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郡司成忠
郡司成忠

昔、江戸に「のっそり十兵衛」という大工さんがいました。
口は下手だし、無愛想。けれど大工の腕は超がつくほど一流です。
その十兵衛さんのもとに、ある日、谷中のお寺さんが五重塔を建立するという話が飛び込みます。
一生に一度、あるかないかの大仕事です。
十兵衛は、是非ともその仕事を自分の手でやり遂げたいと願い、お寺の上人さんに会いに行きます。
ところが、ここに困った問題が起こります。


すでに五重塔の建立は、日頃から寺の普請を請け負っている川越の源太という大工に、すでに話を通してあるのです。
源太は、風格もあり人望もあり、しかも一流の大工です。
十兵衛にとっても兄弟子にあたり、日頃からなにかと世話にもなっている。
十兵衛にしてみれば、源太を裏切ることはできない。
さりとて五重塔の仕事は、なんとしても自分の手でやり遂げてみたい。
この葛藤の中で、十兵衛の妻のお浪も、真剣に悩み苦しみます。
一方、お寺の上人さんも、十兵衛の持参した五重塔の模型をみて、その見事な腕前にぞっこん惚れ込んでしまう。
技術も塔の建立への情熱も、源太、十兵衛とも、両方ともとびきりの一流です。
そこで上人さんは、ある日、寺に源太を呼び、どちらが仕事をするか、二人で話し合って決めるように話します。
人を容れる難しさと、それゆえの尊さを伝えようとする上人の思いやりを感じた源太は、十兵衛の家を訪ねます。
そして職人の欲も、自分への不義理への怒りも捨て、「十兵衛、一緒に作ろう!」と提案します。
お浪は涙を流して源太に感謝した。
けれど、十兵衛は無愛想にその提案を断ってしまいます。
そればかりか、せっかく源太さんが来てくれて一緒にやろうと申し出てくれているのに、あんたのその態度は何ですか、と問いつめるお浪に、十兵衛は、「うるさい!だまれ!」と大声を張り上げて、奥に引っ込んでしまう始末。
十兵衛にとっては、自分が作るか、作らないかの、どちらかしかなかったのです。
さて、このお話しの続きはどうなるか。
五重塔は、完成します。
そして嵐がきてもびくともしなかった。
果たしてその建立をしたのは十兵衛だったのか、源太だったのか。
続きが気になるところですが、実はこの物語、幸田露伴の書いた「五重塔」という小説の前半部分のあらすじです。
幸田露伴といえば、明治中期から昭和初期にかけて数々の名作を産み出した小説家で、帝国学士院会員。帝国芸術院会員であり、第一回文化勲章の受章者、娘の幸田文も随筆家・小説家として有名な人です。
生まれは慶応3(1867)年で、江戸の下谷三枚橋横町といいますからいまの東京都台東区です。
上に、名を成忠(しげただ)という7つ年上の兄貴がいます。
この兄貴は幼いころに郡司家に養子に行ったので、名は郡司成忠(ぐんじしげただ)といいます。
実は、この兄貴の郡司成忠が、日本の海軍軍人としてはじめて千島列島に渡り、その開拓をした人なのです。
彼はあらゆる艱難辛苦を乗り越えて、千島列島最北端の占守島(シュムシュ島)にまで入植し、そこで測量と漁場の開拓を行った。
おかげで日露戦争に勝った日本は、ロシアから千島列島を日本領土とし、この占守島では、大東亜戦争終演後にせめて来たソ連との間に大戦闘が起こって、結果として北海道が戦後も同じ日本国領土として温存されています。
日本という国は、いろいろな人がいろいろなところでつながり、歴史を織りなしてきた国です。
そしていまを生きる私たちは、その日本の一員として、この日本を未来へと差し渡し、継続させる使命を帯びている。
たとえ我が身になにがあっても、日本を守らなくてはならない、日本を失ってはならないと、ボクは思うのです。
参考《占守島の戦い》
北海道を守りぬいた男たち・・・占守島-1
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-671.html
北海道を守りぬいた男たち・・・占守島-2
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-672.html
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