
今日ご紹介するのは、東郷さんの檄文です。
「パブロフの犬」のお話は、ご存知の方も多いかと思います。
犬にエサを与えるときに毎回必ずベルを鳴らすことを繰り返すと、犬はエサが無くてもベルを鳴らすとよだれをたらす。
そんなことから条件反射の喩えとして広く知られていることです。
けれど犬の話だと笑っていられるのでしょうか。
戦後の左翼教育で「刷り込み」を行われた結果、私たちの頭の中には、
言論=自由
自由=素晴らしいこと
差別=よくない
弾圧=よくない
戦争=悪いこと
などという刷り込みが行われています。
その結果、発言(言論)を封じれば言論封殺と感じ、集団のために個人の自由を抑制すのも「いけないこと」という認識が広がっています。
「自由」にしても、不自由のなかにこそ自由があるのに、これがわからない。
道徳あってはじめて自由があるのです。
「自由」をなんでもかんでも我儘が許される(=放縦)と思い込んでいる。
こんなことを書くのは、実は、とうごうじゅんさんの絵本を読んだからです。
「パブロフの犬、条件反射の心理学」は、インターネットでも読むことができます。
http://www.j15.org/Picturebook-Pavlov/index.html
東郷潤さんの絵本は、この他にも、
「善悪と愛憎」
「正しいことって何?」
「やるかやられるか」
「サングラス(理想主義の罠)」
など、数多くの物語があります。
絵本はインターネットからダウンロードもできるようになっています。
どのお話も、考えさせられるものばかりです。
すばらしい取り組みだと思います。
東郷さんのホームページ
http://www.j15.org/yukoku/index.html
ちなみに彼のお顔は、三島由紀夫先生によく似ておいでです。
氏の尊敬する人物が、三島由紀夫先生であるゆえかもしれません。
その東郷さんのホームページに、
「憂国と愛国の若きサムライたちへの檄文」という文があります。
これは是非、みなさんに読んでいただきたい文章です。
ボクは、この文を読んで、泣けて来ました。
ご本人の許可を得ましたので、ここに転載します。
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【檄文-憂国の若きサムライたちへ】
http://www.j15.org/yukoku/index.html
憂国の思いを強く持つ侍たちへ、お願いしたい事がある。
確かに今の日本には大きな欠点がある。
国を愛することもままならない。
しかしながら、君たちには<天にも届く矜持>を抱いて欲しい。
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先人たちの和の心
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君たちは「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」といった言葉を聞いたことがあると思う。
これらの言葉は「軍国日本」で多用され、敗戦を機に「戦争責任」が重なって、現代日本人の多くが、これらの言葉に大変ネガティブなイメージを持っている。
日の丸・君が代・天皇制論争どころではなく、これらの言葉を聞くだけで、おぞましさ・嫌悪感・怒りに身震いする人もいるようだ。
確かに、あの辛く悲しい歴史を思えば、人々が抱くこうした暗い感情を理解することは難しくはない。
しかしながら、当時の普通の日本人たち―我々の両親・祖父母・曽祖父母である―は、 どちらの言葉も「異なった人々・民族、ともに仲良く暮らしましょう」という意味として理解していた筈。
実際、第一次世界大戦後、日本は国際連盟憲章の中に人種平等を明記するという決議案の提出も行なっている。
嫌悪感・おぞましさ・怒りに目を閉じず、歯を食いしばって目を開けば、これらの恐ろしくネガティブなイメージを持つ言葉の底に、今の我々と同じ和の心を見つけることも難しくはない。
そう、元々、我々の和の心は、彼らから受け継いできたものではなかったか。
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和の文化
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武士の武とは、矛を止める、と書く。
柔をもって剛を制す、という言葉もある。
合気道の合気とは、気を合わせることだ。
俺は、武道の極意とは、戦わずに勝つことにあると考えている。
もっといえば、敵を味方とすることにある。
敵が味方となる以上に、勝つことなど出来ない。
そしてその底には、やはり和の哲学・伝統がある。
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和の伝統と平和への願い
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日本軍はかつて硫黄島で玉砕した。
その硫黄島で、死を目前とした一人の将校が、当時のルーズベルト大統領宛に手紙を書いた。その手紙の末尾には、こうある。
「凡そ世界を以って強者の独専となさんとせば、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日なからん」
本手紙をしたためた直後に戦死された市丸海軍少将が予言した通り、実際、現在でも世界で闘争は繰り返され、決して終わることがない。
この手紙―死を目前にしたサムライの手紙だ―にも、切々たる和への思いがある。
世界平和への強い願いと意志がある。
古来、我々大和民族は「大いなる和の民」と書く。
そして、日本の最古の成文法、十七条の憲法の第一条には、「和を以って貴しと為す」とある。
大和の民には、聖徳太子の時代以降だけでも実に1,400年を超える和の伝統が存在している。
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憂国の至情
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さて、サムライを自認する君。
君は日本の現状に大いなる憂国の思いを抱いていることだろう。
今の日本は誇りを失い、独立国と呼ぶにはほど遠いと。
君の仮想敵国がどっちの方向にあるかは別として。
ではどうすれば、日本は真に独立できるのか?
君は、真剣に考えてみたことはあるだろうか?
もし無かったら、考えてみて欲しい。
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独立への道
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自主憲法の制定?
