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麻生総理

先週は、台風による大雨が日本列島に大きな被害をもたらしました。
下に示すのは、2008年の総裁選挙のときに、麻生元内閣総理大臣が名古屋駅前で街頭演説したときのものです。


麻生太郎 自由民主党 【総裁 選挙2008】 名古屋駅

このときの麻生さんの演説からの抜粋です。
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公共工事を皆、悪の事のように言うけれども、こないだ、愛知県どうでした。
岡崎で降った雨。1時間に140mmだよ。140mm。
普通、一級河川は1時間50mmで計算してある。
50mm。40mm降ったら、まず大体ワイパー利かない。
それが50mm。あそこは140mmだぜ。
それでこれが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、あれ名古屋で同じ事が起きたら、この辺全部洪水よ。
これが今起きてる、新しい気候現象に対応して、我々は、しかるべきものをやらなければ。
公共工事は何も田舎だけじゃない。
都会でも新しい時代に合わせて、そういう投資を、きちんとした社会資本整備をやらなれば、いかんのじゃないんですか。
我々はそういう意味で、ぜひ、公共工事イコール悪からという話ではないんであって、皆さん方の生活を、皆さん方の安心を、皆さん方の安全のために、こういうものも必要なのではないかと、いう事を私は申し上げています。
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今年9月20日、台風15号の被害によって、名古屋では水位が急上昇した庄内川の水が堤防を越え、流域の約100万人に避難勧告が出ました。
名古屋市中村区では、ビル屋上で大雨で詰まった排水溝を掃除中の60代男性が転落して死亡した。
岐阜県では多治見市の小4男児と白川町の男性(84)が川に流されるなどして行方不明になっりました。
愛知県春日井市のJR高蔵寺駅では構内が浸水、瀬戸市と安城市でも水野川などの水があふれ、岐阜県では白川町や多治見市など約9万4千人(約3万3千世帯)に避難指示・勧告が出ることになりました。
麻生さんは言いました。
「公共工事イコール悪ではない。みなさん方の生活を、みなさん方の安心を、みなさん方の安全のために、こういうものも必要なのではないかと、私は申し上げています」
そしてリーマンショックが起こった。
麻生総理(当時)は、「できることは全部やるんだ」と述べ、ありとあらゆる財政出動を行った。
そのことごとくに反対を唱え、麻生総理(当時)を笑い者にし、嘲笑したのが、いまのマスコミと民主党です。
政権交代となり、民主党が政権を奪った。
そして事業仕分けと称して、麻生内閣当時に進められたありとあらゆる公共工事等への財政出動を停止させ、子供手当のバラマキ等をはじめた。
そして3・11に東日本大震災が起こる。
福島原発が事故を起こす。
秋には豪雨による被害が続出した。
公共工事は、イコール税金の無駄遣いである、そんなイメージが、多くの日本人に浸透しています。
建設談合も、これはずいぶん以前のことになるけれど、悪だと決めつけられた。
けれどよく考えていただきたいのです。
建設談合があるから、公共工事には受注業者に、確実に2割の利益があった。
各会社は、持ち回りで工事を請け負い、利益も確実に保証されている。
だから、業者同士の戦い(競争)は、もっぱら工事の精度、出来上がりの良さで競われることになっていた。
それが日本の大規模公共工事の一般的慣習だったから、日本の建設事業者や、大工、左官、鉄筋屋、コンクリート屋、建設資材屋さんたちは、みんな安心して、少しでも良い仕事をすることで、きちんとした、ちゃんとした仕事をすることで、長い職人生活、あるいは生涯を通じての建設業者生活を送ろうとしたのです。
その談合が廃止され、民主党政府になったらどうでしょう。
東日本大震災が起こり、多くの避難民に仮説住宅を提供することになった。
雇用の確保のため、あるいは経済振興のため、あるいは復興のため、仮設住宅は日本国内の事業者に工事の発注があるかと思いきや、なんと仮設住宅は韓国から購入した。
気象条件の違いなのか、住宅の出来そのものの違いなのかは知りません。
知りませんが、韓国製のその仮設住宅、入居して間もなくカビが繁殖し、とてもじゃないが生活に耐えられない。住めたものじゃない。
だから多くの避難民の方々が、仮設住宅を捨てて、もとの避難所生活に逆戻りしています。
それだけじゃない。
日本の住宅メーカーや、工務店などが仮設住宅の入札に参加しようとすると、韓国と同じ値段でなければ工事を請け負わせてもらえない。
物価も違えば、人件費も違うのです。
無理です。
それでも、人様のお役に立てるならと、工事を請け負った業者の方もおいでです。
毎日、早朝から真夜中まで仕事をして、赤字です。
これじゃあ、経済はもちません。
話をもとに戻しますが、降雨量については、気象庁のホームページに詳しい目安、説明が載っています。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/amehyo.html
1時間あたりの降雨量が、10mm以上20mm未満で「やや強い雨」です。
ザーザーと降る雨で、話し声がよく聞き取れない。
1時間あたりの降雨量が、20mm以上30mm未満で「どしゃ降り」です。
