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さて↓ここからが今日のお題です。

昨今、在日やら韓国やら中共やら国政やら、どうにも腹の立つことばかりです。
そんななかで、NPO法人百人の会さんが、メルマガで、とってもすきとおったお話を配信してくださいましたので、転載します。
日本がいましなければならないこと。
それは、日本が、日本人が、日本人としてのアイデンティティを取り戻すこと。
そこが大事なのだという感を強く持ちました。
ひとつひとつのお言葉に、私なりの解説をすこし付け加えさせていただきました。
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プロローグ http://youtu.be/hF2sLY1gDRw
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第二回 日の丸のお話 http://youtu.be/tZGCTU--wOo
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【NPO法人百人の会】メールマガジン
以下の国々の言葉を見てみれば、如何に韓国、中国、北朝鮮の従軍慰安婦強制連行や南京大虐殺が、嘘っぱちか理解できると思います。
そして如何に私たちの祖先が素晴らしい日本人であったかも知ることができます。
今の日本を見ていると果たして英霊の皆様が命を捧げて闘った甲斐があったのでしょうか?
今回はインドとビルマの声。
〜『インド』〜〜〜〜〜
★ラッシュ・ビハリー・ボース(インド独立連盟の初代総統)
イギリスを印度から一掃しない限り、日本の理想とする大東亜共栄圏の確率は不可能なのである。
東条首相は深くこの点に艦みられ、去る二月二十六日シンガポールの演説に於いて、我々印度人に対し、一日も早くイギリスの束縛を脱却し、「印度人の印度」を建設することを要望された。
ここに東条首相の断乎たる印度援助の声明を聞くことを得て、実に天にも昇る悦びである。
今こそアジアの復興する時が来たのだ。
今こそ印度を復興する日が来たのだ。
(ねずより)
この言葉には、当時の世界の体様が集約されているように思います。
「アジアの復興」「印度の復興」という言葉には、単に民族としての歴史、伝統、文化を復興させるという意味以上に、植民地として支配されるという現実・・それはつまり、このブログで何度も繰り返させていただいているように、東亜の人々が、印度の民衆が「人間ではなく獣と看做されていた」という現実からの脱却を意味します。
要するに「俺たちは人間なんだ。人間としての権利があるんだ!」という主張です。
昨今の日本で「人権派」と呼ばれる人たちは、かつての日本を軍国主義といって批判し否定するけれど、そのかつての日本が、まさに何億という民衆の人権のために戦ったことは、まったく語ろうとも認めようともしない。
ということは、裏をかえせば「人権派」と呼ばれている人たちは、人権など実はまるで眼中になく、党利党略自己顕示のためだけに、口先だけの「人権」を唱えているということになるのではないでしょうか。
★A・M・ナイル(インド独立連盟の指導者)
インドの独立はわずか、一、二人の人物や組織によって達成されたものではなく、勇敢な指導者のもとで、さまざまな状況の変化に助けられながら、それこそ大勢の人々が並外れた努力を払った結果だったからである。
状況の変化といえば、日本が始めた大東亜戦争も、それが日本自体にもたらした結果はともかく、そのひとつだったといえるだろう。
日本は確かに敗北を喫しはしたが、イギリスの歴史家アーノルド・トインビーも、日本が西欧に対して戦いを挑んだことは、世界史全体の流れ、とくに東西関係のありかたに重大な変化を生じさせたと指摘している。
西洋も、東洋をおろそかにすることはできなくなったのである。
わたしは日本が始めた大東亜戦争がその結果はともかく、植民地だったインドをはじめとするアジア諸国(アフリカその他の諸国にしてもしかりだ)の独立を早めたことは間違いないのだから、インドもその点については日本に感謝しなければならないと思っている。
しかしインドはすでに述べたとおり、そのことを忘れなかったし、印日平和友好条約の締結にさいしても、日本に対しては好意的だった。
(ねずより)
文中にある「日本が西欧に対して戦いを挑んだことは、世界史全体の流れ、とくに東西関係のありかたに重大な変化を生じさせた。西洋も、東洋をおろそかにすることはできなくなった」というのは、実に重要な意味を持つ言葉です。
昭和20年9月に戦艦ミズーリ艦上で日本が降伏文書に調印したとき、重光葵(まもる)は、艦上に群がる多数の国々の代表団を見て、「ああ、日本はこんなにもたくさんの国々と戦ったのだなあ」と、おもわず涙をこらえたという逸話が残っています。
このことをとらえて「だから日本は無謀な戦いをしたのだ」と書いていた本がありましたが、それは物事の本質を見誤った見解というものです。
当時の世界は、西欧諸国が世界を支配していたのです。その支配に対して戦いを起こすということは、西欧諸国と、そこに支配された国々の全て、つまり世界を相手に戦いを起こすということなのです。
日本だって貧しかった。
