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水分峡(みくまりきょう:広島)
水分峡

さて今日は、柿澤さんの体験談をご紹介しようと思います。
とても共感できるものです。
ご本人のご了解を得ましたので、転載させていただきたいと思います。


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【さあ、今日から誇りある日本人として生きよう!】
http://plaza.rakuten.co.jp/watashi9/diary/201206110000/
私が生まれた昭和30年代は、高度経済成長真っ只中でした。
幼少期を過ごした場所が地方の山の麓のような場所で、田園風景が広がり、歩いて15分くらいの近くには美しい森林公園があり、そこにはキャンプ場や泳げる滝壷などもありました。
中学校は山を切り開いた頂上のような場所にあり、通学に1時間以上はかかりました。
通学路の大半は田圃でまだ牛を使って耕している風景も珍しくなく、肥溜めと言われる肥料用の人糞を溜めておく穴があちらこちらにあったのを覚えています。
道路の傍の小高い山の崖のような所にはお墓がへばりつく様にあちらこちらにあって、毎年お盆の時期にはお墓に色とりどりの盆灯篭が立ちました。
田舎には霊園などはなく、自宅の近くにお墓があったようです
この盆灯篭は広島のお盆の風物詩です。
このような日本の地方のありきたりの田園風景、山の自然、盆灯篭などの伝統文化…、日本の地方には同様の風景がそれぞれに広がっていたと思います。
いわゆる昭和30年代は、映画にもありましたが現代日本人の郷愁を誘う時代背景だったようです。
その頃は、無意識でも自分は日本人だと普通に思っていました。
ところが、父の転勤で小学校4年生から中学校2年生までの5年間、東京の吉祥寺で暮らしましたが、凡そ地方とは異なる風景が広がっていました。
私が住み始めた頃から、徐々に現在の吉祥寺を思わせる開発が行われ、将に高度経済成長と共にどんどんと町の風景が変化していきました。
さらに最も多感な時期に大都会東京に触れた事、更にちょうどその頃のテレビ番組、特にNHKをはじめとするテレビではアメリカ礼賛ドラマが次々と放映され、テレビに釘付けになり、アメリカやアメリカ人が素晴らしいという刷り込みが完成されてしまいました。
東京にいる間に経験した都会の縦横無尽に走る電車、ハイセンスな流行のファッションに身を包む人たち、羽田(当時はまだ国際線がありました)空港に行った時に見た大勢の白人の姿、英語のアナウンスなどなど、子供にとってはものすごい刺激だったのだと思います。
大都会の風景とアメリカ人の洗練されたセンスに強い憧れの気持ちを抱きつつ、中学3年の時、また父の転勤で広島に戻ることになりました。
そこには5年前とほとんど変わらない田舎の風景が広がっていたのです。
その時自分の中に、何とも言えない「日本」と云うものに対する一種の嫌悪感のような感覚が広がっていったように思います。
そして「日本=田舎=どんくさい(これは広島弁でしょうか)」という図式が固定化されていったのです。
広島の方言も拍車をかけました。
東京で話した標準語に比べて、中学生の私にはこの方言がいかにも「田舎くさい人間」というレッテル貼りをしてしまったのかもしれません。
高度経済成長の真っただ中、子供時代に地方と都会の両方を経験したことが、自分のアイデンティティを失わせる結果となったのではないかと思います。
その他にもリベラルな父親、反軍国主義の母親の影響、そして親戚中で信仰していた日本の伝統文化を全否定する新興宗教を押し付けられたことなど、いずれにしても様々な要因によって、夫に出会うまで日本や日本人を誇りに思うというよりも、卑下するような生き方をしてきたことは確かです。
夫に出会うまでの間、つまりアイデンティティを喪失し続けていた時、精神的に非常に不安定であり、人間関係に支障をきたし、勉強すら何のためにするのかも理解できず、心から感激したり感動する事もなく、常にうす暗いトンネルの中を彷徨い続けているような感覚を拭い去る事が出来ないでいました。
そしてずっと漠然とアメリカ的なものに憧れを抱き、日本や日本人、特に日本の地方に対しては侮蔑感にも近い思いを感じていたように思います。
ところが夫と出会ってからと云うもの、全く今までとは180度異なる生き方をしなければならなくなりました。
当初、夫の話を聞いていると、まるで70か80のお爺さんが話しているように聞こえました。
私がジーパンをはいていると、「メリケンの作業着なんか着るな」と言われ、「昔の時分の方が良かった」と常に明治や昭和の話をし、「男と女のどっちが偉いんだ」と怒鳴られ、日本人として、日本人なら、斯くあるべしと延々と話し続けました。
