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朝顔0802

まずは、簡単な小話から。。。。
西欧の神は、唯一絶対、完全無欠、全知全能の男性神。なにしろ完全無欠です。
できないことは何一つない。
けれど男なので、子を産めない!
・・・・
あれっ?
(笑)


ご存知の通り、西欧では神は唯一絶対、完全無欠、全知全能、万能の絶対神とされています。
ところがおもしろいことに、日本の神々は完全な存在としては描かれていません。
むしろどの神もがみんな不完全な存在として描かれています。
スサノオは、最初海をおさめる神様になったのに、毎日お母ちゃんが恋しいと泣いてばかりいました。
姉のアマテラスは、そのスサノオにいじめられて、岩戸でひきこもり事件を起こしています。
スサノオやアマテラスの親であるイザナキ、イザナミは、日本神話に登場する初の男女神(それ以前の神々には性別がない)です。
二人は出会った際に、互いに「我、成り成りて成り余るところあり」「我、成り成りて成り足らざるところあり」と述べあう。
「成り成りて」は、「完璧に完全に成長した」という意味です。
完璧です。完全です。完全無欠です。
にもかかわらず、お二人は、自分に「余っているところ」「足りないところ」があると述べあいます。
要するに「完全に完璧に成長したはずなのに、完全ではない」と言っているのです。
だから二人は互いに補いあいます。
いまふうにいうなら、相互補完しあう。
そうすることによって、新たな命が誕生します。
実は、ここに古代から続く日本の心の、とってもたいせつなものがあると思うのです。
つまり、完全でないから、完全になろうとして努力する。
努力し、向上する。力を合わせる。
その「向上し続けること」「力を合わせる」ことこそが、日本の神々の物語の、神髄なのではないかと思うのです。
そして私達は、その神々の子孫とされています。
神々でさえ、力を合わせ、向上しつづけようとしたのです。
ましてや、人である私達は、もっともっと不完全です。
だからこそ、努力する。向上する。成長する。仲間たちと力を合わせる。
そこに日本人の心の原点があるのではないかと、思うのです。
「向上し、成長し続ける」ということは、そこに「とどまらない」ということです。
おもしろいことに、私達日本人は、個人であれ、団体であれ、国家であれ、「停滞すること」を、すなわち「怠けて努力をおこたっている」とみる習慣があります。
常に変化し、成長し、向上する。
変化も成長も向上もないのは、怠け者だと考える。
私は、いま日本で「保守」といわれる人たちの多くの思いも、まさにここにあるのではないかと思っています。
日本の保守の人たちの共通の思いは、「過去に学び、今に活かし、未来を拓く」という点にある。
左翼との大きな違いも、ここにあります。
左翼は、過去を否定し、現在を否定するからです。
おもしろいことに、左翼は伝統文化を否定したうえで、新たな価値を創造しよう(成長しよう)というけれど、これは詭弁です。
なぜなら、創造する新たな価値の具体的な姿を、誰も描かないからです。
未来像は、それぞれの各人が勝手に妄想してもらっている。
過去や現在を否定するわりには、その先にある未来像は、各人の想像まかせになっているのです。
つまり左翼思想には、未来像がない。
あるなら是非、教えていただきたい。
日本における左翼は、過去を「否定」し、現在を「否定」し、未来像を描きません。
未来像を描かないということは、簡単にいえば、未来をも「否定」していることになります。
要するに、日本における左翼思想というものは、過去否定、現在否定、未来否定でしかないのです。
左翼は自分たちのことを、進歩的とか革新的などというけれど、これも欺瞞です。
過去も現在も未来も否定するなら、それはただの破壊主義でしかないからです。
これに対して日本の「保守」は、名こそ「たもち、まもる」になっているけれど、我が国の歴史、伝統、文化を尊重し、過去に学び、現在に活かし、希望ある未来を、自分たちの力で切り拓こうとします。
過去の延長線上に現在があり、現在の延長線上に未来があるからです。
左翼同様、具体的な未来像はありません。
けれど、過去、現在の延長線上に未来があるなら、その未来は、いまよりもっと成長した未来にしたい。
それが多くの日本の保守主義者の願いであり、常識であろうと思います。
要するに、日本における保守主義というのは、過去、現在、未来と綿々と連続する時間のなかで、常に変化すること、向上すること、成長することを希求する主義ということです。。
未来像がないなら、左翼と同じではないかと思われるかもしれません。
けれど、それは違います。
あたりまえのことですが、未来は、過去の蓄積と、現在の努力によって変化するからです。
ならば、すこしでも「より良い未来」を築きたいなら、過去に学び、現在をより向上させ続けて行く。
それが日本の保守の考え方です。
これは、ごく自然な、ごくあたりまえなものの考え方です。
そしてこうした「日本の保守主義」の思考方法は、言葉こそ同じ保守主義であっても、「西欧における保守主義」とは、かなり思想内容が異なります。
西欧における保守主義といえば、「保守主義の父」と呼ばれるエドマンド・バークが有名ですが、彼は保守主義を「剣を抜く騎士道」と説いています。
それにより、保守主義を「戦闘的イデオロギー」としています。
有名な言葉があります。
「1789年にフランスで革命が起こった時、暴民に囲まれてヴェルサイユ宮殿からパリに連行されるマリーアント・ワネット王妃の恐怖と悲しみを思い、義に馳せて「剣を抜け!」と訴える、戦闘的な荒ぶる魂なくしては保守主義とは言えない」