けれど、たとえどんなに貧しくても、日本が大慈悲と大義によって戦わなければ、世界の大多数の民衆は猿とみなされた奴隷のままだったし、日本がそれに呑まれることは、日本が日本文明と日本文化を喪失し、日本人の9割までの人口を失ったことを意味したのです。
だから、貧しくても戦った。
腹が減っていても、どんなに辛くても戦った。
それが武士道というものです。
ちなみに、この調印式に立った重光葵は、昭和七年に爆弾で足を吹き飛ばされています。
上海で行われた天長節を祝う式典の出来事で、爆弾は重光が壇上で天長節を祝う国歌斉唱中に投げ込まれています。
けれど重光は、爆弾とわかっても、その場を離れませんでした。
なぜなら、国歌斉唱中に動くのは不敬だからです。
動かなかったのは重光だけではありません。
壇上にいた白川義則司令官、野村吉三郎司令官、上田謙吉師団長らも同様に、直立したまま君が代を斉唱し続けました。
その結果、白川司令はお亡くなりになり、重光は片足を失い、野村司令は右目を失明し、植田師団長は足指切断という重傷を負いました。
これが、骨の髄まで人を愛し、国を愛し、人類の平等、人種の平等を唱えた日本の武士たちの姿です。
ちなみに、この事件で爆弾を投げ込んだのは、韓国人の尹奉吉でした。
爆弾テロをするような卑怯者と、重傷を負っても尚、直立不動で国歌斉唱を行う誇りある皇国臣民。
反日韓国人には、とちらが人間として立派といえるのか、冷静に考えていただきたいものです。
それがわからないなら、自ら野蛮人、人間以下のケモノでしかない、ということです。
★K・サブラーマンヤム(国防次官・国際政治学者)
日本の当時の行動は他の帝国主義勢力がした事と異なり、客観的な歴史はやがてアジアの植民地主義の終焉への日本の貢献をきちんと記録するだろう。
東南アジアで日本軍がアメリカ、イギリス、フランス、オランダの植民地占領軍をすばやく撃破した事が戦後の帝国主義勢力のアジア復帰を困難にしたのだ。
中国の指導者達が日本軍による自国民の苦痛を語ることは正当化されるかもしれないが、他のアジア諸国について語る資格はない。
(ねずより)
このサブラーマンヤム国防次官の言葉は、中共のお偉いさんが「日本はアジアの民衆に堪え難い苦痛を与えた」と発言したことを受けて、発表された声明です。
自分の国で好き勝手なことを言うのは勝手だが、俺たちは違うよ、と、彼は明快に言い切っているのです。
なぜ、サブラーマンヤムは、そう言い切ることができたのか。
簡単なことです。
それが事実だからです。
★T・R・サレン(歴史学博士・国立歴史調査評議会理事)
日本は、ある特別な動機により戦争に踏み切りました。 アジアの地域が独立すると、日本は共栄圏を設立しようとしましたが、イギリスやアメリカは、ヨーロッパ帝国主義に代わって、日本が居座るつもりだと宣伝しました。
しかし、それは日本の目的ではありませんでした。 東南アジアにおける日本の目的は全く別のことでした。
日本の目的は外国の武力をアジアから駆逐することにあったのです。 ヨーロッパの歴史家も正しい認識により日本を評価しており、現在では日本が戦争に踏み切ったのはアジアにおけるヨーロッパ支配を終結させるためだったということに同意しています。
(ねずより)
サレンの言葉は、もはや世界の常識です。
これを非常識としている国は、世界に4つしかありません。
中共、韓国、北朝鮮、それと日本です。
そして、前者の三国は、いずれもその論拠がデタラメであることは、世界の歴史学者が認めることです。
いい加減、日本は目を覚ますべきです。
★M・L・ソンディ(ジャワハルラール・ネルー大学教授)
第二次世界大戦の後、東南アジア諸国はインドネシア、インドなどすべてが、次々に独立を達成しました。
アジアにおける日本の軍事行動は、世界のどの場所で行われた軍事行動とも本質的に異なったものでした。
なぜなら、この軍事行動は、アジア人がアジアにおいて名誉ある地位を見出そうとした、政治的、社会的、そして思想的な衝撃を持っていたからです。
いま、歴史家が評価すべき重要な出来事のひとつは、日本の場合、アジアのナショナリズム或いはアジアの誇り、すなわち、アジアの言葉による将来への展望という意味が、常に存在したことです。
(ねずより)
ナショナリズムという言葉も、戦後左翼によって語感を大きく歪められた言葉です。
日本の戦いは、日本のナショナリズムというだけのものではなく、「新たに起こす大東亜」の気概と誇りと希望のもとに行なわれたものだからです。
★シシル・ボース(ネタジ記念館館長・スバス・チャンドラ・ボースの甥)
インドの独立には、国民軍の国への忠誠心が大きな影響を与えました。 しかし、我々国民軍を助けてくれたのは日本軍でした。
インパールでの戦争で、六万の兵士が、我々のために犠牲となってくれたのです。
我々インド人は子供に至るまで、この日本の献身的行為を、決して忘れてはいけないし、感謝しなくてはならないのです。
事実、大東亜戦争はインドの解放を願った独立戦士にとっては天の賜であった。
戦争初期の日本軍の輝かしい軍事的勝利は、暴虐野卑な英国の支配に喘いでいた何百万のインド人に歓喜と勇気をもたらしたのである。
〜『ビルマ』〜〜〜〜〜
★バー・モウ(初代首相)