また今まで一度も考えた事も無かったのですが、夫と一緒になってからは毎年1月2日、一般参賀で宮城に行くようになりました。
天皇陛下、皇室などほとんど無縁のような生き方をしてきた私にとって、夫が常々「日本国民は天皇陛下の赤子である、我々の使命は國體の護持」と云う言葉の意味がほとんど分かりませんでした。
小泉内閣の時に突如湧いて出た、皇室典範改正論議で女系天皇の容認については、まだパソコンも無く情報収集が出来なかった時から、天皇陛下は男系男子以外にあり得ないと言っていましたが、その時たまたま情報を得て行った講演会で初めて櫻井よしこ女史の存在を知ったのでした。
私もそうですが、夫も「保守」という言葉を知らず、イデオロギーなるものは我が国に左翼か右翼しかないと思っていました。
今では街宣右翼の正体なるものが分かりましたが、当時は知らなかったので、夫は軍歌を騒々しく流している街宣車に対して好意的に話していたことは今思うと笑える話です。
当初夫は保守の存在を知りませんでしたから、最早この国には「國體護持」を掲げている人間は自分しかいないのだと、相当に悲壮感にくれていたようです。
ですから一人でも仲間を増やしたかったのか、一緒になった超リベラル、無国籍人の私に必死になって日本と云うものを刷り込んでいったのではないかと思います。
けれども子供の頃からほとんど日本を意識することなく生きてきた人間にとって、後付けで日本を意識することは結構難しい事ではありました。
頭ではだんだんに分かって来ても、感覚的なことや、行動などまでは未だに中々難しいことが多々あります。
けれども「コップの水が溢れ出る瞬間」が必ず訪れるようです。
今まで私のコップには日本が空っぽでしたが、夫の洗脳工作によって少しずつ満たされていった時、日本こそが世界中で最も大切で素晴らしい国であり、日本人こそが世界で最も誇りある人種であると思えるようになったのです。
長い長い間、コップに無理矢理詰め込まれていた偽物の歴史観を本物の歴史観に入れ替えて満たしていった時、自分の中に不思議な満足感、充足感が生まれました。
今までうす暗いトンネルの中を彷徨い続け、希望も見い出せず、常に自信喪失の不安感を抱いていた自分が、
自分が日本人として生まれたということだけで幸せを感じ、
素晴らしい祖先の歴史を共有できることを誇りに思い、
長所も欠点も日本人だからこそだと楽しく思い、
更にはあれだけ嫌悪した日本の田舎の風景や方言が素晴らしい宝物のように考えるようになってきたのです。
今まで無国籍人として生きていた人、
日本人であることを侮蔑してきた人、
日本人であることを恥じてきた人、
皆さんはきっと自分の中にあるコップに偽物の歴史観を詰め込んでいるのです。
日本と云う国についてもっともっと真実の歴史を知って、少しずつ偽物と入れ替えていけば、必ず日本と云う国、日本人と云う民族が世界で最も誇り高き国、誇り高き民族であると気付く事が出来るでしょう。
その時、きっとストンと自分の中に支柱のようなものが存在することが分かるはずです。
後はその日本人としての支柱をどんどん太くしていけば、揺るぎない信念をもって行動することが出来るようになるはずです。
日本人として生きようと思った時、天皇陛下の赤子としての意識も芽生え、縦軸としては祖先や英霊と、横軸としては同胞と、そして我が国土とも自然につながっていくはずです。
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この文を書かれた柿澤さんは、文の末尾を「さあ、今日から誇りある日本人として生きよう!」と結んでおられます。
私は、この文を読んで、やはりご自身の体験談に勝るものはないなあと、感じました。
戦後生まれの多くの日本人が、この文にあるように、
「漠然とアメリカ的なものに憧れを抱き、日本や日本人、特に日本の地方に対しては侮蔑感にも近い思いを感じ」て育ち、
日本人としての「アイデンティティを喪失」し、
「精神的に非常に不安定」となり、
「人間関係に支障をきたし」
「何のために勉強するのか理解できず」
「心から感激したり感動する事もなく」
「常にうす暗いトンネルの中をさまよい続けているような感覚を拭い去る事が出来ないでいる」
という情況にあるのではないかと思います。
警察庁の発表によると、2011年の10~20歳代の若者の自殺は、2007年の2・5倍に達しているそうです。
日本全体の自殺者は、毎年3万人を超え、一説によれば、うつ病患者は国内に400万~800万人いるとさえいわれています。
もちろん、個々の事情には、就職ができない、借金苦、人間関係やイジメの悩み、失恋、倒産等、様々な背景があるものと思います。
けれど、そうした苦しいときにこそ、私達ひとりひとりの心をささえてくれるのが、ひとつにはアイデンティティなのではないかと思うのです。
