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■第5回 ねずさんのお気に入り!
「世界に誇る縄文文化のおはなし」

■第6回 日本が誇る「戦艦大和のおなはし」

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↓ここから今日の本文です↓
どこか懐かしく感じられるベトナムの農村風景
ベトナムの農村風景

このところ複数の方から、いわゆる「お年寄り」が、あちこちで、
「自分はかつて日本で、軍隊にいて、非道な振る舞いをした」と吹聴してまわっているという話が寄せられました。
実際に軍人として戦争を「経験した」お年寄りが、
「自分は、上官の命令で赤ん坊を銃剣で殺した」
「上官の命令で村人を皆殺しにし、女性たちを輪姦した」
「町を守るための警備をしていたが、敵が攻めて来たら上官が真っ先に逃げ出したので、自分も町の人たちをほったらかして、逃げた」等々と、自分自身の実体験として吹聴してまわっている、というのです。
結論からいうと、これは「工作」です。


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言われた方はびっくりします。
なにせ、体験者の体験談です。
実体験であるだけに、説得力がある。
日頃、ねずさんのブログで、日本の軍人さん達がたいへんに立派な人たちだったと聞いているけれど、体験者の話は、それと180度違う。
どちらが本当の日本の姿なのか?というわけです。
いずれも、その「お年寄り」の方は、年齢が70代後半から最高齢者82歳です。
私も最初、話を聞いたときには、びっくりしました。
けれど、年齢を聞いて、思わず「やれやれ」と思ってしまいました。
今年は、戦後67年経っているのです。
皆様にも、ぜひ、この67年という数字を頭に入れておいていただきたいのです。
大東亜戦争の終戦から67年経過しているということは、終戦時点で最年少の兵隊さんだったとしても、今年すでに「86歳」になっている、ということなのです。
82歳では、年齢があいません。
日本の徴兵制度は、明治6年から制定されていますが、もともと「一家ノ主人タル者」や家産・家業維持の任に当たる者は兵役の義務から免除されていたことにくわえ、年齢制限も満20歳とされていました。
昭和18年からはこれを一年繰り上げていますが、それでも満19歳からの徴用です。
それより年少者に兵役の義務はありません。
つまり、終戦時点で19歳だった者、すなわち今年86歳以下の者が、日本の帝国軍人として徴用されていた可能性は皆無だ、ということです。
年齢のごまかしもできません。
なぜなら日本は、古来、戸籍制度がきちんとしているからです。
ということは、上の「非道をしてきた」と自白しているお年寄りは、最高齢でも82歳です。
昭和20年の時点では、まだ15歳、75歳のお年寄りなら、終戦時点で8歳の子供です。
「自分は軍人として、非道の数々を行ってきた」と「告白」しているそれらお年寄りは、残念ながら大東亜戦争の時点では、兵役どころか予備兵の対象にすらなっていない、つまり従軍体験はないのです。
では、その方達が銃を持って兵隊として戦ったのは、もしその「非道をした」ということが事実とするならば、いったいいつの、どの戦争のときのことなのでしょうか。
日本は、昭和20年の大東亜戦争終戦後、今日にいたるまで一度も戦争をしていません。
そもそもそれらお年寄りが青年であった頃の日本には、軍隊はおろか自衛隊すらありません。
答えは、「朝鮮戦争」というのなら、話が一致します。
朝鮮戦争は、南北朝鮮合わせて500万人が死んだ、人類史上、もっとも悲惨な戦争のひとつに数えることができる戦争です。
そしてそのうち383万人が、朝鮮半島での民間人死傷者です。
兵よりも、民間人が多く殺傷されたのです。
その朝鮮戦争が行われたのは、昭和25年〜昭和28年までの3年間です。
そしてこの朝鮮戦争では、韓国は14歳から17歳の少年少女14,400人を韓国兵として徴用しています。
ちなみに、ジュネーブ条約では、第四条で、満15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止しています。
当時の韓国政府は、実にとんでもないことをしたものです。
ただ、昭和28年の朝鮮戦争休戦の時点で14歳だった者なら、今年73歳です。
先ほど申上げた、日本の終戦時15歳だった子供(いま82歳)も、朝鮮戦争休戦時には23歳の若者になっています。
まさに、兵役のまっただ中です。
銃を持って戦場に赴いた可能性は、十二分にある。
要するに冒頭に述べた、
「自分はかつて日本で、軍隊にいて、非道な振る舞いをした」
というのは、嘘ではないにしても、間に言葉が抜けている。
実際には、
〜〜〜〜〜〜〜
自分はかつて日本(であった朝鮮半島に住む朝鮮人)で、
(朝鮮戦争のときに、韓国の)軍隊にいて、
非道な振る舞いをした

