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帝国議会開院式臨御
帝国議会

日本人というのは、古来、武器を手にして奪ったり戦ったりすることを嫌い、みんなと協力しあうこと、何かを作ること、人と人とが仲良くすることを好む、平和を愛する民族です。
こう書くと、戦国時代があったじゃないか、武家は武を重んじたじゃないか、戦前は軍部が強大な力を持ったじゃないか、などと反論されそうですが、それでも日本人が「和」を重んじる民族だとボクは思っています。


なるほど戦国時代は世が荒れ、戦(いくさ)が続いた時代ですが、この時代は穀物の生産量が極端にアップした時代でもあります。
つまり食い物が非常に豊富になったわけで、ということは基本的に農地が増えた。
ですからその農地を荒らされないために、つまり守るために戦国大名達は戦ったわけだし、信長、秀吉、家康と続く時代は、いくさのない世を作るということが、三代の最大のウリだったわけです。
また武家は、なるほど帯刀し、武威を張り、斬り捨て御免が許されたけれど、なるほど世を乱す者がいれば、斬り捨てはしたけれど、斬った者は切腹です。つまり相手を殺すということは、自らも死を覚悟しなければならなかったわけで、それだけの覚悟をもって世にあたるからこそ、武家は民から尊敬された。
戦前の軍事力にしても、世界の有色人種国家がことごとく欧米列強の植民地となり、カラードは収奪され奴隷となって自尊自立など一切認められなくなっていた時代にあって、当時日本は、世界に最後に残されたカラードの独立国だったわけです。
その日本が、武器を持って立ち上がることで、はじめて世界は植民地時代から、民族が独立自尊の国家を作ることができる時代となった。
何がいいたいのかというと、要は、暴力と軍事は似て非なるものだ、ということです。
すこし話はそれるけれど、いわゆる「殺し屋」といえば、なんだか死神さんのような顔をしていて、拳銃を手にしてズドンと放つような、どちらかというと暗い無機質な人を想像します。
けれど実際には、マフィアなどで殺し屋になるような人物は、こうした暗い陰鬱なイメージの人物とは対極にあります。
暗いということは、性格が内向的だということですが、そういうタイプの人はいきおい物事をまともに真正面から考えてしまう。
そういう人物は、殺す、あるいは殺した相手のことをあれこれと考えてしまう。
そうなると殺せないし、また殺したとしても、あとあとそのときの模様を何度も思い返して、結局は気が変になってしまう。
ですから、暗くて内向的な人というのは、まったく殺し屋さんには向かないのだそうです。
ではどういう人がマフィアの殺し屋さんになるかといえば、何も考えない、考えることをしない、今が楽しければそれでオッケーの、要するに軽薄で明るくて無頓着で外交的で無教養な人物が、なるのだそうです。
そういうタイプでなければ、昨日まで親しくしていた相手を、上の命令だからと、いきなり今日、ズドンと殺すことはできない。
なぜ殺さなければならないか、なぜ自分が選ばれたのかなどと悩んでしまうような人物では、殺し屋にはなれないのです。
暴力を振るったり、相手を怪我させたり、殺したり。
そんなだいそれたことを、だいそれたなどとはまるで考えずに平気でできる無教養さ、軽薄さ。
殺したすぐ後には、自分が殺したということすらきれいさっぱり忘れて、カネをもらったと喜んで酒を飲んで女と遊べるような、ひらたくいったらデタラメな人物、そういう人物でなければ、平気で人を殺したり、暴力をふるったりできない。
一部のChineseやKoreanが、平気で殺したり過激な暴力をふるったりできるのは、要するに彼らが無教養で自分のことしか考えず、またものごとを深くきちんと考えず、人の和を大切にすることや、人としていかに生きるかということを考えるという習慣をまるでもたないからです。
ひらたくいえばこうしたタイプは、極端な利己主義的人間ということで、世界にはそういう人たちもいるのだということは、私たちは冷静に知っておかなければならないと思います。