道ばたの側溝があふれ、車はワイパーを速くしても、前が見づらくなる。
1時間あたりの降雨量が、30mm以上50mm未満が「激しい雨」です。
バケツをひっくり返したような雨です。
道路は川のようになり、都市部では下水管があふれる。
1時間あたりの降雨量が、50mm以上80mm未満で「非常に激しい雨」です。
このレベルになると、雨は滝のようにゴーゴーと降り続き、車のワイパーはまったく役にたちません。
歩く人の傘はまったく役にたたず、マンホールからは水が噴出する。
もともと自動車のワイパーは、1時間の降雨量が50mmまでを想定して規格ができています。
河川の堤防や、下水施設も、1時間の降雨量が50mmまでを基準に構築されています。
けれど現代の日本人なら誰もが知っている。
日本は、我々が子供の頃は、確かに温帯地方だったけれど、いまや日本は亜熱帯化しています。
あのなつかしい夕立は、いまや熱帯性スコールとなって降り注いでいる。
気象条件が変わったのです。
ならば、河川の堤防も、下水施設も、排水施設も、車のワイパーやタイヤの規格も、いまの時代、あるいはこれからの時代に合わせて、作り替えなきゃならない。
けれど考えてください。
一級河川と呼ばれるような大きな川の堤防の補強工事や、地下に張り巡らされた下水施設など、個人の力で改修工事をするなんて、不可能です。
だからこその、公共工事です。
みんなが安心して、安全に暮らせるようにするのが、市町村や、県や、国といった公共機関の最大の役割です。
ボクが住んでいる埼玉の東南部というのは、利根川と江戸川という一級河川が近くを流れるところです。
見に行くとわかるけれど、広大な河川があり、その両脇には、巨大で広大な堤防が構築されている。
その堤防ができたのは、実は、なんと江戸時代のことです。
もともと関東では、利根川のことを坂東太郎(ばんどうたろう)と呼んだくらい、嵐のたびに利根川が荒れ狂い、川の位置が変わってしまっていたのです。
これでは江戸の街で庶民が安心して暮らすことはできない。
そこで江戸幕府は、なんと利根川の水路を、千葉県の銚子にまで逃してしまったのです。
これがいまの利根川です。
あれは、人造川なのです。
そして千葉県と埼玉県、茨城県が交差するところから、利根川の支流として、江戸川を分岐させた。
そうすることで、江戸の水を確保した。
利根川も江戸川も、どちらも巨大な河川です。
そしてその河川は、人の力で、まだ建設重機なんてなかった時代に、人々が土嚢を積み上げ、川を掘り、いまの流れを築いたのです。
そのおかげで、江戸の庶民は洪水に悩まされずに済むようになった。
家が木造だから、火事と喧嘩は江戸の花、なんて言われたけれど、洪水が江戸の花には、ついぞならなかった。
大規模な河川工事を、江戸時代初期にやってくれたおかげです。
ちなみに、この利根川と江戸川には、まだオマケがあって、千葉の佐倉藩は、幕府の老中クラスの徳川直参旗本が代々の城主を勤める藩だったのだけれど、この佐倉藩で、印旛沼の大干拓事業を行った。
大きな沼を、田んぼに変えたのです。
当然、そこには豊富な稲が実った。
たくさんのお米ができた。
そのお米を、どうやって江戸に運んだかというと、印旛沼で高瀬舟に米俵を積み込み、水路を伝って利根川に出、利根川をさかのぼって、関宿(鈴木貫太郎のお在所)で江戸川にはいり、江戸川つたいに江戸の町に米を運んだのです。
また、米がたくさんとれるようになり、豊かになった佐倉藩では、紀州和歌山から醤油の製造法を学び、そこでキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタ、正田醤油などが起こります。
そして醤油も、利根川をさかのぼり、江戸川に出て、そこから江戸市中に運んだ。
さらにいうと、戦後、まるでどぶ川にようになってしまった利根川、江戸川だけれど、昭和初期までは、どちらも夏には川遊びや水泳ができるくらい、どちらもきれいな川だった。
同様の話は、北海道の石狩川、東北の北上川、北陸の最上川、中部の天竜川、信濃川、木曽川、近畿の熊野川、淀川、中国の高梁川、太田川、佐波川、四国の吉野川、九州の遠賀川、筑後川、その他、各地の小さな川に至るまで、枚挙にいとまがない。
どの川も、巨大で広大な堤防が築かれ、きれいな水が流れ、物流に活用されていた。
そうやって、日本人は、自然と上手に付き合って来たし、上手につきあうために、公共工事は、藩を挙げて、あるいは、国をあげて取り組んで来たのです。
川にかかる橋も、堤防も、全部、日本人が作って来た。
すこしでも人々の暮らしが便利になるように、すこしでも安心して、安全に暮らせるようにと、みんなで力を合わせて築いて来た。
官も、民も、一体の国、官も民も、ひとつの家族として陛下を中心に団結し、結束し、子供達の未来を拓くために大人達が一生懸命に力を合わせて生きて来た。
それが日本という国の、私たちの国のカタチなのだと思う。
その日本を、馬鹿にし、嘲笑し、自分だけはいい子ちゃんになって澄ましているいるような政治家やマスコミ、学者、評論家、教師などは、もう日本にはいらない人達でしかない。公職追放すべき人達であると、申し上げたいのです。
(このお話しは、先日共通一次世代さんからいただいたコメントを元に書かせていただきました)
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麻生太郎の心あたたまる話

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