〜〜〜〜〜〜〜
と告白しているのです。
なるほど朝鮮戦争では、当時の南朝鮮(韓国)の大統領である李承晩自身が、自分が逃げる途中で自国の民間人をみかけると、どうやらそれが韓国の民間人に変装した北朝鮮の工作員にみえたらしく、それら民間人を皆殺しにしています。
大統領でさえ、これなのです。
まして下々の軍隊なら、何をしでかしていたか推して知るべしです。
実際、韓国はベトナム戦争(1960~1975)においても韓国の正規軍をピークで5万人(延べ人数だと31万)を派遣し、また民間人2万人が当時のベトナムに行っています。
このときの韓国軍の悪行は、「ダイハン(大韓)の残虐行為」として、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、連日放送されていたし、ベトナムではいまも村ごとに「ダイハンの残虐行為を忘れない」と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っています。
2001年に佐藤和さんが「SAPIO」に書いた記事があるので、すこし引用してみます。
〜〜〜〜〜〜〜〜
ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。
その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。
最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。
同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。
この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。
ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。
例えば、生存者の証言からは、韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。
以下、その部分を略して引用すると、
「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
女性を強姦してから殺害。
妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す
等々」だ。
日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。
続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。
戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。
しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。
これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。
ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。
タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。
同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。
彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。
ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。
米国に次ぐ大派兵であった。
この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。
ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。
アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。
(中略)
また全斗煥・盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。
しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。
(中略)
韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。
中学生向けの国定教科書に記されているのは
「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。

