
いじめに関して、かつて書かれた一文をご紹介します。
私は、読んで、泣けてきました。
是非、ご一読ください。
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【どんな子も みんな日本の 大事な子】
いじめられている子どもたちへ。
今は本当につらいと思う、怖いと思う。
だから学校には行かなくてもいいし、
転校してもいい。
逃げてもいいよ。
でも、大人たちの力を借りて闘おう、いじめに立ち向かおう。
明日の笑顔のために。
今、多くの大人たちがいじめられている君たちを守ろうと立ち上がっています。
泣いていい、叫んでいい、
救いを求めてごらん。
救いは必ず来ます。
いじめに気付いている子どもたちへ。
そのことを、まず親に、そして先生に話そう。
見て見ぬふりをすることはやめよう。
怖がらずに。
それが君たちの大事な友達を守ることにつながり、
君たちの生きる力をつくってくれます。
いじめている子どもたちに。
すぐにいじめをやめよう。
もしも君たちがいじめられたらどんな思いがしますか。
すぐに反省してほしい。
そして、自分のしたことを親や先生に話してほしい。
一切隠さずに。そして謝りに行こう。
いじめで傷付いた友だちのところへ。
すべての親にお願いです。
この夏休み中に、必ずお子さんに学校でいじめがあるのか聞いてください。
もしいじめがあった場合は、すぐに学校や教育委員会に連絡してください。
これ以上、いじめによって自ら死を選ぶ子どもをつくらないためにも、ぜひ動いてください。
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この文章は、かつての名門右翼団体「防共挺身隊」が、日教組と戦うために出したチラシから引用させていただいたものです。
右翼団体のチラシと聞いてびっくりされる方もおいでになるかもしれません。
けれど、右翼団体にも、まっとうな団体はちゃんとあるのです。
「防共挺身隊」は、暴走族などのやんちゃな少年たちを抱える団体でした。
けれど、そのやんちゃな子供達が、この団体に所属することで、日本人としての道義教育を受けて日本人としてのアイデンティティに目覚め、びっくりするくらい素直で明るい青年に育っていた。
「未来である子供の命を危険に曝すな」とは反原発を訴えたミュージシャンの言葉です。
けれど今、教育現場の荒廃が将来を担う子供達を危険に曝している。
多くの自殺者まで出しています。
「いじめは我慢せず、見逃さず、必ず、その時に解決しなければならない。
いじめは他人事ではないし、子供達だけの問題ではないのです。
この問題の奥底にあるのは、日本人という家族の崩壊です。
ですから、いじめの問題は、日本社会全体が抱える病巣を象徴している問題です。
人が三人寄れば派閥ができるといいます。
いじめ自体は、昔からあるものです。
けれど昨今のいじめは、子供同士のいわばじゃれあいを通り越して、いじめられる側の子供の全てを奪う。
精神的、肉体的にとことん追い込み、疲弊させ、自殺にまで追い込む。
なぜそこまで行ってしまうのか。
私は、そこに3つの根源的な問題があると思っています。
「道義教育の欠如」「日本的アイデンティティの喪失」「在日韓国人の混在」です。
1 道義教育の欠如
第一にあげられるのは、日本の戦後教育における教育の技術至上主義化です。
知識の獲得だけが学校教育の目的となり、道義心の育成がまるで欠け落ちている。
欠け落ちているどころか、否定さえもされてしまっています。
これは実にとんでもない話です。
かつての日本では、重要な教育科目として、先祖の偉業、人間愛、礼儀、至誠、努力、根性、思いやりなど、人として心豊かな人間性を教えることがたいへんに重要視されていました。
なぜなら、それこそが日本人が日本人たる所以だからです。
ところが、戦後日本の社会風潮は、愛国心を消滅させ、結果の平等だけを求めさせ、儲かることが良いこととされ、自由が放縦に至り、道徳が軽視され、セックスが奨励され、ことなかれ主義となり、義理人情抹殺され、享楽主義、恋愛至上主義に至り、大家族を崩壊させ、民族的歴史観を否定してきました。
人は、人の中で生きる生き物です。
