
幕末の維新のときに、志士達の精神的支柱となった思想は、藤田東湖(ふじたとうこ)にあるといわれています。
けれど藤田東湖は、水戸藩主徳川斉昭の腹心として斉昭の絶対の信頼を得るのですが、斉昭が幕府内の政争に破れて失脚すると、同じく失脚してしまい、弘化元(1844)年には、禄(ろく、給料)まで剥奪されました。
黒船来航によって東湖は再び本流に返り咲くのですが、安政の大地震のときに、母を救おうとして建物の下敷きになり、この世を去っています。
その藤田東湖が、弘化年間の失脚中に著わしたのが、有名な「回天詩」です。
この歌は、幕末の志士達の心を動かし、そのエネルギーが幕末維新へとつながっていきます。
東湖の詩は、志士達の精神的支柱となったのです。
そこで今日は、この「回天詩」をご紹介し、平成の大革命を起こすべく立ち上がったみなさまにお届けしようと思います。
はじめに、通釈というか行間の意味も含めた口語訳を、詩とともにお伝えしようと思います。
原文は末尾に記します。
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回天詩
天を動かすの歌
三(み)たび死を決して
而(しこうして)死せず
私はこれまでの人生で、三度、死を覚悟をする大難に遭ったが、死ななかった。
二十五回 刀水(とうすい)を渡る
勤務のため水戸と江戸を往復した。
刀水(利根川)を渡ったのは25回にのぼる。
五たび閑地を乞(こ)いて
閑(かん)を得ず
五たび要職を与えられ、その都度、そのような大任に自分はふさわしくないからとお断りした。
しかし任務を与えられた。
私は、その責任を全うしてきた。
三十九年 七所にうつる
責任を果たすため、私は39年の人生で、7回、転勤で官舎も引っ越している。
邦家の隆替(りゅうたい)偶然にあらず
人生の得失(とくしつ)あに徒爾(とじ)ならん
人生の得喪は決して偶然ではない。
同様に、我が国の盛衰も決して偶然ではない。
みずから驚く
塵垢(ぢんこう)皮膚に みつるを
私はいま、職を解かれ、幽閉され、風呂にも入れず、皮膚には垢が沁み着いている。
私の人生は世俗の垢にまみれたものであった。
なお餘(あま)す
忠義骨髓を うづむるを
しかしそれでもなお、私のこの体には、忠義の炎が骨随にある。
嫖姚(ひょうよう)
定遠(ていえん)期すべからず
前漢の武帝時代の名将である霍去病(かくきょへい=嫖姚)は、叔父とともに八百名の騎兵を率いて匈奴の征伐をし、
後漢の定遠侯(班超)は、西域に遠征して、五十余国を平定した。
私には、彼らほどの武門の力量はない。
丘明(きゅうめい)
馬遷(ばせん)
むなしく自ら企わだてる
春秋時代の魯の歴史家、左丘明(さきゅうめい)は、「春秋左氏伝」「国語」を著し、
前漢の歴史家、司馬遷(しばせん:馬遷)は「史記」を著した。
しかし私には、そこまでの文才があるわけでもない。
いやしくも大義を明らかにし人心を正せば
皇道なんぞ興起(こうき)せざるを憂えん
しかし、大義を明らかにし、人心を正し、
皇道を打ち立てなければ、我が国は滅んでしまう。
この心奮発して神明(しんめい)に 誓う
古人いう、斃(たお)れて後(のち)にやむと
ならば私は、自分の心を奮い起こし、八百万の神々に、我が身命を惜しまずと誓う。
昔の人は「斃(たお)れて後(のち)にやむ」と言った。
私も斃れるまで皇道を打ち立て、守り抜く覚悟でいる。
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回天詩 藤田東湖作
【原文】
三決死矣而不死 二十五回渡刀水
五乞閑地不得閑 三十九年七處徙
邦家隆替非偶然 人生得失豈徒爾
自驚塵垢盈皮膚 猶餘忠義填骨髓
嫖姚定遠不可期 丘明馬遷空自企
苟明大義正人心 皇道奚患不興起
斯心奮発誓神明 古人云斃而後已