〜〜〜〜〜〜〜
また、米国のジャーナリストであるD.W.W.コンデも、まさにベトナム戦争の最中である昭和44(1969)年に、次の報道をしています。
〜〜〜〜〜〜〜
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。
アンヤン省の三つの村では110人を、
またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。
8月までに、獰猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。
10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足のない19人の遺体が川から引揚げられた。
これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦したとの報道もあった。
かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。
母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜
個人も組織も民族も、ふだん、何事もなくいいときはいいのです。
たとえば都会の様相は、ニューヨークも東京も北京もソウルも平和な日常ならば、往来には人々が行き交い、町には音楽が流れ、販売員の呼び込みの声がこだまし、アベックが仲良く買い物に興じています。
それは世界各国、どこにいても、同じ情景、おなじ光景です。
けれど、ひとたび異常事態が起きたとき、たとえば地震や災害が起きたとき、その民族の性根が出ます。
暴行が起き、商店が襲われ、品物や食べ物が略奪される。
日本はまさに桃源郷であると言った人がいましたが、あの大震災のあとでも、略奪や暴行などが起きず、スーパーやコンビニの前で整然と並ぶ日本人の姿は、いかなる場合にも秩序を失わない日本人の正体を、見事にあらわしています。
これに対し、朝鮮は、なるほどかつて日本に統治されているときには、それなりの平和と秩序を維持したし、中には日本人以上に立派な日本人として育った方達も数多くいたけれど、戦争が終わった途端、多くの朝鮮人がその本性を現し、多数の日本人を殺害し、女性を強姦した事実は決して消えるものではありません。
また戦前には関東大震災のときに、いわゆる不逞朝鮮人が放火や略奪、強姦を繰り返し、この結果、地震そのものによる死傷者はわずか1万人程度だったものが、14万人という多数の日本人が犠牲になるという悲惨を招いています。
また終戦直後には、朝鮮人は戦前は日本人であったにも拘らず、途端に手のひらを返したように「自分たちは戦勝民族である」と名乗りをあげ、多数の日本人に対して暴行を働き、駅前の一等地を勝手に占拠する等の被害をもたらしています。
山口組の田岡組長といえば、たいへん有名な方ですが、暴力団でもヤクザでもなかった田岡組長がその名を馳せたのは、ある日、白昼の路上で複数で子連れの女性を輪姦している場に出くわし、義憤にかられてそれら朝鮮人を叩きのめしたことがきっかけになったというのも、有名な話です。
また、最近ではなぜか警察の所轄となった鉄道警察ですが、これが「鉄道公安官」としてGHQのもとで誕生したのも、当時、列車内で公然と日本人女性を強姦したり、暴力をふるって日本人の所持品を略奪する朝鮮人の行動が、あまりに目立ち、日本人を骨抜きにしようというGHQでさえも、そのあまりの不埒さぶりに、列車内の安全確保のために公安官の設置を命じた、という過去があります。
民族の血というものは、変わらないのかもしれません。
朝鮮人が朝鮮戦争で行ったこと、あるいはベトナム戦争で行ったこと、そして日本で、あるいは大陸で行ったことの数々をみれば、彼らの本性がいかなるものであるのか、世界中の人々は、それなりの警戒をしなければならない。
まさに、獣そのものです。
そしてその獣達が、朝鮮戦争の際、あるいはその後にボートピープルとなって日本に多数やってきました。
そして日本人名としての通名を名乗り、あたかも日本人のような顔をして、自分たちが朝鮮戦争等でやってきた非道の数々を、こんどは日本人のせいにしようと、いま、あちこちで、朝鮮系日本人のお年寄り達が、実際には朝鮮戦争のあった朝鮮で、朝鮮人として朝鮮人に対して行ってきた蛮行の数々を、まるで日本人がかつての大東亜戦争時代に行ったことのように吹聴してまわっているのです。
こういうことをする朝鮮人(韓国人)を、世界中が危険な民族として「警戒」するのはあたりまえのことです。
日本でも当然そうです。
かつてのことを知る人々は、当然のように朝鮮人(韓国人)を「警戒」する。
いまでは、全国どこの小学校でも集団登下校があたりまえになっているけれど、それが行われるようになったのは、かつて小学生を殺害し、その生首が校門前に置かれたという事件があったからです。
何十万人いる中に、たとえひとりでも、そのような蛮行を行えば、人々は当然、再び被害が起こらないように「警戒」する。
あたりまえのことです。
ところが在日朝鮮人は、そのあたりまえの「警戒」を、「差別」だと言葉を入れ替え、加害者なのに被害者を装う。
殺人犯が、逮捕しにきた警察官に「おまえらは殺人鬼だ」と言っているようなものです。
本末転倒。実に無茶苦茶な話です。
ところが戦後の日本というのは、そういう無茶苦茶な本末転倒が、あたかも「正しい」ことのように報道され、まるで「民意」であるかのように装われ続けてきました。
とんでもない話です。
在日朝鮮人(韓国人)たちは、「差別」だと日本人を悪く言う前に、それだけの組織力があるなら、まず自分たちの集団の中で反省し、二度と同様の犯罪が出ないように仕組みづくりをすれば良いのです。
人にとやかく言う前に、まず自分たちで襟を正す。
それが万国共通、あたりまえのことです。
ちなみに、上にご紹介したベトナムでの韓国兵による暴行で生まれてきた子供達のことを、ライタハン、またはライタイハンといいます。
「ライ」は、混血、「タハン」は、大韓の意です。
みなさん。
もし身の回りでおかしなことを言う老人がいたら、老人の体験談だからと鵜呑みにするのではなく、まず相手の年齢をきちんと確かめてください。
そしてその老人が、85歳以下なら、間違いなくその老人は、在日朝鮮人であり、そこで話されている内容は「朝鮮の朝鮮人による朝鮮戦争での体験」であると知りましょう。
私達は、もう、デタラメに翻弄されるのは、まっぴらですから。
最後に一点だけ補足します。
本文で、日本では、徴兵は20歳(学徒動員以降は19歳)からと書きましたが、例外として少年兵があります。
これは15歳から、兵隊さん達の働きを助けるためにと志願した少年達を外地に派遣したもので、名前こそ「兵」となっていますが、実態は軍属に近いものです。
外地において、兵舎内での炊事、洗濯、連絡、そしてもっとも大きな仕事として、食物を得るための農作業等の補助をしていた人たちです。
軍隊と行動をともにしますが、兵員ではないので、銃器は支給されません。
要するに、雑役と農作業の補助要員として志願少年を採用したものです。
南方の島々での戦いなどにおいて、大人達は、戦いの準備のために壕堀などの重労働を行いました。
あらゆる土方仕事の中で、もっとも辛い仕事が「穴掘り」だといわれていますが、硫黄島などでは、少し地面に穴を掘ると、その中は温度が50度にも達します。
その中で、重労働である穴掘りは、屈強な大人でも、30分以上、掘り続けることができなかったといわれています。
また穴を掘れば、地下水や海水が出る場合もあるし、穴の天井が崩れて作業している人が生き埋めになる危険もある。
そういう危険な壕堀作業で、帝国軍人さんたちは、島内に縦横に坑道を掘ったのです。
しかも敵がいつ攻めて来るとも知れず、時間がない。
ですから、激戦前は、戦地の兵隊さん達は、まさに猫の手も借りたいくらいの忙しさにあったわけです。
そのため、軽作業である農作業(これだって辛いといえば辛い)や、洗濯、炊事など、子供でもできる作業は、子供達にやらせ、大人達は、ひとりでも多くが重作業に従事した。
そのための志願少年兵だった、というわけです。
誤解があるといけないので、すこし補足しました。
<ご参考>韓国の軍隊
昨今の在日コリアンの日本国内での暗躍は、彼らの国籍が韓国にあり、本来なら韓国の徴兵に応じなければならないことに対して、そこからいかに逃げるかということが背景にあると言われています。
その彼らが嫌がる韓国の軍隊の日常の写真館です。
ご興味のある方はご覧ください。
たぶん、空いた口がふさがりません。
 ↓
http://jackassk.web.fc2.com/funny/photo/army/index.html
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ベトナム戦争での韓国軍の悪行

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