
今年は、西暦2012年。平成24年。そして皇紀2672年にあたります。
古事記が編纂されたのは、和銅5(712)年正月28日のことで、ちょうどいまから1300年前のことです。
古事記は、稗田阿礼が「誦習」していた「帝紀」(帝皇日継/天皇の系譜)と「旧辞」(古い伝承)を太安万侶が書き記したものです。
「誦習(しょうしゅう/ふしゅう)」というのは、口に出して読むことで、暗誦(あんしょう)ではないので、なんらかの別な文字の文書を稗田阿礼が読み上げ、これを太安万侶が漢字を使って書きとめたのかもしれません。
古事記の編纂を命じたのは第40代天武天皇で和銅4(711)年の9月に編纂が命じられ、その4ヶ月後に献上されています。
、完成し、献上されたのは第43代元明天皇の治世です。
このため古事記の冒頭には、天武天皇の以下のお言葉が収録されています。
「撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉」
これは直訳すると「帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り、実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲す」で、わかりやすく口語訳すると、
「帝紀と旧辞は、偽りがかなりまじっているので、その偽りの部分を削り、天皇の系譜と、古くからの伝承をよく調べて正し、真実を定めて後世に伝えようと思う」となります。
よく記紀といい、古事記と日本書紀が我が国最初の歴史書として紹介されますが、日本書紀は古事記と異なり、成立したのが養老4(720)年で、古事記が献上されたわずか8年後のことです。
内容的には、古事記が、長い間伝承されて来た物語であるだけに物語に矛盾がなく整合性が採れているのに対し、日本書紀は無理矢理陰陽道に結びつけたり物語の意味がとりにくい箇所があったりと、やや矛盾に満ちているという特徴があります。
たとえばイザナギ、イザナミの出会いは陰陽で説かれているし、黄泉の国もない。
ところがどういうわけか日本書紀が誕生して後、古事記は封印されてしまいます。
そして平安時代から鎌倉、室町時代を通じ、我が国の正史は日本書紀とされた。
さらにいえば、古事記は漢文ではなく、漢字で使った暗号で書かれた読み解けない謎の書物とまでなってしまう。
その古事記を、世に出したのが、江戸中期の国学者、本居宣長です。
彼は、35年の歳月を費やし、すでに解読不能となっていた古事記を解読し、全44巻の古事記の通解書「古事記伝」を著します。
そしてこの「古事記伝」は、現代にいたるまで、古事記全巻の解釈書としては、我が国随一のものです。
それまで、日本書紀が主流とされていた歴史学に対し、本居宣長の著した「古事記伝」は、我が国の思想界に、まさに驚愕をもって受け入れられます。
そして本居宣長の師匠である賀茂真淵に始まる国学は、本居宣長の「古事記伝」によって我が国思想界の源流となっていきます。
ちなみに賀茂真淵は、静岡県浜松市の賀茂明神神社の神職の子です。
ボクも育ったのが浜松だから、なんだかとてもなじみ深い。
さて、本居宣長によって紹介された古事記ですが、さきほど「内容に矛盾がない」と書かせていただきました。
そんなことはない。神話なのだから、荒唐無稽な物語じゃないかと思われる方がおいでかもしれない。
けれど古事記はそうではなくて、概念的な部分において非常に矛盾なく、自然に書かれているのです。
たとえば古事記に出て来る神々は、おひとりひとりが非常に人間的です。
アマテラスは、日本の最高神ですが、物語に登場したての頃は、スサノオに怯えて神としての任務を放棄して岩戸に隠れてしまったりしている。
スサノオも、八岐大蛇を退治するほどの剛の神でありながら、最初に登場するときは、お母ちゃんが恋しいと毎日泣き明かし、挙げ句の果てに姉のアマテラスの大事な田畑を壊してしまったりの乱暴者です。
また大国主は、登場したときは、兄達のいまでいう「パシリ」として登場し、しかもさんざんなイジメにあう。
けれどこうした神々が、様々な経験を経て、大いなる国の神となったり、地下の大国の主となったり、また日本の最高神として成長を遂げています。
そうです。
古事記は、神々の成長の物語として描かれている。
なかには、根の堅州国(ねのかたすくに)神話で、大国主の前にねずみが現れて「内はホラホラ、外はスブスブ」など言って大国主を助けるシーンが出て来きます。
このねずみは、スサノオが放った鏑矢まで探して持って来てくれるのですが、なんとその矢は、羽根のところをねずみの子供達がかじってしまったので、羽根がぼろぼろになっていた、などと、妙に細かなことまで書かれている。
こうした、ねずみが喋ったり、わざわざ羽根をかじったりと、本題にあまり関係のなさそうな、また、ありえなさそうな余興ともいえる物語が、古事記には随所にちりばめられています。
そしてどうやら、このことが、古事記の成立をめぐる謎の一部になっていて、どうやら古事記を編纂した太安万侶が、もしかすると古事記は封印されてしまうかもしれないと知っていて、「仮に封印されたとしても、その物語の楽しい寓話(たとえば因幡の白ウサギの物語など)として後世に残り、いつの日にかきっと古事記が再び世にでる日を期した」のではないか、などとも言われています。
ボクは個人的には、古事記にあるイザナギ、イザナミ神話と、大国主神話が大好きで、この二つは、過去記事でもご紹介させていただきました。
◆桃太郎とイザナギ、イザナミ
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1151.html
◆大国主は日本最初のイジメ被害者だった
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1158.html
今年は、折りを見ながら、このねずブロで、もっとたくさんの古事記物語もご紹介していこうかと考えています。
ともあれ、古事記誕生1300年を寿ぎたいと思います。
そして昨日も書きましたが、この年が、国家規模の転換点となる新たな息吹が生まれる「壬辰の年」であるということも、なにか非常に象徴的なできごとではないかという気がします。
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