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相田みつをつまづいたり2

ネットで素晴らしい記事を見つけたのでご紹介します。
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【政治家は国民の鏡(鑑・化我美) 】
http://kusanotakasi.iza.ne.jp/blog/entry/2562501/


神社には鏡=鑑、化我美がある。
なぜ鑑があるのか。
ご神体だから?
アマテラスが天孫、ニニギに「此 は 我なり」と言ったからだろうか。
否、
神道の根本的な考え方に、その理由があると思う。
神道というの懐が深くて、争わず、受容して、同化しつつ、はねのける、こういうことをやる宗教である。
アッラーやヤハウェ(みだりに名を呼んではいけないが。)の宗教のように神は神、人間は人間と区別しない。
それは神道で言う「神」は「人間」なのだから当然だ。
つまり、神社に鑑があるのは
「化我身=我をとりなさい」
「我をとったらカミ」であるオノレを見つめよ
「そもそも、『カミ』である自身を見つめなさい」
という神道の教えなのだ。
同じことが政治にも言えないだろうか。
「政治家(他人)が悪い」とばかり言っているだけでは、何も生産できず得るものはなにもない。
言霊を大事にして、政治家を悪く言うのもやめよう。
まして 一票を投じた人間じゃないか。
一票分の責任を自覚し義務を果たし、彼には意見を直接言い、自分を見つめ直そう。
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「鏡(カガミ)」は、「化我身」であり、我をとったら「神」であるという。
なるほど、と思いました。
古来、日本では、我をなくすことが神の道に通じるとされた。
たとえば、特攻隊員たちは、生きながら神とされた。
なぜなら、彼らは我を捨てて国のための守護神となるのだから。
陛下には「私」がない。
つまり「我」がない。
ゆえに神である。
上の文章には、我を捨てて、オノレを見つめよとあります。
それが神社に鏡が置いてある理由だとも。
神前で二礼二拍一礼する。
二礼二拍一礼の礼は最敬礼です。
最敬礼とは、頭を90度に曲げ、下げる礼をいいます。
礼が30度。
敬礼が45度。
最敬礼は90度です。
神前で己を捨てて己を見つめる。
そこにカミがある。
だから90度です。
先日のことです。
ある若い者が上司に、「なに、たらたら仕事してんだっ!」と叱られていました。
場所は工場です。
彼は、汗をびっしょりかいて、一生懸命仕事をしていた。
それを、「ちんたら仕事をしている」と叱られたわけです。
言われた彼は、何で叱られているのかさっぱりわからない。
「オレはこんなに一生懸命、汗を流して仕事してるじゃないか」というわけです。
なるほど、本人は一生懸命なのです。
仕事ぶりも立派なものです。
けれど上司が叱ったのは、そのことじゃない。
数名で作業するに際して、必要なことは、「最終的な生産性を如何に上げるか」です。
ひとりが一生懸命汗を流していても、チーム全体の仕事の成果が非効率なら、それは仕事をしているうちにははいらない。
「我」を捨てて考えてみればすぐにわかることなのです。
先に「我」がくるから、言われた意味がわからない。
チーム全体を率いて、効率的な仕事をしなければならないのに、そのチーム全体を見ないで、自分だけがあくせくと仕事をする。
結果として、チーム全体の成果の足をひっぱっる。
だから叱られたのです。
最近、そういうことがよく目につきます。
テレビを見ても、政治の世界も、どこも「オレが、オレが」の大合唱です。
身を捨てて国家国民のために尽くすのが政治家のはずなのに、あるのは利権と自己主張だけ。
だから肝心なことがわからない。
わからないで人を見下す。
人に迷惑をかける。
それでストレスが溜まったので癒しが欲しいと甘える。
自我と甘えと癒しばかりを求めているのが今の日本の世相です。
我を捨て、敢えて茨の道に挑み、苦しさに耐えたのが戦前の日本です。
その戦前の日本があったおかげで、いまの日本がある。
そのことへの感謝の心すら忘れて、何が日本人なのか。
恩を知るをもって、人とは言います。
報恩感謝の心がないなら、それはもはや人ですらない。
せっかく日本人に生まれたのです。
人に戻りたい。
人になろう。
そう、思います。
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神風特攻隊員たちの遺書
彼らの遺書は、彼らの家族宛てたものというだけではありません。後世に生きる私たちへの遺言なのだと思う。

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