日本は、そのアイデンティティがあったればこそ、終戦直後の何もない状態から、見事に復活することができた。
アイデンティティ(Identity)というのは、ひらたく言えば、「自分が自分である証」です。
もともとはこのアイデンティティは、ドイツの心理学者エリク・ホーンブルガー・エリクソン(Erik Homburger Erikson)が説いた理論です。
エリクソンは、アイデンティティが正常に形成されると、人は社会的価値やイデオロギーに自分の能力を捧げたりする事ができる忠誠性を身につけることができ、世の中に大きな貢献ができる人材となるとしています。
また一方、アイデンティティが正常に形成されないと、人は自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごし、ときに熱狂的なカルトや非行などに傾いてしまうと説いています。
若者がゲームに熱中したり(先日どこかのニュースで、セックスの最中も携帯でゲームをし続ける若者がいるという記事がありました)、優秀で高学歴な若者がオウムのようなカルトに熱狂して殺人まで犯したり、あるいは中高年が単なるファンタジーにすぎない韓流ドラマにはまったりする。
アイデンティティが正常に形成されていない状態とは、まさに現代日本そのものの姿といえようかと思います。
願兼於業(がんけんおごう)という言葉があります。
人は生まれる前に、自分で自分の人生を選んで生まれて来る、という概念です。
たしか天台宗の湛然(たんねん)の言葉だったかと思います。
これに関連してか、先日、友人の和源さんが、次のような一文を寄せてくださいました。
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大切なものとは日本に生まれて来る事を選んだという事実であり、
日本文化に包まれて学ぶ必要を魂は選んだのであり、
国や日本民族の風習や文化や郷土を知って愛する段階まで到達するのが、生まれてきた理由を体感できる鍵となる。
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日本という国は、世界最古と言って良い長い歴史を持った国です。
そして世界最古の文明と言って良い縄文文明の遺跡は、日本各地に数万カ所発掘され(おそらく、いまこれをお読みのみなさまのご近所にも、何々貝塚と呼ばれる遺跡があろうかと思います)、そのすべての遺跡において、いまだに、対人用の武器が発掘されていない。
代わって多数発掘されているのは、まるで中世ヨーロッパの貴族の備品のように秀麗に装飾された数々の土器や、意匠を凝らした装身具、稲作のための灌漑農業の跡地、奇麗に装飾された衣類等々です。
つまり、縄文期は、人が人を殺したり、他人のものを奪うことではなく、モノを作り、人が人の役に立つことを大切にする文化を、1万年以上の長きにわたって築き上げて来ました。
さらにいえば、縄文時代の遺跡からは、女性用の腕輪やネックレスなどの装身具は数限りなく発掘され、愛する幼子の足形を録った土器も多数発掘されています。
人が人を大切にする。
日本人はそういう概念を、数千年はおろか、もしかすると2万年以上にわたって育み、築いてきた民族です。
さらにいえば、全世界の数千年以上昔の古代遺跡のある地域は、ことごとくいまや砂漠化している(最初から砂漠なら人は住めません。人がそこに住み文明が発達したということは、そこはかつては緑豊かな大地だったということです)中で、日本は唯一、いまだに国土の80%を森林に覆われた国です。
これは日本に、古代から植林という文化があったためです。
そして私達の国、日本は、世界中の有色人種がことごとく欧米列強の植民地となり、人々が人権のない奴隷とされた世界において、ただ一国、乾坤一擲の大勝負を仕掛け、戦い、世界の有色人種を人種差別から解放した国でもあります。
私達は、その日本に生まれて来る事を選びました。
日本文化に包まれて学ぶ必要ことを、私達の魂は選んだのです。
戦時中を選んだ魂は、もしかすると正義のために戦うことを選んだ魂だったのかもしれません。
戦後の復興期を選んだ魂は、日本のハード面での復興を選んだ魂だったのかもしれない。
そして平成不況を選んだいまの私達の魂は、日本の精神面での復興に責任を持とうとして、この時代を選んだ魂なのかもしれません。
ハードの復興に対し、精神面での復興は、ある意味、とても困難な道なのかもしれません。
けれどそれだけに、やりがいのある大きな仕事であるようにも思えます。
そして日本人が日本人としての誇りと魂に目覚めることを、世界は待ち望んでいる。
さあ、今日から誇りある日本人として生きよう!
柿澤さんのこの言葉、なんだかとっても輝かしい言葉のように思えます。
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