
ある日、お腹を空かせたキツネが、森の中を歩いていました。
ふと気がつくと、たわわに稔ったおいしそうなブドウがたくさんぶら下がっています。
キツネは、何とかして食べたいと思いました。
でもブドウの樹の棚は高くて、キツネがいくらジャンプしても届きません。
するとキツネは、
「ふん。あのブドウは、まだ酸っぱいのさ」
と、採れないことをブドウのせいにして、どこかへ行ってしまいました。
この寓話は、ご存知、イソップ物語の「キツネと酸っぱいブドウ」です。
物語そのものは、「他人やモノのせい」にすることの愚かしさを説明する寓話として、よく語られるものです。
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何事も簡単には手に入りません。
簡単じゃないから、知恵を使い、体をつかい、道具を使い、仲間と協力して、手に入れることができるように努力するのです。
それをしないで、簡単にあきらめる。
あきらめるだけじゃなくて、相手の「せい」にする。
自分の努力不足なのに、相手の「せい」にする。
実にみっともない行動です。
この寓話では、その「相手のせい」にするキャラクターを「キツネ」にしているところが、また大きなポイントとなっています。
なぜならキツネは、木にも昇れるし、イソップ物語では、しばしばずる賢さの代名詞として登場するキャラクターだからです。
つまりキツネは、頭が良い知恵者というだけでなく、ずるさまで持ち合わせている。
しかも、すばしこくて、木にも昇れる能力がある、ということが寓話の前提になっているということです。
つまりこの物語は、努力をすれば実現の可能性があるのに、その努力を怠り、他人の「せい」にする。
そのことのおろかしさを、キツネというキャラクターでより強調しているわけです。
実は、こうしたキツネの行動は、社会心理学用語でいう、
「認知的不協和(にんちてきふきょうわ)」
(英語名:cognitive dissonance)
にあたります。
「認知的不協和」というのは、簡単にいうと「自分が感じていることと違う事実を人は認めたくない」という心理です。
このことは、現代韓国や在日韓国人(以下単にコリアンといいます)をみると、ひじょうにわかりやすいかもしれません。
幼いころから反日教育を受けて育った現代コリアンたちは、成人し、世界へと打って出ます。
彼らは教育によって、コリアンは世界の一等民族であり、世界中で高い評価を得ていると信じている。
一方、彼らが受けた教育による「侵略国である日本」は、悪の枢軸国であり、世界中から疎まれる存在となっている・・・ハズなのです。
ところが、実際に成人して海外に出てみると、世界の評価は、まるで逆です。
そうなると、自分が教育を受け信じている事実と、現実の評価がまるで異なる。
つまり教育によって認知している事実と、体験によって認知した事実が、まるで異なる。
そこで「不協和」が起こる。
「認知」が「不協和」すると、どうなるかというと、冒頭にあるキツネと酸っぱいブドウと同じです。
コリアンたちは、「コリアンを世界の一等民族と知らない世界がおかしい、間違っている」、あるいは「日本が侵略国なのに繁栄しているのはけしからん」、となるわけです。
つまり、「相手のせい」にすることで、自己の認知の不協和を解消しようとする。
そればかりか、「けしからん者を成敗するのは正義である」などと極論化さえもしてしまう。
典型的な「認知的不協和」の症状が出るわけです。
これは、たとえばオウムの信者たちが、全財産を麻原彰晃に寄付していながら、麻原がカルトだ、詐欺師だという事実を突きつけられたとき、「間違っているのは世間だ」とかえって自分たちの世界にはまり込む姿にも相通じるものがあります。
事実がわかればわかるほど、そして、不協和以前に蓄積された認知の度合いが深ければ深いほど、不協和は大きいものとなり、より一層、先鋭化、深刻化していく、という事態にはまり込んで行くわけです。
本来ならば、ある程度知性のある高い教育を受けた人であるなら、自分が間違っているのではないか、自分が先に反省すべきなのではないかと考え、自分の持つ認識や思想、あるいは行動を改めようとするのが筋道というものです。