「他者のために自らの生命を捨てる覚悟で義を貫く勇者の倫理こそ、高貴な自由と美徳にあふれた社会の根幹をなすものである」
これがバークの主張です。
こうしたバークに代表される西洋における保守主義の思想は、西欧的唯一絶対神思想に基づいています。
彼らにとっての保守主義は、過去を「神のもとで高貴な自由と美しき倫理・道徳が満ちた社会」と規定し、そうした「美しい過去」への回帰を思想の根幹としています。
つまり、西欧における保守主義は、「成長」や「向上」を否定しています。
唯一絶対神の支配する過去に回帰する、すなわち民衆は、神のもとに伝統的慣習を守ることが幸福への道である思想を根底にしています。
西欧における保守主義が、こうした「現在否定」「成長否定(=未来否定)」であるがゆえに、これに対するアンチテーゼとして、西欧的革新主義が生まれています。
西欧的革新主義は、「過去を否定」し、「現在を革新」し、「未来を拓こう」とします。
要するに未来志向であり、神からの自由であり、成長志向でもあります。
こういう西欧的革新主義の思想は、もともと成長志向の強い我が国においても、そのエッセンスはたいへん歓迎されました。
だからこそ西欧的革新主義は、我が国に広く受け入れられています。
ただ、大きく異なるのは、西欧における唯一絶対神という思想が、日本にはないという点です。
日本にはエデンの園はないのです。
つまり日本には、西欧的革新主義が否定する「過去」がないのです。
このため日本の左翼主義者は、過去否定の対象として、西欧的神の代わりに、日本における歴史、伝統、文化を否定するという暴挙にうって出ます。
日本の歴史、伝統、文化を全否定し、現在を革新し、未来を拓こうとしたのです。
ところが、現在というものは、いつの時代にあっても、過去から蓄積された歴史、文化、伝統の延長線上にあります。
ですから、我が国の歴史、文化、伝統を否定するということは、現在の否定になってしまう。
そして過去と現在を否定することは、新たに拓くべき未来をも否定することになってしまう。
日本における左翼主義者が、ただの「なんでも反対屋」とみなされる理由がここにあります。
一方、日本における保守主義者も、西欧的保守主義者とは、その思想の根幹を異にします。
なぜなら、日本における神々は、成長と向上、そして力を合わせて未来を拓く協調の象徴であるからです。
ですから日本の保守主義者は、現在と未来については、その思想はむしろ西欧的革新主義者に近いものを持っています。
つまり、現在を革新し、未来を拓こうとするのです。
ただ、違いがあるのは、日本における保守主義は、西欧的な神のもとへの回帰ではない、という点です。
西欧における保守主義での神の存在は、まさに絶対のものです。
十字軍の遠征は、ローマ法王庁によって、異教徒は人ではない、と宣言されたから起こりました。
欧米による植民地支配も、有色人種は異教徒だから人ではなかったのです。
こうした思想は、日本にはまったくありません。
異教徒であれなんであれ、人は人です。
そして人は「成長し向上し協力しあうもの」と考えます。
西欧における保守主義は、頑迷に過去を守るというものであるのに対し、日本における保守主義は向上すること、成長することをその根本としているのです。
これがが、西欧における保守主義と、日本における保守主義の大きな違いです。
現実の問題として、日本では、奈良平安の昔や、江戸の昔に返りたい、当時の社会体制にまるごと戻りたいと考える人は、ほとんどいません。
奈良平安の昔、戦国の昔、江戸の昔、明治の昔、昭和の昔。
その昔の姿、先人達の努力の姿から謙虚に学び、その良いところを活かしつつ、すこしでもより良い現在を、そしてより良い未来を築こうと考えます。
要するに、日本における保守主義、日本における左翼主義というものは、西洋のものとは、その根本思想において、まったく異なるものである、ということです。
いま、日本は「停滞」しています。
しかも、バブル崩壊から、はや20年、停滞したままでいます。
なぜそうなるかといえば、過去を否定し、現在を否定し、そのうえ、具体的な未来像さえ描けないでいるからです。
これは「左翼思想のジレンマ」ともよぶべきものです。
日本が左翼思想に汚染された結果、当然なるべくしてなった結果です。
輝く未来を築くには、現在を努力するしかない。
あたりまえのことです。
そしてそのために、謙虚に過去を学び、現在を向上させるために、みんなで協力しあう。
実は、西洋における保守主義、革新主義というものと、日本で巷間言われる保守主義、革新主義は、似ているようでまるで異なるものです。
何が違うかというと、西欧の保守主義は、神の時代への回帰です。
簡単に言ったら、エデンの園に帰りたぁい、というのが、保守主義の原点です。
けれど、日本には、エデンの園はありません。
神代の昔から、神々さえも努力し、成長し続けてきた、というのが日本人の原点です。
従って日本における保守主義は、まさに、努力し、向上し、協力しあって成長しようという思想に他ならないのです。
右翼だ、保守だとレッテルを貼る前に、そういう人としてごくあたりまえな、日本人としての自然さを取り戻す。
戦後67年間の大きな歪みから脱却し、私達の日本が未来への一歩を踏み出すために必要なことは、まさに、そこにあるのではないかと、私は思っています。
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けれど、明日の日本の子供達がこのような暴力にあわないようにするのは、私達、いまを生きる日本の大人たちが、絶対にしなければならないことなのではないでしょうか。

ウイグルの悲劇 中国の狙いは民族絶滅

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