
2012/9/15、Record Chinaが、以下の記事を報道しました。
まずご紹介します。
========
日韓関係の悪化、李明博大統領が問題―韓国メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120915-00000012-rcdc-cn
=======
■■ねずさんのひとりごとメールマガジン配信中■■
お申し込みは↓コチラ↓
http://www.mag2.com/m/0001335031.html
やまと新聞の動画コラム「ねずさんのひとりごと」です。週一本の配信です。
↓ ↓
http://www.yamatopress.com/column/pg40.html
■プロローグ
http://youtu.be/hF2sLY1gDRw
■第1回 君が代のお話
http://youtu.be/7xzVE955VIQ
■第2回 日の丸のお話
http://youtu.be/tZGCTU--wOo
■第3回 3万年前の磨製石器が日本で発見されたということは
http://youtu.be/dcjfKdsHsN8
======
2012年9月14日、環球時報によると、韓国紙・中央日報(電子版)は同日、コラム記事の中で、混乱が続く日韓関係において李明博(イ・ミョンバク)大統領が「問題」になっていると伝えた。
李明博大統領のオーバーアクションがなければ、今ごろ韓国は尖閣問題で中国と日本が激しく対立するのを傍観できたはずだ。
自分の言動が日韓関係に及ぼす影響の概念的な理解と考慮もなく、竹島(韓国名・独島)や慰安婦問題のような過去の歴史を解決する中長期的戦略もなしに、突然踏み出した一歩、吐き出した一言が、日韓関係に巨大な損失をもたらした。
日韓関係を悪化させた大統領の言動は3つ。
竹島訪問、
国際社会で日本の影響力は大きくないという発言、
そして
天皇が韓国に来たいのなら日本の植民地統治で苦痛を受けた韓国人に謝罪するべきだという要求だ。
最も敏感なのが天皇への謝罪要求だ。
日本人にとって天皇は「聖域」。
天皇に対する敬愛の念は日本の観念と伝統文化に深く根を下ろしているだけでなく、日本人の魂の根幹でもある。
しかも、現在の天皇は平均的な日本人よりも韓国に友好的で理解が深い。
日本人の7割が保守的、3割が進歩的で、保守の1割が極右だ。極右を除いた6割の保守穏健派が韓流ファンの主流だ。
進歩派は日本の右傾化を警戒し、日本政府が慰安婦問題を公式的に認め、謝罪・補償をすべきだと考えている。
保守6割と進歩3割が韓国の対日外交の対象だ。
今回の事態でその大多数が韓国に背を向けることになる。
李大統領の天皇に関する発言は「百害あって一利なし」だった。
発言による波紋の大きさに慌てる姿は実に情けなく、もはや正常な外交ではなく模擬外交レベルでしかない。
また、野田首相が韓国側に示した反応も一種の政治ショーだ。
李大統領の言動を保守派の支持獲得に利用しているだけで、日韓関係や北東アジアの安定に関心はない。
日韓両首脳が在任中に両国の関係が修復される可能性はゼロに近い。
李明博政権にはできることはないが、やってはならないことはある。
それは次期政権の対日政策に重しを載せるような人気迎合的な言動だ。
========
部分的には、同意しかねる部分もあるけれど、李明博韓国大統領については、うなづける内容です。
それにしても、なぜ日本のメディアは、こういう報道ができないのだろう??
