
先日、ある方とお話していたら、その方は某大学の教授をしている方なのですが、最近の若い人達は、日米が戦争をしたという事実すら知らず、映画「男たちの大和」なども、近未来の空想上の物語と認識している人が多いというお話を聞きました。
戦艦大和も、「宇宙戦艦ヤマトの物語の最初の方に出て来る近未来の空想上の戦艦」なのだそうです。
正直驚きました。
けれど考えてみると、もうすこし上の世代でも、先の大戦は「太平洋戦争」と呼び、本来の名称が「大東亜戦争」であることを知らない方が多い。
つまり日本の近代史について、基礎的な知識なないところに、いつの間にか「日本は侵略戦争を行った」などのデタラメ情報の刷り込みが行われるのですから、本当に由々しき事態です。
ちなみにその大東亜戦争ですが、開戦前、日本は日本から戦争を始めるよう挑発し抜いた米英に対し、なんとかして戦争を回避する道はないかと、必死の手探りをしていました。
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。
その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。
及川海相が「重点は外交にある」と答えました。
すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。
よもの海 みなはらからと思ふ世に
など波風の たちさわぐらむ
四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。
そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。
昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。
しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
言えないです。
陛下が平和を望むお気持ちは閣僚たち全員が痛いほどわかっているのです。
けれど、米国の日本に対する戦争への挑発は、もはや引き返すことのできない所まできている。
それでも尚、平和を、和平を、外交による事態の好転をと求められた昭和天皇。
昭和天皇は、その万感の思いを、明治大帝のお歌に託された。
その陛下の前で、戦争せざるをえないですなどと、誰が言えましょう。
言おうとしたら、涙がとめどなくあふれて、まともに言葉なんて話せなくなる。
日本を代表する英才であり、すべての情報を知り尽くした日本の最高責任者たちが、陛下の御前で、声もなくうなだれ、涙をこらえるしかなかったのです。
当時の新聞は、「最早日米開戦止む無し!」「鬼畜米英」「進め!一億火の玉だ」などと特大の見出し文字で国民世論をあおっています。極めて無責任な行為です。
自分たちは新聞記者だから、絶対に鉄砲玉は飛んでこないとタカをくくっている。
特に当時の朝日新聞など、酷いものです。
けれど、首脳たちは違う。
特に軍の大臣たちにとっては、手塩にかけた自分の可愛い部下たちを戦地へと向かわせなければならないのです。その中の多くは、戦地で命を落とす。
日清、日露、第一次世界大戦、China事変と戦い、多くの部下を失って来た悲しみを、いちばん身にしみているのが、軍の首脳たちでもあった。
戦うなら、勝たなければならない。
けれど、敵は世界の最強国の米英です。
日本一国で、それと戦い、勝利を得なければならない。
その苦しみと覚悟と、幾度も検討を重ねた作戦と、部下を失わなければならない悲しみと、日本の置かれた現状との狭間の中で、彼らは苦しみ抜いていたのです。
しばしの静寂あと、昭和天皇は海軍軍令部総長の永野修身(ながのおさみ)に発言を求められます。
永野はようやく重い口を開いて、次のように答えます。
「アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。
けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。
統帥部としては、もとよりあくまでも外交交渉によって平和的解決を望んでいます。
けれどもし、不幸にして開戦と決し、陛下の大命が発せられるようなことになるなら、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟でございます。」
(原文)~~~~~~~~
政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。すなわち戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう。統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。
~~~~~~~~~~~~
昨日も書きましたが、当時の欧米列強に呑み込まれる、すなわち戦わずに植民地となることを承諾するということは、日本全員が、白人種の奴隷となることを意味していたのです。
そうなれば民族の誇りもなにもあったものではない。
誇りどころか、日本人には一切の私権がなくなり、教育も奪われ、日本人は米英の植民地奴隷に成り下がるということです。
それが当時の「世界の常識」だったのです。
そして永野軍令部総長は、とても大切なことを、ここで語られています。
それは開戦に先立ち、「たとい戦い勝たずとも、祖国護持の精神がのこり、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と述べた、ということです。
ここでいう子孫とは、いまの日本に生きる私たちのことです。
大東亜戦争で散華された英霊は236万柱、なぜ「柱」というのかといえば、散華された英霊の皆様は、日本の神々となられたからです。「柱」というのは神を数える際の数詞です。
そしてその神々は、今を生きる私たちに、「俺たちは祖国を守るために死を選んだ。日本は亡国の危機に陥るかもしれないが、君たちは祖国護持の精神を持ち、必ず再起三起せよ」と語りかけてくれている。
そのことを、私たちは常に忘れてはならないと思う。
明日は、永野修身元帥のことを書いてみたいと思います。
よろしかったらクリックを。
↓ ↓

【メルマガ会員募集中】
ねずブロのメルマガを購読し、ご一緒に日本の良い話を拡散しませんか?
購読のお申込は↓コチラ↓から。
http://www.mag2.com/m/0001335031.html