要するに、個人の殺人や暴力は、無教養と無分別から生まれます。
けれど、いくさの場では、こうした無教養、無分別な利己的人間というのは、じつは全く役に立たない。
なぜかというと、戦いの場に臨んだとき、怖がって逃げてしまうのです。
日本は日清戦争に勝ち、大国ロシアに勝ち、第一次大戦ではドイツに勝ち、そして大東亜戦争では国土を灰にしてまで戦い抜き、結果として民族の自尊自立と人種の平等という戦争目的を達成しています。
第二次世界大戦中、米国が組成した日系人部隊である442部隊は、ヨーロッパ戦線に投下されたけれど、この部隊は米国史上、最強の陸軍部隊だと言われています。
なぜ日本は強いのか。
その理由は、戦陣訓にあります。
「生きて虜囚の云々」のことではありません。
いくさの場においては、勇猛の人よりも、責任感の強いものが強い、ということです。
責任というのは、「責」と「任」から成り立っています。
「責」は、「朿(束ではない)」と「貝」からできています。
「朿」は、「刺(トゲ」」で、「刺す」という意味がある。
「貝」は、貨幣(お金)です。
つまり、借りた金を返さなければ、徹底的に責めさいなまれる。痛い目に遭わなきゃならない。
だから、約束を守って、ちゃんと期日には返さなきゃならない。
それが「責」です。返さなきゃ酷い眼にあわされても構わないという意です。
そして「任」は、「負う」という意味の漢字です。
つまり「責任」とは、成すべきことをなさなければ、結果として痛い目に遭うことを、みずから負担する、ということです。
個人の暴力は、無教養と粗暴から生まれますが、軍事は、理性から生まれます。
正しいことを行う、あるいは国を守るという大義から生じ、ものごとを理知的に深く考えた先に、いくさはある。
戦争も人を殺すし、殺人鬼も人を殺すけれど、その背景にあるものは、まるで異なります。
今風にいえば、その根本にあるパラダイムが異なるのです。
戦後の日本では、戦争=暴力=いけないこと、という認識が一般的です。
この考え方は、もともと「和」を大切にする日本人の普遍的感情とうまく一致し、いまだに多くの人が、戦争=悪と短絡的に考えているようです。
けれど、世のあらゆる叡智が集まって考えに考えた上で行う戦争と、そこらの無分別なアホが暴力を振るったり殺人を犯したりすることとを同一次元で考えること自体が、そもそも間違っている。
人は戦うべきときには戦わなければならないのです。
日本人は、古来、戦うこと、武力にうったえることを忌み嫌う民族です。
戦うことより、可能なすべての行動を通じて和平の道を探ろうとする。
日本人は決して武の民ではないし、それは日本人の美徳ですらあると思います。
けれど、だからといって、武を軽蔑したら、私たち庶民の生活は守れない。
国を保持し、平和を愛し、家族を愛する普通の庶民の暮らしを守りたいなら、戦うべきときには断固として戦うという姿勢を見せなければ、馬鹿にされ、国家規模で蹂躙されてしまう。
それが理屈ではなく、現実の世界だということです。
だからこそ日本人は、明治の開国以来、ずっとその矛盾の中で生きて来た。
それは「内国的平和という庶民感情」と、「対外的防衛の国家的必要」との相克ともいうべきものなのかもしれません。
山縣有朋(やまがたありとも)といえば、元帥、陸軍大将、第三代、九代内閣総理大臣を務め、日本陸軍の基礎を築いた人として有名です。
まさに明治日本陸軍閥の頂点に立つ人でもあった。
ところがこの山縣有朋、大正11(1922)年2月1日に亡くなり、東京日比谷公園で国葬が執り行なわれたのだけれど、その翌日の新聞によれば「席も空々寂々」で、参列者は文官、武官の大物と軍人だけで、国葬らしい雰囲気はなかった。
あまりにも寂しい葬儀なので、列席した長州出身者たちは、とても恥ずかしい思いをしたといいます。
ところがこの20日前、同じ日比谷公園で行われた大隈重信の国葬には、参列者70万人が列をなしています。