だけれど、現実はそうは決してならない。
なぜならないかというと、認知的不協和は、理性ではなく、感情で反応するものだからです。
ですから、「君は間違っているのだよ」などと指摘されると、よけいに逆らう。火病まで起こして反応する。
「事実が間違っているニダ!」
「ブドウが手にはいらないのは、ブドウが高すぎるせいだニダ!」
「あのブドウは、不味いニダ!」
「そもそもブドウの生え方が良くないニダ!」
「あんなところにブドウがあること自体が間違いニダ!」
そしてお腹がすいているのに、
「お腹など空いていないニダ!」となる。
こういう「感情を共有する同じ教育を受けた仲間たち」が集まると、今度はこれが「集団的認知不協和」となります。
いわゆる「集団ヒステリー」という状態になり、集団の意思として、相手を徹底的にないがしろにし、いたぶろうとしはじめる。
集団でブドウの木を恨み、憎み、ブドウの木そのものを腐らせ、伐り倒そうとする、ありえない行動に走りはじめる。
そんなことをしても、ブドウが手に入るわけではないし、彼らのお腹は何も満たされないことは、冷静になって理屈で考えれば、アホでもわかることなのです。
けれど、それがわからない。
韓国や在日Korean学校で高い教育(反日教育)を受けた者、つまりリーダーとなればなるほど、わからない。
学校で、日本人悪玉説の教育を受ける。
けれど実社会に出てみると、日本人の方がはるかに世界で信用がある。
その理由がわからない。
すこし冷静になってみれば、単に日本が、あるいは日本人が、それだけ勤勉実直に努力して信頼を重ねただけのことなのに、そんな単純なことさえ見えなくなる。
おかしい。日本人は悪者のハズなのに、なぜだ!?
それは日本人が「政治権力を持って悪いことを隠蔽しているからに違いない!
許せん!
徹底的につぶしてやれ!
となる。
理性ではないのです。感情が納得しない。
そしてこれが集団的意思、国家的意思となる。
これが領土問題となると、さらに複雑になります。
そうです。「利権」が絡んでくるのです。
直接的には豊富な漁場としての漁業利権、その奥には、巨大な海底資源。
こうなると、いくらこちらが冷静に証拠を示し、条理を尽くして事実はこのように違うのですよと説得しようとしても、そうすればするほど、彼らは「悪意の政治力を発揮しはじめた」としか受け取らなくなる。
感情が納得を受け付けないのです。
つまり理解を「したくない」。
ですからいくら理屈で理解を求めたところで、どこまで行っても平行線だし、彼らは絶対に納得しない。
なぜなら「認知的不協和症」の病状がさらに進行して、「集団的認知不協和症」にまでなってしまっているからです。
では、こうした認知不協和を根本的に解消するには、どのようにしたら良いのでしょうか。
このことについて、「認知不協和」を提唱した米国の社会心理学者のフェスティンガーは、実におもしろい実験をしています。
どういうことかというと、彼は、まったくつまらない退屈な作業を二つの群に分けた被験者たちにやらせたのです。
そして、作業をし終えたそれぞれの被験者たちに、サクラをつかって「この仕事は実に楽しいね」と言わせます。
つまり、「ツマラナイ作業」という認知と、「楽しかった」という評価との間で、認知的不協和を作り上げたのです。
そして不協和状態に陥った被験者たちに、今度は報酬を与えました。
片方のグループの被験者たちには1ドルの報酬を、
もう片方には20ドルの報酬です。
するとどうなったか。
普通に考えれば、認知不協和を起こした者に、20ドルという高額な報酬を与えれば、認知不協和が解消しそうに思えます。
ところがそうはならなかったのです。
20ドルの報酬を受け取ったグループの被験者たちは、
「やっぱりね! あのツマラナイ作業を面白かったと言わせたいために20ドルもよこしたんだよ。作業は実にツマラナかった」
と、むしろ、20ドルの報酬をもらうことで、自分たちの不協和(つまらなかったというもとからの思い)を、さらに深めてしまったのです。
