
メディアの偏向報道にうんざりしています。
今朝、報道されていたのが、東電の電力販売にかかる収益構造のことです。
まず引用します。
~~~~~~~~
東電利益 家庭から9割 電気料金審査委販 売量は4割弱
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012052302000224.html
東京電力が申請した家庭向け電気料金の値上げの妥当性を検証する経済産業省の審議会「電気料金審査専門委員会」(委員長・安念(あんねん)潤司中央大法科大学院教授)は二十三日、東京電力などの全国の十電力会社の収益構造を明らかにした。東電の販売電力量の六割は企業など大口利用者向けだが、利益の九割は家庭向けで上げていた。
全国平均でも傾向は同じで、家庭向け料金が企業向けより、大幅に割高になっている実態が初めて明らかになった。
経産省が全国の電力会社の二〇〇六~一〇年度の販売電力量や電気事業利益などの比率をまとめた。東電管内では年度平均で、企業向けの販売電力量が千八百一億キロワット時で全体の62%を占め、残り38%の千九十五億キロワット時が家庭向けだった。一方で、利益は家庭向けが千三百九十四億円と全体の91%も占め、企業向けは百四十三億円とわずか9%だった。
この日の審議会で、東電の高津浩明常務は企業向けの利益が少ない理由について、「新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の全号機停止や燃料価格の歴史的な高騰で、燃料費の比率が相対的に高い(企業向けの)自由化部門の収支が悪化したため」と釈明した。
全国でも、企業向けの販売電力量が全体の62%を占め、家庭向けが38%だったの対し、利益は家庭向けが69%を占め、企業向けは31%にとどまった。
企業向けの電気料金は自由化されており、電力会社は自由に価格を設定できる。小売りの新規参入者の特定規模電気事業者(PPS=新電力)などとの競争で、販売価格を下げたため、利益幅も少なくなっている。
一方、家庭向けは電力会社が各営業区域で販売を独占している。電気料金も発電にかかる費用に利益を上乗せできる「総括原価方式」に守られ、経費削減で身を削らなくても安定的な利益が得られる構造になっている。企業向けの競争が、家庭にしわ寄せされている形だ。
~~~~~~~~~~
いろいろとごちゃごちゃ書いてありますが、要するにこういうことです。
1 東電の電力販売量
企業向け 6割
家庭向け 4割
ところが、収益構造は
2 企業向け 1割
家庭向け 9割
つまり、企業向けの電力販売が、量が6割を占めているのに、利益面では家庭向けが9割を占めている。
これは「ケシカラン」というわけです。
しかしちょっと考えていただきたいのです。
日本は資源のない国とされ、加工貿易をして外貨を稼ぐことで、日本人は飯を食ってきたのです。
最近、レアメタルや天然ガス、あるいは尖閣領海内の埋蔵資源などが注目されているとはいえ、それらはまだこれから先、未来の資源エネルギーの可能性の問題です。
現実にあるのは、資源を他国から輸入し、それを加工し、工業製品として付加価値をつけて海外に販売して外貨を稼ぎ、その外貨で世界中から食料を買い漁って、私たちは飯を食らっている。
ものすごく単純化してみれば、一国の経済も、一家の家計も、その基本構造は同じなのです。
お父ちゃんが材料を仕入れてきて、それを家内工業的に製品に仕立て上げ、それを街に出て販売し、利益を得て、その利益でスーパーで食料を買って、一家を食わせている、これと同じです。
江戸日本は鎖国で自給自足ですが、それで食えた日本の人口は、わずか2700万人です。
当時の人口がそれだけしかいなかったというのは、それだけの人口を養う食い物しか日本で産しなかったからです。
いまの日本は、人口が1億2700万人で、江戸時代よりも1億人も人の口が増えているけれど、その1億人の飯は、日本が工業で外貨を稼いで、その外貨で海外から食い物を調達して賄っているのです。
要するに日本は国をあげて工業で飯を食っているわけです。
ところが日本は賃金が高い。
賃金が高いということは、人件費が高いわけで、これを安く賄うためには、工業用ロボットなどで機械化と効率化を進めなければ、日本製品は世界中で競争力を失ってしまいます。
企業が競争力を失えば、その企業は倒産や廃業に追い込まれるわけで、そうなると多くの人々が失業する。
それだけじゃなく、食品を買えなくなる。
飢え死にしなきゃならなくなるのです。
早い話が、コンビニのおにぎりひとつをとってみても、あれは人様が手で握っているわけではない。
ぜんぶ機械が握っています。
そしてその機械は、すべて電力で動いているわけです。
ではその電力は、どのくらい消費するものかといえば、一般家庭が使う何十倍、何百倍の電力が工場では消費される。
町の小さな工場だって、月に支払う電気料金は、数百万円になるケースが数多くあるのです。
だから日本では、いわば国策として、企業向け電力料金は安くしてきました。
そうしなければ、価格競争力がなくなるからです。
では、これが否定され、企業向け電力が家庭並み料金となったらどうなるのか。
非常に単純明快な話です。
