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ナデシコ
ナデシコ

女子サッカーでは、なでしこジャパンが優勝しましたが、今日は、夏の花でもある「撫子(なでしこ)」について書いてみようと思います。
撫子(なでしこ)は、6月から8月にかけて咲く花で、花びらの縁がこまかく切れ込んでいるのが特徴のピンク色の花です。
我が子を撫でるように可愛い花であることから、日本では「撫子(なでしこ)」と呼ばれるようになった。
けっこう、どこでも咲く花で、崖の中腹に、ポツンときれいな花を咲かせたりもします。
そんな様子を、和歌に詠んだのが源実朝(みなもとのさねとも)です。


ゆかしくば 行きても見ませ
雪島の 巌に生ふる 撫子の花
(金槐和歌集)
好奇心がそそられたなら、行ってみてご覧なさいな。
雪島の巌に、なでしこの花が可憐に咲いているよ。
源実朝は、源頼朝の実子で、鎌倉幕府の第三代将軍です。
若干12歳で征夷大将軍となり、武士として初めて右大臣とんなる。
ところがその翌年、鶴岡八幡宮で、源公暁に殺されてしまう。
これによって鎌倉幕府では、創業者の源家が断絶し、以降、北条家が執権として政治を担うようになりますした。
もうすこし古い時代になると、鎌倉幕府よりも500年の昔、万葉集の時代に、なでしこは、多くの人の歌に詠まれています。
なかでも有名なのが大友家持で、
なでしこが
その花にもが 朝な朝な
手に取り持ちて 恋ひぬ日なけむ
なんていう和歌があります。
大伴家持には、大好きな彼女がいて、この和歌を送ったんですね。
君がなでしこの花だったなら、毎朝手に取って君を愛でることができるのに
なんだかとっても情熱的です。
その家持の大恋愛のお相手が、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)です。
のちに二人は結婚する。
けれど坂上大嬢は、結婚後ほどなくして急逝してしまうんです。
妻を失った家持の和歌に、またまたナデシコが出てきます。
秋さらば
見つつ偲べと 妹が植えし
やどのなでしこ 咲きにけるかも
二人にとってなでしこは思い出の花です。
そのなでしこを、奥さんが庭に植えてくれた。
「夏になったなら、あなたとの思い出の撫子の花が、きれいに咲きますわ。そしたらあなた、いっしょに見てくださいますね?」
そう言って、明るい笑顔を向けてくれた妻が、もういない。
けれど、季節がめぐり、夏になり、その妻が植えてくれた撫子が、庭にきれいな花をつけた。
可憐で美しい撫子の花に、愛する妻の姿を映して涙こらえる大伴家持の心が、1200年の時を超えて、私たちの胸に突き刺ささります。
この歌は、万葉集に載せられていますが、その万葉集が編纂されたのが、天平宝字3(759)年頃です。
万葉集は、現存する最古の和歌集ですが、この万葉集の特徴は、下級官吏や、防人として派遣されたさまざまな地方の侍たちの歌が多数掲載されていることです。
つまり、この時代に日本では、文字や和歌といった知的生産物が、一部の貴族や高官たちの占有物ではなく、一般の人々(民)が、和歌を詠み、文字を解し、書いたということです。
これは注目に値する。
西欧でもChinaでも、文字というのは高級官吏や貴族の独占物です。
民から教育を奪うことは、支配のための鉄則だった。
ところが日本では、民も貴族同様、普通に教養を身につけた。
これは世界に冠たる、日本の誇るべき歴史です。
なでしこは、Chinaから渡来したカラナデシコと、日本古生のヤマトナデシコがあります。
そのヤマトナデシコは、花期が夏から秋にかけてであることから、別名を「常夏(とこなつ)」ともいいます。
源氏物語の八巻の「常夏」は、このナデシコの別名からきている。
「常夏」では、色とりどりの撫子が咲き乱れる様子が描写されています。
大和撫子(ヤマトナデシコ)の花言葉は、可憐、貞節です。
同時に撫子には、才能、大胆、快活といった意味もあります。
なでしこジャパンのみなさんを見ていると、まさに、才能があり、大胆なゲームをし、朗らかで、可憐です。
すばらしい、と思います。

ナデシコ. 大和撫子による癒し

日本の心を伝える会 日心会

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