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(撮影:日心会田沼会長)
去る12月21日に、第二回の日本史検定講座が開講されました。
ご報告までにだいぶ日が経ってしまいましたが、そのご報告です。
この日は、高森明勅(あきのり)先生の、古代史関連の講義でした。
内容は、第三講「古代律令国家の成立」と、第四講「日本の天皇と中国の皇帝」です。
主催側だから言うのではなく、正直、めちゃおもしろかったです。
この講義を、ただの古代史の講座と思うなかれ!
高森先生の講義は、実は戦後のGHQにはじまる情報操作のいっかんとしての歴史認識を、戦後左翼などが我が国国史を否定するために用いた史料を使って、完膚なきまでに否定してしまうという、たいへん野心的な講義でもあったのです。
たとえば、昨日の記事でもすこし触れましたが、多くの人たちが、日本における天皇を、まるで支配者であったかのように錯覚しています。
ところがこれがまるで違っている。
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やまと新聞の動画コラム「ねずさんの動画マガジン」
http://www.yamatopress.com/co/pg146.html
日本の◯がアメリカ・リンカーン大統領を支えていた
「中国を緑地化しよう」植樹をしてまわった日本軍・歩兵第三連隊
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天皇は、日本における支配者ではない。
支配者の上に立つものです。
そう。古代の昔から、です。
どういうことかというと、支配者というのは、国政の政治の頂点に立ち、国政に責任を持つ者です。
皇帝、王、大統領、総統、書記長、あるいは征夷大将軍、関白太政大臣など、呼び名はいろいろあります。
けれどその実態は、施政者であり、国権の最高権力者です。
そして国権の最高権力者であるということは、国権に対して責任を持つ者であるということです。
ですからChinaなら、その支配者の施政がよくないものであれば、易姓革命が起こり、王朝が交替します。
大統領であれば、選挙によって政権が交替する。
日本でも、内閣総理大臣は、国家権力の最高権力者であるけれど、三年間の民主党政権の失政の責任を問われ、民主党は政権与党の座を滑り落ち、野田総理も退陣となりました。
要するに、国家権力の頂点に立つものは、国政に権力を振るうことができると同時に、その責任も問われるという仕組みがある。
このことは、世界中、どこの国の、いつの時代の体制も変わりはありません。
ところが、です。
その交替が行われない、たとえば豪族の支配地、あるいは暴君によって支配された国家や地域の人々は、その暴君によって生殺与奪の権を奪われ、私有地、私有民として収奪され、個人の幸福さえ追求することが許されない。
そんなことが、世界中でよく起きています。
これは民衆が、いわば奴隷として支配されるということで、民衆にとってはたいへんに不幸なことです。
フランスでさえ、ルイ王朝の絶対王政の時代、民衆の平均寿命は24歳だったといいます。
日本でいったら縄文時代並みです。
ところが日本では、はるか古代に、そうした「権力者による絶対的支配」を否定する体制を作っていたのです。
それが何かというと、大化の改新です。
大化の改新で、日本は国に公地公民制をひいています。
これが何を意味するかというと、日本の民は、上は関白太政大臣や将軍から、下は一般市民や農民等にいたるまで、天皇のもとに平等な「公民」となったのです。
しかも神武天皇による日本建国の理念は、「家族国家」です。
上下心を一つにして、みんなが家族として親しむ国家の建設を目指しています。
さらに天皇は、国政の最高責任者ではない。
その最高責任者に認証を与える者となっています。
その仕組みが、古代から現代に至るまで、日本は一貫しているのです。
関白も大政大臣も将軍も、みんな天皇の認証を得て、はじめて国権の最高権限を持つ者に任ぜられる。
いまも内閣総理大臣以下、閣僚は全員、天皇によって親任され、はじめてその職に就きます。同じです。
これが何を意味するかというと、実は、たいへんな重要な意味を持つのです。
我々国民は、天皇の民です。
そしてその天皇の民のための施政をする責任者は、形は世襲であれ、選挙であれ、武家であれ貴族であれ平民であれ、結局のところ天皇によって親任されるというかたちになっているということです。
つまり我が国における国権の最高権力者というのは、絶対君主として民に君臨する者ではなく、「天皇の民への治世」に「責任」を持つ者なのです。
ですから当然、責任をまっとうできなければ、退任するか辞任しなければなりません。
このことをものすごく簡単に言うと、(高森先生すみません。私なりにまとめています)、世界各国の国民は、いわば新聞募集で会社社長に雇われた、ただの使用人です。
新聞募集で雇っただけの使用人ですから、クビにするのも、放逐するのも、社長の胸先三寸です。
ところが日本では、社長が雇っている社員は、会社のオーナー(天皇)の親族です。
オーナーからの預かりものなのです。
そして社長は、オーナーに雇われている、雇われ社長です。