大隈重信といえば、早稲田大学の創始者であり、また第8代、第17代の内閣総理大臣を務めた人ですが、山縣有朋と対照的なのは、山縣が武を重んじた現実主義者であるのに対し、大隈はそこをうまくオブラートに包み、平和を前面に打ち出した政治家であったという点にあります。
大隈重信も、第一次世界大戦では、対ドイツに対して宣戦布告を行っていますから、極めて現実主義的な人です。
けれど、あくまで軍事の増強を強く主張し続けた山縣と、それをオブラートに包んだ大隈とで、葬儀の際の参列者が、ここまで違ったというのは、日本人のマインドを考える上で、とても貴重な事実ではないかと思います。
要するに明治日本にあってすら、「和」を重んじる日本人には、軍事力強化という政治的必要を前面に打ち出すのは、政治家としてはなはだリスキーであった、ということです。
つまり、国民的人気と理解が得られにくい。
けれど、明治日本において、もし山縣有朋が自分から悪役になって軍事力の強化を図らなければ、おそらくはいまの日本はなかったであろうし、有色人種国が白人種によって蹂躙され、植民地支配されていたという戦前までの世界の姿は、西暦2012年の今日においても、なんら変りはなかった、つまり日本も植民地化され、植民地支配された他の国と同様、21世紀の日本人も植民地奴隷の地位に甘んじなければならなかった。
その山縣有朋が、初めて内閣総理大臣(第三代)となったときに招集された、第一回帝国議会のときの施政方針演説があります。
明治23(1890)年12月6日のものです。
山縣有朋は、この演説後、国会で袋だたきにあってしまいます。
けれど、その後の歴史をみれば、明治27年には日清戦争、明治37年には日露戦争が起こっている。
軍は、いくさが始まる直前に編成しても、強い軍隊などできません。
何年も時間をかけて入念な準備と兵の訓練を施さなければ、いくさに勝つことなど覚束ない。
そう考えれば、日清戦争に先立つこと4年前、第一回帝国議会で山縣有朋が軍事力の増強を強く主張したことが、その後の日本にとって、また世界のカラードにとって、いかにいい意味での大きな政治的影響力をおよぼしたかが理解できようというものです。
山縣有朋の演説は、たいへんな名文です。
是非、ご一読をお勧めします。
いつものように、先にねずきち流の口語訳を掲示します。
原文は、末尾に記します。
~~~~~~~~~~~~
明治23(1890)年12月6日
第一回帝国議会
山縣有朋内閣総理大臣の施政方針演説
みなさん、天皇陛下のご配慮によりまして、千歳不磨の大日本帝国憲法が発布され(この前年に大日本帝国憲法が発布された)、ここにみなさんと相いまみえる機会を得たのは、まことに国家の慶賀といえることであり、また本官の幸栄とするところです。
本官は今、内外の政務について、みなさんにその方針を述べる機会にめぐまれました。
すでに政府の摂る政策につきましては、先日、議会開院の勅語においてその大筋を明示しておりますので、いまさら本官が事々しく弁明する必要はありません。
さりながら、この機会に、二三の要点につきまして、概略を申し述べ、みなさんに公平な判断を委ねたいと思います。
かえりみますと、徳川幕府が鎖国政策をとったことで、我が国が三百年の大平の世を保つことができたのは、疑いのない事実です。
しかしこの鎖国政策は、同時に世界の進歩に対し、我が国の進化を遅くするという結果を招いたことは、はなはだ遺憾なことといえます。
明治維新は、こうした世界の情勢の変遷を知ったことからはじまりました。
日本は、日本の鎖国政策を変じ、過去数百年滞った負債を償還しなければならないと知り、我々が短日月の間にその負債を償還することに努力した結果です。
それからわずか二十有年間経ちました。
今日に至るまで、私たちはみなさんとともに、新しい日本の建設に邁進してまいりましたが、その至重の義務は、未だその半ば終わっておりません。
しかしながら幸いにも私たちは、上には宏遠なる陛下をあおぎ奉り、下には先進諸氏の翼贊計画を踏まえることによって、その大体の標準を築くことができました。