ならば、人が生きる上において大切なことは、人としての集団の維持であり、その集団を構成するひとりひとりが、立派な人間であること、ないし立派な人間となろうと努力し続けることが大切です。
集団を維持し、集団の構成員のひとりひとりが立派な人間となろうと努力すること。
まさにそれこそが、道義であり、社会のルールです。
そのルールを、幼いころから、ちゃんと子供達に叩き込む。
教育というものの中で、一番大切なのが、まさにそこにあると思うのです。
2 日本人としてのアイデンティティの喪失
戦時中、日本人は悪いことをした、とデタラメを教える馬鹿な教師が後を絶ちません。
中には、ありもしないねつ造に騙され、わざわざ韓国にまで生徒たちを連れて行き、生徒に土下座までさせる馬鹿教師、馬鹿学校まで出る始末です。とんでもない話です。
民族としての誇りと自覚を持ち、僅かな装備、僅かな兵力で、常に味方の10倍もの敵と戦い続けてくださった私達の父祖を貶め、はずかしめる。
まさに、学校ぐるみ、社会ぐるみで、祖先にたいする「いじめ」を、教師たちが率先してやっているのです。
これでは、おなじことを子供達がしたからといって、子供達を責めることなどできはしません。
実にとんでもない話です。
アイデンティティとは「自分は何者なのかを知ること」です。
誇りある伝統と文化を知った若者、つまり自らのアイデンティティを確立した子供達は、自らをその誇れる大いなる存在に同化させようとします。
その結果、若者たちは健全な精神を獲得し、「公」を大切にし、社会や国家に対して健康な忠義心を持つようになるのです。
こうしてできあがった社会は、きわめて健全性の高い社会となり、高邁な精神文化を持った国家を形成することができる。
このアイデンティティを説いたのは、米国のドイツ系心理学者のエリクソンは、次のように説いてます。
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青年期にアイデンティティが正常に獲得されないと、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごしたり、時に熱狂的なイデオロギー(カルト宗教や非行など)に傾いてしまう。
~~~~~~~~
まさに、いまの日本です。
では、自分たちは「犯罪者の子孫である」と、歪んだアイデンティティを刷り込まれた子供達はどうなるのでしょうか。
ひとつ言えるのは、本来、人生経験の豊富な年寄りや先輩、上司たちの権威の失墜です。
なにせ、その年寄りや先輩、上司たちは、殺人鬼であり、強姦魔だと思い込まされているのです。
すると多くの子供達は、過去から目を背けようとします。
見ないようにする。
過去を見ず、未来も見ようとしない。
あるのは、目の前の一瞬だけ。
そこに学問や社会の発展にもっとも必要な創造性は、カケラほども生まれません。
なかには、気の強い子もいます。
そういう子はどうなるかというと、ひらきなおります。
「自分たちが悪人の子だって?ざけんじゃねーよ! んなの、やってらんねーよ」となる。
そして、
「だったら、俺たちも弱いものをいじめてやろうじゃねーか」となる。
人は、教育によって歪んだアイデンティティを植え付けられると、個体差によって、2つの極端な方向に進んでしまうのです。
極端に虚無的、排他的になるか、極端に攻撃的になるか、です。
そしてその異常性が、意図的に歪められた歴史観によって、さらに助長される。
子供達の心を壊し、社会を壊している。
しかも、よくよく調べてみれば、全部デタラメからきている悪意あるファンタジーの歴史観が原因です。
インパールで、ガダルカナルで、多くの日本兵が飢えて死にました。
これがもし、China兵、Korea兵だったら、餓死はありえません。
なぜなら、彼らは腹が減れば、死んだ仲間の人肉を食うからです。
ところが日本人は、銃を持って武装していたにも関わらず、誰一人、現地の村人を襲おうとしなかったし、農作物も盗まなかった。まして人肉など食べなかった。
だから、飢えて死んだのです。
なぜ食べなかったのか。
答えは簡単です。
そういう文化は日本になかったし、ひとりひとりが「我は皇軍兵士なり」という強い信念と自覚に支えられていたからです。