真実のビルマ独立宣言は、一九四八年一月四日ではなく、一九四三年八月一日に行われたのであって、真実のビルマ解放者は、アトリー氏とその率いる労働党政府だけではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。
(ねずより)
もともとビルマはアジアの“強国”だったのです。
ビルマは、1824年にインドを支配していた英国に対してベンガル地方(パキスタンとインドの国境地帯)の割譲を要求して、真っ向から戦いを挑んでいます。
当時七つの海を制していた世界最強の海軍国である大英帝国に、真っ向から堂々と戦いを挑んだのです。
戦いはかろうじて英国の勝利に終わりましたが、ビルマはその後も独立を維持し続けました。
これに対し、英国はなんと30年がかりで国内を混乱させ国を弱化させたうえで、1852年に第二次英ビ戦争を仕掛けて、ビルマを崩壊させています。
詳しいことは「ビルマの建国に学ぶ」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-697.html
をご参照下さい。
★ウ・ヌー(初代外務大臣・首相)
歴史は、まさに高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民族の解放と福祉のためにのみ、生命と財産を犠牲にした例を一つくらい見るべきだ。
そして日本人は人類歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。
(昭和二十三年八月一日のビルマ独立式典の演説より)
(ねずより)
ウ・ヌーのこの言葉は、たいへん重要な意味を持った言葉です。
日本が世界に対して挑んだ戦い、それは人類史上初めて「抑圧された民族の解放と福祉のために」行われた戦争だった、ということだからです。
「初めて」というのは、人類史上、他に類例がない、ということです。
ですから、アホな民族には、その重要性がわからない。
言い換えれば、反日侮日をするということは、要するにアホだということに他ならないと私は思います。
★コドマイン(ビルマ三十人志士・ビルマ独立義勇軍将校)
私の人生で今日ほど幸せだったことはない。
わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。
我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。
私は死ぬ前に、この幸せな日を見ることができた喜びに泣いた。
(ねずより)
人間としての尊厳を奪われ、ただ獣として使役されるだけとなった被植民地国のなかで、ビルマは比較的民族の独立を長く維持していた国だけに、そこに強烈な民族としての誇りが明確に残っていたわけです。
だからこそ「泣いた」のです。
なぜなら、そこに自国に対する「愛」があったからです。
愛があるから泣けるのです。
私はそう思う。
★ボーバラ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)
私たちはボーモジョに感謝しなければなりません。
私たちビルマ人には、師という人には、常に尊敬の念を忘れないという精神があるので、(陸軍大尉・南機関の)泉谷さんなどの恩師には、いまでもひざまづき敬意をあらわすのです。
独立運動の最中、困難に直面したときは、お互い憎みたい気持ちも起こりました。
しかし、大きく眺めてみるならば、日本の人すべてに感謝しなければならない、というのが本当の気持ちですね。
(ねずより)
戦いを残酷なことと否定するのは簡単です。
けれど人としての尊厳を保つためには、戦わなければならないときもある。
そして一緒になって戦ったからこそ、日本は尊敬もされ、感謝もされたのです。
昨今の日本のように、金さえ出せば戦地に行かなくもいいなどという姿勢でいることは、それがどんなに多額の戦費であったとしても、世界から見下される。
なぜなら、いざというとき戦う気概のない者は、それが個人であれ、国家であれ「口先だけのエセ平和主義」でしかない。
我が子が殺されそうになったとき、獣でも昆虫でさえも、母親は身を挺して我が子を守ろうとします。戦おうとします。
獣や昆虫でさえ、そうなのです。
それすらもできないなら、その民族は虫や獣以下だということです。
このことは、戦後日本は、猛反省しなければならない部分であろうと思います。
★ボー・イエトウ(ビルマ三十志士・ビルマ独立義勇軍将校)
ビルマが独立を得るために以前から長年、国民はいろいろな形で進めてきました。
特にビルマ独立義勇軍をはじめ、ビルマ防衛軍、ビルマ愛国軍、それぞれの兵士が国民とともに一丸となって戦ってきたのでビルマは独立が得られたのだ、と信じています。
それらに与えた大東亜戦争の効果とは、ビルマ独立義勇軍のために軍事訓練をしてくれた。
教官自らも軍に加わった。
武器をくれた。
ボモージョ、鈴木大佐をはじめとする日本の教官たちがそのような協力をしてくれたことは実に意義深いことでありました。
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私の書いた(ねずより)は、余計だったかもしれません。
けれど、書かずにいれなかった。
乱文ご容赦。

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