では、1ドルのグループはどうなったでしょう。
彼らは、予想よりはるかに低い時給(普通なら時給800円もらえるところが、10分の1の80円しかもらえなかった)という現実を前にしたとき、
「あの作業は、ツマラナイと思ってやってしまったけれど、もしかしたら、何か大きな意義があったのかもしれない」
と、逆に、自らの印象、感情を「修正する」という方向に向かったのです。
認知的不協和の最大の問題点は、自分が思い込んでいる事実と、現実との間にギャップが発生したときに、それを相手のせいにして自らを省みることをしない、という点です。
それが20ドル、つまり通常の時給の倍の金額を受け取ったとき、むしろ人は自分の認識している事実の方が正当化されたと考えてしまう。
考えるだけでなく、そう思い込んでしまう。
ところが1ドル、つまり通常の時給の10分の1しかもらえなかったグループは、自分の認識が間違っていたのかもしれないと、むしろ反省することで、現実とのギャップを埋めようとした、ということなのです。
このことは、日韓関係や、Chinaと日本の関係、あるいは在日コリアンに対する日本政府の措置等を考える上においても、実におもしろい示唆を与えてくれています。
つまり、反日思想に染まった者たちに、大金(ODA、補助金、生活保護、税制優遇等)を与えると、彼らは認知的不協和によって、むしろ自分たちが正当化されたと、より一層、反日色を強めてしまう、ということなのです。
認知的不協和は、懐柔しようとおもって援助してあげればしてあげるほど、かえって、相手は、自分たちの思想や行動を正当化することを証明しています。
つまり、より一層事態は深刻化してしまうのです。
では、どうすれば良いか。
その答えが、さきほどの1ドルグループにあります。
つまり、日本がむしろ積極的に、ChinaやSouth Korea、あるいはNorth Korea、在日Korean等への一切の経済援助を絶ってしまうということです。
するとどうなるか。
たとえば韓国なら、韓国は自国に技術が育っていません。
日本からの部品輸入が止まれば、彼らは競争力のあるまともな製品をまったく作れなくなります。
そうすると輸出ができなくなる。
輸入も停まります。
そもそも韓国ウォンには通過としての信用がありませんから、輸入代金を彼らはウォンで決済することができません。
つまり、輸出によって得た円またはドルによって、海外からの買付代金を支払っているのです。
それが輸出が停まるということは、外貨が入って来ない。
はいってこなれければ、支払いができない。
支払いできなければ、海外からモノを買うことができない。
日本が韓国への経済援助を取りやめにしなくても、取りやめにする、という政府談話が発表された瞬間に、ウォンは大暴落し、韓国は世界各国との交易から閉め出されます。
なぜなら、韓国ウォンは、すでに崩壊しており、いま韓国が海外と貿易できるのは、日本がスワップで韓国の信用保証をしてあげているからなのです。
その保証がなくなったら、その瞬間に、韓国経済は崩壊します。
経済が崩壊するとどうなるか。
韓国は、国内のあらゆる行政サービスが停止します。
ゴミの回収がなくなり、電気ガス水道も停止する。
町はゴミの山となり、生ゴミの腐臭が鼻をつき、水洗化したトイレは汚物を流すことができなくなり、スーパーもコンビニも、売る品物がなくなる。
これまで500ウォンも出せば買えた大根が、トラック一杯に山積みにしたウォン紙幣を持って行っても、売ってもらえなくなる。
完全に国家として破綻するのですが、もっと簡単にいえば、もとの李氏朝鮮の時代に戻る、というだけのことともいえます。
そうなると、彼らは自分たちの反日という間違いを、自分たちで修正せざるを得なくなる。
つまり、認知不協和を、自己反省によって解消せざるを得なくなるのです。
もっとわかりやすくいえば、反日であることをやめなければ、言い換えれば、隣人と仲良くしなければ、自分たちの生活がなりたたないということに、そこではじめて気がつくのです。
認知的不協和は、自己の認識の間違いに自己が気付かなければ、決して修正されることはありません。
