司が有名です。
そこに現れたのが、酢造り職人の中野又左衛門です。
米をいちいち発酵させなくても、酢を加えれば、あっという間に酢飯ができる。
で、なるほどと納得した与兵衛が、さっそくこれに「江戸前握り寿司」と名前をつけて商売にしたわけです。
これが、大ヒットした。
なにせ発酵食品と違って、手軽です。
しかも早い、安い、旨い。
華屋はまたたく間に江戸っ子にもてはやされ、毎日長蛇の列ができるほどの繁盛ぶり。
こうなると次々に真似をする者も現れます。
おかげで、にぎり寿司屋は、瞬く間に江戸中に広がります。
江戸には、屋台で廉価な寿司を売る「屋台店」が市中にあふれ、料亭のような店舗を構えて寿司を握る者、あるいは持ち帰りや配達で寿司を売る者、宅配する者など、あっという間に江戸中に普及していきました。
そして箱寿司が主流であった大阪にも、江戸前寿司の店は広がり、天保年間には名古屋にも寿司店ができるようになります。
こうして手軽な握り寿司は、あっと言う間に全国に広がったのです。
江戸前寿司が普及するにつれ、酢の需要もうなぎ上りに増大しました。
おかげで「酢」造りの中野又左衛門の、酢屋も、またたく間に巨大なメーカーに育って行きます。
この中野又左衛門が創業した酢屋は、いまでも残っています。
その社名が「ミツカン」です。
そうです。あの「株式会社ミツカン」です。
ミツカンは伝統で、いまでも社長は中野又左衛門(中埜又左エ門)を名乗っています。
ちなみに、昨今関東で見かける「華屋の与兵衛」というファミレスは、これは関西資本のライフコーポレーションが設立したチェーン店で、寿司を始めた与兵衛さんとは関係はないようです。
ちなみに、どうも戦後の歴史教科書というのは、とにもかくにも江戸時代は貧しい時代で、武家が贅沢三昧な王侯貴族のような暮らしをし、庶民は貧窮のどん底暮らしを余儀なくされていたという荒唐無稽な歴史観を無理矢理生徒たちに刷り込んでいますが、これは違います。
そもそも、武家しか米が食べられないような社会情勢だったのなら、江戸前寿司が江戸町民の間で普及するなんてことは、起こりえません。
それでも、武家に搾取されていたなどと、子供じみたデタラメを言うような教師や学者には、二度と君たちは寿司を食うな!と言いたいくらいです。
そもそも日本の歴史を、共産主義思想による階級闘争史観で図ろうとするところからして、無理があるのです。
日本の歴史は、支配するものと支配される者、収奪する者と収奪される者という二極化した階級闘争の歴史ではありません。
天皇のもと、四民平等であり、ただ、身分という社会的な役割の違いを互いに尊重することで秩序を築いてきた社会なのです。
従って、日本における身分制というのは、社会の秩序を保持するための制度であり、西洋的な富の収奪のための制度ではありません。
そもそも武家の屋敷というのは、実に簡素で空っぽです。
西洋の王侯貴族のように、屋敷中に高価な宝玉がそこここに飾り立ててあるなんてことはまったくない。
ないということは、贅沢をしていなかった、ということです。
むしろ、士農工商という江戸身分制度は、富の順番からすれば「商工農士」の順で、民を豊にすることこそ武家の役割とされていたのです。
だからこそ、町民は「宵越しの銭」を持たなくたって、ちゃんと生活が成り立ったし、農家においては、祭りの際に豪華な屋台や御神輿を作れるくらいのゆとりさえあったのです。
そもそも歌舞伎だって、町人文化です。
そうそう。「握り」の話が出たので、もうひとつ。
世の中で一番美味い「おにぎり」って、なんだかわかりますか?
それは、母親が幼子の遠足のためにと作る「おにぎり」だったり、あるいは新婚ホヤホヤの新妻が愛する夫のために作る、すこし形のおかしな「おにぎり」だったり。
つまり、愛情を込めて握られた「おにぎり」ほど美味い「おにぎり」は他にない。
よく「おふくろの味」なんて言いますが、かあちゃんが作ってくれた味噌汁や、だいこんの煮っ転がしなど、けっして材料は高価な材料を使っているわけではないのだけれど、やっぱりおいしい。
ちなみに昨今のコンビニのおにぎりというのは、実は、お米も具材も海苔も、超のつく一級品を使っています。
なぜなら、コンビニの一番の売れ筋商品が「おにぎり」だからで、だからこそコンビニでは素材から調理方法にいたるまで、徹底的に研究して、最高級品ともいえるおにぎりを店頭に並べています。
だけど、それでもやっぱり、愛妻の作ってくれた「おにぎり」が美味い。
母が子のために作る「おにぎり」が美味い。
お米だって、そこらのスーパーで売っている安いお米だし、海苔だってセールで買った特売品、具材も、ただのシーチキンの缶詰だったりします。
それでも、美味い。
これは、愛情のこもったおにぎりが、その食材そのものの味わいよりも、もっと大きな味わいと美味しさを持つからなのだそうです。
もしかすると、一種のハンドパワーのようなものかもしれません。
ですから、料亭の板前さんや、寿司屋の職人さんというのは、単に最高級の食材を仕入れ、包丁の使い方から調理の仕方まで、その技術を鍛え上げるだけでなく、母親の愛情以上のうま味を出すために、おもてなしの心を鍛える。
そうして何十年もかけて、母の愛に勝てる味わいを出せるように修行を積むのだそうです。
そういう寿司職人の握る寿司というのは、これまた廻り寿司では味わえない、心のこもった名人芸といえる味になる。
それは、単にネタがでかいとか、新鮮だとか、米や酢が良いとかいった物理的なものだけでない、何かが、そこにあるのだといいます。
そういえば、廻り寿司でも、最近、都内に、ChineseやKoreanの店員が寿司を握っているお店がるけれど、やっぱりまったく美味しくない。
やはり、味も心がつくるもの。
だからこそ板さんは、その心を鍛えるためにきびしい修行を積んだのです。
そういう「心」を大切にした日本の文化って、やっぱよいですね♪
ちなみに本日のお題の江戸前寿司、世界中でいま大人気ですが、なにやら韓国では、韓国発祥の食品だと言い張っているとのこと。
ろくな酢飯も作れないで、何を馬鹿なことを言ってるんでしょうね。
そして心を鍛えることを知らない者には、一生かかっても、ホンモノの寿司のうま味は引き出せない。
そういうことがわからないようでは、申し訳ないが韓国はいかに政治的に工作しようが、いかに巨費を投じて宣伝しようが、いつまでたっても三等国にしかなれないし、一時的に騒げば騒ぐほど、あとになってそれに倍するしっぺ返しが来る。
世界は馬鹿ではないのです。
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