人気ブログランキング ←はじめにクリックをお願いします。

非法的占領で構築された今日のChina領土
今日のChina領土

前回の記事で、五常の徳の概念の中味として、仁義礼智信孝忠悌を書きました。
この仁義礼智信孝忠悌といえば、南総里見八犬伝の物語が有名ですが、昔の人はそうした物語を通じて、子供達にわかりやすく仁義礼智信孝忠悌を説き、覚えさせたのですね。
「南総里見八犬伝」というのは、江戸時代の後期に滝沢馬琴によって著された物語で、初版の刊行は文化11(1814)年。まさに江戸文化が花開いた時期に出版されました。
そしてそれから28年かけて、物語は、天保13(1842)年に完結した。
全98巻106冊の大長編大河小説です。


八犬伝では、8つの数珠の大玉に、それぞれ仁義礼智忠信孝悌の文字が浮かび、その大玉が飛散し、それぞれ八犬士がその珠を持っています。
そして珠を持つ犬士同志が近づくと、珠と珠が感応しあい、その存在を教える。
って、これ、漫画の「ドラゴンボール」と同じ構成です。
また物語に登場する名刀「村雨丸」は、殺気をもって抜き放てば刀身から氷気が立ち上り、青白く輝く。
この刀が光るという仕様は、後年、スタートレックで応用され、光の剣となっています。
また、昨今のPCゲームなどでも、剣士の持つ刀が光るという仕様が応用され、現代人の楽しみに供されてています。
その楽しみの大元にあるのが南総里見八犬伝なのですが、一点、八犬伝の物語がいまどきのアニメのドラゴンボールや、映画のスタートレックの物語、あるいは各種ロールプレイングゲームなどと違うのは、それがただのファンタジーではなく、そこに「仁義礼智信孝忠悌」という人として大切な道に関するメッセージが含まれているという点です。
子供から大人まで、ワクワクしながら物語を読み進み進むうちに、自然と「仁義礼智信孝忠悌」の言葉と概念を覚える。
それが人々の生きる道としての常識化する。
そこが八犬伝と、現代のファンタジーの大きな違いといえるかもしれません。
さて、ではその「仁義礼智信孝忠悌」ですが、ひとつひとつの文字そのものは、China生まれの文字です。
誕生したのは、いまから2千年以上も前、春秋戦国時代のChinaです。
説いたのが孔子で、論語の中にその言葉が登場する。
そしてその言葉(文字)が、我が国に受け入れられ、我が国の伝統的精神文化の素地となっていった。
ということは、我が国に受け入れられた背景には、もともと日本に、そうした概念があった、ということなのではないかと、ボクは思っています。
私たちの父祖は、その概念を漢字にあてはめ、伝承した。
なぜなら、同じ孔子でも、我が国の伝統文化に会わないものは、まったく我が国には伝承されていないという点が、注目に値するといえるからです。
たとえば、孔子の行った食人の習慣、さらに「諱(き)」の概念などは、日本にはまったく輸入されていないし、定着もしていない。
人間を食べるなどというのは、最早論外ですが、「諱(き)」も面白いです。
「諱(き)」というのは、「かくす」という意味で、他人を守るために嘘をつくことを正しいとする概念です。
孔子は、我が国でもたいへん好まれましたが、「諱(き)」の概念は、我が国の伝統文化に反します。
だから昔の日本人は輸入しなかった。
「諱(き)」は、孔子の論語で、次のようなエピソードとして語られます。
~~~~~~~
ある人が孔子に言います。
「私の村にはとても正直な人物がいます。その正直な人物は、自分の父親が他人の羊を盗んだ時に、それを告発しました。」
孔子は答えます。
「その人物を、正直者とはいいません。父は子のために隠し、子は父のために隠す、これが本当の正直というものです」と答えた。
~~~~~~~
要するに、尊者の為には恥を諱(かく)し、賢者の為には過(あやまち)を諱(かく)し、親者の為には疾(あしきこと)を諱(かく)すことが、「諱(き)」の概念であり、現代語に訳すと、