【読み下し文】
三たび死を決して しこうして死せず
二十五回 刀水(とうすい)を渡る
五たび閑地をこいて 閑(かん)を得ず
三十九年 七所にうつる
邦家の隆替(りゅうたい)偶然にあらず
人生の得失(とくしつ)あに徒爾(とじ)ならん
みずから驚く 塵垢(ぢんこう)皮膚に みつるを
なお餘(あま)す 忠義骨髓を うづむるを
嫖姚(ひょうよう)定遠(ていえん)期すべからず
丘明(きゅうめい)馬遷(ばせん)
むなしく自ら 企わだてる
いやしくも大義を明らかにし人心を正せば
皇道なんぞ興起(こうき)せざるを憂えん
この心奮発して神明(しんめい)に 誓う
古人いう、斃(たお)れて後(のち)にやむと
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三年前、民主党が選挙に勝ち、政権をとりました。
そのとき彼らが掲げた標語は「政権交替」です。
古い衣を脱ぎ捨てて、新しい日本を創るのだ。
だからと彼らは日の丸が没して、新たな太陽が昇る姿を党旗にしました。
けれど三年経って明らかになったのは、彼らには政権維持能力もなければ、政策担当能力もなく、さらに責任ある政治を行う能力すらもなかったということです。
なにせ三年経った今でも、悪いのは自民党だとのたまっている。
そんなでは、どちらが与党でどちらが野党かもわからない。
いい歳して、まるで子供です。
世界中どこの国のどの時代をひっくり返してみてもはっきりといえるのは、あらゆる革命もあらゆる改革も、その国の歴史、文化、伝統に立脚したものでなければ、絶対に成功していないという事実です。
(参考→「歴史伝統文化に立脚しない革命は成就しない」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1119.html)
民主党は過去を否定します。そして現在も否定し、未来を築くといいます。
けれど過去、現在、未来は連続して人々が織りなす歴史です。
過去と現在の否定の先には、未来の否定しかない。
あたりまえのことです。
民主党や左翼、在日にはそこがわかっていない。
民主党は前回の選挙で、大量の議席を得たけれど、それは小沢一郎氏の財力と人脈力によるものです。
にもかかわらず民主党に巣食う左翼や在日は、政権をとるや大恩ある小沢氏を失脚させようとしました。
恩を知らず、セクト争いにうつつをぬかす、薄汚い政争しかそこにはない。
そんな卑怯者達に、我が国の未来図など描けるはずもありません。
昨年、東日本大震災が起こりました。
被災者の日本人は、深い悲しみをこらえながら平静を保ち、規律を失うことなく行動しました。
自制心、克己心、他者への思いやり、自己犠牲、感謝の心などの高貴な精神性を示す日本人の姿に、世界中の人々が驚嘆し、称賛しています。
けれど外国人による日本人の道徳性への高い評価は、いまにはじまったことではありません。
古代Chinaの文献「魏志倭人伝」でも、盗みがない、争いごとが少ない、風俗が乱れていないと伝えられているのです。
日本人の高貴な精神性は、まぎれもなく長い歴史の中で培われてきたものです。
その日本の歴史伝統文化をおろそかにする者に、我が国の未来は築けないのです。
多くの日本人は驚きました。
左翼や在日といった売国奴に政治を委ねると、いったい何が起こるのか。
民主党政権は、もはや政権の体さえもなしていません。
藤田東湖は回天詩に書きました。
「自驚塵垢盈皮膚 猶餘忠義填骨髓」
みずから驚く 塵垢(ぢんこう)皮膚に みつるを
なお餘(あま)す 忠義骨髓を うづむるを
戦後67年間、私達日本人は左翼や在日の跋扈を放置し、彼らの言い分を容れ、そして多くの人々はそうした政治に対して目をつぶってきました。
ビジネスの世界でも、取引先や社内において、常に政治と宗教の話はタブーとされてきました。