いやはや、もし君が、国内の法律をいじるだけで自主独立できると考えているなら、恐ろしく甘ちゃんだ。
押し付け憲法だろうが自主憲法だろうが、たかだか紙っぺらに書いた条文で、他国からの攻撃や支配を打ち破ることなどできない。
それが出来るぐらいなら、今でもまだ徳川の治世が続いていることだろう。
では、武力にて独立を勝ち取る?
さあそれはどこまで現実的だろうか。
核の時代に、通常兵器だけで他国に太刀打ちすることは難しい。
日本には現代戦に不可欠な航空機産業も十分にあるとはいいがたい。
ABCD包囲網で石油を禁輸された頃と比べて、21世紀初頭現在、基本となるエネルギー事情がどれだけ好転しているのか。 情報戦を制する諜報活動の能力が少しでも残っているのか。
それとも核武装するか?
地球をカバーする弾道ミサイルも開発して。
それは技術的にはむろん可能だ。
核兵器など60年以上前に実用化されたもの。
今の日本の技術水準から考えれば、ローテクに過ぎない。
核兵器の材料となるプルトニウムもたっぷりとある。
ロケット技術もある。
しかしながら、国際政治を思えば(恐らくは太平洋側/日本海側ともに)、それは相当にリスキィな賭けとなるだろう。
じゃあ圧倒的な経済力をつけ、お金の力で独立するか?
確かにお金にもそこそこのパワーはある。
しかしお金の力だけで、誇りを取り戻し真の独立を果たすことが可能だろうか?
では、どうする?
日本が真の独立国となり誇りを取り戻す現実的な道、君には思いつくかい?
「憲法さえいじれば、独立できる/日本人は誇りを取り戻せる」なんて空想の世界へ逃避するのではなく、ね。
どうか真剣に考えていただきたい。
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和のグローバライゼーション
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さて、多くの英霊たち(全てとは言わない。亡くなられた方々それぞれに考え方は違うのだから)は、恒久的な和を世界へ樹立する夢に殉じて散っていった。
今、生を受けている我々は、そんな夢に殉じた英霊達の志を引き継ぐことが出来る。
先人達の流した血、魂の叫び・夢を引き継ぐことができる。
そして、そこにこそ最も現実的な日本の独立の道がある。俺はそう考えている。
その道とは、
和のグローバライゼーション
お金によるのではなく、武力によるのではなく、法律の条文によるのでもなく、誰かと争い・殺し・勝つことによるのでもなく、
和の文化を輸出することによって、
敵を味方とすることによって、
全世界へ和の心を広げる事によって、
もっと言えば、憂国の至情を持つ君、そして多くの日本人には(もちろん全員ではない。人それぞれに考え方は違うものだ)、
「和を世界へ広げる」という崇高にして大いなる使命があるのではないだろうか?
日本の独立うんぬん、というよりも、もしかするとはるかに重要な使命が、だ。
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戦乱の世界における和の民の使命
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憎しみの連鎖。宗教の対立。人を見失った正義。
少しでも世界に目を向けたなら、どれほど和の哲学が今の世界に必要か・求められているか、君にも見えるだろう。
二十一世紀のサムライである君。
どうか、
「日本国内の狭いところで誰かを非難していれば、独立が達成できる」
などという幻想に逃避するな。
「日本さえ良ければ他国を犠牲にしても良い」などという、洋風の?国益論・マキャベリズムに惑わされるな。
「国際政治は戦いだ」などという薄っぺらい現実主義の罠に落ちるな。
「日本人には世界を変える能力が無い」などという馬鹿げた劣等感に逃避するな。
「戦争をした日本は悪い国なので国際的な主張は控えるべきだ」などという善悪の錯覚で目隠しをするな。
挑戦する前に逃げ出すな。
そうではなく、和の力を信じて欲しい。
俺達のDNAに刻まれた和の心に、天にも届く誇りを抱いて欲しい。
そして、いかに世界に貢献できるかを思って欲しい。
いかに俺達の手で、世界を変えることが出来るかを考えて欲しい。
先人達の夢であった、恒久的な和を地球へ樹立するために、何が出来るかを考えて欲しい。
俺達には、それが出来る。
俺達こそは大和の民/日出ずる国の民なのだから・・・。
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いかがでしたか?
ボクは、東郷さんの言われることがよくわかる。
そのとおりだと思うのです。
東郷さんは、この文章の末尾に、資料として、つぎのふたつを掲載しておいでです。
先人達が命を賭けて守ろうとしたものの奥深いところにあるものが、まさに「和の心」にあったのだということが、あらためて思い起こされます。
●日本が国際連盟憲章へと提出した人種平等決議案
●市丸少将がルーズベルト大統領に宛てた手紙
型や形式は、いろいろあるでしょう。
いろいろなご意見もあるでしょう。
けれど大切なのは心にある。
そのことを、もう一度、考えてみたいとおもいます。
「ルーズベルトニ与フル書」は、ボクのブログでも以前口語訳と原文の両方をご紹介させていただいていますのでご参照ください。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1416.html
最後に、聖徳太子の十七条憲法の一文をあげます。
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人皆有心 心各有執
彼是則我非 我是則彼非
我必非聖 彼必非愚
共是凡夫耳 是非之理能可定
人みな心あり、心おのおの執あり
彼を是し 我を非し
我を是し 彼を非す
我、必ずしも聖にあらず
彼、必ずしも愚にあらず
共にこれ凡夫の耳
是非の理なんぞよく定むべき
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