もちろん政府の實務につきましては、あるいはこれを緩にし、あるいはこれを急にし、またはどの法を適用するか等につきまして、人々の、その見るところには、異同があります。
けれどいま、その小異は横において、施政の大局をみるとき、私たちは一樣に同一の線路の上に進みつつあり、決してその一大環線の外に出てはいません。
さて、政府からは明治24年度の総予算が提出されています。
この会計予算につきまして本官は、みなさんが愼重公平に審議していただけるものと信じています。
その予算上、歳出の大部分を占めるものは、すなわち陸海軍の経費です。
これにつきましては、本官が政府の考えについて、将来のために一言申し上げ、みなさんの注意を促そうと思います。
一般に、国家の最急務とするものは、行政および地方の制度を整え、運用を円滑にすすめることであり、また農工や通商の業務を奨励し、国の実力を養成することが最必要なことです。
であれば、内治内政は、一日もおろそかにできないことは、もちろん申しあげるまでもないことです。
けれどそれと同時に、国家の独立を維持し、国勢の伸長をはかることは、いまの日本にとって最緊要のことといえます。
そしてこのことは、議員のみなさんと政府である私たちの、共同の目的です。
ひとり、政府だけの問題ではありませんし、将来、政治上の局面において、いかなる変化があったとしても、けっして変化することのない共通の目的でもあります。
したがっておよそ帝国臣民たる者は、協心同力して、この一直線の方向を取り、目的を共有化していかなければなりません。
我が国の独立自営の道には、二つの道があります。
ひとつは、我が国の「主権線」を守護すること、
もうひとつは、我が国の「利益線」を保護することです。
「主権線」とは、国の領域です。
「利益戦」とは、国の主権線の安危に関わる区域です。
およそ国として、「主権線」「利益線」を持たない国はありません。
いま列国の間に介立して一国の独立を維持するには、ひとえに「主権線」を守るだけでは十分ではありません。
必ず、「利益線」を保護しなくてはならない。
そして一国の独立の完全をなさんとするために、「主権線」だけでなく、その「利益線」を保つことは、もとより一朝一夕でなしえることではありません。
寸を積み、尺を重ねて、次第に国力を養っていかなければならないことと存じます。
すなわち、来年度予算に計上したように、巨額の金額を割いて、陸海軍の経費に充てるのは、まさにこの趣旨に他ならない。
実にこれは、やむを得ない必要の経費です。
従って以上述べました数個の要点は、たとえ小異があろうといえども、その大筋につきましては、みなさんにおいて、必ずや協同一致されるものと、本官は信じて疑ひません。
述べましたことは、なるべくは速やかに議決しなければならない共同義務です。
ならば、この重大な義務を果たすためには、私たちは私たちの境遇に伴う一個の利益を犠牲にしてでも、公平無私に、相ともに胸襟を押開いて、腹蔵なく相談し、相議し、互いにその意見を一致することは、決して難しいことではないと思います。
本官は、幸いにみなさんのご了解あることを望みます。
~~~~~~~~~~
山縣有朋がこのとき主張した「主権線」と「利益線」は、簡単に言ったら、日本の領土である「主権線」の内側を、列強、特にロシアの脅威から守るためには、「利益線」すなわち朝鮮半島の独立を確保しなければならない、ということです。
そのために、軍費は、日本国土だけでなく、朝鮮半島までをも守護するための費用を上積みし、一般会計歳出額8,332万円の軍事費を計上するというものでした。
ところが「私たちの境遇に伴う一個の利益を犠牲にしてでも、公平無私に、胸襟を開いて腹蔵なく相談しようではないか」という山縣有朋の呼びかけに対し、時の衆院予算委員長ので立憲自由党の大江卓(おおえたく)らが猛反発します。
そして大江らは、「民力休養(減税)、政費節減(予算削減)」を掲げ、結果として軍艦建造費など800万円以上を削減してしまった。