厳しいようですが、認知不協和を起こしている相手には、カネを与えれば与えるほど、相手は「ほれみたことか」としか思わないし、ならば「腕で来い!」とばかり腕力を振るったら(武力で衝突したら)、相手は、より一層被害者面となっていく、ということなのです。
相手自身が、不協和に気がついてもらわなくては、絶対に解決しないのが認知不協和なら、相手に気付かせるしかないのです。
そしてその方法が「1ドル報酬」だ、ということです。
ちなみに韓国について、戦前の日本は韓国を日韓併合し、韓国を経済的に助けたじゃないかというご意見もあろうかと思います。
けれどそれは認識の誤りです。
在日コリアンも同じです。
日本政府が、ありとあらゆる在日特権を与えるから、彼らはかえって反日色を強めるのです。
そして反日色を強めれば強めるほど、認知的不協和の症状が悪化する。
彼らは自分たちは差別されていると主張していますが、ならば、本当の意味で差別をなくしてあげれば良いのです。
つまり、国籍が韓国にある在日韓国人であれば、犯罪を犯せば、韓国人の誰それと実名で報道すれば良いし、パスポートがなければ、不法滞在者(在日コリアンたちは、もともと朝鮮戦争時の不法入国者達ですからパスポートを持たない)ですから、本国に強制送還すれば良いのです。
日本国籍のない者に、日本の法律を適用して生活保護を与える必要もないし、日本の医療保険を適用する必要もない。
すでに日本に帰化している者も同じです。
通名は認めない。日本人同様、改名も認めない。戸籍をきちんと整備し、誰の親元が誰なのか等をきちんとさせる。
納税も、生活保護も、医療介護も、公共料金の支払い等も、日本人とまったくの同条件とし、差別しない。
駅前の一等地の不法占拠も、戦前の資料に立ち返って、本来の所有者に返還させる。あたりまえのことです。
帰化人である以上、犯罪を犯したら、帰化は当然取り消す(世界中どこでもあたりまえ)。
報道も帰化人であることをちゃんと明示して犯罪報道をする。
するとどうなるかというと、彼らは、彼ら自身が自らの振る舞いを正常化しなければ日本社会に受け入れられないということに、そこではじめて気がつくのです。
自分たちが変わらなければ、自分たちの居場所はなくなるという、あたりまえのことに気付くのです。
なぜなら自分で気がつかなければ、認知的不協和状態が解消できないからです。
在日特権を与えて優遇するから、認知不協和が増幅するのです。
特権を剥奪したら、彼らは自分たちで努力して認知不協和を解消し、本当の日本人になれるように努力して、自分たちで変わらざるを得なくなる。
Chinaも同じです。
民主党内閣になってから、Chinaの増長は著しいものがありますが、そもそもChinaに韓国同様、さまざまな便宜を日本政府がはかるから、彼らは自分たちが受けた反日教育と、実際の日本との認知に不協和を起こし、それを増幅させるのです。
下手にカネをやるから、飢えた獣のように、もっとよこせ、まだよこせと、要求をエスカレートさせる。
尖閣にしても、China国内の反日暴動にしても、彼らの横暴が現実のものである以上、日本は中共に対する、一切の補助、援助を差し止めれば良いのです。
Chinaの対日認知不協和を解消する道は、これしかありません。
Chinaを増長させているのは、日本自身なのです。
日本人がそこに目覚めなければ、いつまで経っても事態は変わりません。
要するに、日本はこれまで、特ア三国や、在日特ア人に対して、「融和のために」と称して、まったくやってはならない真逆の対応をし続けてきた、ということなのです。
抜本的解決のためには、彼らの認知不協和そのものを、自省させる方向に舵を切らなければ、この先、問題はますます深刻化する。
いや、むしろ深刻化した問題は、いまや、日韓、日支、あるいは日本国内の在日問題というだけでなく、特アの害毒は、いまや世界中に飛び火しています。
その責任の多くは、獣にカネを与え続けた戦後日本にある、といっても、決して過言ではない。
ブドウが採れないからと、ブドウの悪口を言っているキツネに、モノをたらふく食わせるから、キツネは「だからあのブドウは酸っぱいんだよ」と言いふらすのです。
