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バブル景気

一文をご紹介します。
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平成23(2011)年3月11日、私たちを東日本大震災が襲った。
震災からわずか5日後の3月16日、天皇陛下は異例の国民へのビデオメッセージを発せられた。
あの「お言葉」は、自衛隊を真っ先に挙げたことが特筆されるが、未曽有の災害と国難に直面した国民への祈りのメッセージだった。
前日の3月15日は、後にIAIE(国際原子力機関)の公表データや福島原発事故調査委員会が明らかにしたように、津波で電源が断たれた福島原発が最大の危機を迎え、最も多くの放射線が放出されていた当日だった。
その翌日に「お言葉」が放送されたのはただの偶然だったのだろうか?


貞観(じょうがん)11(869)年に起きた貞観大地震は、三陸沖を震源地とした大地震で東北地方を激しい揺れと大津波が襲った。
東日本大震災の大津波が千年に一度のものとされたいわれであるが、貞観大地震の後も清和天皇は大災害を鎮める詔(みことのり)を発せられ、被災者を弔(とむら)っている。
さらに清和天皇は伊勢神宮に勅使(ちょくし)を遣(つか)わして、貞観大地震を始め、同年6月に新羅の海賊が博多へ侵攻した事変や肥後で起きた地震も神前に報告し、国家の平安を願っていた。
すなわち、大震災直後の3月16日の天皇のビデオメッセージは、平安時代の清和天皇と変わらることのない〈天皇の務め〉を果たされたということなのである。
さらに重要なことは、清和天皇の貞観11(869)年の貞観地震の詔も、昭和20(1945)年、終戦の昭和天皇の玉音放送による詔勅(しょうちょく)も同じ〈詔〉であり、今上天皇のビデオメッセージも占領憲法である現憲法で廃止された「詔勅」と同じ意味を持つ〈詔〉なのである。
これは論理的にも歴史的にも疑いの余地のないことであり、あのビデオメッセージが、まさに〈平成の玉音放送〉であることを証明してくれる。
では、なぜ玉音放送が流れたのであろうか?
それは、多くの国民が直感したように、日本人が戦後60年以上にわたって信じてきた原理、原則が音を立てて崩れ落ちたからなのである。
統治能力のない民主党政権とそれを許している政治システム、官僚機構、嘘ばかりのマスメディア。
それらが福島原発の事故に対応できないばかりか、震災復興に全く役立たずの機能不全に陥ることを人々は予感していた。
東日本大震災は、東北の海沿いの都市や福島原発だけを崩壊させたのではなく、そんな戦後空間そのものを一瞬のうちに瓦礫の山にしてしまった。
すなわち、地震と津波で本当に崩壊したのは、戦後日本のシステム、つまり戦後体制(レジーム)そのものだったのである。
そこで、〈平成の玉音放送〉が流れても何の不思議もない。
占領憲法で廃止された詔勅によって、九条で否定された自衛隊を讃え労うことで、今上陛下は二重の意味で日本国憲法を超越してしまったのだ。
3月15日に福島原発が最も高い放射線量を放出していたことを菅内閣は隠蔽したが、その翌日に【詔勅としての】ビデオメッセージが発せられた意味は極めて大きい。
大震災からの復興と日本再生の道筋をつける時、崩壊した戦後日本が絶頂を極めた八〇年代だからこそ、そこから多くのヒントを探り出せるのである。
そして、八〇年代の問題点を克服できれば、日本人は今度は、本物の黄金時代を築く〈黄金の国・ジパング〉の創生が改めて可能になるのである。
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いかがでしたか?
この文は、西村幸祐先生の書き下ろし本「幻の黄金時代」の中にある一文です。
いま思い返してみても、バブル期の日本経済の力は、ものすごいものがありました。
平成元(1989)年12月29日の大納会での日経平均株価は、市場最高値の3万8,957円44銭。
ジャパンマネーは、世界で猛威をふるい、日本人の個人所得は否応無しに世界一。
新社会人となった女性OLが、世界中に海外旅行にでかけ(私の会社のOLさんなどは、ギリシャ、エジプトから、なんとガラパゴスにまで出かけていました)、呑みに行くときは、一次会から二次会、三次会。
銀座で飲んだら、帰りはタクシーかハイヤーなのだけれど、その車がつかまらない。
NTT株を買って大もうけしたお金で、サラリーマンがキャッシュでマンションを買ったら、またたく間に値上がりし、設けた金の3500万で買った家が、なんと1億5千万円で売れ、大喜びしていた同僚などもいました。
まさに日本は、戦後最大の絶頂期の繁栄を謳歌したのです。
けれど日本は、わずかその40年前には、世界の極貧国だったのです。
戦争で何もかも失い、人々には、着るもの、食べるもの、住まいさえもありませんでした。
外地から帰還した者たちの多くは、田舎に帰り、農業をしました。
米を作り、畑に桑を植えカイコを養殖し、食べ物と生糸を作りました。
町家の人たちは、食べる物を得るために、衣類や備品などをお米や野菜と交換するために、農家に行きました。
農家では、それらの衣類や備品を市場で売って得たお金で、種や肥料を買いました。
一部の人は、岐阜や群馬などで衣類を仕入れ、鉄道でそれらを市街地に持ち込み、市場で売りました。
世に言う「かつぎ屋」です。
かつぎ屋さんたちは、その後、衣料品店や、スーパーを開きました。
農家では食料生産に余裕がではじめると、集団就職で繊維産業や、造船業、住宅建築や道路工事のための土木建築業をはじめました。
そうして日本は、産業基盤を整え、戦後の復興需要の中で、経済を成長させ、昭和39(1964)年の東京オリンピックの少し前くらいには、高速道路や新幹線が架けられ、全国各地の河川には、車の通れる大きな橋がかかりました。
こうして社会資本を整えた日本は、昭和40年代から、消費のための製造、自動車や家電などの製造を大きく成長させはじめました。
こうして育成された国内産業は、昭和50年代には世界へと進出をはじめ、昭和60年代になると、日本は、世界第二位の経済大国にまで成長していったのです。
日本の戦後の復興は、まさに世界の奇跡とも呼べるものでした。
それは世界史上初の、そして世界最速の復興でもあったのです。
こうして得た社会資本と、国富によって、日本は、平成元年ころには、バブルの絶頂期を迎えたのです。
日本は、戦争で何もかも失いました。
けれど、失ったものは、ハードでした。
実は、日本の真の国力、すなわち、日本人のチカラの源泉である日本人としての教養、歴史観、誇り、祖国愛といったソフトは、日本は失っていなかったのです。
だから日本は、世界史上初の、最速の復興を遂げることができました。
ところが、バブルが崩壊してからの20年、日本はずっと沈んだままでいます。
世界各国が経済的に成長する中で、日本だけが経済低落の一途をたどりました。
なぜでしょうか。
その答えが、西村幸祐さんの著書「幻の黄金時代」にあります。
たいへんわかりやすく書かれています。
私自身、読みはじめたら、まさに「やめられない、とまらない」で、一気に最後まで読み通してしまいました。
ものすごく面白かったです。
日本が成長を止めた理由がわかれば、次に成長するためにはどのようにすれば良いかの答えが、実に鮮明に見えて来ます。
その答えを見つけた者が、次の時代の先覚者となる。
まだお読みでない方は、是非、この本をご一読いただきたいと思います。


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西村幸祐新刊「幻の黄金時代 オンリーイエスタデイ'80s」

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