会社は製品を値上げせざるを得なくなり、諸物価は高騰し、しかも会社は利益が圧迫されるから、賃金はカットないし、大幅な社員の首切りをしなければならなくなる。
それでも、おそらくは日本国内の製造業の半数以上は倒産に追い込まれることでしょう。
ということは、お父ちゃんが失業し、収入がなくなり、しかも再就職のあてさえもなくなる。
ろくに飯も食えない家庭が増えるということです。
そんなこたあないよ、ウチはかあちゃんがパートで働いているから安心、などと言ってられません。
主婦のパートの多くは、工場労働者です。
その工場が潰れる。なくなる。人員がカットされる。最初にカットするのは、間違いなくパート労働者たちです。
要するに、東電が電力販売量の6割を企業向けに販売し、そこから生まれる利益が1割しかないということは、日本人にとっては、たいへんありがたいことだったということができるのです。
これを否定されたら、日本経済は、完全に壊滅します。
ところが、です。
テレビの報道などをみていると、街頭インタビューに応じる人たちは、一様に「ケシカラン」という。
顔つきをみれば、いかにも左翼っぽい顔をした馬鹿者です。
おそらくは、企業向け電力料金が安くて、家庭向けが高いのはケシカラン。均一平等にすれば、家庭向け電力料金が安くなって、自分たちが助かると思っているのでしょう。
こういう連中は、要するに自分のことしか頭にない。
自分さえ良ければ、日本がどうなろうと、多くの人々がどうなろうと、まるで関係がない。
要するに公徳心がカケラほどもないのです。
なるほど家庭向け電力料金は安くなります。
けれどお父ちゃんは職を失い、お母ちゃんはパート先の会社がつぶれ、無収入になる人が増えるのです。
しかも日本は製造業の国際競争力を失い、輸出が落ち込み、そうなると外貨を稼げないから、海外から日本国内に入って来る食い物が激減する。
食い物が不足して、買う金もない。
遠からず日本は、飢えと貧困が襲う貧国になってしまうのです。
そんなの関係ねえ、自分は電力に関係ない。自分の会社は製造業じゃないから安心だ、などと言ってられません。
日本全体が食えない貧国になるということは、国内でモノが売れない、儲からない国になるということです。
流通業であれ、金融業であれ、モノが売れず景気が悪化すれば、雇用は創出されないし、給料は下がるし、失業者は巷にあふれるし、日本全体が地盤沈下し、それこそ日本が沈没してしまうのです。
はっきりと申し上げたいのは、電力なしでは、もはや日本という国は産業も経済も成り立たないのだ、ということです。
原発については、私もそれがいいこととは思っていません。
危険があるなら、そりゃあ原発はないほうがいいに決まっています。
けれど、原発がなければ、いまの日本経済が成り立たないのも事実なのです。
であれば、いま必要なことは、東電を叩き、原発稼働を阻止することではなく、東電を助け、安全な原発運用に人知を尽くすということです。
自動車は、人を跳ねて殺すことがあります。
危険がある乗り物です。
けれど、いまや自動車なしでは、日本人の生活は成り立たない。
ならば、出来る限りの人知を尽くして、安全に運用することを国をあげて心がける。
そうすることで、みんなが安心して、安全に、そして便利で快適な暮らしを手に入れることができる。
原発も同じです。
原発は危険です。
けれど原発なしでは、日本人の生活は成り立たない。
ならば、出来る限りの人知を尽くして、安全に運用することを国をあげて心がける。
そうすることで、みんなが安心して、安全に、そして便利で快適な暮らしを手に入れることができる。
企業は安い電力で、競争力のある製品を作ることができ、みんなの生活が豊かになる。
私は、みなさんに是非、気付いていただきたいと思うのです。
原発問題にせよ、東電の企業向け電力の販売量と収益の構造の問題にせよ、これらの騒ぎを起こして、得をするのは誰なのかを。
苦しい状態に追い込まれてしまうのは誰なのかを。
日本で原発がなくなる。
電力が足らなくなる。
その足らないぶんの電力は、韓国に新たな原発を作り、そこから買うという話があります。
誰が得をするのでしょうか。
誰が損をするのでしょうか。
日本の製造業が、企業向け電力の家庭向け同等の大幅値上げによって壊滅的打撃を受けたとき、日本製品を打ち負かして、海外で日本製品のシェアを横取りして大儲けするのは、どこの国なのでしょうか。
損をするのは、どこの国なのでしょうか。
日本を守るというと、すぐに右翼だと決めつける人がいます。
そういうレッテルだけで、めくらになってしまう。
そうじゃないのです。
日本を守るというのは、他の誰でもない。私たち自身の生活を守るということなのです。
そして私たちだけではなく、私たちの子や孫の未来を守るということなのです。
私たちは、日本に住む日本人なのです。
日本人が日本を守らなくて、いったい誰が守るのか。
そういう発想は、右翼とか軍国主義とか、そういう政治的レッテルの問題ではなく、私たち日本人の生活の問題なのです。
そのことを、ひとりでも多くの人に気付いてもらいたい。
私は、そう思います。
よろしかったらクリックを。
↓ ↓

ねずきちのひとりごとメールマガジン有料版
(最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。)

日心会メールマガジン(無料版)