腹が減ってどうにもならなければ、甘いの酸っぱいのとくだらない評論をしている自分自身をキツネ自身が捨て、なんとか努力してブドウを手に入れようとする。
ブドウが採れないのは、自分の努力不足にあると、そこではじめて気がつくのです。
最後にひとつ付け加えます。
この認知不協和というのは、もうひとつのやっかいな側面を持っている、というお話です。
それは何かと言うと、認知不協和は、ひと目をひき、拡散力がある、ということです。
簡単にいうと、たとえば
「甘いものを食べると痩せる!!」
「勉強しなくてもテストで良い点が取れる!」
などというコピーが、まさにそれで、普通なら甘いものを食べれば太るはずなのに、それが痩せるとは何事か?と、人々に認知的不況を起こさせ、不協和を起こした人々は、その理由を探しにその本なり記事なりを、つい読んでしまう、ということです。
世界中の誰もが、日本の帝国軍人は、実に立派な人々だった、と思っています。
その帝国軍人が、慰安婦と称して20万人の若い女性をセックス奴隷にした、と聞くと、世界中の人が「えっ?!」と聞き耳を立てる。
聞き耳が立つということは、その宣伝は絶大な効果を持つ、ということなのです。
あるいは、日頃大人しくて真面目で親切な日本人が、南京で30万人の虐殺をした、と聞くと、聞いた方は、やはり(まじめで親切な日本人:虐殺する日本人)という認知的不協和を起こします。
だから、「それって、どういうこと?」と聞いて来る。
そして気がつくと、ありもしないコトが、いつの間にか世界の常識になっている。
こうした聞き手に認知的不協和を起こさせるというのは、広告宣伝のテクニックとして、あちこちでよく目にすることなのです。
これに対して、まじめな顔をして、
「いや、ですから、やはり甘いものを食べれば太るのがあたりまえで」といくら説明したところで、すでに「甘いものを食べると痩せる」という言葉が独り歩きしている状況下では、説明は風前の灯火、蟷螂に斧にしかならない、ということです。
ではどうしたら良いのか。
簡単なことです。
甘いものを食べて痩せるというデタラメを信じたのなら、たくさん食べさせて太らせれば良いのです。
そんな馬鹿げた妄想を信用した方が悪いのです。
セックス奴隷にしたというようなデタラメを吹聴するなら、そういう馬鹿者は、相手にしなきゃいいのです。
一切関わらない。
経済援助などもってのほかです。
それによって飢えれば、そこではじめて、自分たちが馬鹿なことをしたと気付く。
回り道に見えて、これがいちばん現実的な対応というものです。
南京も同じです。
大虐殺などという馬鹿げた妄想を持つ者に対して、何も好き好んでご交誼賜る必要などないのです。
国交謝絶、在日Chineseにも、国外に出て行っていただく。
それだけのことです。
お金もかかりません。
それが気に食わないと軍事侵攻してきたら、撃退する。
あたりまえのことです。
今の日本にだって、自衛権はある。
それだけのことです。
認知的不協和は、たいへんやっかいな社会的病気です。
拡散力があり、しかも下手に相手にすると、余計に頭に乗る。かさにかかる。感情的になる。
みんなから立派な人だと思われている人について、「実はあの人はこういう悪いことをしててね」と囁けば、「ええっ!?」となって、そのマイナス思考は拡散します。
多くの人に、認知的不協和をひきおこすからです。
ではどうするか。
一生懸命反論すればするほど、相手は余計に頭に乗ります。かさにかかる。感情的になる。
懐柔しようとしてカネを渡せば、よけいに「ほらみたことか。後ろめたいことがあるからだ」と不協和を増幅させる。
要は、相手にしない。一切の関わりを絶つ。
認知不協和に対しては、相手が「自分で気がつかなければ」何を言ってもはじまらないのです。
その「自分で間違いに気付く、反省する」という方向に持って行くことが、日本と特アとの外交上もっとも重要な戦略であると、私は思っています。

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