日本の左翼は、戦前の日本が「偏狭なナショナリズムに支配された」というけれど、いまなお続くこうした韓国の反応や、Chinaの反日暴動などをみれば、実際には日本が「偏狭なナショナリズムに支配されたChinaやKoreaを、いかに友好的で生産的な民族にするかのために頭を痛めていたのだという、まったく逆の事実があきらかになります。
要するに戦後日本では、偏狭なナショナリズムに支配されたごく一部の層が、なんら人種偏見を持たない、その意味ではまったくの白紙である日本人に対して「日本は偏狭なナショナリズムに支配されていたのだ」と、真逆の刷り込みをしていたわけです。
それを素直に信じ込んだというのも、これまた日本人が「偏狭なナショナリズムを持たない、公明正大な民族」であることの、ひとつの証です。
古来、助け合い、協力しあい、集団の輪と和をたいせつにしてきた日本人だからこそ、差別はいけないと思うし、相手が迷惑を被ったといえば、とにかく先に(実際に迷惑がかかったかどうかは別として、相手が「迷惑に思った」そのことに対して)ごめんなさいと謝る。
江戸時代には、これを「うかつ謝り」と言いました。
混んでる道で肩と肩がぶつかる。
人ごみで、間違って人の足を踏んでしまう。
そんなときに、足を踏まれた方、肩をぶつけられた方が、先に、「ごめんなさい、手前がうかつでございました」と先に謝るという習慣です。
相手に非があったとしても、先に自分から謝ることで、その場の雰囲気をよく保とうとする。
それをうけて相手の方も「いやいや、こちらこそ申し訳ない」と、互いに譲り合う。
それが粋でかっこ良いし、常識であったのです。
それでもひとむかし前までは、足を踏まれた方が、「てめえ、人の足を踏んづけといて謝らねえとはふてえ野郎だ、表へ出ろ、この野郎!」となったものですが、最近では、そんな気概や気迫さえもなくなってきている。
挙げ句の果てが外国で日本の領事が、警備員に頭を押さえつけられて車に押し込められても抗議のひとつもできやしない。
こういうのを、欧米では「チキン」と呼ぶし、日本でも古来「腰抜け」と呼びます。
ただし、権威あるものの前では、「うかつ謝り」は通用しません。
たとえば大名行列などの前を馬上で横切るなどは、斬り捨て御免の対象となりました。
権威は権威として、社会全体で護り抜くという習慣があったのです。
その典型が、文久2(1862)年8月21日の生麦事件です。
この事件は、いまの京急本線生麦駅近くで実際にあった事件で、薩摩藩主の父島津久光の行列に乱入した騎馬の英国人を供回りの藩士が殺傷し、1名を即死させ、2名に重傷を負わせたという事件です。
事件の経緯をみると、薩摩の約400名の行列の前に、4人の英国人(男性3、女性1)が騎乗で現れた。
行列の先頭にいた薩摩藩士は、正面からきた英国人たちに身振り手振りで下馬して道を譲るようにと説明したのだけれど、英国人には言葉が通じない。
英国人たちは、「わきを通れ」と言われただけだと勘違いし、道幅一杯にひろがって前から進んで来る行列の中を、そのまま騎乗のままで、行列の中を逆行した。
英国人達は、そのまま槍隊や、鉄砲隊も突っ切り、ついに久光の籠近くまで来たのだけれど、さすがに供回りの藩士たちの無礼を咎める声に、さすがにどうもまずいと気付き、今度は馬首をめぐらせようとした。
ところがあたり一面に薩摩藩士がいるので、結果として、馬が無遠慮に動くことになり、これを咎めた数名の薩摩藩士が抜刀して斬りかかった、という事件です。
我々から見れば、英国人側に過失があることですが、英国の常識としては、王の軍隊が前からやってきたといっても、別段道を譲ったり、下馬する必要はない。
両者の言い分は、互いに正当性を持っています。
で、結果がどうなったかというと、これが原因で薩英戦争が起こるわけです。
法と秩序を守るということは、そこまで大事なことなのです。
日頃は、個人としては、日本人は和を大切にし、うかつ謝りをする。
ところがそれを勘違いして、日本人を侮る民度の低い馬鹿者がいる。
けれど日本人のうかつ謝りは、あくまでも秩序と和を重んじるという姿勢の現れなのです。
謝罪すること、あるいは謝罪したことが、結果として秩序を乱し、嘘偽りが万延するようなら、これに対して断固としてどこまでも戦い抜く。
それが日本流です。
李明博の一連の言動や、慰安婦問題に関する韓国の一連の対応に対しては、我々日本人は、公正な秩序を保つため、断固とした意地を見せて行かなければなりません。
それが日本的な「うかつ謝り」の心をたいせつに保つことにもつながることだからです。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
励みになります。
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

【ご寄付について】
私の活動へのカンパは以下の口座にお願いします。
【ゆうちょ銀行】
記号 10520
番号 57755631
【他金融機関から】
銀行名 ゆうちょ銀行
支店名 〇五八(店番058)
種目 普通預金
口座番号 5775563
【問い合わせ先】
お問い合わせはメールでお願いします。
nezu@nippon-kokoro.com