もちろん社長は、会社の経営や運営、利益を上げることや社員の生活等に責任を持ち、その責任をまっとうするために社員のクビを含めて様々な施政のために権力をふるうけれど、社長=オーナーであり、社員は新聞募集という他の国々と異なり、日本は、社長は天皇という名のオーナーからの雇われ社長、社員はオーナーの身内です。
おのずとそこにはブレーキがかかる。
こういう体制を、日本は古代の昔から敷いてきたのです。
要するに、世界中が古代から中世、近代に至るまで、国民は豪族や権力者の「私有物」だったのに対し、日本では、庶民は全員「公民」です。
天皇の民たちなのです。
そして国政を担う者は、その天皇の民たちの安寧と幸福のために、国政への全責任を負っている。
責任をまっとうしていれば、親任は継続され、責任のまっとうがなされなければ、天皇から親任を解かれ、クビになる。
みなさん、すごいと思いませんか。
これって、究極の民主主義の姿といえるのではないでしょうか。
すこし高森先生の講義を引用します。
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天皇というのは、公民と言うものの地位を保証するということを申上げておきます。
公民という民衆の地位を支えているのは、実は天皇なのです。
「公民」というのは、別名を「百姓(ひゃくせい)」といいます。
これは全ての、「姓を持つ者」という意味です。
もともとは農民という意味ではありません。
全ての役人のことを百官といいますが、それと同じです。
そしてここが大事なのですが、「姓を持つ」ということは、「奴隷ではない」ということです。
奴隷と違って、公民は「人の財産のように扱われるもの」ではありません。
ですから江戸時代においても百姓一揆をやるときは、「我々は天下のお百姓である」と檄文を掲げ、殿様に「我々はお前達の奴隷ではない、お前達の私有民ではない。自分たちは天下のお百姓である、天下の公的な国家の統治のもとにある自由な民である」と主張したわけです。
そして公民に「姓」を与える者は、日本の歴史においては、天皇ただひとりです。
つまり、我々は天皇によって姓を与えられた者なのです。
天下のお百姓(農民ではなく百の姓)です。
天下のお百姓であるということは、天皇によって、自由を与えられた公(おおやけ)の民であるということです。
そういう意識が、百姓一揆というものの権利意識、ひいては日本人としてのアイデンティティを支えてきているのです。
ですから日本における天皇を、まるで支配者であるかのような錯覚をする人がいるけれど、天皇はそういう存在ではなくて、民衆の私的な支配に対する抵抗の拠点でもあるということです。
有力者層の勝手気侭な支配に、ブレーキをかける根拠としての存在として、天皇は歴史に存在してきたのです。
それが現代ではまったくあべこべの理解がなされている。
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そうしてみると、米国人がわずか一週間でテキトーに作った日本国憲法にいう「象徴天皇制」などというものが、いかに勉強不足のインチキ憲法であるかがわかります。
なぜなら天皇が象徴でしかないなら、我々国民も、実態のない、ただの象徴でしかないということになるからです。
とんでもない話です。
私達は実在し、この世に生きているのです。
生きているし、人間だから、失敗もします。
間違って民主党に投票して、政権を委ねてしまうことだってあったわけです。
けれどそれが間違いとわかれば、それを訂正し、再度仕切り直してやり直すことだって、私達にはできるのです。
なぜなら私達は、公民であり、天皇の民だからです。
私は、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉が好きです。
たとえ、一介の社員にすぎなくても、あるいは一介の国民のひとりにすぎなくても、俺たちは奴隷じゃない。
奴隷じゃないから魂がある。
魂がある人間なのだから、相手が課長であれ、部長であれ、社長であれ、施政者であれ、同じ「人」です。
肩書きによって、役割や責任の範囲は違うかもしれないが、同じ人間です。
それを権威権力を嵩にきて、人を人とも思わないで威圧したり、圧政下に置いたりするようなら、拳をもってでも戦う。
なぜなら魂があるからです。
その魂のことを「大和魂」という。
ですから「大和魂」というのは、単に戦う時の勇猛心を指して言うのではなく、天皇のもとにある天下の公民であるという気概のことを「大和魂」というのです。
そんなことにあらためて気付かせてくれる講義でした。
それにしても、国史というのは、まだ講座がはじまって、わずか4時間ですが、前回の藤岡先生といい、今回の高森先生といい、講義の際の話し方とかは、とても穏やかで、ときに笑いを交えながらのわかりやすい講義なのですが、内容は、まさに体がふるえるほどの驚きと感動に満ちたものでした。
次回は、私が講義の担当ですが、これは本当に困った。
はたしてみなさまにどれだけのことを伝えきれるか。
いまから準備していかないと。。。。

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