
上の写真は、映画俳優の加東大介さんです。
加東大介さんといえば、まさに60年代の邦画を代表する名俳優で、なかでも黒澤明監督の名作「七人の侍」での七郎次役では、侍たちの中で唯一、槍(やり)を振るって村の西の入り口をひとりで守り抜いた。
その加東大介さんは、明治44(1911)年のお生まれですから、言うまでもなく戦中派の方です。
兄は沢村国太郎、姉は沢村貞子で、ともに大俳優、大女優。
甥にあたるのが先日亡くなられた長門裕之さんと、保守で有名な津川雅彦さんです。
加東大介さんの出演した映画は、数限りないほどあるのですが、その中で唯一、加東大介さんご自身の自叙伝を映画化した作品があります。
それが昭和36(1961)年に公開された「南の島に雪が降る」です。
監督は久松静児さんで、出演者は加東大介、伴淳三郎、有島一郎、西村晃、渥美清、桂小金治、志村喬、三橋達也、森繁久彌、小林桂樹、三木のり平、フランキー堺など。
まさに豪華そのものの顔ぶれです。
実はこの映画、リメイク版も作られています。
それが平成7(1995)年の「南の島に雪が降る」で、こちらは監督が水島総氏です。
そうです。チャンネル桜のアノ水島さんです。
こちらの方は、出演者は、高橋和也、根津甚八、菅原文太、西村和彦、烏丸せつこ、風間杜夫、佐野史郎などとなっていて、コチラも豪華な顔ぶれです。
で、その昭和36年に公開された方の「南の島に雪が降る」ですが、役者陣には、なぜか当時の人気喜劇俳優が勢揃いしているのです。
「南の島に雪が降る」の物語自体は、漫画家の小林よしのりさんも「戦争論」の中で紹介していますので、ご存知の方も多いかと思います。
かいつまんであらすじだけ申し上げると、以下のようなものです。
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加東大介さん(本名、加藤徳之助さん)は、昭和18年10月8日、大阪道頓堀中座の楽屋で、軍隊に招集されます。
向かった先が、西部ニューギニアのマノクワリというところです。
ニューギニア戦線は、東部で激戦が展開されたところです。
けれど加東さんたちが赴任した西部側は、それほどひどい被害は受けず、加東さんたちが到着した頃には、すでに戦域はフィリピンに移っていました。
なので西部ニューギニアでは、大規模な戦闘はほとんどない、という状況だったのだそうです。
けれど、取り残された前線とはいえ、いつ敵が襲ってくるかわからない。
補給もほとんどなく、飢えとマラリアに苦しめられながら、敵と戦う日を待つという日々です。
そこは戦地であり、兵隊さんたちは、常に戦闘による死、マラリアによる死の両方と向かい合っている。
そんな状況の中で、西部ニューギニアの司令部は、すこしでも兵隊さんたちを勇気づけようと、俳優である加東さんに「劇団」作りを命じた。
加東さんは、島中から劇団員を募集し、こうして誕生した劇団が、マノクワリ演劇分隊だったわけです。
マノクワリ演劇分隊は、熱帯のジャングルのド真ん中に日本式の舞台を作り、三味線弾き、ムーラン・ルージュの脚本家、スペイン舞踊の教師、舞台美術・衣装担当の友禅職人など、個性的なメンバーと一緒に公演をします。
衣装は、ありあわせの布に絵を描いたもの。
カツラは、ロープ(縄)で作った。
女形は「おしろい」を塗るけれど、男ばかりの軍隊に、そんなものはありません。
そこで傷口用の軟膏を顔に塗りたくって白粉の代わりにした。
こうして加東さん率いるマノクワリ演劇分隊は、日本への帰還の日まで、兵隊さんたちの慰安のために、ほぼ連日、休演なしで演劇を続けます。
厳しい軍隊生活、いつ死ぬともわからない運命、マラリアに苦しめられ、飢えに苦しめられる毎日の中で、兵隊さんたちは「公演を見たい」という生きがいを得ます。
公演には、島のはるかな地から演劇場までやってくる兵隊さんたちもいたそうです。
そして見終わると、次の演目を楽しみにし、
「次はこのなかで誰が来れるだろうね」
「まあ、お前はモタんだろうな」
「いやあ、お前が先さ」
などとニコニコと言いあいながら帰って行った。
途中、加東さんは内地送還のチャンスを得ます。
けれど加東さんは、「これだけの観客を見捨てていけるか」と自分から、日本に帰れるチャンスを捨て、演劇を続けている。
そんな中で、長谷川伸原作の名作「瞼の母」の舞台のときには、紙を使って雪を降らせた。
南の島の熱帯のジャングルの中で、雪を降らせたわけです。
この雪は、観客に大好評で、紙でできた雪が舞う都度、客席から毎回、どよめきと歓喜の声があがった。
加東さんたちは、サービスのため、観客たちに雪景色を充分堪能してもらってから舞台に登場するようにしていたのだそうです。
ところがある日、同じ演目の公演で、いつもと同じように雪を降らせたのだけれど、いくら待っても客席がシーンとしている。
不審に思って加東さんたちが舞台の袖から客席をのぞいてみると、数百名いた兵隊が皆、涙を流していたのです。
聞いてみた。
すると彼らは、東北の部隊の兵隊さんたちだった。
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この物語は、加東さんご自身が体験された実話です。
たまたま「週刊朝日」の夢声対談コーナーで、この話を加東さんが語ったところ、徳川夢声から、これは是非執筆するようと、強く勧められ、昭和36(1961)年に文藝春秋で「南海の芝居に雪が降る」という題で出稿したのが始まりで、これはその年の第20回文藝春秋読者賞を受賞し、さらに出版されてベストセラー小説となっています。
そして同年には、「南の島に雪が降る」という題でNHKがドラマ化し、さらに東宝が同名で映画化した。
このときは、加東さんご自身が主演を務めています。
この映画で、ボクがとても感動したのは、物語そのものももちろんなのですが、とても重くて、苦しくて、せつなくて涙を誘う物語でありながら、加東さんも監督も、俳優陣に「喜劇俳優をそろえた」という点です。
舞台を見に来てくれた兵隊さんたちは、ジャングルの中を、遠く、道さえないところを歩いて来てくれていた。
次の舞台を楽しみにしてくれていた兵隊さんたちの多くは、翌月の演目には来ることはなかった。
みんな死んでしまったからです。
客席で二度と見れないであろう雪景色を見て、声を殺して泣いていた300人の東北の国武部隊の人達の姿を見たとき、加東さんたち役者さんは、もらい泣きして涙をいっぱい流しながら、なかばやけくそ気味に舞台に躍り出て、泣きながら立ち回りを演じています。
シリアスに描こうとすれば、どこまでもシリアスになったであろうその史実を、加東大介さんは、むしろ明るく楽しくほがらかに、これを映画に仕立てた。
そこに日本人らしさというか、日本人の心を見るような気がします。
どんなにつらくても、どんなに苦しくても、泣きたくなるようなことでも、明るく笑ってそれに耐え、明日を信じて前を向いて歩く。
それこそが日本人としての生き方、なのかもしれません。
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南の島に雪が降る 岡晴夫
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