明治23年の末から24年の初頭にかけてという時代は、まだ日清戦争は始まっていません。
いわば、戊辰戦争と日清戦争の間の、つかの間の平和の時代でもあった。
民意としては、もちろん戦争やそのための準備などしないで、民政に予算を振り分けてもらった方が嬉しい。
それはそれであたりまえのことです。
けれど、ロシアが露骨な南下政策を行い、すでに朝鮮半島北部まで事実上占領してきている状況下にあって、そのまま放置すれば日本は、ロシアに呑み込まれてしまう。
それだけでなく、英米仏なども、日本を分割するということになれば、日本は解体され、バラバラに分解されてしまう。
もしそうなれば、日本は南米や北米大陸と同様、日本人の8~9割の人口は失われ、残る日本人はみな白人との混血となるのは、当時の世界の趨勢からみて、目に見えて明らかなことでもあったわけです。
それを防ぐためには、防ぐための抵抗力である我が国の軍事力を強化しておく必要がある。
歴史を振り返ったとき、ボクは山縣有朋のこのときの判断は、正しい判断であったと思います。
けれど、民意を尊重する議会においては、こうした未来を見据えた理性的対処よりも、目先の利益が優先された。
そして同時に歴史は、山縣有朋のような現実主義者を不人気にし、大江卓や大隈重信に人気を集めています。
明治維新から間もない第一回、大日本帝国議会ですらこうだったのです。
まして戦後政治は、政治家選びは芸能人の人気投票の様相です。
そして一方では、国民から国家観が奪われている。
これでは、まともな政治は覚束ないし、現に、バブル崩壊後に至っては、不況脱出のために数々の改革が行われながら、そのことごとくが、日本の美徳を奪い、日本の景気を圧迫し、低迷させる原因となっています。
従って、政治がしっかりとしたものとなるためには、まずは日本人の民度が向上していかなければならないし、しっかりとした国家観を持った政治家が、国民を教導していかなければならない。
そのことを強く感じます。
そしてホンモノの政治家は、必ずしも国民的人気を得ることがないものなのかもしれません。
けれど、たとえ我が身を犠牲にしてでも、まさに湊川の戦いとなってでも、戦い抜くのが、ホンモノの政治家です。
自主防衛から逃げるような政治家は、政治家とはいえない。
そもそも国家の行う戦争と、個人の暴力を同一次元でみなすことしかできないような、出来損ないには、絶対に政治を委ねてはならない。
さて、ちなみに山縣有朋といえば、教育勅語を発布してくれた総理でもあります。
で、この山縣有朋、椿山荘の初代オーナーでもあった。

山縣有朋
山縣有朋

さらにもうひとつ付け加えると、これはまったくどうでもよいことですが、なぜか戦場カメラマンの渡部陽一によく似ています(笑)。
戦場カメラマンの渡部陽一
渡部陽一

渡部陽一からでもいいし、椿山荘からでもいい、あるいは教育勅語の話題からでも良いのですが、みなさんも身近な方に、山縣有朋を通じて、政治と戦争について、話し合ってみませんか。
==========
【原文】
諸君我が天皇陛下は至仁なる聖慮に依りまして、曩きに千歳不磨の大典を立てさせられ、茲に諸君と相會するを得たるは、誠に國家の爲慶賀に堪へざる次第で御座ります、又本官の幸榮とするところで御座ります。本官は今内外の政務に就きまして、諸君に其の方針の在る所を陳述致しまするの機會に遭遇致しましたるが、既に政府の執る所の政策に於きましては、先日開院の勅語に於きまして、其の大体を明示致されました以上に、今更に本官が事々しく辯明致しまする必要を見ませぬで御座ります、さりながら二三の要點に就き概略を陳述致しまして、諸君の公平なる判斷を煩はさんことを望みます。顧みるに舊幕府が鎖港の政略を執りたる以來、我が國三百年間の無事大平を保續致しましたに相違御座りませぬことで御座ります、併し此の政略は宇内の大勢に背馳致しまして、我が國三百年間の進化を遲く致したる結果を生じたるは、甚た遺憾の至りに存じます。