「偉大な人物についてはその人物の不面目な事柄は隠し、優れた人物についてはその人物の過失を隠し、自分の血の繋がった親族については欠点を隠す」となります。
つまり、避諱の本質は、自分以外の誰かのためにその誰かの恥を隠すこと。
さらに、他の誰かのために「隠す」だけでなく、隠すためには、嘘をついても構わない、いやむしろ積極的に嘘をつくべきだ、となります。
現代Chinaでいえば、国家がいわば偉大な人物にあたります。
ですから中共国家の恥になること、あるいは中共政府の過ちを隠すことは、Chineseにとって「諱(き)」であり、常識です。国民の義務と言っても良い。
さらに国家の威信を護るためなら、嘘をついたりデマを飛ばすことさえも、まさに正義となり、推奨や賞賛に値する行為となります。
南京虐殺や百人斬りなどのでっちあげは、ですからChineseにとっては、「諱(き)」であり、あたりまええの常識となる。
それが「道徳的な行い」なのです。
このことは、逆にいえば、立証的あるいは弁証法的な真理の探究を基礎とする「科学」は、Chineseの概念では発達しない、ということです。
なにせChineseにとっては、真実より「諱(き)」が大事だからです。
こうした考えは、伝統的な日本人の考え方からは、非常に異質なものと受け止められます。
人間は、正直であること、嘘より真実が大事と考える思考を常識とする文化からは、到底、受け入れがたい。
だから、いくら孔子の論語であっても、日本人は、「諱(き)」を受け入れてこなかった。
受け入れるものと、受け入れないものが、こうして取捨選択されている。
ということは、「仁義礼智信孝忠悌」など我が国に受け入れられた言葉は、それを受け入れる前から、我が国にはその言葉に代表される道徳観があったということだし、「諱(き)」のように、受け入れられなかった文字があるということは、もともとの我が国に、「諱(き)」のような概念はなかった、ということです。
(いやあ、日本人でよかった!(笑))
あともうひとつ言うと、China語では、もともと常に漢字「一文字」に意味を当てはめます。
その漢字を二つ三つ並べて、複雑な人間を描くのは、日本人の発明です。
ですから中華人民共和国というChinaの国名のうち、「中華」「人民」「共和」は、日本人が発明した造語ですから、Chinaは国名からして、日本のお世話になっている、ということです。
大東亜戦争当時のChinaの人口は、約5億人です。
いまのChinaの人口は、公称13億人、一説によれば15億人といわれています。
わずか60余年で、人口が3倍に増殖できたのは、日本人が開発した小麦のおかげです。(→小麦のお話を参照)
つまり、Chinese3人のうち、2人までは、日本人のおかげで今を生きていられる。
古くをたどれば、Chineseに稲作の水耕栽培や灌漑技術を教えたのも日本人だし、漆文化を教えたのも日本、芸術性の高い陶磁器の製造を教えたのも日本人です。
その大恩ある日本人に対し、Chinaの中共政府は、その恩に感謝するどころか、日本を貶めようと躍起になって、まさに「諱(き)」を地でいく工作をし続けています。
そして全世界に害毒をまき散らし、嘘を並べ立て、欲望のためには、ウイグルやチベットの人々の生命や財産を平気で奪い、蹂躙している。
かつて自由主義国家の最大の敵は、旧ソ連でした。
いま、全世界が敵として戦うべき敵は、中共政府であると、断じたいと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
よろしかったらクリックを。
 ↓ ↓
人気ブログランキング

日中情報戦 - マスコミの隠している真実を知っていますか?

【メルマガ会員募集中】
ねずブロのメルマガを購読し、ご一緒に日本の良い話を拡散しませんか?
購読のお申込は↓コチラ↓から。
http://www.mag2.com/m/0001335031.html
日本の心を伝える会 日心会

コメントは受け付けていません。