頑迷に日本解体を主張する左翼や在日に対し、そこで議論することよりも、力を合わせて日本の復興をみんなが優先してきたのです。
ところが、多くの日本人がまどろみを装い、政治を放置してきた結果、日本に民主党という売国政党が誕生しました。
そして戦後の焼け野原に等しい、東日本大震災の瓦礫を前にして、あれからもう二年も経とうとしているのに、復興はまるで進んでいません。
要するに、単なる否定政党には、何も出来ない、何もなし得ないというとなのです。
そして日本は、民主党政権下の、このわずか三年の間に、経済さえもどん底となりました。
就職もできない。景気の見通しもない。
いまや日本全国が、精神的焼け野原状態です。
けれど、日本人の骨髄には、忠魂がしっかりと根ざしています。
戦後67年の塵垢が皮膚を穢していたとしても、その骨髄には日本精神がしっかりと根を生やしている。
まさに「なお餘(あま)す 忠義骨髓を うづむるを」です。
国家の隆替も、個人の隆替も、偶然ではありません。
起こるべきときに起こり、なすべきときに、なすべきことが起こる。
それが日本です。
そしていま、私達日本人は、目覚める秋を迎えました。
そして私達が目覚め、進むべき道はただひとつ。
日本の過去に謙虚に学び、現在に活かし、新しい未来を築くこと。
いまこれに覚醒した日本人は、まさに、日本の歴史伝統文化に根ざした新しい日本を築くための平成のサムライたちです。
私達には、かつての勇猛な武将たちや、後世に名を残したような文人の才覚はないかもしれないけれど、それでも気付いたら立ち上がる。
そして立ち上がった以上は、斃れるまで進む。進み続ける。
ひとつひとつは小さな小石かもしれなけれど、それが固まって巌(いわお)になるのが日本人です。
北海道よ立ち上がれ!!
北の大地から日本を呼び覚ませ!
東北よ立ち上がれ!
いつの時代も最後の恃みは奥州武士です!
関東よ立ち上がれ!
いまこそ坂東武者の出番です!
中部よ立ち上がれ!
徳川三百年の平和を築いたのは、まさに中部の勇士たちです!
関西よ立ち上がれ!
いまこそ大和の中心の心意気を示せ!
中国よ立ち上がれ!
出雲は我が国最古の聖地です!
四国よ立ち上がれ!
最古の日本人は四国にあり!
九州よ立ち上がれ!
いつの時代も日本最強の武者は九州男児ぞ!
決して、何も大きなことをするとか、そういうことではありません。
目覚めたひとりひとりの日本人が、自分にできるほんのちょっとのことをし続ける。
その「ほんのちょっと」の連鎖こそが、日本を変える力なのです。
この心奮発して神明(しんめい)に 誓う
古人いう、斃(たお)れて後(のち)にやむと
ちにみに藤田東湖は、黒船来航の危機で藩政に復帰するのですが、安政の大地震のとき江戸の藩邸にいて、地震のときには建物倒壊をおそれて母とともに表に逃れました。
ところが、母がどうしても取りにいきたい大切なものがあるというので、一緒に、室内に戻る。
そのときドウと音を立てて建物が崩れるのです。
東湖は、母を助けるため、倒れて来る鴨居を支えました。
そして母を逃す。
けれど、東湖は、建物の下敷きになって亡くなりました。
尊王攘夷を高らかに謳い上げ、幕末志士や佐幕派の思想的背景を築き、精神的支柱となり続けた東湖は、こうして最後に年老いた母を助け、忠孝の「孝(親孝行)の道」を自らの生命で示して、あの世に旅立たれました。
何も大きなことを言ったり、したりするのではない。
原点は常に日本人としての家族主義にある。
その家族を大切にし、生命をかけて大切な何かを守り続ける。
それが日本人の日本人たる所以であろうかと思います。
私達は、その日本を取り戻そうとしています。

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