偖明治大政維新の時に膺りまして、世運の變遷を察して一旦此の方向を變じますると、過去數百年間滯るところの負債を償還せねばならぬと云ふ事に気が附きました故に、我々が此の短日月の間に於きまして、其の負債を償還することに努力致しましたで御座ります、然るに僅二十有餘年間の短日月なるが故に、今日に至るまで我々諸君と與に、背上に負擔するところの至重の義務は、未だ其の半を終ふるに至りませぬで御座ります、併しながら幸に上は 聖天子の宏遠なる皇謨と、下は先進諸氏の翼贊計畫するところに依りまして、其の大体の標準を一定することを得ました、故に漸次其の順序を追ふて今日まての運びと相成りました次第でありまする、勿論政府の實務上に就きましては、或は之を緩にし、或は之を急にし又は此の法を執り、又は此の法に依ることに至りまして、人々各々其の見るところに依りまして、各々出入異同あることは是數の免かる可からざるところと存じます、今其の小異は姑く擱きまして、施政の大局上に就いて觀察を下すときは、我々一樣に同一の軌轍の上に進み行きつヽあり、決して此の一大環線の外に脱出することは致しませぬ、是は本官が斷言するに更に憚らぬところであります。偖政府より二十四年度の總豫算を提出致しましたるは、此の歳計豫算に就きまして、我々憲法上及び法律勅令を奉事するの義務者で御座ります、此の歳計豫算に就きましては本官は諸君が愼重公平なる審議翼賛のあることは信じて疑ひませぬ、豫算帳に就きまして最歳出の大部分を占めるものは、即陸海軍の經費で御座います、是に就きましては本官が政府の觀る所に就いて、將來の爲に一言を吐露して、諸君の注意を冀はんことを望みます、抑々今の時に方りまして國家の最急務とする所のものは、行政及地方の制度を整へ運用を敏活ならしめることである、又農工及通商の業務を奬勵作進して、國の實力を養成致すことが最必要のことと思ひます、されば内治即内政は一日も忽にならぬことは、勿論申す迄もないことヽ存じます、又是と同時に國家の獨立を維持し、國勢の伸張を圖ることが最緊要のことヽ存じます、此の事たるや諸君及我々の共同事務の目的であつて、獨政府のなすべきことで御座りますまい、將來政事上の局面に於て何等の變化を現出するも、決して變化することは御座りますまいと存じます、大凡帝國臣民たる者は協心同力して、此の一直線の方向を取って、此の共同の目的に達することを誤らず、進まなければならぬと思ひます蓋國家獨立自營の道に二途あり、第一に主權線を守護すること、第二には利益線を保護することである、其の主權線とは國の疆域を謂ひ、利益線とは其の主權線の安危に、密着の關係ある區域を申したのである、凡國として主權線、及利益線を保たぬ國は御座りませぬ、方今列國の間に介立して一國の獨立を維持するには、獨主權線を守禦するのみにては、決して十分とは申されませぬ、必ず亦利益線を保護致さなくてはならぬことヽ存じます、今果して吾々が申す所の主權線のみに止らずして、其の利益線を保つて一國の獨立の完全をなさんとするには、固より一朝一夕の話のみで之をなし得べきことで御座りませぬ、必ずや寸を積み尺を累子て、漸次に國力を養ひ其の成蹟を觀ることを力めなければならぬことと存じます、即豫算に掲けたるやうに、巨大の金額を割いて、陸海軍の經費に充つるも、亦此の趣意に外ならぬことと存じます、寔に是は止むを得ざる必要の經費である以上演べまする所の數箇の要點は、假令小異はあるとも、其の大体に就きましては、諸君に於て必ず協同一致せられんことは、本官は信じて疑ひませぬ、大凡是等の事に就きまして、今申述べまする樣に成るべくは速に拂盡さねばならぬ共同義務である、然らば此の重大の義務を盡さんが爲には、我々境遇に伴ふ所の一箇の利益を犠牲に供して、公平無私に相倶に胸襟を押開いて、腹蔵なく相談し相議するに於ては、互に其の意見を一致することに於て、決して難きことはないことと存じまする、本官は幸に諸君の了察あらんことを望みます。

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