だからこそ、いまでも現地の人々は、日本人をとても誇りに思い、尊敬してくれている。
それが事実なのです。
だから死んだのです。
欧米の植民地支配を脱し、東亜諸国の平和と繁栄を希求した日本軍の兵士たちは、常に味方に十倍する敵の軍隊と戦い続けました。
誇りを胸に。
栄光を胸に。
私達日本人は、そのおかげで、いまでも日本語を話し、日本人としての名前をいただき、平和な日本で生活することができています。
繰り返し申し上げていることですが、戦後日本の70年近い戦争をしない平和な時代は、日本に憲法9条があったから、実現できた平和ではありません。
なぜそう言い切れるか。
これも答えは簡単です。
戦争は相手があるからです。
こちらが戦争をする気がなくても、相手国が攻めて来たら、殺されるか戦争になるかの選択しかない。
それが現実です。
片方が戦争を放棄したからといって、戦争がおこらないなんてことにはならないのです。
にもかかわらず、日本に戦争がなかった。
なぜか。
これも答えは簡単です。
かつての日本が、あまりにも強かったからです。
その恐怖の前に、「寝た子を起こすな」という精神がはたらき、日本は戦争しないで済んだ。
つまり、戦後70年の日本の平和は、他の誰でもない。勇敢に戦い、散って行かれた英霊たちのおかげで、いまの日本の平和がある。
そしてその日本ただ一国の勇敢な戦いで、東亜諸国は植民地支配を脱し、国家としての独立を手にし、世界から人種差別がなくなった。
これはものすごいことです。
そのものすごいことを、私達の父祖は、現実にやってきたのです。
その父祖たちが築いた日本に「誇りが持てない?」
教育の名を借りた反日プロパガンタに染まった、デタラメ教育のためです。
本当のことを、普通にちゃんと教えれば良いのです。
それだけで、多くの子供達は、魂がふるえるほどの感動を味わい、自己のアイデンティティを確立し、立派な社会人、立派な青年となっていく。
冒頭に申し上げた、防共挺身隊の例が、それを証明しています。
3 在日外国人
第三に、在日外国人です。
そもそも在日二世、三世で、日本に生まれ育ち、日本語の読み書きができるというだけで、現代日本は、彼らを日本人と看做しています。
これが大きな間違いです。
日本人であるということは、日本人の一員として、日本の歴史、伝統、文化を尊重し、日本を護り慈しむ心がなければ、そんな者は日本人ではないのです。
そもそも日本に住み、日本人からどさくさまぎれに奪った土地で、汗水たらして働く日本人からカネを巻き上げるパチンコ店を経営し、大儲けして良い生活を享受までさせてもらいながら、反日侮日に凝り固まったデタラメな歴史観を家庭で教育された子供達が、何も教えられていない日本人の子女にまじって、日本人の学校に通っているのです。
親日的外国人ならいざしらず、反日侮日が正義と勘違いしている馬鹿どもが、日本人もどきの通名を名乗り、日本人の学校に通っている。
その学校では、反日侮日が正義だと勘違いした馬鹿な日教組の教員が、生徒たちに日本人はかつて犯罪を犯したとデタラメな刷り込みをする。
通名を名乗る反日外国人の子供達が、そこで結託して「我が祖先が受けた暴虐に対する復讐」を始める。
このために犠牲になった子女が、いま、日本にどれだけたくさんいるか。
具体的な統計はありません。
そういう切り口での調査自体がされたことがない。
けれど、ひとついえるのは、小学生の女の子が妊娠し、堕胎するケースが、全国の産婦人科で数多く報告されているという事実です。
中学時代に、校内にいる在日Koreanの不良グループに流行のデジカメで裸を撮られ、そのために自暴自棄になって身を持ち崩す子女も後を絶たないという話も聞きます。
もういい加減、日本人は目を覚まさなければいけない。
教育勅語を復活させ、個人主義ではなく、日本的集団主義と道義教育をきちんと施し、日本人としてのアイデンティティを確立させ、日本の教育界から、あるいは日本社会から、反日侮日を一掃させ、通名を一切禁止すること。
今日は、私は、このことを、みなさんに強く申し上げたいと思うのです。

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